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異世界でも貴女と研究だけを愛する  作者: 香宮 浩幸
第十章 俺、この戦争が終わったら結婚するんだ
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湊崎雅也の回顧録 ~絶~


2019年12月15日某県某市 結城家本家邸宅 執務室


「博道様、お客様が到着されました。お通ししてもよろしいでしょうか」

「通せ。通した後は人払いを徹底しろ」


結城家。数百年続く学者家。その家宰を務める私は、いつものように客人の訪れを主人に伝えた。主人の下に来る来客との会談で人払いを徹底されるのは珍しい話ではない。

その相手が国内外の政財界の要人であるときはもちろん、市井の研究者であっても研究情報を外部に漏らされないために行う極当たり前のもの。


「承知いたしました。すぐお連れいたします」

「ああ。茶もいらん。何人たりとも近づけさせるな、いいな」

「……肝に銘じます」


だが今日は、いつにもまして空気が張り詰めていた。部屋を出た私は表情を崩さぬようにしながら、思考に耽っていた。

客人は西南大学の若い研究者と聞いている。確か名前は……


「湊崎……雅也……雅也様」


一人誰にも聞こえないほどのか細い声で呟いた言葉で記憶が繋がった。そうだ柳之助様の長男、雅也様だ。

しかし彼は10年前の一連の事件で絶縁されたはず……いくら優秀な研究者と言えど、なぜ……


「湊崎様、お待たせいたしました。主人の部屋にご案内いたします」


様々な疑問と、言い知れぬ不安感が襲ったが、私は何も気づかぬふりをして、職務を全うした。






部屋の手前で案内してくれた使用人の方と別れた。曰く、主人から徹底的な人払いをしろとのことだそうだ。見覚えのある結城家の家宰の男は、きっと俺の由来を知っているのだろう怪訝な眼差しで下がっていった。


「入れ」


その先の重厚な扉をノックすると、聞き覚えのあるしゃがれた老人の声が聞こえた。その声に無言で入室した俺は、入ってすぐ正面の執務卓に座る老人を睨み付けた。


「不満そうだな」

「当たり前だろう。絶縁された人間に面の皮厚く呼び出されたんだぞ」

「いつまでもわしの書簡を無視したお前のせいだろう」

「誰が好き好んで、偉そうに書かれた内容に返事出さなきゃいけないんだ。鬱陶しいから年内に来てやっただけ感謝してほしいくらいだ」


十年以上ぶりに直接対面した祖父、結城博道は不遜な態度を隠そうともせず何が面白いのか俺を見て笑う。


「……何が面白い?」

「いや、結城家の血は争えないと思っただけだ」

「……」

「結局、呪うほど嫌っているだろう結城家の人間同様に、お前も研究者の道を歩き始めたのだろう……お前の父親は家ほども研究者の才能など無かったから意外だな」

「黙れ」


こいつの言うとおり、俺はこの家に生まれたことを呪っている。だが、同時に結城家の先祖達を尊敬してもいる。故に、呪うべきは血ではない。


「お前らは研究者じゃない。ただ家の名を守ることに、ただ家の権威を守ることに……そんな下らないことに固執した守銭奴だよ」

「ほお、言いよるな……」

「ただの事実を述べたまでのつもりですが?」

「……若造が。貴様、誰に対しての発言か分かっているのか」

「血縁上の祖父」

「舐めた口を……」


視線だけで射殺せそうな殺意を向けてくる奴を無視して、俺は客用のソファに腰掛ける。テーブルの上には客用のお茶すら用意されていない。


「先程の家宰が戻るまで話の続きは控えた方がいいか?」

「貴様に出す茶などない。この部屋は貴様が屋敷を出るまで人払いをさせている」

「そうかよ……一応は客人として招かれたはずだが?」

「要件は先に手紙で伝えたはずだが、改めて言おう。貴様を結城の姓に戻す」

「断る……と言えば」

「湊崎家。後は詩帆とか言ったか。お前の恋人の家族のことを考えてやれ」

「分かりやすい脅しだな」

「……桜川の小娘とつるんでいるようだが、お前が正統な結城家の血筋である以上、桜川財閥であっても後ろ盾にはならんぞ」


言われるまでもなく分かっていた。旧い家など、存外こんなものだ。そもそも結城家の過去の行いについては、湊崎に移ってから……雅美を喪ってから、ずっと調べ続けてきた。この程度、こうなるまでもなく分かっている。


