1 父とも呼びたくない人
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「死んだのか・・・」
ぼそりと背後で漏らされた不躾な言葉に、わたくしは剣呑な視線を向ける。
部屋の入口に立っていたのは二十代後半か三十歳そこそこくらいの年齢の、藍色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ、まあ、美形と言えなくもない容姿の男だった。わたくしの好みではないが。
何しろ、せっかくそれなりに造詣が整っているようでも、下半身のだらしなさが頬の辺りに、品性の低さが口元に既に顕れてしまっている。台無しだ。
持論だが、女性ほど節制を求められず、また、表情を取り繕うことも少ない男性は、得てして女性より人相に本性が表れ易い。
尤も、わたくしがこの男が誰であるか、またこの男の性質や所業の一端を、不快なまでに承知しているせいかも知れないが。
クローンサイト侯爵家現当主セドリック・クローンサイト。
ほぼ初対面だが、不本意なことにわたくしの実父である。
何故面識も無いのにもかかわらず、この男の正体を知っているのかといえば、代々のクローンサイト家の方々の肖像画の並ぶ回廊で以前この男のそれを目にしたことがあるからである。
わたくし付きの侍女であるメアリがソレを指差して証言しましたし、当家の家令のフィッツにも裏を取りましたので間違いはありません。
こうしてナマモノ(本人もしくは実物)を見るに、携わった画家はなかなかに腕が良い。流石侯爵家お抱え。当然件のブツ(肖像画)は即座に取り外して物置小屋に放り投げてある。
ええ。物置部屋ではなく、物置小屋。
邸の外ですわ。
愛人宅に入り浸り本邸に寄り付かぬ当主の扱いなどそれで充分でしょう。
先代当主夫妻と一緒に描かれた幼少期のものをそのまま壁に飾ったままにしているのは、せめてもの温情のようなものである。
母が亡くなった。
元々、体の丈夫な人ではなかった。
母がオパール侯爵家からこのクローンサイト侯爵家へと嫁いだのは、先代クローンサイト侯爵家当主の事業の失敗による資金難に際しての資金援助を目的とした、完全なる政略結婚であった。その際母の実家であるオパール家にどのような利が有ったのか、実はよくわからない。
家格も爵位も変わらぬ両家。
どちらかと言えば、先代当主同士の友情とか、オパール家先代当主側の厚意によるところが大きいようである。
その口実とされた母キャスリーンにとっては不幸でしかなかったが。
一見友情に厚い美談だが、己の対外的な優しさや善性に酔う前に、実の娘の為に少しばかりの用心深さを発揮して欲しかったものである。
その話が出るよりずっと以前より、クローンサイト侯爵家側の当事者、セドリックには親に黙って懇ろな関係になっている相手が存在していたのである。
隠れて付き合っていたのは、相手が没落貴族の元子爵家の娘で、その上庶子の身。そして当時既に平民に身を窶していたせいである。
元々の身分でさえ身分違いの貴賤婚となる上、現平民とあっては婚姻は許されない。
嫡男ではなく、スペアもキープ出来た上での三男くらいならまだどうにかなったかも知れないが、それでも貴族籍を抜ける覚悟は要るだろう。
隠すのは、寧ろ当然かも知れないが、その時既にその相手との間に子供が居り、何なら、次の双子を妊娠中でもあった。
だが、何も知らない当主の命令には逆らえず、セドリックはその存在を誰にも明かさぬままキャスリーンとの政略結婚を受け入れた。
当主である父親の面目を潰さぬ為に涙を飲んだと言えば聞こえはいいが、偏に、金の為である。
完全なる不誠実であるとわたくしは認識しております。
ええ、怒りを覚えますわ。
政略結婚とは即ち履行義務のある契約です。
明確な契約内容を記した契約書を交わす場合もありますが、それが無くとも、暗黙の決まり事というものは存在します。
援助や事業提携、後見等ケースバイケースのものとは別に、普遍的なもの。
まあ、人として当たり前のことではありますが。意外と疎かにされがちなところで言うと、契約相手に恥をかかせない最低限な礼節と気遣い。
男性であればパーティでのエスコート。
婚約中であれば送り迎えも含み、ドレスや装飾品を贈る配慮も勿論礼儀の内です。
女性であれば、パートナーである相手に恥をかかせないよう、美しくあること。
貞淑であること。嫁いでからは内向きのことを過不足無く差配すること。
そして、最も重要な、嫡子を生むこと。
無論それには男性側の協力は不可欠である。
愛情も個人の感情も一切関係無い。
そこが恋愛結婚との最大の相違点なのだろう。多分。
そんな中。
わたくしの最大の親孝行はハネムーンベイビーであったこと。
初夜のお義理の一回で見事結実しました!拍手!
セドリックの次の訪れを待つ事無く妊娠が発覚!ハラショー!
政略結婚での子作りとは斯くありたいものです。
まさに理想的ではありませんか。わたくしも政略結婚であった場合は是非ともあやかりたいものです。まあほぼ政略結婚だとは思いますが。既に一応婚約者が居りますし。
わたくしの誕生から暫く、いい加減セドリックの正体というか愛人やら子供達やらの存在に気付いたオパール家が、わたくしがクローンサイト家で孤立無援となる未来を心配して後見と成り得る公爵家との婚約をお世話してくださったのです。
尤もそんなハネムーンベイビーの奇跡が起きた裏には、初夜のお義理の一回を済ませてそそくさと夫婦の寝室どころか邸まで後にした挙句三ヶ月近くも夫の筈の人間が寄り付かなかったというだけな事情もあった訳だけども。
更に言うなら、妊娠の知らせを送ったらこれ幸い義務を果たしたとばかり、わたくしの誕生から暫く経つまで顔を出すことはおろか労いの手紙一つ寄越さなかったらしいのですが。政略結婚、契約ナメてんのかこの野郎一旦殺したろか?という感じではありますが、逆に妊婦である母の体調や精神の安寧、胎教には幸いしたと思われますので放置です。
そして、わたくしの最大の親不孝は嫡男ではなかったこと。
でもこればっかりはどうにもなりません。
一説には、閨での女性側の強い悦びが男の子が生まれやすくなる条件としてあるらしいので、お互い厭々さっさと済ませちまおうぜ的なそれでは男の子を授かれないのは仕方ない事なのかも知れません。
とは言え、まがりなりにも嫡子を生んだ母は立派に契約履行の責任を果たしたわけです。
令嬢であっても最悪婿を取れば継嗣の役目は果たせるのですから。
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