第1話 魔王様。異世界へ降り立つ
「やっと来たのね」
空は快晴。気持ちの良い暖かな陽射しを受けながらワタシはこれから自分が住む町を見下ろす。
「本当に来てしまわれたのですね」
ワクワクを抑えきれずに溢れた独り言に、とても嫌そうな老人の声がかけられた。
「あっ、爺!どうだった?この世界での旅行は?」
「えぇ。お嬢様のお守から開放されてゆっくりと休暇を堪能させて頂きましたとも」
「よかった。爺ってばいつも仕事ばかりだから、たまにはゆっくりしてほしかったのよね」
「お嬢様のおかげでいつも気が抜けませんでしたからな」
「なによそれ!」
「そのままの意味でごさいます」
彼の名前はセルヴェス。ワタシの執事兼世話係として物心付く前からずっと付き添ってくれている大切なワタシの家族である。
今回、ワタシが退位したことに併せて彼には移住先の下見という建前でゆっくり休暇をとってもらっていた。そして今日、町が見下ろせるこの丘で待合せをしていたのだ。
「それじゃあ、早速町へ降りてみましょうか」
「そうでごさいますな」
そして挨拶も程々に、ワタシ達は爺の土産話を聞きながら町へ向かった。
「着いたわ!ここがワタシ達の新しい家よ!」
場所は町のはずれ。爺に内緒で用意した新築の家を前にワタシは胸を張って紹介した。
「ちょっとお待ちくださいお嬢様。いろいろとお訊きしたい点がごさいますが、とりあえず、この様な立派な家をいつの間にどうやってご用意されたのですか?」
ワタシの仕掛けたサプライズに一瞬唖然としながらも、ごもっともな疑問を提起する爺。
「いつ?って、それはもちろん爺が温泉地巡りをしていた時だけど?」
なんてことない風に答えてみると、爺はなにか納得いかなかったみたいだ。
「ちょっと。ちょっとお待ちください!お嬢様?いえ、ミレスティナ様。一体貴女は何時からこの世界に来ておられたのですか?」
そう問い質してくる爺の声にはなにやら力が籠もっていて、少し震えていた。
(あれ?怒ってる?なんで?どうして?)
「えっと、それは…」
「いえ、それ以前にあの時私めに渡されたコチラの通貨。かなりの大金でございましたが、アレはどのようにして調達されたのですか?まさか、体よく爺を引き剥がしてまたお一人でなにか妙なコトを」
恐る恐る答えようとすると、それすら待たずに爺の不安が爆発した。放っておくと変な方向に疑惑が飛躍していきかねない。なんとかして説得しないと…。
「爺待って!落ち着いて、大丈夫だから。ね?変なことはなにもしてないから」
「いいえ!信用できませんな!お嬢様は一人にすればいつもなにか良からぬことをしでかして…ブツブツブツ」
が、全くの聞く耳持たずで爺の長い長い小言が始まってしまった。どうしてこうも信用が無いのだろうか?なんだか納得がいかない。
「爺!そんなことより、今日はすることがいっぱいあるんだから早く行こっ」
そう!今日はしなければいけないことがたくさんあるので、爺の小言に付き合っている時間は無いのだ。一応家を建てる許可は事前に貰っていたけれど、住み始める前にはまた来るようにと役場のお姉さんに言われていたし、ご近所さんとの友好を深める為にまだ行けていないトコロにも挨拶回りもしないといけない。なによりもこの町には学園と呼ばれる子供たちの学習施設があるらしいので、そこへ入学する為の手続きもしにいかなければならないのだ!(ココが一番重要)
なので、爺をサラッとスルーしてワタシは手荷物を置くために新居へ入っていくのであった。
「そんなことではありませんぞ!そんなことでは!聞いているのですかお嬢様!お嬢様?お嬢様ぁーー!!」
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そんなこんなで役場へやって来たワタシ達。
朝も早かったこともあって、今は待合スペースで窓口が開くのを待っている。
「で、お嬢様が趣味で作られていた作品をコチラで売って資金を稼がれていたのはわかりました。それで、どうなのですか?」
「どうって?」
移動中と待ち時間を使ってなんとか誤解を解くことが出来たのだが、爺はまだなにか気になることがある様子。特にもう隠していることも無いけど、なんのことだろう?
