借金王キング
かつてある男が、たった一人で9000兆円を借りた。
男は借りた金で名声と権力を得て、そして生涯その借金を返すことはなかった。
一円たりとも、返さなかったのだ。
人々は畏敬の念を込めて、彼を借金王の中の借金王――【借金王キング】と呼んだ。
彼の存在は、世界中の思想に影響を与えた。
金は借りるだけ借りて、返さないほうが得なんだ――と。
人々は積極的に借金をするようになり、いつしか「借金額が大きいほうが偉い」という価値観が広まっていった。
こうして世界は、大借金時代を迎えたのである。
※
西暦2047年。日本。地獄の東京22区のとある町、鐘狩町。
僕こと金宮ヨシキは、放課後になるとすぐに高校を後にした。僕はあの学校が――この時代が、嫌いだ。
僕は一円も借金をしていない。それは借金額が大きいほど偉いというこの大借金時代において、周囲からバカにされる要因になっていた。
あいつは金を借りることができない。
あいつは弱い
あいつはカモだ……って。
休み時間や放課後になると、誰も彼もが、僕からお金を借りようと群がってくる。教師でさえもだ。
酷いときは転校生や教育実習生まで借りにくる。しかも初日に。
なんでだよ!
僕は消費者金融機関か!
僕が小学二年生の頃に、世界は大借金時代に突入した。
それからすべてがおかしくなった。治安は悪化し、モラルは低下し、人々は狂ったようにお金を借りるようになってしまったんだ。
特に治安の悪化は深刻で、かつての東京23区は、一区減って、地獄の東京22区になってしまった。借金闘争によって、品川区が新宿区に潰され、滅亡したのだ。なんて恐ろしいバイオレンス……。品川区があった場所は、いまや新宿区の飛び地だ。
また、借金額が大きいほうが偉いという価値観は、僕たち学生にも――学校内のヒエラルキーにも影響を与えた。
僕が通っているいまの高校もそう。借金が多いやつほど人気者だ。
イケてるグループの八幹なんて、クラスメイト全員から1000円を借りている。そしてこいつはそれを誇り、事あるごとにマウントを取ってくるんだ。
「クラス全員から1000円借りてるから……俺の借金額は4万近いぜ! ヨシキの借金は何円だ? お~っと、すまんすまん、0円だったな!(笑)」
バカが!
借金を誇るな!
早く返せ!
どこがイケてるんだよ!
おかしいよ。こんな世界。
あの学校で、僕からお金を借りようとしないのは、クラスメイトの兎市彩夢さんだけだ。彼女だけは、借金額が0円の僕にも、いち同級生として優しく接してくれる。
僕が高校に通っていられるのは、兎市さんがいてくれるからというのが大きい。彼女がいなかったら、僕はとっくの昔に中退していただろう。
彼女は恩人だ。
と言っても、プライベートな会話はしたことがない。彼女にとって僕は、あくまでいち同級生なのだ。友達ではない。ましてや、それ以上の仲になんて……。
でも、それでいい。僕みたいなやつが近くにいると、きっと兎市さんに迷惑をかけてしまう。だから、それでいい。僕はいつも、自分にそう言い聞かせている。
学校を出て十五分。僕はいつもの場所に到着した。
楼恩橋という、古びた橋の下だ。
ここは穴場スポットのような場所で、地元の人ですらほとんど寄り付かない。つまり、僕にお金を借りようとする人もいない。
この橋の下は、人付き合い――もとい金付き合いに疲れた僕の、安息の場所なんだ。
僕は土手に腰を下ろして、楼恩橋の下を流れる江戸川の水面をぼんやりと眺める。
「ヨ~シキッ♪ 金借りてるかッ♪」
背後から、陽気な声が飛んできた。
僕は驚かない。声の主はわかっている。
「借りてないよ、ケンジさん」
僕に声をかけてきたのは、ケンジさん。楼恩橋の下に住むホームレスの43歳で、僕の友達。
伸び放題の髪に、無精髭……普通なら不潔にしか見えない風貌なのに、ケンジさんの場合は、それがワイルドでかっこよく見えてしまう。
まあ、はっきり言ってしまうと、ケンジさんは顔の作りもスタイルも良すぎるのだ。そのせいで無精髭もかっこよく見えるのだろう。イケメンは得だなと思う。
ところで、ここは人付き合いに疲れた僕の安息の場所じゃなかったのか、人がいるじゃないか――なんて思ったかたもいるかもしれない。でも、ケンジさんは別なんだ。
