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地球の下  作者: はんなりぼんやり
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一章

 中学校では、僕は部活に所属していなかった。代わりに幼少からずっと続けてきた水泳とピアノ

に週二日ずつ通い、残った平日の一日は塾に行った。部活に所属していないせいか、学校では友達はあまりできなかった。一年ごとに変わるクラスも、部活動のつながりによって何となくグループができてしまい、気づくと僕は薄ぼんやりと孤立していた。特にいじめられていたわけではないが、存在の認知が曖昧なクラスメート。僕はそういう存在だった。

 両親が共働きということもあってか、小さい頃から料理や洗濯は一人でやっていて、孤独はさして感じていなかった。そのせいで妙に自分が大人であるという自覚が育ち、周囲を無意識に見下していたのかもしれない。もう少し積極的な性格であれば、友達にも苦労しなかっただろう。

 そんな僕が楽しみにしていた数少ない日常の一つが、週一の塾だった。ピアノと水泳が生活の一部になっていた僕にとって、中学から通い始めた塾は目新しく、成熟度に合わせたクラス分けも、中学生の僕には新鮮だった。その塾は他校の生徒も多く、それぞれ生活の環境はバラバラだったが、皆仲が良く、それぞれの学校の話で盛り上がった。そして僕はそのコミュニティの中で活発な自分を見つけた。やはり同じくらいの頭の人間は話が合うなと思った。

 僕が履修していたのは数学だった。数学のクラスは選抜、特訓、進学に分けられ、僕は選抜にいた。クラスには十数人おり、皆県内の進学校を志望していた。そしてその中に彼女、市原深冬もいた。


 彼女は隣の中学校に通っており、学年の成績は常にトップクラスだった。中一の終わりくらいに入塾した彼女は、特に文系科目では並ぶ者はおらず、満点近い成績を修めていた。ただ、数学には若干の苦手意識があるらしく、塾ではいつも熱心に授業を受けていた。髪が真っ黒で長く、対照的に日本人離れして肌は白い。少しアンバランスな大きめの眼鏡をかけ、休み時間はいつも文庫本を読んでいた。中学生の頃にはあまりわからなかったが、身なりさえ少し気を遣えばかなりの美人であったと思う。才色兼備の文学少女である深冬はその大人しい性格から、異性だけではなく同性とも壁があるように見えた。典型的な理系の僕は、選抜クラスの中で最も数学の点数が高く、逆に文系科目の出来が悪かった。当然、深冬と話す機会はなかったし、共通の話題も思いつかなかった。そして中二になったばかりの春、僕は深冬と初めてまともに会話をした。

 その日は雨のよく降る日だった。授業をするはずだった講師が病気だということで急遽自習になり、僕らは課題を与えられたのだが、解き始めてすぐ、課題の難易度が高すぎることに気づいた。そもそもまだ履修していない範囲もあり、教室ではすぐに不満の声が上がった。だれか先生を呼びに行こうにも、他のクラスも授業中のため、事務所に先生は誰もいない。そして、誰が言い出すでもなく、解ける生徒が教えようという流れになった。今にして思えば、随分と優等生ばかりの集まりだ。すでに予習で問題の取っ掛かりをつかんでいる生徒は全体のおおよそ半数弱いて、僕らは自主的に得意な生徒、苦手な生徒でペアを組んで席替えをした。基本的には男子同士、女子同士、あるいは同じ学校同士で組んだが、最終的に残ったひと組が僕と深冬だった。

 深冬はおどおどした様子で僕の隣に座った。授業では答えをはっきりと言う彼女はすっかりなりを潜めている。

「よ、よろしくお願いします。」

「あ、うん。市原さんは解けた問題あった?」

「本当に少しだけ……。一、二問くらいかな。石上君は?」

 そう言われて僕は解けた問題を見せた。僕は三問解いていて、うち一問はすでに深冬も解いていた。つまり二人合わせて四問といったところだ。

 その後、僕らのペアは最速で問題を解き終えた。途中でわからないところは教科書を読んで理解した。深冬は数学が苦手と言っていたが、全くもってそんなことはなく、少し説明するだけで僕が言わんとしたことを理解した。問題に関しては解き方を説明することはあまりなく、根本的に習っていないから解けないだけのように見えた。そして、僕は深冬の頭脳に少なからず衝撃を受けていた。今回教える側に立ったのは、あくまでも僕が予習していたからだ。もし、二人とも学習度が同じくらいであれば、彼女よりも問題を解くことは到底できないだろう。さらに文系科目ともなれば、僕は完全に置いていかれてしまう。