「勇者殿のことでございますよ!この町に居られるのでしょう?もう見つけられたのですか?」
「へ?そんなのわかるわけないでしょ?」
「えっ?」
まさかの質問で驚いた。
何を勘違いしたのか、爺はワタシが想い人の居場所を大まかにでも把握しているのだと思っていたようだ。
(あの魔法って、たしか幾世先にまで続く様なそれはもう強力な縁を強制的に結ぶってだけだった筈だけど、そんな相手を感知できる様な効果もあるのかしら?)
ワタシが書斎で見た内容ではそんな記述は無かったのは憶えている。ワタシはただ、この町がなんだか良さそうと思っただけなのだけど、爺には違う風に見えたのかもしれない。
それを確認するまでもなく、爺は額からジワリと汗を滲ませ小刻みに震えながら更に問い掛けてきた。
「おっ、お嬢様?でしたら、でしたらですぞ?何故この町へ引っ越して来ようと……」
と、まぁ率直に理由を訊ねられてしまったけど、特にこれといった理由も無いので返答に困る。よしっ、ならここは……
「えっと、乙女の勘かな?この町でそんな(かなり無理矢理だけど)運命的な出逢いとかできたらステキだな〜って…」
年頃の乙女感(というか事実そうなんだけど)を前面に出してこの場をゴリ押すことにした。
そして爺の反応はというと、ワタシの応えを聞くと同時に完全に固まってしまった。
で、その数瞬後……
「帰りましょう。もうこれ以上は我慢なりません!今すぐベルディスティアの国へ帰りましょう!今ならまだミレスティナ様の復権も皆歓迎してくれるでしょう。さぁ帰りますぞ!」
急に爺は堅い表情を見せて、冷たくワタシにそう詰め寄ってきた。これはアレだ。本気っぽいヤツだ。実力行使も厭わない時の凄み方だ。まぁ少し凄んだところでワタシには無駄だけど。
「断る!!」
いつもは折れてあげるけど、今回は絶対に折れない。折れるワケにはいかない!そう。ワタシの幸せを願って送り出してくれたみんなの為にも今は絶対に!
腕を掴んで無理矢理引っ張って行こうとする爺に対抗して、ワタシはガッチリ椅子にしがみついて更に自分に重力魔法で過重を掛けて絶対に動かない意志を見せる。キチンと椅子と床に硬質化と耐久力上昇の補助を掛けておくのも忘れない。
「『断る』ではありません!貴女一人の我侭で一体どれだけの人に迷惑をが掛っていると思っているのですか!」
物理的には不利と踏んだか、今度はもっともらしい事を言って罪悪感を煽る作戦に出た爺。だがそれも想定済み。爺が居ない内に各所挨拶周りをして、しっかりお礼も済ませてそれぞれに困った時用のアイテムや秘策なんかも授けてきてあるのだ。
「ワタシはちゃんとやることはやってきたし、そんなの知らないわよ!そんなに言うならコレ使ってみてよ!」
ワタシは口煩い爺を静かにする為のとっておきのアイテムをつき出す。
「な、なんですかコレは?」
それは小さな水晶玉が取付けられたペンダント。
ワタシのお手製のマジックアイテムで、とってもステキな機能が備わっている。
そして怪訝そうに受取る爺に、ワタシはそのペンダントに魔力を込めて心の中で呼びかけてみるように促す。
すると、ペンダントに嵌められた水晶玉から上へ向って軽く光が放たれ、その中に一人の人物が映し出された。
『はい、こちらグリセンド。なにか御用でしょうか陛・・・あれ?セルヴェス様では御座いませんか。どうかなされたのですか?』
そこに映ったのは威厳漂う厳格そうな雰囲気の男性。彼はコチラからの映像にワタシではなくセルヴェス・・・爺が映っていて、どうしたのか?と首を傾げた。
「クスッ。何を仰っておられるのですか?陛下。今の王は貴方では御座いませんか」
『そっ、そうでした。いえ、どうも未だ実感が持てずつい・・・』