「別に桜川家を盾にしようなんて考えてない……そんなことしたら友人にどんな手段を使っても殺されかねない」

「ふむ。なら、結論は決まっているだろう。早いか遅いか、お前の知人が好ましくない目に遭うか遭わないか……ただ、それだけだ」

「あんたの力はよく知ってる。だけど詩帆に手を出してみろ……どんな手を使っても殺すぞ」

「ほう。今この場で私を殺すか……その代償は重いぞ」

「人格者の結城家当主を殺害した、勘当された孫息子。あることないこと吹聴されて、誰にも知られぬまま事故で命を喪う……それくらいは最低でも起こりうるか」

「自分の立場がよく分かっているようだな。なら、わしの提案に対する回答は一つだろう」

「ああ、そうだな……」


ここまでは圧倒的に博道の想定通りの、こいつ優位の会話だ。だが、この場に来た時点で、俺にこいつに従う気など甚だない。


「断固拒否する」

「……後悔はしないか」

「そちらこそ。こっちが無策で来るとでも思っていたのか」

「ん?」

「十年前の事件。その隠蔽を直接行ったのは俺と雅美だ。保身のために、何も残さないわけがないだろう」


奴の眉がピクリと動く。だが、表情の変化は一瞬だ。まあ俺も、こいつ相手にこの一言だけで優位を取れるなんて思ってもいない。


「そうだな……だが、あの事件を掘り起こそうなど無駄なことだぞ。既に強盗殺人で捜査は終わっている。被疑者死亡で捜査打ち切り、あの家も更地にした。今更お前の証言だけで……」

「証拠があるというなら?」

「仮にあるとして、だ……お前に、それを掘り起こす気概があるのか?」

「……」

「妹が両親を殺した殺人者と世間に広まるだけだぞ」

「……妹の罪を償わせる。同時に両親の罪を明るみにする……それが長男の勤めだ」

「立派な志だな……」

「いいや、ただの俺のエゴだよ」


あの事件を公表する。全てを白日の下にさらし、俺とこの家の因果を断つ。それは俺の勝手だ。その小さい身体に罪を背負って命を絶った、今は静かに眠る彼女を殺人者にする……最低な兄貴だ。だけど……


「研究者として、明かされるべき真実に蓋をする行為は許されない。例えそれが人類に害を与える研究であっても」

「……それをわしに宣言したと言うことは、今、この場で拘束しろと言うことか?」

「まさか……最初から言っているだろう。お前の要求は拒否する。そして無策で来ていないと」

「何をする気だ?」

「する気、というか……ここに来た時点で既に始まってる」


そう言いながら、俺は懐からスマホを取り出し、無音で再生されていた配信の音量を一気に上げた。


『ここまで全部、事件関係者から出てきた本物の証拠品と資料ね。十年前の外交官夫妻強盗殺人事件の真相。証拠と、関係者の証言を元に暴いていくよ』


配信されている動画では十年前のあの事件について発表された内容ではなく、俺たちが経験した現実が語られていた。


「雅也。貴様……」

「覚悟は決めてきた。そう言っただろう。準備が終わったから来たんだよ」


『いや、流石に提供者はこの場で言えない……って、言いたいところだけどなんと本人からOKもらってるんだよね。この事件が起こった家の長男君。隠し持ってた証拠品だってさ。当時の年齢考えると信じがたいけど、現に鑑定機関のお墨付きもついてるしねえ。いや、本当、裏取りとかできてないとこんな危ない橋渡らないって』


「被害者の血液に、処分したはずの凶器……事件当日の映像……妹の着衣……いくらお前と言えど、どうやった?」

「俺が協力したんだよ、親父」


執務室の重たい扉が開けられた。そこには俺の協力者が立っていた。


「満明……お前か」

「本当はもっと早く手を下すべきだった。だけど、当時の俺には力がなかった。それに言い訳がましいが雅美ちゃんを殺人者にしていいものか悩んでね。だけど俺も罪を清算しなくちゃならない」


満明伯父さんの背後からスーツ姿の人間が雪崩れ込んでくる。その様子をぼんやりと眺めていると伯父と目が合う。その目は複雑な色をたたえていた。きっと俺も似たようなものだろう……