ケンジさんは、兎市さんと同じように、けして僕からお金を借りようとしない。彼は僕が心から安心して付き合える、数少ない友人なんだ。
「どうだヨシキ、1万円から借りてみないか?」
「いいって。僕は借りないって言ってるでしょ」
「まったく。……お前、いつになったら借金童貞を捨てるつもりなんだ?」
ケンジさんは僕からお金を借りようとしない。それどころか、逆に僕にお金を貸そうとしてくるという、この大借金時代のなかで、信じられないくらいのお人好しなんだ。
最初は裏があるのかもしれないと疑っていたけれど、ケンジさんと三年以上接しているうちにわかった。彼はただの気のいいおじさんなんだって。
「そうだヨシキ、ちょっとその辺の自販機で、コーラを買ってきてくれないか。喉が渇いちまってな」
「自分で買ってきなよ」
「い~からい~から。金は渡す」
「当たり前だよ。はぁ、まったく。人使いが荒いんだから」
そう言いながら、なんだかんだ僕は立ち上がる。ケンジさんの頼みごとには弱い。
僕がケンジさんからコーラの代金130円を受け取ると――ケンジさんは人の悪い笑みを浮かべた。
「130円、確かに貸したぜ」
「あっ」
「これでお前も、借金マンだな」
【借金総額】
金宮ヨシキ 0円
↓
金宮ヨシキ 130円 new!
「だめだよ! ノーカン! こんなの借金じゃないって! ただお金を預かっただけだよ!」
僕は速攻でケンジさんに硬貨を押し返す。
【借金総額】
金宮ヨシキ 130円
↓
金宮ヨシキ 0円 new!
ケンジさんはすねたような顔をした。
「ちぇっ……そんなに嫌がることないだろうが」
「僕はね、本当に必要なときにしか借金をしないことにしてるんだ」
死んだ僕のお母さんが言っていたんだ。
借金は、どうしても必要なときにしなさいね――と。
その点、クラスのイケてるグループの八幹は救いようがない。あいつはクラスメイトから計4万円ほど借金をしているらしいが、じゃあその4万を何に使うのか、僕は一度だけ訊いてみたことがある。
八幹はこう答えた。
『貯金に回すぜ』
バカ! 八幹バカ! 八幹バカバカ!
借金を貯蓄に回すな!
これだけは断言させてもらうけど、借金の使いかたとして、貯金は一番バカ! 一番だめな使いかただよ! ほんと八幹バカ!
……はぁ、はぁ。
ごめん、話が逸れちゃったね。本筋に戻ろうね。
「どうしてケンジさんは、そんなに僕にお金を貸したがるの?」
そう尋ねると、ケンジさんは笑った。
「前から言ってるだろ。お前は借金王になれる器だってな」
「いつもそうやって茶化すじゃん。今日こそ本当の理由を教えてよ」
「茶化してない。本当の理由を言ってるんだ。俺はな、お前が借金王の中の借金王……【借金王キング】になれるって、本気で信じてるんだぜ」
「なんだよ、それ」
ケンジさんは時々不思議なことを言う。
ケンジさんが気のいいおじさんなのは間違いないけれど、その経歴はまったくの謎だ。
どうしてホームレスになったのかもわからない。実は1億円の隠し大借金があるだなんて噂もある。
でも結局、本当のことは知らない。
教えてほしいと言えば教えてくれるんだろうけど……面と向かって訊きづらいんだ。うまく言えないけど、僕のほうから話す話題じゃない気がする。
だから僕は、ケンジさんが自分から話してくれる日が来るのを待っているんだ。
「オラ、いいからこっち来い、オラァ!」
突然、土手の上の方から、威圧的な男の声が聞こえてきた。
顔を上げると、サングラスをかけた白スーツの男の人が、女の子を橋の下に無理矢理連れ込もうとしているのが見えた。
そこで僕はあることに気がついて、思わずあっと声を上げてしまう。
すると、サングラスの男は僕とケンジさんのほうを見てこう叫んだんだ。
「なんだテメェら見せもんじゃねぇぞ! さっさと消えろオラァ!」
いつもの僕なら逃げていたと思う。こんな怖い人とは関わりたくない。
だけど、今回ばかりは、そういうわけにはいかないんだ。
だって、だって、サングラスの男に引っ張られている女の子は――
「兎市さんッ!」
兎市彩夢さん。
黒髪のポニーテールが似合う、可愛い女の子。
借金額が0円の僕にも優しく接してくれるクラスメイト。
僕の恩人。
ここで彼女を見捨てて逃げたりなんかしたら……僕は……男じゃないッ!
