王女編 シルヴィアside ~旅立ち~
「私、今からこの国を出て行くの」
「……それは、どういう意味ですか」
上階からは轟音が響いている。レーラズ公が作ってくれた時間はそう長くはない。けれど、この子、ディアミスには言葉を伝えていかねばならない。
「ここにいるということは、陛下から何かを聞かされたのね……私の出自については聞かされたかしら」
「……姉さんが、後ろで眠っているスイレン様の娘で、僕とは実の姉弟ではない、ということは」
「そう……なぜ、スイレン母様がこのようになっているかも」
「森の民の掟……王位を継がなかった王家の人間の責務、と」
「ここを教えられたのだものね……そう、よね」
つまり、ディアミスが王位を継ぐときに私がこうなるということも知ったということだ。
「……姉さんは、いつからこのことを知っていたのですか」
「私の父の死の顛末については?」
「陛下から、スイレン様の封印の義の際に心労で、と……」
「そんなところぼやかす必要は無いでしょうに……」
「ぼやかす……では、実際は何が?」
どういう意図でディアミスに真実を伝えなかったのかは分からない。けれど、ここまで私の出自を説明して、なぜそこだけ……
「……聞かなかったことにしてちょうだい。少なくとも母が、こうして眠りについたときに父が亡くなったのは事実よ」
「……分かりました」
陛下の意図は分からない。それはディアミスに対する不信感を与えないための陛下の保身かもしれない。だが実の父が国家反逆罪で私の父を処刑したなどという事実を知って、気分がいいわけはない。今は私の父が亡くなっていて、母がこのように眠っている。それだけで十分だ。
「姉様がこの国を出て行くのは……こうならないためですか」
「……そうね。それも一つの理由ではあるわ」
今この国にいれば、私が自由に行動できる時間は数刻もない。捕まれば陛下は構わず私を母の隣で眠らせるだろう……それも、いいかもしれない。だけど、少なくともマーリスに語った、私が国を出たい理由は別だ。
「でも、一番の理由は死ぬまでの間、ずっとこの国にいたくなかったの」
「自由になりたかったと、そういうことですか……」
「私の生涯の最長の期間は眠ることになるわ」
「っっ……」
「なら、穏やかな気持ちで眠りにつきたい。そのために世界を好きになって眠りにつきたいの」
この国を私は愛したい。いや、愛している。でも、今、眠りにつくとなったとき、私の心の奥底には王家と、身勝手な父を恨む心が燻るだろう。それはきっと死ぬまで変わらない。だけど……
「世界の色々な場所を旅して、色んなことを知って、色んな人に出会って、その後に眠りにつくなら、少しはいいかなって」
この国いるだけより、ほんの少しだけ、世界を巡った果てに何を得るのか。ひょっとしたらもっと鬱屈な感情で眠ることになるかもしれない。それでも、この国の中で生き続けるより、何か得られると信じたい。
「だからあなたが王になるまで、私が眠りにつくその時まで……少しだけ旅に出てくるわね」
「……姉様、ま、待ってください」
「何かしら、ディアミス」
「僕が、僕が何とかします。だから……」
「……そうね。あなたが国王になった後、掟を変えることは出来るかもしれない」
「ですから……」
「でも、私は間に合わない」
フォレスティアという数千年続く森の民の集い。その王族の掟は旧く、揺るがない。それを変えるためには途方もない時間と力がいる。
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいわ。ディアミス、あなたの子どもたちは誰もこうして眠りにつくことのないよう、そうあってくれればと願っているわ」
「姉さん」
「すまない、二人とも。時間切れだ」
ずっと黙って見守っていたマーリスがそう言うと同時に私の手を引いた。直後、マーリスの張った結界に風魔術が直撃する。
放たれた方向を見上げると、ゆっくりと階段を降りてくる陛下の姿があった。
「シルヴィア様。急ぎますよ」
「分かっているわ」
出口まではマーリスの結界によって確保されている。だが、相手もフォレスティアの国王だ。七賢者の結界魔術であっても時間をかければ破られる。
「姉様……」
「ディアミス……さようなら」
絶望したような表情で立ちすくむ、ィアミスに別れの言葉をかける。陛下の魔術が三度結界を揺らす。
「シルヴィア様。本当に長くは持ちませんよ」
「ええ……スイレン母様。いってきます」
永遠の別れとなるかもしれない。そう想いをこめて最後に母を見つめる。心なしか、その顔は呆れているように見えた。
名残惜しさを振り切って、出口で待つマーリスのもとに走った……
「ディアミス……シルヴィアは何と?」
「世界を巡ってきたい、と……その、こうして、眠る前に……」
「そうか。お前にそう言ったのなら、そうか、あれはやつの本心か」
マーリスの結界が解けるのを見届けて、ゆっくりとディアミスに歩み寄る。私の質問に答えた後、微動だにせず項垂れている……シルヴィアの出奔で城内も混乱している。立太子の儀は見送りか。
