第6話 猫の導くままに
どうしてこうなってしまったのだろう。あ、いや。うん、自分がやらかしたことくらいわかってますよ?えぇ、わかってますとも。ただ、そこからどうしてこうなってしまったのか。
ワタシの目の前には悪意の塊と、その背の向こうに二人のクラスメイトがテーブル席に向かい合って座った状態でコチラを見ている。
ワタシは今、とある悪意の介入により名前も覚えていないという大変失礼な状態で相席を申し込んだ状態となっている。
そしてワタシは今どうしているのかというと、何も言葉が出てこないどころか相手の顔を視ることすらできずに、元凶である悪意の後ろに隠れてしまっている。
(どうする?どうする?ワタシからも何か言った方がいいわよね?なにか無難な感じでついでに名前とか聞き出せそうなセリフは……)
この期に及んでまだそんなことを考えるワタシ。冷静な時ならまだしも、こんな切羽詰まって考えても思いつくはずもない。
なんとも言えない微妙な間が少しの間ではあるが展開される。
その間を破ったのはクラスメイトの一人。ワタシがより気まずく思っている方。いかにもな上品な空気を漂わせるお嬢様っぽい娘だ。
「ええ、問題ありませんわ。どうぞ、空いている椅子をお使いください」
なにに対してかはわからないけど、大きく一つ溜め息を吐いたと思えば、とてもおだやかな笑顔で快諾の返事をしてくれた。
(助かったぁ。これでとりあえずは一旦凌げたわ。とにかくご一緒させてもらうとして、それから話をしながらさり気なく名前を確認しましょう。よしっ!それでこの場はなんとかのりきれる!)
「ありがとうごさいますニャン♪」
いらぬ仲介を行った悪意が二人組にお辞儀して振り返ったと思えば、そこにはひどいくらいの下衆な笑み。状況が打開されるかと思い気を抜いていたところへ、またしても勘違いも甚だしい耳打ちをしていく。
「……お客さん。これは脈、ありますよ♪」
「だからそんなんじゃなッ……」
そのまま軽快な足取で去っていく猫に対してつい反射で言い返そうとするが、さっきとは違い近くに居る知り合い(?)の背後から刺さる視線が気になって言葉が途中で途切れてしまう。
「……あははは。あっ、相席ありがとう。いきなり無茶を言ってしまってごめんなさいね。えっと……」
微妙な空気と気恥かしさから咄嗟に二人組の方へ向き直ってなんとか誤魔化そうとして、今度は語尾に付けなくてもいい余計な言葉が……。
(あぁー。なにやってるのよワタシぃー)
愛想笑いをうかべたまま固まって、止まることを知らないやらかしの連発に心の中で悶絶するワタシ。
変なところで固まるものだから、相手方も「?」を浮かべて別の意味で微妙な空気になってしまう。
今日だけで何度この流れを繰り返しただろうか。最早お決まりとなりつつあるかもしれない。ハッキリ言ってそんな定番などはお断り願いたいのだけど。ただ悲しいことに、こればかりは長年続けてきた魔王業の弊害とも言えるワタシ個人の諸々の経験値の低さが原因だったりするのでどうしようもなかったりする。
(やっぱりワタシには難しかったのかな。もういっそ全部隠さずにお母様みたいに自由に振舞ってみようかしら……)
最早これは避けようの無い運命の様なものなのかとワタシが半ば諦めの境地へと至ろうとした時、思いもしなかった反応が返ってきた。
「クスクス…。マリアベルです。マリアベル・セラス。これから同じ教室で学ぶ学友になるのですから、別に気にする必要はありませんわ。それよりも、ちょうど良い機会ですからこれを機に仲良くいたしませんか?」
意外なことに、ついさっきまで懐疑的な視線を向けて来ていた彼女「マリアベル」さんが楽しげに笑い、ワタシの心中やその原因を全部察したように優しく迎え入れてくれた。
この短時間でなにがあったのかはわからないけど、彼女のその表情からはワタシへの疑念のようなものは消え去っている。
「ありがとうマリアベルさん。ええ、これから仲良くしましょう」
過程はどうあれ、問題が無事に解消されて気負う必要が無くなったワタシは、彼女にお礼を言ってその優しさに甘えることにした。
(?マリアベルさん。どうして顔が赤いのかしら?照れてるのかな?フフ、こう見るとやっぱり年頃の女の子ね。これから本当に仲良くしていきたいわ)
そういうわけでワタシは、なにがあったのかわからないが中央に置かれた皿から外周へ向けて一閃された痕跡のある丸テーブルを囲う、四つのイスの一つに腰を掛ける。
ふっと一息ついて落ち着いたところで、ワタシは目の前のオカシな状態の物に意識を向けてみる。
(それにしてもコレ、いったい何があったのかしら?)