「兎市さん、どうしたの!? 」
「……金宮くん!?」
兎市さんは僕に気づくと、心なしか、ほっとしたような表情になった。でもそれも束の間、彼女はすぐに必死の形相で声を張り上げたんだ。
「だめよ、金宮くん、逃げてッ!」
「なに言ってるんだ!」
「私は大丈夫だからっ!」
「そんなふうには見えないよ!」
そんな僕たちのやり取りを、サングラスの男が黙って見ているはずもない。
「おいガキ! オラァ! なに勝手に喋ってんだ!? オラァ! そこの汚ねえホームレスと一緒にオラァ! 失せろオラァ!」
ドスの利いた声というものを実際に聞くのは初めてだった。僕は急に自分の身体が小さくなってしまったような気がした。足が震える。呼吸の仕方がわからなくなる。このサングラスの男には何もかもが敵わないと、本能が認めてしまったかのようだ。
でも、僕は、僕は、逃げるわけにはいかない!
「い、嫌だ!」
男は舌打ちをした。
「痛い目見ないとわかんねぇのか? ガキが」
男はサングラスを外し、僕を真正面から睨んだ。
その両目は……恐ろしいほどの三白眼だった。睨むために生まれてきた眼なんじゃないかってくらい迫力がある。恐ろしい! 恐ろしいよ!
彼の白目を日本地図だとするならば……黒目は青ヶ島くらいの面積だ! それくらい黒目が小さいんだ! 恐ろしいよォ!
男はその青ヶ島みたいな目で凄みながら、僕に言ったんだ。
「俺様の借金総額は……1200万円だ。わかるか? この凄さが」
「いっ、いっせんまん!?」
1000万円以上の借金だなんて、信じられない! クラスのイケてるグループの八幹でさえ、4万円でイキッてたのに!
ていうか、借金でイキるな!
八幹! バカ!
「ガキ。てめえの借金額はいくらだ?」
「……0円」
「0円?」
男はきょとんと、その青ヶ島みたいな目を丸めたかと思うと、
「プ……ププッ! プハハハハッ!」
吹き出した。
「ハハハハハハハハッ! 0円!? 0円だと!? おまっwww おまっwww おまっwww その歳で0円とかwww 雑魚すぎんだろwww そんなやつがよく俺様にたてつけたもんだなァwww」
男は僕を侮辱するように大笑いしたあと、再びドスの利いた声で、
「もうわかっただろ。俺様とお前、どっちが上なのか。借金が1200万円の男と、0円の男、どっちが上なのか、考えるべくもねえよなぁ?」
0円のほうが上に決まってるだろ!
借金を誇るな、バカが!
と、僕は叫びたかったけど、目の前の青ヶ島三白眼サングラス捨て大借金男にビビッて、何も言えなかった。くそっ。結局は暴力だ。理屈やお金じゃなくて、結局は暴力がすべてを決めてしまうんだ。
くそ、くそ、暴力めッ!
原始時代の負の遺産がッ!
「さっさと逃げ帰りな、借金0円くん(笑)。お前みたいなザコと俺様とでは、住む世界が違うんでね」
「……借金が、そんなに偉いのかよ」
「当たり前だろ? いまは大借金時代なんだぜ!? 借金額がすべてだ! 借りた金の大きさだけが、その人間の価値なんだよォ!」
そうか。
わかったよ。
借金がそんなに偉いなら、僕は。
「【借金バトル】だ」
「なに?」
「僕と、【借金バトル】をしろ!」
※説明しよう! 借金バトルとは! 互いの借金を懸けておこなう私闘である! 勝ったほうは、負けたほうの負債を全額肩代わりできるという、泣く子も黙るデスマッチ! 勝てば天国負ければ地獄。借金マンのすべてを懸けた、一発逆転鬼勝負なのである!