「本当に勉強が得意なんだね。」

 僕は極力嫉妬や僻みが出ないように注意しながら声をかけた。

「そんなことは、ないよ。また、数学教えて欲しい。石上君の教え方は、とっても上手、だった。」

 深冬はそう言って微笑んだ。たどたどしさは消えないが、授業前よりはずっと進歩しただろう。

 そして、僕らはそれ以降の週末、毎週のように会っては勉強を教えあう仲になった。




 朝食の片付けを済ませ、部屋の掃除をする。登校までにはまだそれなりに時間があった、しかし掃除も洗濯も、あまり集中できなかった。

 結局僕は、ワゴン車から降りた深冬に声をかけなかった。おそらく高校で会うこともできるだろうと思ったし、なにより声をかけてはいけないような気がしていた。なぜ、と思う。三年前に僕が来た時は、しつこく不安が僕を追いかけ回していたというのに。なぜ彼女の不安に寄り添おうと思わないのだろう。あるいは、このエリアのせいか。

 まとまらない思考を片隅に追いやり、僕は顔を洗った。そして念入りに歯を磨いた。


 高校は久々の転校生の話題で持ちきりだった。いつもよりも騒がしい廊下を抜け、三階に上がる。時祷北高等学校と命名されたこの学校は各学年三クラスで、全校生徒三百人程度だ。時祷と名付けられているが無宗教で、普通の高校とあまり変わらない。僕は二年一組の扉を開けた。

「よ、マサチカ。今日は来るの早いな。」

 振り返ると、すぐ目の前に春田祐がいた。どうやら彼も今教室に来たらしい。朝練の後なのか、部活の袋がパンパンになっている。春田は僕の前の席だ。荷物をどさどさと置くと椅子を逆向きに座って僕と向き合った。

「今朝部活の時に聞いたんだけどさ、今日転校生が来るらしいぞ。それもうちだけで十人以上。」

「うちだけって言い方なのは、他の学校にも転校生がいるからか?」

「そこまでは詳しく聞いてないけどさ、普通に考えてうちだけ転校生が集中的に増えるってことはまずないだろ。ということは他の四つも合わせて五十人くらい来たってことかな。」

「そんなに増えたのか。エリアにはそんなキャパシティはもうないと思うんだけど。」

「まあその辺は中央部がなんとかするんだろ。なんでも南高の方じゃ、増築の計画があるとか言ってたぞ。」

 エリアには五つの高校があり、それぞれ東西南北と中央が名前に入っている。どうして時祷が共通の名前なのかは分からない。

「相変わらず人脈広いな。」

「いや、そうでもない。少なくとも、大人との人脈はお前の方があるだろ。サッカーの試合で仲良くなったやつと今朝練習をした時に聞いたんだ。」

 へえ、と僕は相槌を打つ。本当に友達が多いやつだ。僕は他校の知り合いなんて全くいない。

「その話、東高の方でも聞いたよ。」

 顔を上げると髪をさっぱりポニーテールにまとめた茅野夏希が立っていた。彼女は僕の斜め前、春田の隣だ。陸上部のためか、一年中真っ黒に日焼けしている。彼女も春田同様、荷物を無造作に机に放り投げると椅子に座ってこちらを向いた。

「まじか。まあエリア全体のことだとしたら全方位で拡張の計画でもあるのかもしれねえな。」

「そうね。実際、もし五十人以上の高校生がやってくるのだとしたら、全体での新規訪問者は二百人弱になるはず。こんな飽和した環境には、あまりに多すぎる人数だと思う。転校生がどんな人なのか、ちょっと楽しみだけどね。」

