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皇后たちの一生

作者: りったん


 肥沃な大地と北南を結ぶ河の恩恵を受けて華皇国は世界の中心と言えるほどまでに栄華を極め、さらに国を治める仁王帝は性格が温厚で不正を嫌い、民に慕われていた。もし、この国が亡ぶとしたら外敵の脅威か、もしくは人智を外れた自然の禍かのどちらかだろう。地方の奴婢すらそんな暢気なことを考えていたほどだ。


 しかし、ほころびは外からではなく、国の中枢──仁王帝の妃たちが住まう十二宮から始まっていた。

 宇那皇后が住まう第一宮、そこに数人の妃嬪らが何か暗いものを抱えた面持ちで女主人を仰ぎ見ていた。しかし最後に現れた妃だけはどれも違った。にこりともせず、まるで蝋人形のように冷たい顔だった。

「皇后さま。李妃がご挨拶いたします。しかし……離宮にいる私をお呼びになるなど珍しい。何か粗相でも致しましたか?」

 李妃の目がぐるりと他の妃嬪らを見渡すと皆怯えた表情になった。位が一つしか変わらない富嬪は手がかじかんだように震え始める。

 しかし皇后は穏やかな笑みを絶やさず、まるで妹に話しかけるように親しさをにじませた。

「李妃。あなたが皇太后さまのお話し相手として十二宮を離れてから、数か月がたちましたね。離宮と十二宮は距離にして五日ほどかかる……でも、風に乗って噂は聞いているのではない?」

「愚鈍な私にはわかりかねます。はっきりとおっしゃってくださいませ」

 李妃の言葉に皇后は少しだけ顔の仮面が剥がれる。むき出しの憎悪が瞳に宿った。

「……最近。帝は新国からの貢女をお気に召したようで貴人の位を与えられました。庸心殿にもお呼びになり、十二宮へはここ一か月ほど訪れてはおりません」

「李妃!貢女への寵愛ぶりときたらかつてのあなたをしのぐほどです!しかも貢女なんて位を賜るとしても一番下の官女子の筈なのに今の私と同じ貴人の位を授けたのですよ!高官の娘でもせいぜいが常在か等応だわ!」

 甲高い声で叫ぶのは風貴人。名家の誇りとかつて嬪の位だった傲慢な自尊心を傷つけられて持っていた扇を壊しかねない勢いで握っている。

 烈火のごとく怒り狂う彼女に幾人かの妃嬪は怯えるが、名指しされた李妃はくすりと笑みをこぼす。

「なるほど。皇后さまは私を猟犬にしたいのですね?それにしても今までの飼い犬では役に立たないからと狼を手なずけるとは酔狂なことですこと」

 飼い犬と言われて風貴人の顔が真っ赤になり、茶器を李妃に向かって投げつけた。高い音と共に茶器が割れたが、李妃は微動だにしない。

「風貴人おやめ。それに言葉遣いも正しなさい。かつてあなたが妃の位を持っていても今は貴人。李妃より下よ」

「ですが皇后さま……。私が位を失ったのはこの女のせいですわ。それに奴婢出身の女とでは格が違います。李妃。皇后さまがお前を呼んだのは下賤なもの同士、お似合いだからよ」

 李妃は風貴人に何も答えず、皇后へ目線をやった。

「皇后さま。犬は餌で飼えますが、狼はそう簡単にいきません。恩があれば犬以上に働きましょうが、恩どころか一度でも害されれば常に敵と狙うことでしょう」

 淡々とした李妃の言葉を受け、皇后は楽しそうに笑う。

「そう。残念ね。でも気が変わったらいつでもいらっしゃい。あなたの席を用意して待っているわ」

 李妃は粛々と平伏して第一宮を下がり、皇太后の待つ離宮へと戻った。


 艶やかな黒髪と雪のように白い肌。李妃のくっきりとした目鼻立ちは整ってはいるが、後宮においてはさほど美人とは言えない。さらに、奴婢出身の彼女はもともと後宮の中でも特に辛い洗衣局で奉公しており、ますます殿上人とはかけ離れている。