「僕がお前に勝ったら、お前の1200万円の負債……すべて僕がもらう! そして兎市さんを解放して、僕たちの目の前からいなくなれ!」
僕は男を精一杯睨みつける。
男は軽薄に口元を歪めるだけだった。
「言うねえ、ザコ。おもしれーよ。……だが、てめえは何を懸けるってんだ? 俺様が勝つのは当たり前として、てめぇには借金がねえ。俺様が借金バトルをするメリットはなんだ?」
「僕が、僕が負けたら……これから先、一生、連帯保証人の欄に、お前の名前を書き続ける!」
男に腕を掴まれたままの兎市さんが叫んだ。
「金宮くん、無茶よ! 早く逃げて!」
「ごめん、兎市さん。どうか僕に、きみを守らせてほしいんだ」
続けて僕は、青ヶ島三白眼に言った。
「僕は生涯、お前を連帯保証人にする。車を買うときも、マイホームを建てるときも、もちろん、借金をするときも。そして僕は返済をせずに逃亡する。そうなれば、請求がいくのは僕じゃなくて――」
「俺様ってわけかい」
男はニヤリと笑う。
「でもいいのか。それじゃあてめえは、一生俺様の【借金の奴隷】ってことになるぜ? それでもいいのか?」
「構わないよ。兎市さんを守るためなら、人生を懸けたっていい」
パチパチパチ……と、手を叩く音がした。
ケンジさんだ。
「よく言った。金宮ヨシキ。お前の覚悟、見させてもらったぜ」
ケンジさんは僕と三白眼ヶ島男の間に進み出て、
「この【借金バトル】、俺が見届け人になろう。勝負の内容は最もオーソドックスな【失神ファイト】でいいな? 先に失神したほうが負けという、シンプルな殴り合いの喧嘩だ」
僕は頷いた。
「うん。わかった」
男は僕をおちょくるように舌を出しながら、おおげさに肩をすくめてみせた。
「おいおい【失神ファイト】は俺様の十八番だぜぇ? こりゃ三秒で終わっちまうなぁ」
見届け人のケンジさんを中心に、僕と男は十メートルほどの距離を置いて向かい合う。
そして【借金バトル】の間、兎市さんは一時的にケンジさんの後ろで待機することになった。
「金宮くん……お願い、やめて……。こんなの、死んじゃうよ……」
不安そうに呟く兎市さん。
「よしな、嬢ちゃん。ヨシキはいま、男になろうとしているんだ。それを止めないでやってくれ」
僕の覚悟を汲んでくれているのだろう。ケンジさんは【借金バトル】を止めようとはしなかった。
ありがとう、ケンジさん。
でもケンジさん。本当だったら、ここは大人のあなたがもうちょっと体を張ってくれないかなという気持ちが、ないでもないよ。どうしてまだ未成年の僕にタイマンをさせるんだ。なんで見届け人とかやってるのかな。なんなら、いま兎市さんがフリーになってるわけだし、兎市さんを連れて逃げてくれないかな。そして警察を呼べば、それで解決じゃん。……という気持ちが、ないではないよ、うん。
けど、それを言うのはなんか野暮みたいな空気になっちゃってるから、しょうがないよね。
いまさら僕は気にしないよ、クソが。
うん。
「それでは両人とも、準備はいいか?」
橋の下の川原で、僕と男は対峙する。
橋の上を通ったらしい車が、偶然クラクションを鳴らした。
プア~ッ!
それはまるで、開戦を告げるファンファーレのようだった。なんてダサい演出。
「それでは、【借金バトル】開始!」
ケンジさんの号令がかかるや否や、僕は川原に落ちてる空き缶を拾い、男の顔面めがけて投げつけた。
うまく虚を突けたのか、空き缶は男の鼻にこつんと当たる。空き缶だから威力はそこまでじゃない。でも、男に一瞬の隙ができた。それで十分だ。
僕は男に飛びかかると、そのまま押し倒し、馬乗りになった。
そして、男の顔を殴る! 殴る! 殴る!
その回数、なんと、2000over。
僕はいままで、人を殴ったことはなかった。だから知らなかったんだ。人を殴るのが、こんなに痛いだなんて。
一発や二発ならまだしも、二千発以上殴るとなると、とんでもなく痛い。辛い。涙が出てくる。
でもね、僕はやめなかったよ。
だって、辛いのは僕だけじゃないんだから。
痛いのは殴るほうだけじゃない!