さっきも少し触れていた無惨な状態の丸テーブルだ。
どうも皿に乗っていた料理を切り分けている最中になにかがあったようには思えるけど、なにがあったらこんなことになるのか?湧き起こる好奇心のままにその痕を目だけでなぞってみる。
(凄まじく鋭い切口ね。料理を切り分けるだけなのに一体どんな業物を………)
皿からテーブル、床へと伸びていく軌跡を追っていくとその先には壁に突き刺さった一本のナイフが目についた。そう。我が家の建設期間中に商店巡りをした際に見たことのある、柄の部分に可愛らしい猫のデザインが施されているオシャレなだけのなんの変哲も無いナイフが。
(あー…。うん。そうね。たぶんこのテーブルはこういうデザインなのね。いやーすごく尖ったセンスだわ)
とりあえずワタシは何も見なかったことにした。テーブルや床が凄まじい技量で以って斬り裂かれていたなんてことは知らない。飛んでいったナイフがたまたま偶然誰にも当たらずに済んだ奇跡についても知らない。そう。知らないのだ。
何事も無かったようにワタシは二人のクラスメイトへと意識を戻してなんてことない日常話を楽しむことにした。
ちなみに、少年の名前は「ウィル」というそうな…。うん。やっぱり記憶に無い。
それからマリアベルさんとの他愛の無い会話を楽しむこと数分……
「おまたせー!」
ワタシが店に入った時とは違い、上機嫌な様子の店主さんが料理を持って厨房から戻ってきて、そのままテーブルには美味しそうな香ばしい香りと共にできたての料理の乗った皿が置かれた。
「おや?二人も嬢ちゃんと知り合いだったのかい。なら他にもなにか持ってくればよかったねぇ」
そしてそんなことを言いながらなぜか店主さんも当然のように残った空席に座った。さっきもユフィ君相手に暴れていたけど、他のお客さんの相手はしなくても大丈夫なのかな?
「いえ、お気になさらず。私たちは夕食前に少し立ち寄らせていただいただけですので」
「遠慮しなくても…」
「いただいただけですので!」
「お、おう…」
この様子だと大丈夫なのかな?店内の様子をよく見ると湯気も立たない料理…というよりおつまみが運ばれているのが見えるし大丈夫なのだろう。……たぶん。
「と、そうだ!」
ワタシが店内の様子に気を取られていると、マリアベルさんに絡んでいた店主さんがなにか思い出したようにワタシの方へと向きを変えた。
「嬢ちゃん!早くコレ、冷めないうちに食べてみておくれよ」
そしてテーブルに片肘ついて軽く乗り出しながら店主さんはワタシに持ってきた料理を勧めてきた。
「そうですね!じゃあさっそく。いただきます」
勧められるままにワタシは皿からなかなかに厚いサンドイッチをひと切れ取って一口囓った。
今更ではあるけど、これがワタシがこの店に来た目的だ。
以前に商業区を散策していた際に、リクエストを受けた料理について悩んでいた店主さんに偶然出会して相談に乗ってあげたのがそもそもの出会い。で、その時にお礼として新メニューとして出す時は試食させてくれるということで、頃合いをみて店をのぞきに行くという形で約束をしていたのだ。
「どうだい?」
ワタシが料理を口にするのを見て、店主さんは自信たっぷりな笑みでそう訊ねる。
で、その料理の味の方はもちろん
「すごく美味しいです!」
「だろ〜♪」
美味しいに決まっている!