 だが、李妃はとても頭が良かった。

 衣を洗うにしても御膳房からもらってきた米ぬかや果実の皮を使って、汚れを落ちやすくしたし、手荒れの酷い同輩には手製の軟膏を与えた。友と呼べる相手は玉児という奴婢だけだったが、妃の衣類を破いてしまった咎で処刑されてしまった。もともと無口だったが、そこから李妃はにこりとも笑わなくなった。愛想は悪くとも頭の良さと読み書きができることから女官長に気に入られて衣類を届ける役を任された。皇太后宮に届けた際、体調の悪さは香にあるのではないかと突き止めてからは、皇太后宮の奴婢となった。仁王帝が彼女を見初めてからは寵愛を一心に受けて嬪の位まで上り詰めた。だが、当時の皇后を毒殺したとの疑いをかけられて一時期は投獄されていたが、真犯人の際貴人が自首したことから十二宮に戻り、妃の位を賜った。毒殺の噂を立てた風嬪はその咎で位を落とされ貴人となった。

しかし、けして奢ることはなく皇太后を慕って遠出の際は必ず付き従った。


 帝もそれを責めず、良き関係を保ち続けた。しかし貢女の影はしだいに濃くなりはじめ、貴人から嬪の位に昇った。花の号を貰った彼女は主が空になっていた第三宮をもらい受け、たくさんの宦官と女官を従えた。彼女が繁栄を享受するごとに、召し物が汚される、食事に腐りものが混ぜられるなど、嫌がらせが横行したが、花嬪はけして激昂するでもなく、帝に泣きつくのでもなく鷹揚に構えた。心が広くて愛らしい彼女を帝はますます寵愛し、彼女の身辺を案じて警護団を第三宮に常駐させた。二か月後には花嬪を害した罪で要嬪、藍貴人、王常在らが投獄もしくは追放の処分を受けた。



「李妃。訪ねてきてくれて嬉しいわ」

 第一宮で皇后はころころと笑いながら訪ねてきた妃を出迎えた。李妃は嫌そうに顔を顰めながら、しきたりにそって礼をする。

「私としても不本意でしたが、藍貴人はかつて私の宮の女官でした。気の利いて話術の巧みな娘だったのに、あんなことをしでかすなんて誰かに嵌められたとしか思えません」

「ええ本当にね」

「皇后さまの飼い犬も随分と大人しくなりましたしね。風貴人は…答応降格、他の妃嬪も降格はおろか追放、年嬪は死罪でした。ここ三か月だけで妃嬪の顔ぶれがごっそり変わりましたわ」

「ほとんどが言いがかりよ。花嬪の女官がこけただけでその近くの宮の主が警備の者に呼ばれるの。まるで後宮の主気取りよ」

「後宮の風紀が乱れれば国も乱れる。まるで花嬪はこの国を亡ぼす勢いです。花嬪について何か知りませんか?」

「弟が新国の総督府の長官だから調べさせたけど、妓楼にいたらしく、その美貌から貢女として総督府が目をつけていたらしいわ。てっきり、我が国に何か恨みでもあるのかと思ったのに…」

「話してみないことには相手が何を考えているかわかりませんね。花嬪と会ってきましょう」


 李妃は第一宮を出たその足で花嬪のいる第三宮へと向かった。花嬪が好物だというお菓子を自ら持ち、礼を尽くして宮に入った。

「わあ、李妃さまありがとう!このお菓子は私とっても好きなんです。たくさん食べるので女官に怒られてしまうんですけど、李妃様が持ってきてくださったものなら絶対に怒られません」