殴られるほうだって痛いんだ!
殴るほうも、殴られるほうも、等しく辛いんだ!
みんな、がんばってるんだ!
そう自分に言い聞かせながら、僕は殴り続けた。
そして拳の数がいよいよ二千百発目に突入しようかというところで、ふいに僕の腕が止められた。
ケンジさんが、僕の腕を掴んでいた。
「ヨシキ、その辺にしておけ。それ以上はもう……死んじまう」
はっとなって、僕は青ヶ島三白眼を見ると……彼はいつの間にか、失神していた。
「勝者、金宮ヨシキ」
見届け人のケンジさんが、正式に勝敗を告げた。
【借金総額】
・借金バトルに勝利したことにより、男の借金が全額、金宮ヨシキに移動!
金宮ヨシキ 0円
↓
金宮ヨシキ 1200万円 new!
「金宮くん!」
兎市さんが僕のもとに駆け寄ってきた。彼女は涙目になっていた。
「心配したんだから! もう、どうなっちゃうのかと思って!」
「兎市さん。いいんだよ、きみが無事なら、それでいいんだ。だから泣かないで?」
「金宮くん……」
「ねえ、笑ってよ」
「うん」
兎市さんは目元を手で拭うと、まだ潤んだ瞳のまま、僕に笑顔を向けてきた。
「ありがとう。かっこよかったよ」
たったその一言で、僕は今日の戦いのすべてが――いや、人生のすべてが報われたような気がした。
「二千発以上も殴るなんて、強いのね、金宮くん」
「いやぁ、へへ……ただ回数が多いだけだよ」
「それがすごいって言ってるの。二千って、ものすごい数字なのよ? 明日から二千日間、毎日牛丼しか食べられないってなったら……五年以上牛丼しか食べられないことになるわ」
「それはきついよぉ。トッピングはありなの? それでだいぶ変わってくるけど」
「なし」
「それはきついよぉ」
「それに二千って言ったら、西暦とほとんど互角だわ。金宮くん。あなたの拳は、西暦といい勝負なのよ」
「そっか、僕、西暦とタメ張れてるんだ……。よし、さっきの僕のパンチを『タコ殴り金宮ミレニアムバイオレンス』と名付けよう」
「かっこいい」
「ありがとう」
僕って、自分が思っていたより強かったんだな。
いや、僕が強かったんじゃない。兎市さんが、僕を強くしてくれたんだ。
兎市さんが元サングラス現三白眼惨敗男に襲われていなかったら、僕は自分の強さに気づくことも……あれ? そういえば……。
「ねえ、どうして兎市さんはあんな男に絡まれてたの?」
兎市さんは気まずそうに、僕から目を逸らした。
「ごめんなさい、言えない」
「ど、どうして?」
「言ったら、金宮くんに迷惑がかかっちゃうよ……」
僕は安心した。なぁ~んだ、そんなことか――ってね。
「兎市さん。きみは僕の恩人なんだよ」
「え?」
「僕が学校で、一人で辛い思いをしているとき、兎市さんだけは、借金が0円の僕にも優しくしてくれた。それがどれだけ嬉しかったか。もしもきみが辛い思いをしているのなら、今度は僕が兎市さんを助ける番なんだよ」
「金宮くん……」
「僕はお金を借りてない。でもね、兎市さんからは、たくさんの優しさを借りてるんだ。借りたものは利子をつけて返さなきゃ。そうだろ?」
「金宮くん……そんな上手いこと言って……金宮くん……」
兎市さんは一度だけ深く息を吐くと、覚悟を決めたように、僕の目をまっすぐに見た。
「わかったわ。金宮くんを信じる。私の話、聞いてくれる?」
もちろんだよ! 僕はそう言って頷いた。
こうして兎市さんは、ようやく事情を話してくれたんだ。
「私の死んだ父さんは、金融庁の職員だったの」
「き、金融庁!?」
いきなり飛び出したビッグネームに、僕は驚きの声を隠せなかった。
金融庁って。
正直、勉強不足なもので、金融庁が普段どんな仕事をしているのか、僕はよくわからない。だけど、きっとすごくてヤバい組織なんだろうなということくらいなら、僕にだって想像がつくよ。だって国家組織だもん。
「それで、お父さんがどうしたの?」
僕は平静さを装って、兎市さんに話の続きを促した。金融庁に怖気づいてる場合じゃない。
「一か月前、お父さんの書斎から、ある用紙が見つかったの」
「用紙……?」
「そう。名前を書いて印鑑を押して、それから金融庁に提出すると、借金額が百倍になるって用紙が……」
「な、なんだって!?」
借金額が、百倍になる用紙!?