「本気で逃げられれば、もう追いつけぬか」
シルヴィア達の魔力の反応を追ってみたが既に王城はおろか、フォレスティアの街の領域を抜けようとしている。あの百戦錬磨の七賢者が、愛弟子のため本気を出しているのだろうし、追撃に出した騎士団は無駄足に終わるだろう。
「……スイレン姉様、シペラス宰相閣下。あなた達の娘は、とうとうフォレスティアを脱出し、自由になりましたよ」
眠るスイレン姉をみやると、その顔はいつものように穏やかに見えて、少し呆れているようだった。
「あなたはいつも怒りませんでしたね。かわりに呆れたような顔でよく叱られました……」
幼きあの日も、立太子の儀のあの日も、シルヴィアが両親を失うことになったあの日も……
「図体と頭ばかり大きくなって、結局あの頃と変わらないままか……」
国王などの器ではない。きっと姉さんの方が上手くこの国を統治したし、子どもたちを真っ直ぐに育てただろう。だが……
「……ディアミス。今日は休め」
「しかし、立太子の儀は……」
「シルヴィアが出ていく際に。レーラズ公と一悶着あって謁見の間が荒れた。今日の儀式は不可能だ」
「は、はあ……シルヴィア姉様は」
「もう国外に出た。あのマーリスが相手では騎士団も見失うだろう……望み通り、旅に出るだろう」
だが、今の私は国王であり、父親だ。弱い感情に蓋をし、為政者として、親として見せるしかない。
「落ち着いたら執務室に来なさい」
「はい……ありがとうございます、父上」
ディアミスに背を向け、階段を昇る。最期に軽く振り返って見たスイレン姉様の顔は、呆れるというより悲しそうに見えた。
「ここまで来れば、もう追っ手もないだろう」
王城の地下通路から、市街地の裏道を抜け、森の中に逃げ込んだ。そのまま森の中を全力で街から遠ざかること二時間。フォレスティア大森林外周近くの古い交易路に出たところで、私達はようやく荒い息をついた。
「マーリス、ありがとうございます」
「構わないよ。もとより覚悟していたフォレスティア出禁以外は、被害もないしね」
「すみません……」
「もう二十年近く過ごさせてもらったしね。噂によればそろそろ統一戦争後の混乱も静まっていそうだし……というか、さすがに一度セーラのもとに帰らないとね」
「私が言うのもなんですが、奥様を年単位で放置して大丈夫なんですか」
「ま、まあ最長期間よりは短いから大丈夫だと思うよ……たぶんね」
何度かフォレスティアから出ていたとは言え、ここ数年は帰っていたように見えませんでしたが、本当に大丈夫なのでしょうか。
「というか奥様も七賢者のセーラ様ですよね。ならフォレスティアに呼び寄せても良かったのではないでしょうか」
「はは、まあ彼女をここに呼べない理由があってね。まあ、どちらにせよ一度帰るとするよ」
「よくわかりませんが。帰るのには賛成です」
「ああ……さて、雑談はこれくらいにして、今後どうするつもりだい?」
そうです。無事、フォレスティアを脱出できましたが、問題はこれからです。私にはもう帰る場所がないのですから。
「ひとまず数日過ごせる食料は<変異空間>に入れていますし、わずかばかりの金品もあります」
「用意はしていると言っていたが、流石にきちんとしているね……じゃあ、どこに行くかは?」
「特に決めていません。まあ、まだまだ長い時間のある旅ですから気の向くままに歩いてみようかと」
王女ではあるが、マーリスに旅で必要な技能は一通り教えてもらっている。狩りの技術は勿論、それに付随する獣の解体や、調理等もだ。普段全くやらないというマーリスより、随分と上達してしまったのは少し自慢ではある。
「そうかい。じゃあ、提案なんだが……一度、うちにこないかい?」
「マーリス先生のご自宅、ですか?」
「ああ。セーラにも紹介したいしね」
非常に魅力的な提案だった。でも、一人で世界を見たいと、そう言った自分がまたマーリスに頼っても良いのだろうか……
「いきなり一人旅は難しいよ。いくら知識があるとは言え、名ばかりとは言え、王族だったという事実は忘れない方がいい」
「うっ……」
「それに……君自身の行動を君自身で抑圧する意味があるのかい。それをするなら何のために国を出たんだい」
「あっ……そうですね。そう、でした」
私は国の在り方に反発して国を出た。最期の自由の時間を過ごしたくて飛び出した。なら、その先の選択肢を抑圧するのは、何の意味も無い。
「ご迷惑でなければ、一度お邪魔してもよろしいですか、マーリス」
「勿論だよ……さて、とは言ってもそれなりに距離があるからね。色々と魔術で短縮する方法はあるけれど、せっかくだし普通に旅をしようか」
「はい。楽しみです」
歩き出したマーリスを追って、私も歩を進める。
こうして私の500年続く長い旅は始まりました。マーリスの隣で森を抜けた私は、広がる世界を目にして、これから経験するだろう初めての事柄の数々に胸を膨らませているのでした。




