絶対後ろに飛んでいかないかというと、必ずしもそうではない
突然、乱暴に扉が開いた。
と言うより、吹っ飛んだ。大きく分厚い木製の扉が、粉々になって宙を舞う。
「何?」
思いもよらない展開に身が竦む。
荘厳な音楽は、悲鳴に変わっていた。
破壊された扉から次から次へと飛び込んでくるのは、黒い服を着た怪しい一団と、追従する獣の群れ。
「何だ、こいつら」
黒い集団は黒い布で顔まで覆っていて、正体は分からない。人数はそれほど多くなく、十人程度に見える。数は獣の方が多い。獣の種類は犬やら猪やら様々で、式場は一転して荒れ狂う動物園と化した。
黒い集団が獣と共に聖堂内の人々に襲いかかっていく。緋の国の人間だろうが青藍公国の人間だろうが見境なしだ。
賊だろうか? それとも何か目的があるのか。
ユリウスは混乱する周囲を見回した。
聖堂内では宰相の指示のもと、兵士たちが銃と剣で応戦している。一方、青藍公国の参列者たちは固まって魔術で対抗していた。
両者とも協力し合う気は全くなく、自分の陣営だけを守っている。こんな時でも犬猿の仲は健在だ。
とにかく、黒い集団を止めなくては。幸せな結婚式を葬式に変更するわけにはいかない。
「ユリウス!」
切羽詰まった声でニノ神父が叫んだ。
ユリウスはニノ神父の方に振り返り、即座に言い返す。
「ジュリエット!」
「そんなこと言っとる場合か! 足元に気をつけるんじゃ!」
「え? うわ!」
気づくのが遅れた。
足元に蛇がいる。黒と橙色の不気味な縞模様。子供の腕くらいの太さがある大蛇。
それがユリウスの足に巻きついた。骨が折れそうな程の力で足を締め上げられ、声にならない悲鳴をあげる。
立っていられず、床に膝をつく。
動けない。
ユリウスの目に、巨大な猪が映る。低い唸り声を上げて、赤い目がこちらを見ていた。
猪が頭を低くさげ、こちらに突っ込んでくる。鋭い牙が光っている。
「ひっ」
短く悲鳴を上げて、目を背ける。こんなところで死ぬなんて……
しかしその時、一人の男がユリウスと猪の間に滑り込んできた。
男が右手を猪に向ける。掌から青い火花が飛び散り、何もない宙に円陣が浮かび上がる。
思い切り円陣に突っ込んだ猪は弾け飛び、地面に転がった。猪は痙攣している。
「大丈夫ですか、ジュリエット様」
男はユリウスのそばに跪くと、足に巻きついていた蛇を簡単に取り払い、締め上げてしまった。
——この人すごい。
凄すぎて若干引く。凶暴な獣をものの数秒で倒してしまった。顔色一つ変えずに。
「腫れていますね」
ユリウスの足に視線を落とし、男は眉をひそめる。
「すぐにここを片付けますから、医者に診てもらいましょう。私の後ろに隠れていてください。……って、あ、通じないのか」
男が困ったような表情をする。青藍公国の人間と、緋の王国の人間は、言葉が通じない。
「ええと、どうしようかな」
男が謎のジェスチャーを始める。自分の背後を指差して、立ったりしゃがんだりを繰り返す。なぜか微妙な顔芸つきで。
ユリウスは思わず笑った。
このまま言葉が通じないフリをして彼の下手くそなジェスチャーゲームを楽しむのもいいかもしれないが、事態は一刻を争う。彼に真実を教えてあげよう。
「大丈夫だ。僕には言葉が通じる」
「え?」
「贈り物のイヤリング。今日も身につけてくれているんだね」
男の耳には、丸い銀色のイヤリングがつけられていた。ユリウスが身につけているものとまったく同じ。
「本当だ。あなたの言葉が、私にも分かる。手紙に書いていた通りですね。これを付ければ言葉が通じると。不思議なものです」
銀色のイヤリングは、ユリウスがロミオに贈ったものだ。だいぶ前のことだが、ロミオのイヤリングはくすみもせず落ち着いた輝きを放っている。よく手入れしてくれていたのだろう。
緋の国の人間と、青藍公国の人間の間でも言葉を交わすことができるイヤリング。互いの文字も理解できる機能付き。ユリウスの自慢の発明品だった。
「ロミオ、ようこそ我が国へ」
これまで手紙のやり取りはあっても、ユリウス自身はロミオに直接会うのは初めてだった。
白いタキシードを着たロミオは背が高く、きりっとした顔立ちの真面目そうな好青年だった。見た目はかなり良い部類に入る。
「ジュリエット様は本当にお美しくなられましたね。まるで女神を前にしているようです。私なんかにはもったいない」
ロミオは目を細めて頰をあからめる。
ユリウスは初めて会うが、ジュリエットは幼い頃にロミオに会ったことがあるはず。ここは話を合わせておくのが得策だ。
「そう言ってくれて嬉しいな。君の方こそ、ますますカッコよくなったみたいだ」
ユリウスが視線を合わせて微笑んで見せれば、耳まで赤くなった。ちょろい。
ほらな。上手くいったじゃないか。僕の美しさで落とせない男はこの世にいない。
「よっし」
思わずガッツポーズ。
「何か言いました?」
「いや、何も」
「さて、お話はあとでゆっくりするとしましょう。まずはこの無粋な奴らを片付けてしまわなければ」
ロミオが剣を抜く。刀身には複雑な紋様が描かれている。魔力を込めることができる魔具と呼ばれる武器で、青藍公国でも力のある術者しか持てないものだと聞いている。
ロミオが祈りを捧げるように剣を掲げると、剣に青い炎が宿る。
「はっ」
ロミオは短い呼吸で宙をなぎ払う。
剣先から大きな炎が迸り、火の玉となって飛んでいく。
獣の群れを焼き払い、人々まで巻き込んで。
「あ」
哀れなニノ神父の、残りわずかな頭髪がろうそくのように燃えていた。ニノ神父が涙目で自分の頭をはたく。
火はすぐに消えたけれど、貴重な髪の毛の本数が減っていた。
「ちょ、ちょっと! 味方までやられてるじゃないか」
「すみません。また失敗してしまいましたね」
「また?」
ユリウスは聞き返す。
「少し力が強すぎて、制御しきれない時があるんです。だからさっきも言いましたけど、ちゃんと私の後ろにいてくださいね」
「えっ、そういう意味?」
「まあ、絶対後ろに飛んでいかないかというと、必ずしもそうではないんですけど……。でも、前より安全なのは間違いありません」
「君、よく馬鹿だって言われない?」
「え?」
青藍公国の末の王子ロミオは、魔術を得意とするかの国の人々の中でも特に強い魔力を持っているという噂は緋の国まで届いていた。
確かに、それは事実だった。彼は強い。ただしノーコン。ちゃんと注意書きを添えておけ。
しかも気にする様子もなく、再び剣に魔力を込め始める。
「おい、もうやめろ!」
「次は大丈夫ですから」
「はあ? 信用できない」
獣を一部倒せたはいいものの、さらなる混乱が巻き起こっていた。
ロミオの炎で怪我を負った緋の国の人間が、相手国からの攻撃だと勘違いして青藍公国の招待客たちと喧嘩を始めている。
宿敵である緋の王国に喧嘩を売られれば、百倍の値段で買うのが青藍公国の人間だ。聖堂には様々な攻撃魔術が飛び交っていたが、その一部は確実に獣ではなく緋の国の人間に向けられていた。