これは、とんでもないことだ! 借金が多いほうが偉いというこの大借金時代で、その用紙はどれだけの価値を持っていることか!
たとえば、そう、クラスの八幹は4万円の借金でイキってた。八幹がその用紙を使えば、借金は400万円に膨れ上がることになる。
それ即ち、八幹が百倍イキってしまうということ! オーマイガッ!
クソッ! 八幹! バカ!
そして、言いたいことがもうひとつ。
もう21世紀も半ばだというのに、まだ印鑑!? 用紙!?
デジタル化はどうした!?
金融庁は、日本政府は、何をやってるんだッ!
クールジャパンが泣いてるぞッ!
「そんな用紙、燃やしちゃいなよ!」
兎市さんは首を横に振った。
「できないの! 用紙を燃やしたら死ぬよりも酷い目に遭うっていう、お父さんのメモが一緒に入っていたのよ!」
「じゃあ、さっさと誰かにあげちゃえばいい!」
「それもできないの! 用紙を誰かに譲渡したら死ぬよりも酷い目に遭うっていう、別のメモも一緒に入っていたのよ!」
「じゃあ逆にたくさんコピーしちゃうのは? そうすれば希少価値が下がって――」
「それもだめ! 用紙を複製したら死ぬよりも酷い目に遭うっていう、別のメモも一緒に入っていたのよ!」
「なんだよそのメモ群……まじで……」
兎市さんは途方に暮れたように、顔を俯かせた。
「私、この用紙のことは誰にも知られないように秘密にしてきた。それなのに今日、なぜかそこの男の人が知っていて……この橋の下に連れ込まれて……」
青ヶ島みたいな目のあの男は、兎市さんのお父さんが遺した用紙が目的だったのか。それで兎市さんを襲って……。
「大変なことになったな」
と、ケンジさんが呟いた。
「そんな用紙があると知られたら……世界中の借金王たちが、兎市さんを追ってくることになるぜ。地獄の果てまでな。そして現に、その用紙の存在はすでにどこかから漏れている。じゃなかったら、そこで倒れている男が、兎市さんに絡んでくるはずがねえ」
兎市さんの顔色が、よりいっそう青くなった。
「そんな……じゃあ私、一生襲われ続け――」
「大丈夫! 僕が守る!」
無意識のうちに、僕はそう叫んでいた。
「僕が、世界中の人と借金バトルをする! そして全勝する! 世界中の借金を、僕一人で背負う! 僕以外の人間から、借金という概念をなくすんだ! そうなれば、兎市さんを狙う人はいなくなる! そうだろう!?」
「金宮くん、さすがにそれは!」
「いや、僕はやる! 決めたんだ!」
死んだ僕のお母さんが言っていた。
借金は、どうしても必要なときにしなさいね――と。
いまが、そのときだ!
僕は全世界の借金を背負う!
【借金王キング】になる!
そして、兎市さんを守るんだ!
