この美女に落ちない男はいないだろう?
今日は、人生で最も大事な日だ。
緋の国の王都、カディナ。その王都の中でも一番大きく、歴史のある大聖堂。今日ここで、盛大な結婚式が執り行わられる。
鮮やかなステンドグラスから、虹色の光がチャペルに降り注いでいる。ゆらゆらと揺れる七色の光は、今日という日を天が祝福しているかのようだ。
聖堂の両壁に居並ぶ女神像は、珍しい宝石の数々で彩られている。女神までもが着飾って参列する幸せな結婚式。
そして、この場所の今日の主役は間違いなくユリウス・ルージュだった。
王国で一番の仕立て屋に頼んだドレス。純白の布には薄い色の生花が散りばめられていて、心地よい花の香りが鼻腔をくすぐる。灰色の巻髪を今日はアップにしてまとめ、露わになった白く細い首にはルージュ家に代々伝わる家宝であるルビーのネックレスが輝いている。
銀の玉が揺れるシンプルなイヤリングは若干華やかさに欠けるが、まあ仕方ないだろう。元々これは装飾用に作ったものではない。
美しく着飾ったユリウスは、チャペルの中心に置かれた水盆を覗き込んだ。水盆に湛えられた誓いの水に、自分の姿が映る。
「自分でもびっくりするくらいの美女が映っているね」
「自画自賛もほどほどにの」
水盆の前に立っているニノ神父が、呆れた顔で言った。
「この美女に落ちない男はいないだろう?」
「どうじゃろうなあ」
「きっと誓いの水が、今までに誰も見たこともないような美しい色に変わるよ。ニノ神父もいい年だろう? 冥土の土産にするといい」
「失礼な。わしはまだまだ長生きするぞ」
ユリウスが物心ついた時には、すでにニノ神父はおじいさんだった。それから十数年、相変わらずおじいさんだ。一体幾つなのかは誰も知らない。
全くこの世を去る気配もなく、本人にもその気無し。長生きはいいことだ。
「お前は大口を叩いとるが、本当にうまくいくじゃろうか?」
ニノ神父が何かを確かめるように誓いの水に手を入れた。
水は特に何の代わり映えもなく、ニノ神父の手を濡らしただけだった。
今は透明度が高く、青くすら見える誓いの水だが、愛し合う二人が同時に手を浸すと水が虹色に変わるとか。どれくらい美しい色になるかは、二人の愛の強さに比例するらしい。
そして、誓いの水に手を浸した二人が愛をもってその手を握り合うと、あら不思議、いつの間にか左手の薬指に金色に輝く指輪がはまっている。それが二人の結婚の証となり、晴れて夫婦となる。
それが緋の国の伝統的な結婚の儀式であった。
「絶対大丈夫」
ユリウスは自信を持って答えた。
「わしは心配じゃよ、ユリ……」
「あ、ちょっと待った!」
ユリウスは慌ててニノ神父の言葉を途中で遮る。
ニノ神父は素晴らしい神父だが、いかんせんいい年であり、近頃やや物忘れが見受けられる困ったおじいちゃんでもある。
ユリウスは神父の耳元に顔を寄せて、
「ジュリエット」
と、小さく呟いた。
「……ああ、そうじゃったな。ジュリエット様。全く、どうなることやら。こんなこと、神への冒涜じゃよ。それに加担するわしもわしじゃが。何だかいろんなことがこんがらがっとるような気がするがのう」
ニノ神父がぶつぶつと何か言っている。
「何の心配もいらないよ。我が国で今日の僕ほどの美人を見たことがないし、それは彼の国だって同じことだろう。大丈夫だよ。神父様はいつも通り祝福を授けてくれればいい」
「確かに、お前は美しい。じゃが、それだけでは……」
ニノ神父は肩を竦めた。
ユリウスは神父の肩を優しく叩き、大丈夫と繰り返した。いつもと違う雰囲気の大聖堂の様子に、ニノ神父も少し神経質になっているのだろう。
普段は静かな大聖堂に、今日は多くの人が集まってざわめいている。
参列者のほとんどは、この国の重鎮たちだ。最も上座で重苦しい雰囲気を纏っているのは宰相、そのそばには薄っぺらい笑みを浮かべた有力な貴族たち。後方には軍人が規律正しく並んでいる。
誰もが新たな夫婦の誕生を待ち望んでいる。
と、言いたいところだが、実際にはお祝いムードとはほど遠い。何か厄介な会議が始まる前のような、ピリついた空気に近い。
隅の方に固まっている相手方の関係者に至っては、もはや死刑宣告を受ける直前かというほどの緊張感にあふれている。こちらは、誰が誰なのかユリウスには分からない。知り合いは一人もいないし、彼らも緋の国に親しい人間などいないだろう。
明らかに、本当は来たくなかったけど顔だけ出してこいって言われたので仕方なく、という感じだ。さっさと帰りたいオーラがすごい。祝う気全くなし。
まあ、来てくれただけでもよしとしなければならないだろう。
なぜなら、ユリウスの婚約者ロミオ・アジュールは、緋の国の隣国である青藍公国の公子であり、参列している関係者たちも青藍公国の人間だからだ。そして、緋の国と青藍公国は誰もが認める犬猿の仲である。
彼らにとっては緋の国の大聖堂など、針のむしろより居心地が悪い場所に違いない。
緋の国と青藍公国の仲の悪さは今に始まった話ではない。どうして仲が悪くなったのか、幾多の歴史学者が研究してもいまだに答えが出ないほど、大昔からの宿敵だ。
そしていつの頃からか、争いばかりを繰り返す二つの国には呪いがかけられた。
両国の人間は、互いの言葉が通じなくなった。
相手の国の人間と話しても、何を言っているのか理解できない。言葉を交わせば喧嘩を始める二つの国に呆れた神様が、だったらもう言葉を交わすなと、強力な呪いをかけてしまった。
誰だか知らないが馬鹿な神様だとユリウスは思う。言葉が交わせなければ、仲直りのしようもない。実際、二つの国は現在に至るまで関係性は一切改善していない。喧嘩ばかりの二つの国のことが気に入らないなら、もっと関係が良好になるような呪いをかけたらいいだろうに。
『二つの国が結ばれたときに、呪いは解ける』
それが唯一の呪いを解く方法だった。
「くだらない呪いは今日で終わりだ」
何としても。
ユリウスは大聖堂の大きな扉を見つめた。
扉の向こうから、賑やかなファンファーレの音が聞こえる。ロミオを歓迎する音楽。聖堂内のオーケストラも、楽器を構える。
ニノ神父が居住まいを正す。
新郎のロミオがやってくる時間だった。永い呪いに終止符を打つための結婚式が始まろうとしている。