 花嬪はまだあどけない少女の顔で礼を言った。彼女の振る舞いはまったく後宮に染まっておらず、豪華な衣さえ着ていなければ町娘と変わらない。

 李妃は小さく微笑んで

「あなた付の侍医にきちんと調べてもらってから食べてね。あなたは帝の寵愛があついから良からぬことを仕込むかもしれないの」

「ありがとう李妃様!大丈夫よ。陛下から口を酸っぱくして言われてるの。言われ過ぎて耳が痛いくらいよ。あ、そうそう。陛下から珍しいものを貰ったの。李妃様にあげるわ」

「……頂き物を受け取れないわ」

「陛下なら大丈夫よ。それに警備の人とかにも渡しているもの。陛下に話したけど怒られなかったわ」

「……そうなの。でも私は高価な品のやりとりはあまり好きじゃないの。できればお菓子の方が嬉しいわ」

「わかったわ!李妃様のお好きなお菓子は何?すっごく美味しいのを用意するから楽しみにしてて!」

 花嬪との会話は、それこそ子供と話すような当たり障りないものだった。女官や侍衛、宦官も花嬪の話に手を叩いて笑ったり、身分の差などそこにはないような雰囲気だった。

 第三宮から退き、己の宮に戻った李妃は自分の女官に花嬪の印象を尋ねた。

「とても明るくてお優しい方です」と二割の女官が答え、残りは「李妃様に不敬です」と答えた。

 李妃は度々花嬪の宮を訪れた。本来なら嬪の位の者が妃を訪ねるべきだが、李妃はあえてそうした。花嬪に礼を尽くす李妃を帝は再び寵愛した。ある日、庭で散策していた花嬪が蜂に襲われた。帝は激怒して調査をしたところ、李妃の宮の女官が蜂を忍ばせたことが分かった。花嬪は「ぜったいに李妃様じゃありません」と帝に直訴し、床に額を打ち付けて減刑を懇願した。李妃は降格して李嬪となり、花嬪は昇格して花妃となった。李嬪は帝から冷遇されたが、皇后と花嬪の口添えで帝の誕生祭への参加が許された。湖畔の東屋で行われる中、何が丸太のようなものが流れてきた。それは李妃の宮の女官だった。服毒したとみられ、侍医の見立てによると前皇后に使われた毒と一致した。帝は李妃を責め立てて前皇后暗殺の真犯人は貴様ではないかとまで言った。李妃は、

「あれは際貴人が自首して既に決着したものと聞いております。お疑いなら今一度の捜査をお願いします」と言い切った。花嬪も李妃の隣に並んで懇願するので、帝も冷静さを取り戻し、侍衛に捜査を命じた。

 毒を持っていた女官はもともと今の皇后が妃の時に仕えていたと判明し、また蜂をけしかけた女官も、かつて皇后付きだったことが判明した。帝は皇后を廃后にして、生涯にわたって禁足することにした。死罪をとどまったのは皇后の家は新国の総督府の長官であり、反乱を防ぐ重要な役目を担っているからだった。


 ある夜、李妃は一人で禁足中の元皇后の宮へと赴いた。

 やつれた顔で月を見ていた皇后は李妃を見ると自嘲するように笑った。

「あなたの天下ね。おめでとう。やはり花妃より先にお前を始末するべきだったわ」

「いいえ。皇后さまの失態は父上の不正を正さなかったことにあります」

「どういうこと?」

「皇后さまの父上は総督府の長官ですが、以前は下級役人でした。ですが、上司である前長官の不正を捏造し、長官に上り詰めましたね」

 李妃の言葉に皇后は凍り付いたような表情になる。

「皇后さま。私の父は父母は流刑先で病に倒れました。妹は行方が知れません。代々続いた我が一族はあなた方の策略でついえたのです」

「謝れとでもいうつもり?」

「そうですね。謝って頂きたいですわ」

「私は無関係だわ。父から口添えを頼まれたけど、不正をしているかどうかなんて後宮にいる私が知りえたとでも?」

「そうですね。確かにあなたには御父上ほどの罪はありません。ですが、青地の雉の刺繍の衣を覚えてませんか?付け爪でひっかいて裂いてしまった衣を洗衣局のせいにしましたね?そのせいで奴婢の一人が死罪になりました」

「たかが奴婢の命でしょう。あなたに何の関係があるというの」

「奴婢の名前は玉児。私の友でした。そして生涯で最後の友、際貴人をあなたが殺した。恩ある皇后さまを毒殺したのもあなた。あの世でじっくりと謝罪してくださいね」

 皇后は微かに笑っただけだった。真っ赤に腫れた目元とは対照的にその口元は笑いに満ちている。

「いいわ。しっかりと謝るわ。それにあなたのことだもの、私の父もいずれあの世に送ってくれるんでしょう?母を虐げて殺し、娘を道具としか思わないあの男も私と同じ目に会うのならこんなに嬉しいことはないわ」

