ジュリエット様の美徳を理解できないのは野蛮な獣にも劣る
全く、とんだ一日だった。
ロミオは自分の肩を揉む。ゴリゴリと硬い石がいくつも入っているみたいだ。
部屋が用意されていると言われたが、どこか分からない。
ジュリエット様のふりをした女装男のところにききに戻るのも気まずい。さすがに料理を駄目にしたのはやり過ぎた。食べ物に罪はないのだから。
「どうしたものかな……」
廊下で立ち止まっていると、一人の男がこちらに近づいてきた。
黒い執事服を着た、初老の男性。耳には見覚えのある翻訳イヤリングをしている。
男はロミオの目の前までやって来て言った。
「こんばんは。私はジュリエット様の執事を務めさせていただいております。セバスと申します」
社交辞令的な微笑みを浮かべて、丁寧に頭を下げる。
ロミオが頭を上げさせると、セバスと名乗る男が言葉を続けた。
「ロミオ様のお世話をするよう、ジュリエット様から言い付かりました。ジュリエット様から翻訳イヤリングをいただいておりますので、言葉も通じます。よろしくお願いいたします」
「ああ、そうなのか。勝手が分からなくて、困っていたところなんだ。助かるよ。よろしく、セバス」
ロミオは、握手を求めて手を差し出す。
しかし、セバスは応じなかった。まるで、握手という文化など存じません、とでも言うように、ロミオの手に全く関心を示さない。
行き場のない手を、ロミオは引っ込めた。身分の違いを気にしているのか、それとも青藍の人間とは相容れないと言う主張なのか。
なんとなくそのどちらでもないような気がした。なんだか怒っているような気がする。だが、セバスとは初対面だ。怒りを向けられる理由はない。いまいち真意が掴めなかった。
セバスは何事もなかったかのように、宮殿の内部の説明を始めた。
「あちらが大広間、この廊下の突き当たりには食堂が。そして、ロミオ様の部屋は向こうです。ご案内いたします」
セバスがしずしずと歩く。ロミオはその後に続いた。
「あなたはどれくらいここで仕えているんだ?」
「そうですね。もう五年になりますか」
「ふうん。結構長いな」
「ジュリエット様が許してくださる限り、いつまででもお側にいさせていただきたいと思っております」
「……それは本当にジュリエット様か?」
セバスはロミオの問いに、意味がわからないといった様子で怪訝そうに眉をひそめただけだった。
セバスは、宮殿内のことに詳しく、数に限りがあるという翻訳イヤリングまで渡されている。それなりにあの女装男から信用されていそうだ。
だが、そんな彼でも女装男のことはジュリエット様だと思っている。正体を隠しているのは、ロミオ個人に対してというわけではないらしい。
気まずい空気が流れるまま、とりあえずはセバスの案内に従う。
セバスに案内された自室は、綺麗に整えられていた。室内は丁度いい温度で、ベッドには真っ新なシーツが引かれている。すぐに快適な生活を始めることができるように心が尽くされていることが分かる。
小さなテーブルの上には、フルーツの盛り合わせまで準備されていた。
「これは、食べてもいいだろうか」
いきなり食べ物に食いつくのも格好が悪いとは思ったが、夕飯を食べ損ねて腹が減っていた。背に腹は変えられない。
「もちろんですとも」
セバスが微笑んで頷いた。
フルーツはどれも瑞々しい。どれも美味しそうだったが、青藍でも食べたことがあるフルーツもあったので、それを手にして口を付けようとすると、
「フルーツを用意するように言われたのはジュリエット様です」
と、セバスがやや強めの口調で言った。
セバスは微笑みを崩さないが、何やら圧力を感じる。ロミオがやや気圧されるほどの。
ロミオの手が止まる。まるで待てと言われた犬のように。
「そ、そうか」
「口をつけられる前に、ジュリエット様への感謝の言葉があるのが普通では?」
セバスが微笑みを浮かべながらこちらを見ている。目は全く笑っていない。
「そうなのか、それは、えーっと」
「青藍公国でも馴染みのあるフルーツを、と。そう言われまして、急いで用意したのです。気に入ってくださいましたか?」
「ああ、心遣いをありがとう」
「ジュリエット様は本っ当に心優しいお方です。あの方の前では、天使だって己の醜さを恥じて身を隠すでしょう」
セバスが一人でうんうんと頷いている。
「そんな唯一無二の、慈愛にあふれた、この世の美の結晶と言っても良い方を、もし泣かせるような人間でも現れようものなら、いや、そんな者は人間とは言えませんね。ジュリエット様の美徳を理解できないのは野蛮な獣にも劣る。そんな畜生を私は看過できません。そうでしょう? 私、間違っていませんね」
何やら雲行きが怪しい。
「そ、そうだな……」
一体何に同意を求められているのかわからないが、ジュリエット様を称賛するセバスを否定するのは命に関わる気がした。ロミオは精一杯同意した。
フルーツも籠に戻す。セバスがいなくなってから食べることにしよう。
「さて、ロミオ様。私のご案内、いかがでしたでしょうか。まだ何かお手伝いしたほうがいいことがありましたら、遠慮なくお申し付けくださいませ」
「いや、ない。もう大丈夫だ。下がっていい」
ロミオはやや食い気味に返事をした。
正直なところ、室内に見たことがない機械がいくつかあったので、使い方を知りたかった。青藍公国にはほとんど機械が存在しないので、どんな動きをするものなのか、単純に興味がある。
しかし、今はそれよりもセバスに早く退室してもらいたい。
ロミオの疑惑は核心に変わっていた。
セバスは、ものすごく怒っている。それも、ロミオに対して。
「そうですか。では、私の役目はここで終わりですね」
「ああ。ありがとう。それじゃあ……」
そう言ってセバスに退室を促そうとすると、
「では、執事はここまで。私の本業に移らせていただきます!」