四ヶ月前 桜川財閥 別邸 談話室


「改めまして、雅也の伯父で帝都大学法学部で研究をしています白河満明です」

「あなたが湊崎君の協力者……なるほど、それは頼もしいわね」

「凛子、それで、どういう人なの」

「……白河満明。法改正……特に刑法の改正に際しては常に意見を求められる人物よ。立法府はもちろんのこと、法曹界、警察関連の人脈が幅広い日本の刑事司法の観察者……」

「家の恩恵も多分に受けているから、手放しに誉められたものではないけどね」

「結城家の長男で、婿養子入りした白河家は法曹一族で、祖父はもと最高裁判所長官……政略結婚かしら?」

「実は妻とは恋愛結婚でね。学生時代からの付き合いだよ……まあ、妻にもばれていることだし言ってしまうが、野心がなかったとは言わないがね。


一息ついた伯父が紅茶を一口すすった。俺達四人の対角に腰かけた叔父が全員を見回す。


「そうか……雅也が、こうして友人たちに……過去を相談できる友人たちを得れたんだね」

「はい……おかげで決心がつきました」

「……」

「伯父さん。あの日、預けた証拠を返してください。ケリを付けます」

「そうか……そんな日が来たか」


伯父が俺を見つめる目は、優しかった。それは俺の覚悟を喜ぶと同時に、俺が傷つくことを労る目だった。


「湊崎。証拠ってどういうことだ、説明しろ」

「ああ、話を飛ばしたな。あの事件当夜、俺と雅美は隠蔽工作を行った。そしてその協力者として呼んだのが満明伯父さんだった。元々本家から嫌われてた両親だからな、俺らごと闇に葬り去られる可能性を警戒した。だから、もしもの時に俺と雅美の命だけは保証させるために伯父さんに証拠を預けた」

「……湊崎君、あなたその当時10歳じゃなかったかしら」

「ああ。狂ってるだろう……雅美に至っては、当時8歳だからな」

「……雅也君、あの当時は守れなくてすまなかった。私がもう少し早く、覚悟が出来ていれば……」

「叔父さんには、あの時、もう奥さんも子供さんもいたじゃないですか。結城家に逆らうには、いくら白河家の庇護があるにしても、リスクが高すぎます。僕らを湊崎家に逃がしてくれた……後は僕の責任です」


どんな理由が、どんな奇跡があることを願ったとしても、あの日の悲劇fが避け得なかったとしても、あの後の雅美を守れなかったのは……ただ、俺一人の責任だ。


「君は、本当に強いね」

「強くなんかありませんよ」


自嘲的に笑う、俺に、叔父さんが乾いた笑みを向ける。それに返す言葉は強がりじゃない。隣に座る不機嫌そうな彼女の肩をそっと抱き寄せる。


「彼女……詩帆に出会えたから、今の僕はあるんです。彼女がいなければ、僕はあの日のか弱い少年のままですよ」


僕の人生は、詩帆に出会った始まった。きっとそうだ。


「そうか……君に、そんな出会いがあって本当に良かった」

「ええ。全くですね」

「湊崎君、惚気はいいから、早く計画の話に移って」


長く会わなかった時間の後悔を消し去る、そんな会話を、桜川嬢がぶった切る。その様子に満足げに微笑む叔父さん、頭を抱えて溜息をつく江藤、そして隣で顔を真っ赤にして固まっている詩帆。


「ああ。それじゃあ、結城家の権力を完全に奪い去る作戦会議を始めようか」


そのみんなを見回して、僕は言葉を続けた。





「湊崎雅也」

「なんだ?」


結城家現当主、結城博道は、警察車両に乗せられる直前、俺の名前を呼んだ。


「お前が見ている世界など、一旦に過ぎないぞ」

「どういう意味だ?」

「それはお前で考えろ。私を潰したんだ。なら、結城の血脈を継ぐ者なら、な」


それ以上、何も話す気はないと、警察車両に乗り込んでいった。


「雅也君。これで、終わった、んだね」

「……はい、きっと」


言い表せぬ不気味さを俺と叔父は感じていたのだと思う。博道の言葉が、最期の負け惜しみだと、そう思いながらも。

翌日、博道は獄中で死亡した。

俺が、損不気味な言葉の意味を悟るのは、少なくともこの世界での生を終える日まで訪れなかった。

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