 皇后は宝物のように李妃が渡した茶器を手に取ると、李妃の前に掲げた。

「先に地獄に行ってるわ。あなたの復讐が成功するように祈りながらね」

 祝いの席のように皇后は美しい礼をして茶の毒を一気に飲み干した。禁足中で、しかも寵妃を殺そうとした皇后の死は、自責の念に駆られて自決したのだろうと詳しい捜査はされなかった。


 

 後日、李妃は李皇后となった。帝に総督府の不正について忠言し、元皇后の一族は死罪、あるいは流刑になった。

 だが日を置かずして再び花妃が毒を盛られ、また仕掛けた女官が李皇后の命だったと証言したため、李皇后は廃后となった。投獄されて粗末な布地を体にくるむ李皇后の前に、冷たい目をした花妃が一人で訪れた。李皇后は顔を顰めて花妃を睨んだ。

「皇后になりたかったのなら言ってくれれば協力したのに。あんなに良くした私を陥れるなんてひどい女ね」

 花妃はくすりと笑った。まるで鏡でも見たのかと思うほど笑い方は自分にそっくりだった。

「皇后になりたかったわけじゃないんですよ」

 花妃はしゃがんで李皇后の目を覗きみる。

「ねえ、李皇后は私が家族の話をして欲しいというと、堅物だけど立派な父と、気が強いけれど情にもろい母の話をしてくれましたね。でも、あなたの父は奴婢に手を出して妊娠したとなると妓楼に売り飛ばした卑劣漢で、母親は旦那の手が付いた女をいじめぬく陰険な女なんです。母は心労でなくなりました」

 花妃は迷いをたたえたような顔で李皇后を見つめる。

「私は一度だけあなたに会ったことがあるんですよ。母の薬を買うお金を恵んでもらおうと屋敷へ行ったんです。丁度あなたの誕生日でした。両親に囲まれてたくさんの客から祝われているあなたは私を見てこう言ったんです。『汚らしい奴婢がいる。はやくつまみ出して』とね」

「それで、私を死罪にしたいの?」

「いいえ。あなたは奴婢になるんです。汚辱にまみれながら私が幸せに暮らすのを見届けてくださいな」

 花妃が高らかに笑う中、李皇后は何も言わなかった。だが、仮面のような冷たい顔で少しだけ笑う。なにしろ花妃のせいで後宮は乱れに乱れている。妃嬪も女官もしきたりを守ろうとはしないし、侍衛には怠け癖がついて昼間から酒を飲む者も多い。不正や賄賂が横行し、花妃の贅沢のせいで財政はひっ迫している。こんな国に未来はあるだろうか?李皇后は目をつぶって国が燃えるのを想像してみた。竹炭のようにまたたくまに燃え上がるに違いない。焼け野原になった城で皇后の座に縋りつく彼女を哀れだと思った。


 十年後、反乱がおきて都は火の海になった。

 妃嬪を守るべき女官や侍衛が我先にと逃げ出し、荒れ切った宮城で花皇后は髪を振り乱し、灰や煤にまみれて泣きながら一人走っていた。おつきの女官や宦官は花皇后を置いて逃げた後だった。


 路地から腕が伸び、強い力で引っ張られた。

「おいで。逃げるよ」

 肌の色は日に焼けて黒くなり、見る影もなかったが微かに面影はあった。

「李皇后……」

 驚く花皇后に李皇后……一介の奴婢は彼女の手を取り、衣服をはぎ取った。奴婢の服を着せると再び走り出した。馬を使い、船を使い、かつて暮らした土地へ流れ着いた二人は、小さな家を借りて薬屋の商いを始めた。姉の作る薬はよく聞くと評判で、また妹は話し上手で売り方が上手かった。

 どこにでもいる仲の良い姉妹として二人は暮らしていった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 皇帝の描写をほとんど行わなかった点が興味深かったです。 皇帝という最大の権力者が舞台装置の一種と化していると感じました。 [一言] 三人の皇后が聡明さと執念深さを持ち合わせる優秀な人材なの…
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