「やーっと、その気になってくれたか。ヨシキ」
ケンジさんが、満足そうに笑っていた。
「安心しろ。お前ならできる。お前は【借金王キング】になれる器だって、俺はずっと言い続けてきたよな」
「ケンジさん……」
「俺も協力させてくれ、ヨシキ」
「いいの? 危ないんだよ?」
「いいんだ。俺は昔な――」
ケンジさんが何か言いかけたそのとき、別の声がそれを遮った。
「はぁ、はぁ……俺様としたことが……気がつかなかった……」
目が青ヶ島の男だ。意識を取り戻したらしい。
「お前がいるとわかってたら……はぁ、はぁ……こんな勝負には乗らなかった……クソが……まさか、お前がいるなんて……」
男はうわごとのように、「お前がいるなんて」と繰り返す。
「なんだ、何を言ってるんだ? ここに知り合いがいるのか?」
僕がそう訊くと、青ヶ島の男は力なく僕の方を指さした。
「お前だよ……」
「僕?」
「違う、お前だッ……!」
ここでやっと勘違いに気がついた。男が指をさしているのは僕じゃなくて――ケンジさんだ。
「そんなボロボロの身なりだから、わからなかったが……お前、【品川の借金王】だろ。新宿区に潰され、滅亡した品川区のボス、【火祓ケンジ】だろ! 貴様、生きてやが――」
「知りすぎたなァ、お前」
いつの間にか、ケンジさんの蹴りが三白眼の男のみぞおちに入っていた。男は再び気絶した。
僕は息を飲み……そして、尋ねる。
「ケ、ケンジさん……それ、ほんと? ケンジさんは……借金王なの……?」
かつての東京23区は、いまでは地獄の東京22区になってしまっている。品川区が滅亡したからだ。
その滅亡した品川の借金王が、ケンジさん? それじゃまるで、亡国の王子様みたいじゃないか。
「もう、昔の話だ」
ケンジさんは明確に肯定はしなかった。否定もしなかった。
「俺は一度死んだ人間だ。地位も、家も、借金も、全部失った。そしてそれを受け入れた。だがな、夢だけは……夢だけはまだ、諦めきれねえんだ。頼む、ヨシキ。お前が【借金王キング】を目指すというのなら、俺も一緒に連れていってくれねえか。夢の先が見てえんだ」
「…………」
ケンジさんは、僕が思っていたよりも、実はずっとすごい人だった。まさか元借金王だなんて。本当に驚いたよ。
でも冷静に考えてみれば、それがいったいなんだってんだ。何が変わったっていうんだ。
僕にとってケンジさんはケンジさんだ。
ただの気のいいおじさんで、友達だ。
それだけだよ。
「もちろんだよ、一緒に【借金王キング】を目指そう! ケンジさん!」
僕は拳を突き出す。
「ありがとよ、ヨシキ」
ケンジさんもまた、拳を突き出して――僕たちは互いの拳を合わせた。
「金宮くん、私も戦うわ!」
兎市さんが、横から拳を突き合わせてきた。
僕は兎市さんと手が触れてドキっとしたけれど、それがバレるのが恥ずかしくて、ぶっきらぼうに言い返す。
「なに言ってるんだよ、兎市さん」
「守られるだけなんて嫌よ! もともと原因は私にあるのに、私だけ逃げるわけにはいかないわ! そうでしょう?」
ケンジさんが「おもしれえ」と言って、ピューと口笛を鳴らした。
「いいじゃねえか、ヨシキ。こうなったら、全員で【借金王キング】を目指し――いっっっっっっっっってェ!」
突然ケンジさんが跳び上がり、右腕を押さえながらうずくまった。
「ケンジさんどうしたの!?」
「たぶん、蜂に刺された……ってェ……」
「ええ……」
「ちょっと待てこれ……まじか……まじかぁ……ってぇ……あー、まじか……あー……」
「だ、大丈夫?」
「いやー……これはちょっと……んー……これはまじで……あー、まじで……ッつぅー……」
「病院行く? タクシー呼ぼうか?」
僕がそう申し出ると、ケンジさんが返事をする前に、
「キャーッ!」
と、兎市さんの悲鳴が上がった。
「どうしたの!?」
見ると、兎市さんが江戸川に落ちていた。
「なんで!?」
「川の底にキラキラしたものが見えたから……何かなーっ思って乗り出したら……落ちちゃった……」
「バカか!?」
いや、罵ってる場合じゃない!
「兎市さん、いま助けるよ!」
「あ、大丈夫。足着くから」
そう言って兎市さんは自力で川原に戻ってきた。彼女は全身びしょ濡れで、制服がかすかに透けている。なんだか僕はいけないものを見てしまったような気分になった。
兎市さんがぶすっとした声で言う。
「あんま見ないで」
「はい」
そうして兎市さんから目を背けると、今度は腕を押さえてうずくまっているホームレスがまともに視界に入ってきた。
びしょ濡れ同級生と、虫刺されホームレス。
僕はこの二人と一緒に、【借金王キング】を目指す。
「…………」
なんかめちゃくちゃ士気が削がれたわ。なんか。
僕たちの戦いはこれからだ……(溜め息)。
完
【まとめ】
借金と暴力を嫌悪しながら、その借金と暴力で愛する人を守ろうとするヨシキくん。
これが生きるということなのかもしれませんね。