このパンに挟まれている『カツ』というものは過去に自分でも爺の本を参考に作ったことがあるけれど、それとは比べものにならないくらいに美味しい。
「じつはそれさぁ!…………」
どうやらワタシと商業区で会った後、何度も試作して改良を加えたらしく、更にはソースや付け合わせなんかも色々試行してかなり拘り抜いたそう。その過程や材料調達の話なんかを嬉しそうに語ってくれる店主さんからは相当な料理への情熱を感じる。
「……でさぁ。また泣きながら礼を言うんだよ!やっぱ、こういう連中の顔を見れるだけで頑張ってる甲斐があるってもんだね」
店主さんは利益ではなく、来てくれる人の笑顔の為に料理をしている。美味しいのが当たり前だという話だ。それだけに周りを見渡した時に映る店内の様相には少し複雑な気持ちを抱いてしまう。
とまぁ、ワタシがそんなことを思っているうちに店主さんもひとしきり語り終えたようで、誰のとか関係なく近くのコップに手を伸ばして一息ついた。
「で、さっきから気になってるんだが…」
そしてワタシも気にはなっていたが深くは触れないでいた案件に店主さんは遠慮なく触れていく。
「ウィル坊はいったいどうしたんだい?」
「・・・」
「えっと…あははは…」
それはワタシが相席させてもらっている面子の一人。男の子の方。ウィル君の様子がおかしいことについてだ。
席についた後、誤魔化さずに正直になって名前を訊ねると、どうしてか様子が急変して、それからずっとどこかなにもない空間を見つめたまま呆けてしまっているのだ。
「べつに気にするようなことではありませんわ」
「いや、そんな風には見え…」
「気にするだけ無駄です」
「そ、そうかい?」
けど結果はワタシの時と同じで、どこか呆れたような様子のマリアベルさんは「気にするだけ無駄」と一向に教えてくれることはなかった。というか、口でとはいえ店主さんに押し勝つって、マリアベルさん普通にすごい。
「あっ、なぁ嬢ちゃん」
「??どうしたんですか?」
そこで一旦落ち着くかと思ったけれど、やはりじっとはしていられない性格なのか、店主さんは再びワタシの方へ好奇心に満ちた瞳を向けてきた。
「今日、学園に入ったんだろ?で、どうだった」
なにかと思えば、今日の初登校の話だった。実は約束をした際に学園に入ることも話していて、感想を訊いているのだろうか?
「やっぱり初対面の人たちばかりで緊張…」
「いやいや、そうじゃなくてさ」
「??」
色々ドシを踏んだことは恥ずかしくて話したくないから無難に済まそうと思ったのに、途中で遮られてしまった。
どうやらそういう話が訊きたいわけじゃないらしい。…じゃあ一体何を訊かれたの?
「そんなつまらない話じゃなくて、もっとあるだろ?」
つまらない話ではなくもっと……なるほど。わからん。
首を傾げるワタシへ、向かいの席から愉しげに笑いかける店主さん。横の席ではマリアベルさんがなにやら呆れた様子。
「えーっ?何も無いのかい?アタシが嬢ちゃんくらいの時なんてそりゃもう…」
「おっ、長ーーッ!!大変ッ!大変ニャーー!!」
本気で分かっていないワタシに焦れた店主さんが何か言い出そうとした瞬間、あの悪魔が血相を変えて叫びながら出入口の方から駆けてきた。
その様子を見た店主そんは「悪いね」と一言謝ってから席を立った。
「なんだいっ!そんなに慌てて。あと、長って呼ぶんじゃないっていつも言ってるだろ」
「ス、スミマセンニャ…」
「で、どうしたんだい」
少し離れた二人からそんなやりとりが聞こえる。もしかしてこの店って一族経営だったりするのかな?