「まったく・・・。そんなことで大丈夫?王様は舐められると後が大変だからしっかりしないとダメよ?」
『ハハハ。普段は大丈夫なのですが、ミレスティナ様の前ではどうも緊張してしまいまして…』
「ほら!ワタシに様付しない!今は貴方の方が立場が上でしょ?」
『そうは仰られましても、こればかりはどうにもなりませんよ』
事情が飲み込めず呆然とする爺はそっちのけで、爺の手からペンダントを奪い取ったワタシは、後を継いで新しい魔王になったグリセンドと一月ぶりの会話を楽しんだ。
『……ですので、コチラの方は皆無事に職務にも慣れて、世界も平和そのものですので心配要りませんよ』
「よかった。それなら爺も安心してくれるわ。じゃあお互いまたなにかあったら連絡しましょ」
『それはまた騷しそうですね。はい。ミレスティナ様の彼氏自慢、期待してお待ちします』
「えぇ、楽しみに待ってて。じゃあまたね」
国へ残してきた皆の様子も聞いて話も一通り終えたので、水晶への魔力供給を止めて通話を終える。それに併せて宙へ映し出されていた像も消えた。
「さっ!爺。反論は?」
一人蚊帳の外にされて複雑そうにしている爺に、勝利を確信した渾身のドヤを決める。
「・・・どうぞ好きになさってください」
さすがの頭カチコチな爺も諦めて白旗を上げた。
なんだかこの短時間の間に少し老けた様に見える。
(ちょっとやり過ぎたかな?)
その酷くグッタリとした姿は、見ていてどこか不憫に思えた。
「ねぇ爺。今度は本当に休みとしてどこか旅行に行く?」
「そうさせていただきます……」
さすがに申し訳無く思えたので休暇を勧めると、普段なら絶対に断る彼も今回はあっさり受け入れた。
「あの〜。ベルディスティア様、もう受付できますが、いかがされますか?」
どうやらそうこうしているうちに結構な時間が経っていた様で、業務を開始した受付のお姉さんがタイミングを見計らって声をかけてくれた。
すごく気を遣ってくれているけど、一体どこから聞いていたのだろう…。たしか、前回来た時は“さん”付けだった気がするけど、気のせいだよね?
「えっと、じゃあ、お願いします。あの、今の話はどうか聞かなかったことに……」
「大丈夫です!わたし、応援してますから頑張ってくださいね!では、住民登録ですよね?申請用紙の方を用意しますので、少しお待ち下さい」
あまり口外して欲しくは無い内容なので、口止めをお願いしたいのだが、期待できそうに無かった。
元気に目を輝かせながら大丈夫と力強く言ってくれるお姉さん。何が大丈夫なのかはわからないけど、ワタシは変な騒動が起きない事を祈るばかりであった。
その後は特に何事もなく手続きは進み、無事にこの世界、この町の住人となったワタシ達は一旦新居に帰ってゆっくりすることにした。
「なんだかすごく疲れた…」
「誰のせいですか。誰の」
なんだかいろんな意味で疲れてしまって、テーブルに突っ伏してだらしない姿を晒すワタシ。
爺もかなり疲れたのか、注意すらせずツッコミにもキレが無くなっている。
「あ~、そういえば次の爺の旅行資金、爺の書斎に置いてあるから」
「ええ、今度は気兼ね無くゆっくりとさせていてだきます」
本当になにか吹っ切れたのか、まだ知らせていなかった書斎の存在にも驚かないし、準備の良すぎる資金の存在もアッサリ受け入れてしまう爺。
格式張った関係も無くなったし、遠慮が無くなってきたのは少し嬉しくもあるけど、なんとも複雑な気分になった。
この日はもう他の予定はヤメにして疲れを癒やすことにした。
よくよく考えれば、ワタシも爺も色々と動き詰めだったので疲れていて当然だったのだ。
ちなみに、この後使用人としての爺の仕事を奪って自分で家事をこなそうとして爺に叱られたのは最早お約束である。