どうやって初夜を迎えるつもりだったんだ
「恐ろしいものをみた……」
ユリウスは今日の記憶を追い出そうと、頭をふるふると振るった。
本日の教訓はブチ切れたニノ神父より恐ろしいものはないという一言に尽きる。大聖堂で争う両国の人間を、有無をも言わさず叩き出してしまった。
もしかしたらジャンボルトより強いかも知れない。
ニノ神父にこっぴどく怒られ、ガックリと肩を落としたジャンボルトは軽い放心状態に陥るくらいにはショックを受けていた。
「あれは笑えたけど」
ユリウスはその光景を思い出し、くすくすと笑った。
そして、強いショックを受けている人間がもう一人。
「何が笑えるものか。今日ほど嫌な日はない!」
ロミオは部屋の隅で膝を抱えていた。
すでに妨害電波の影響は消え、ユリウスとロミオは再び言葉を交わすことができるようになっていた。
大聖堂での大騒動から半日、すっかり夜になっていた。
ニノ神父に追い出された人々は、争う気も失せ、散り散りになって自分の居場所に戻ることになった。
青藍公国の人々は自分の国へと帰ったが、唯一、ロミオだけがこの国に残った。
結婚式は失敗に終わったとはいえ、一度は婿に出された身。簡単に自国に帰ることはできないらしい。
元々、結婚したら二人で一緒に住むことになると考えて、そのための部屋は用意していた。
王都カディナの中心であるカディナ宮殿。自慢ではないが空き部屋なら数え切れないほどある。ユリウスはその中で、一番見晴らしのいい部屋を選んでいた。
ユリウスはロミオと共に宮殿に戻り、部屋に案内した。そして部屋に入るなり、景色を楽しむこともなくロミオは隅でいじけ始めたのである。
「いったいこれからどうすればいいんだ……」
膝を抱えたロミオが壁に向かって話しかけている。青藍公国では壁が喋るのかも知れないが、残念ながらここは緋の国だ。
ユリウスは壁の代わりに返事を返す。
「僕と結婚すればいい。美しい嫁をもらって、何不自由なく暮らす。君はこんなにも恵まれているのに、どうして目を背ける?」
「俺にはなぜお前がそんなに自信満々なのか全く理解できない。どうやって初夜を迎えるつもりだったんだ……」
ロミオの目線が、ユリウスの薄い胸板に向けられた。そんなにじっと見られても胸は膨らんだりしない。
まあ確かに、美しいジュリエットと結婚したと思ってその夜に服を脱がせたら、男だったと分かったら多少のショックはあっただろうけれど。
「なんとかなるかなと思って」
「ならない」
ロミオはキッパリと言った。
「お前は、本当は誰なんだ。それくらいは教えてもらえないか」
「僕はジュリエットだ。他の何者でもない」
「……ジュリエットね。はいはい」
ロミオがわざとらしく大きなため息をついた。
「こんなくだらない話はやめにしよう。こっちにおいでよ。 いつまでもそこでいじけていても仕方ないだろう」
ユリウスは手招きをした。
ユリウスは食卓の椅子に腰掛けていた。大きなテーブルを挟んで向かい側にもう一脚椅子が置かれている。
テーブルには緋の国の料理が並んでいる。先ほど厨房から運ばれてきたばかりで、いい匂いがする湯気が立っている。
今日は色々あって疲れた。そして大変お腹が空いている。
すぐにも食べたいのにこうして我慢をしているのは、向かいの椅子がまだ空いているからだ。
「お腹が空いた。早く食べよう」
「一人で食べたらいいだろう」
「そうはいかない。婚約者が同じ部屋にいるのに、一人で食べるなんて!」
「俺はいらない」
ロミオの態度は頑なだ。
反抗期の子供のような態度。確かロミオは自分よりもいくつか年上だったはずだが。
「君、いい加減にしなよ」
段々腹が立ってきた。
「ねえ、一緒にご飯食べようよ」
ユリウスはめげずにもう一度誘ったが、ロミオは完全な無視で返してきた。
こっちが仲良くしようと思っているのに、なんて失礼な態度だ。
「そんなに君が嫌なら、もういいよ」
ユリウスは配膳の盆に、ロミオの分の食事をのせる。そして、相変わらず隅で丸くなっているロミオの元に運んで言った。
「僕と一緒に食べるのが嫌でも、お腹は空いているだろう。実は、部屋はもう一つ用意している。君の個人用にね。持っていって食べてくれ」
ユリウスはロミオの目の前に盆を差し出す。
出来立てのスープと、香辛料で炒めたライス。サラダには採れたての野菜を使っている。
「いらないって言ってるだろ!」
ロミオが勢いよく立ち上がり、ユリウスが持っていた盆をはたき落とした。
盆はユリウスの手を離れてひっくり返り、料理は全て床に落ちる。
「なんてことするんだ! せっかくの料理を」
「こんな不味そうな料理、食べたくもない」
「我が国にとっては貴重な食料だ! 宮殿にやってきたばかりの君に食べてもらおうと、せっかく用意したのに!」
「そんなことは頼んでいないし、青藍では犬だってこれよりマシなものを食べている」
ロミオが床に落ちた料理を蔑むような目を見る。
「これだけのものを用意するのが、我が国にとってはどれだけ大変か……!」
青藍は豊かな土地を持つ国だ。肉も野菜も上質で、緋の国ではとても採れないようなものばかり。
緋の国は残念ながら、食料を育むのに適した土地を持たない。舌の肥えた青藍の人間に出せるような上質なものは、わずかしかなかった。
それをかき集めたのが今日の食卓だったというのに。
ロミオに食べてもらえなかったと知ったら、厨房で働く料理人たちがどれだけ悲しむか。
「料理も人間も、随分レベルの低い国だ。こんなところ、来たくなかった」
「いい歳していきなりホームシックかい? それは勝手だが、緋の国を侮辱するのはやめてもらおうか」
本格的に怒りがこみ上げてくる。
「君を歓迎しようという料理人の気持ちを踏みにじってその態度。青藍の人間はずいぶん礼儀知らずだね」
「正体も明かさずに、愛せだの、結婚しろだの勝手なことばかり言われて、挙げ句の果てに食えたもんじゃない料理を押し付けてくる奴と、どっちが礼儀知らずだ? お前のことなんて顔も見たくない。大っ嫌いだ!」
面と向かって嫌悪感を露わにされるのは、さすがに堪える。怒りのせいか、悲しみなのか、ユリウスの手は震えていた。
ロミオは踵を返し、部屋を出ていく。完全な拒絶を表わすように、大きな音を立てて扉が閉められた。
静かな部屋に一人残されたユリウスは、一人食卓についた。
ロミオをこの国に招いたのは失敗だったのだろうか。
こんな有様では、緋の国と青藍公国の呪いが解ける日など永遠にこない。
冷めてしまったスープを、一人ですする。少し、涙が出た。