というのはどうでもいいとして、ミケさんから話を聞く店主さんもなんだかどんどん顔色が悪くなる。そして…
「ヤバ……すっかりわすれてた」
ワタシはそんな焦りの表情を浮かべた店主さんの溢したヤバイ台詞を聞いてしまった。
「総員撤収ーーーーーーッ!!」
次の瞬間には店内へそんな大音量の号令が轟いた。
「なっ、なんだ!?」
「隊長!どうしたんですか!」
その声に反応して騒々しくなる店内。
「な、なんだっ!?どうしたんだ?」
「やっと戻ってきましたのね」
「??」
こんな状況になってようやく復活したウィルくん。
「いきなりで悪いが嬢ちゃん達。今日はもうお開きにしてもらえるかい」
そんな学友にマリアベルさんが呆れたところで、慌てた様子の店主さんが戻ってきた。
号令一つで動かされる他の常連達とは扱いが違い、ワタシ達は改めて申し訳無さそうに店主さんにお願いされた。
とは言っても、ワタシとマリアベルさんはなんとなく状況を察していて既に片付けを始めていたりする。
で、ただ一人復活したばかりで状況を飲み込めてないっぽいウィル君は…。
「それは大丈夫ですけど、いったい何があったんですか?」
ワタシ達につられて片付けを始めながらも、店主さんに理由を訊ねていた。
「あぁ、ウィル坊元に戻ったのかい。それが、このあと軍の偉いさんが貸切予約入れてたのをすっかり忘れちまっててね、急いで準備しなきゃならないんだよ」
気まずそうな店主さんの口から出たその答えはやっぱりというか、大事な予定を忘れていたらしい。
「だからすまないけど急いでくれ」と重ねて謝って店主さんは忙しそうに片付けに戻っていった。
「急いでと仰られましても…ねぇ」
とりあえず最低限纏めてすぐに席を空けれるようにはしたものの、とある問題が残って三人でテーブルの上の空き皿を見つめて固まってしまう。
「これ、いくらするんだろ?」
「さぁ?」
「新作ということですし、さすがに私にもさっぱり…」
さすがに支払いをせずに帰るわけにはいかず、かと言って誰も価格を知らない料理。相場もわからないので適当な金額を置いて帰るということもできないのでどうにもならなかった。
「お客さま〜どうかしたかニャ?」
そんな動けずにいるワタシ達の元にあの栗毛の悪魔が相変わらずなにか愉しそうにやって来た。
ワタシはもう彼女には極力関わりたくないので、そっと一歩引いて他の二人へ視線を向ける。
すると意外にもウィル君が率先して話し始めた。
「あっ、ミケさん。それが、このカツサンドの値段がわからなくて支払いがどうしたらいいか…」
「あ〜、それなら問題ありませんニャ。今日は御三方からは代金は取るなって長…店長から言われてるニャ」
ワタシの分は試食ということだったから当然として、先に来ていた二人の分もどうやら無料での試供となっていたようだ。
まぁ、サービスされた側はもうしわけないのか納得がいってないようだけど。
「そうなんですか?いや、でも」
「いいからいいから。店長がそう言ってるニャから気にすることないニャ」
まぁだからといって断るのも野暮だし、そもそもこの店の人がそんな異議に応える筈もなく、こちらが返事をする間も無く一方的に「そんなことより早くあの不潔なゴミを持っていくニャ」と急かしてミケさんは去って行ってしまった。
「いいのかな?」
「レオナさんがいいと仰っているのですからお言葉に甘えましょう」
「そうですね」
そういうわけで、ウィル君は真面目なのか納得していなさそうだけど、ワタシ以外の二人も今日は店主さんの奢りということになった。
これで問題も解決して今日はお開きということなんだけど…
「すみませんが、私達は不本意ながらロクデナシを一人届けて帰らなければなりませんので、ミレスティナさんはどうぞお先にお帰りください」
「それならワタシも手伝うわ」
「いや、そんな。手伝ってもらうなんてわるいよ。ベスの家は僕の家の近所だし、僕が背負って帰るから気にしないで」
なんだか名残惜しくて帰り道も一緒に行けたらなんて思っていたけど、残念ながらそうはいかなかった。二人とも「じゃあまた明日」と言ってそのまま離れて行ってしまった。
仕方がないので、ワタシも「また明日」と返して独りで店を出で家路に着くことにした。
寂しい帰り道、学園で見た覚えのある馬車が店へ向かうのを見て焦ったのはここだけの話である。