 そう言って茅野は笑った。日焼けした肌と対照的な整った白い歯が見える。

 やがてクラスメートがほとんど揃う頃には、教室内は転校生の話題で盛り上がっていた。中には職員室まで覗きに行った生徒もいたらしく、情報はますます飛び交う一方だ。

 チャイムが鳴り、担任の碓氷先生が教壇に立つと、自然と生徒たちは席に着いた。しかしいつもに比べれば明らかに落ち着きがなく、皆そわそわしていた。

「さてー、まあ、もうすぐ冬休みだが、あれだ、受験なんてないようなもんだが、一応しっかりと勉強しておくように。」

「それと今回、転校生が一人、この一組に来ることになった。入ってこいー。」

 はい、と言って入ってきたのは、偶然、あるいは必然か、市原深冬だった。


 彼女は快活な様子で教室を見渡すと、一通りの自己紹介をした。しかし、僕と目があっても彼女は表情を変えることはなかった。なんとなく感じた違和感を代弁するように、深冬は言葉を続けた。

「実は、私は中学一年生から記憶がありません。どうして高校生になっていて、転校先もこちらなのか、正直動揺しているのですが、仲良くしてくださると嬉しいです。」

 僕は混乱していた。確かに僕らが親しくなったのは中二からだ。しかし、目の前の彼女は明らかに成長した高校生の姿だった。そしてなにより、彼女がエリアに来る道理がなかった。僕はそれを知っていた。彼女がここに来るはずがない。いや、来る必要がないはずだった。

 そして授業が始まると、深冬は非常に積極的に発言や質問をした。これも僕の印象とは大きくずれていて、ますます違和感は膨らんだ。休み時間になると、茅野がうきうきと話しかけに行った。僕と春田は、楽しそうに話している二人をぼんやりと見ていた。

「なあ、お前なんか様子おかしくないか?」

「いや、そんなに大した話じゃない。昔、なんとなくだけど市原さんと知り合いだった気がするんだ。」

「それ、本人に言わなくていいのか? 記憶ないって言ってるんだし、マサチカが知っている中で役に立つ情報とかあるかもしれないじゃん。」

「いや、」

 そう言って春田は深冬と茅野を呼びに行った。止める間もない速攻である。僕は心の中で少しため息をついて、三人のところへ向かった。

「はじめまして、市原さん。春田って者です。で、こっちが石上。」

 どうも、と言って近づくと案の定、深冬は僕に見覚えがないようだった。はじめまして、と言葉を交わす。

「こいつが市原さんの昔のこと知ってるみたいだから、よかったら聞いてみない?」

 美冬が反応するよりも素早く茅野が身を乗り出した。

「え、それは本当? よかったね、市原さん。」

「そうならそうと早く言えばいいのによ、マサチカも罪なやつだなあ。」

 深冬は二人の発言など気にならないようで、驚きからか目を見開いていた。

「まさか知り合いに会えるとは思わなかったから、すごく心強い、かも。」

 深冬は明るく笑う。昔の彼女は、初対面を前にこんな明るく話すことは滅多になかったはずだ。

「あ、私は茅野ね。茅野夏希。夏希でいいよ。」

「俺は春田祐。みんなユウと呼んでる。こいつはマサチカでいい。」

「勝手に自己紹介するな。石上正親です。正しく親しいと書いてマサチカ。よろしくね。」

「では私も深冬で。勉強についていけるのか、今とても心配なんだけど、大丈夫かな。」

「心配はいらない。みんなここに来るといつの間にか成長している場合が多い。でも勉強面では知らないはずのことも知っているし、性格もみんなそこそこに成長というか、変化している。」

 僕がそう言うと、深冬は安心したようだった。

「私の過去を知っていると、ええと、ユウくんから言われたんだけど、あとで聞いてもいいかな?」

「もちろん。僕は部活もやっていないし、好きな時に声をかけて。」

 深冬はにっこりと笑うと、ありがとうと言って席に戻った。もう授業が始まる。


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