十三章
僕がユウと初めて話したのは、教室を出てすぐの廊下だった。その頃はユウはまだエリアにきて間もなく、色々な物事の変化に対して鋭敏だった。優等生らしい冷静さの内側に、数値化できない混乱をはらんでいた。 その日、とても暑い夏の日、ユウはエリアから出たいと言った。当時の僕はあまりユウと話をしたことがなく、彼が言い出したことも、僕に声をかけたことも、どちらも不思議で仕方なかった。そして、好奇心よりは面倒が先に思いつく程度には、彼との関わりは愉快ではなかった。
「ここから出たいんだ。あの門を越えて外に出たい。俺は地球に帰りたいんだよ。見上げてるんじゃなくて踏みしめていたいんだ。」
「どうしてだろう?」
「普通じゃないからだ。俺らは地球で生まれたし、宇宙飛行士に志願した記憶もない。この歪みは、普通じゃない。」
作者の言いたいことは文の最初と最後にあります。以前そう言っていた中学の教師を思い出した。つまり彼は、普通がいいのだ。普通の高校生で、普通の地球人でいたいのだ。
普通という定義は難しいな、と僕は彼を意識からはじき飛ばして思考する。彼は僕がエリアをどう感じているのか、その感想を待っているようだ。しかし、僕の今の思考は『普通の定義』が予約済だった。
普通という響きは非常に主観的だな、と思う。そもそも普通とはなんだろう。普通は普通ではない人間が外から眺めた標準だ。普通の人間に普通は定義できない。
例えば普通の恋愛、普通の生活、普通の性格。
全てアウトサイドに立つ『普通じゃない』人間が決めたものだ。普通だと声を上げる人間は総じて、普通じゃない。言葉にするなら、まだ平凡の方が素敵な言葉だ。普通という言葉は暴力的だ。しかしどこかしら魅力があるのだろう。学生はこぞって普通を目指す。あるいは、大人の世界に強引に押し出されてしまった、『まだ子供でいたい大人たち』も、普通が大好きなのかもしれない。それともこういう僕の思考こそが、集団を外れた子供らしい愚かしさなのだろうか。
しかし結局、僕はユウの熱意に押され(正直に言えば、僕もほんの少しばかり壁の外に興味があった)、彼の言うところの帰還目標に関わることとなった。壁の外を見にいくこと、そして、なんとしてでも地球に戻る手がかりを見つけ出すこと。これがユウの(一方的に)宣誓した目標だった。
当時の僕は写真部に所属していた。部と言っても部員が二人しかいない、本当に小さな部活動で、顧問は北村さんだった(僕は北村さんと写真部で出会った)。マニュアルカメラの遺産のような、フィルムのコンタックスが僕の相棒だった。取り寄せたわけではなく、部室で埃をかぶっていた『彼』を僕がメンテナンスした。デジタルカメラでないというだけでかなり不便だったが、撮った写真の重みが蓄積されていくような、そんな感覚に次第に馴染んでいった。カメラという機構と、フィルムという作りが、デジタルとアナログの狭間のような、不思議な感覚を与えてくれた。
そういうわけで、ユウの探索にも僕はカメラを連れていった。夏の夕立を思わせる、どこまでも純白な入道雲のある日だった。