五半章
市原深冬さんへ
藍紫色と言われて、どんな色を想像しますか?
僕は初めてこの色の名前を聞いた時、とても暗い、少し紫がかった青を想像しました。それはきっと星雲の近くの空間のような色で、文庫本のしおりにしたらとても美しい色です。
しかし実際には、藍紫色の英語名はシアン、つまり明るい青です。色見本によっては紫がかった青という説もありますが、僕の知る限り、シアンの日本語訳には藍紫色が使われています。
なぜ突然こんな話を、と思うかもしれません。
何が言いたのかというと、僕にとって感情は色と同じであるということです。
もしかしたら、この時点で貴女は僕の言いたいことを、正確に理解してくれるかもしれません。
先ほど貴女に話した中学生の僕はとても子供で、寂しがりやで、年不相応に未熟でした。
あの日、涙を流した中学生の深冬に、僕は全く共感できませんでした。場違いにも、とても綺麗だと思ってしまった。あの頃の僕は、恐らく真っ当に深冬に恋をしていて、涙の理由よりも、自らの主観に基づいた感想を持ってしまったのでしょう。
そして、恋という感情も恐らくは単色ではありません。恋も切り分ければ、喜びや楽しみも、嫉妬や独占欲が顔をのぞかせます。人から見て単純な明るい青でも、僕自身にとっては青や紫や黒が、複雑に混ざりあった汚れた色なのです。それはきっと真っ当な恋の認識であり、自分自身が醜いと定義したそれも、人から見れば一つの恋の形なのだと思います。
それはきっと、遠くを舞う蝶を美しく思い、顕微鏡で覗いたその昆虫らしさに、身の毛をよだたせるようなものかもしれません。
そして僕は未だ、あの頃の深冬への感情と決別できていないのです。
僕はその真っ当な恋を抱えたまま、言うなれば藍紫色に染まったまま、過去と暮らしています。
高校生となった貴女と出会った時、僕はとても動揺しました。貴女は僕の知っている深冬よりもずっと快活で、好きな言葉、食べ物、音楽、教科、それらが全然異なる別人のように感じたからです。
茅野やユウがそうであるように、僕も貴女と仲良くしていきたいという気持ちがあります。しかし今の自分には、中学生の深冬もまた、一人の重要な存在なのです。
まずは貴女の過去をお話しするところから、少しずつ協力させてください。
ここまで書いて、中学生の深冬の死と、仙台の話の続きについて書くか僕は悩んだ。
重要な話はきっと、直接話した方がいいはずだ。しかし同時に、過去を言葉にすることの難しさを、今日深冬に話しながら感じていた。迷ったが、結局書くのをやめた。手紙の言葉は推敲できるところに魅力がある。言葉が下手な僕にとって、手紙というのは長年、直接話すよりも大切なものだった。最も適切な言葉を、最も効率よく配置できるからだ。
だが、言葉を探しながら話すことにも意味はある。一緒に言葉を探すことで、相手もより強く、僕の言いたいニュアンスに近づいてくれるはずだ。
僕はこの手紙を締めることにした。
僕は大抵、学校では教室か図書室にいます。貴女には、中学生の僕が感じたありのままの感情を、できるだけの言葉を尽くして伝えたいと思います。誰の目からでも見えるシアンではなく、あくまで僕の主観としての藍紫色である当時の深冬のことです。
また話をしましょう。それが過去の話であっても、今の話であっても。
石上正親