王女編 ディアミスside ~姉~
……幼い頃、何度となく追いかけたあの姿。
「焦らないで大丈夫よ。ちゃんと待っていてあげるから」
何度となく守られたあの背中。
「気にしなくていいのよ。あなたは弟なのだから、姉が守るのは当然よ」
優しくて、強くて、賢くて、美しい彼女が私の憧れだった。
「ほら、泣かないの。大丈夫よ。あなたは私よりも強いのだから」
あの感情を何と呼ぶのか、僕はずっと知っているようで知らなかった……
「私、今からこの国を出て行くの」
「……それは、どういう意味ですか」
揺れる王宮の地下で、先程これ以上の衝撃はないと思った矢先に姉から告げられた言葉に、僕は更なる混乱に陥った。
いつだってそうだ。僕はこの人の言葉に心乱され、振り回される。きっと一生そうだ……
「ディアミス。体調はよくなった?」
「……はい、もう大丈夫です」
魔術の修練が嫌になって、そう嘯いて逃げ出した。思えば、幼い頃の僕は、優しい家族に甘えて、そんなことばかりしていた。
「そう……ねえ、ディアミス」
「なんですか、姉上」
「……何が嫌なの?」
「何が嫌、とは、何でしょうか?」
「他の誰にも言わないから、聞かせて。あなたには才能がある。魔術は勿論、武術もそう。なのに、なぜ修練から距離を置くのか。勿論、面倒だとか、辛いことが嫌だとか、そんな理由なのかもしれないけれど……」
「……」
「あなたが修練を抜け出し始めたのはつい最近よね……陛下からフォレスティア王家の継承順位について聞かされたかしら?」
「……」
その通りだった。フォレスティア王家の継承は、現王の血を引く物の中から最も才あるものが選ばれる。至極単純な継承の決まりを告げられたのはつい一月前。僕の10歳の誕生日の日だった。
「図星みたいね……ディアミス。あなたは私が王にふさわしいと、そう思っているの?」
「……少なくとも僕よりは」
「……そう。馬鹿なこと言ってないで、せめて真面目に修練なさい」
「……どう考えても姉さんの方が……」
「あのねえ、あなたまだ10歳よ。決してあなたを下に見ているとかではないけれど、あなたはまだ子供よ。なにより陛下はまだ数百年は現役よ。いい、ディアミス。そんなことは早くても数十年後に考えればいいわ」
「でも……」
「そもそも今の時点で王の素質どうこうを批評されるなんて私も心外なのだけど……いい、ディアミス。そんなことをいいたいのなら、私を追い抜いて。どれだけ手を抜いても勝てるようになってからよ」
「……」
「ふふっ。不満そうね。何か言いたいなら有言実行してみなさい」
「……」
「焦らないで大丈夫よ。ちゃんと待っていてあげるから」
幼い頃は……いや、今も、僕にとってシルヴィア姉は、魔術なんかの実力差なんか差し引いて絶対に勝てない相手だ。それは外での振る舞いもそうだ。
「それで、あなた達、ここに呼び出された理由は勿論分かっているわよね」
「……何のことでしょうか、シルヴィア殿下」
王立学園に入学した直後は散々だった。
才色兼備な姉さんは国中から敬愛される人物だった。それは勿論学園内でも同様……いや、同年代の若い学生が集まる中では余計にその傾向は強かった。
「そう。心当たりがないと」
「……はい」
「別にそう証言すること自体は止めはしないけれど。その発言の重みについては理解しておいてね」
幼い頃の自分は、姉の影に隠れた大人しい子供だった。魔術の才能が姉以上だとは言われていたが、魔術というのは経験と知識がものを言う。幼い自分はそれを活かせておらず、燻っていた。
そんな僕は一言で言えば、陰湿な虐めに遭っていた。
「……私は何も知りませんが」
「ええ。あなたが自分の手を汚していないことは知っているわ。ただ、直接的な加害だけが罪に問われるわけではない、と言うのは当然知っているわよね」
「ええ、それは勿論」
どのような正確であるかはさておき、自分は王族だ。学内であっても護衛がついているから、身体に被害を被るような虐めは当然受けていない。そもそもいくら相手が子供であろうが王子に故意に危害を加えれば流石にただではすまないというのもある思うが。
「ただ、あなたを名指しで生徒会長として呼び出した以上、私が何の確証もなくこの場に呼び出したと思われるのは心外なのだけれど」
「……何か証拠があるとでも」
「……ふふ、そうね。その前に証言ならいくらでもあるけれど何から聞きたい?」
「証言……」
「ええ。あなたが陰湿な言葉の数々をディアミスのクラスメイトに教え込んだり、教材の汚損、誹謗中傷文を書かせた証言」
「なんのことだかさっぱりですね」
「いい加減に話した方がいいと思うのだけれど……ことは子供のお遊びじゃないわよ。もう一度聞くわ、心当たりはないのかしら」
「……仮にあったとして、僕がやったことで罪に問われるようなことはありませんので」
「そう……騎士団」
シルヴィア姉が、静かに呟いた瞬間、空気が変わった。と、同時に会長室に騎士団が入室する。
「彼らを捕縛しなさい」
「なっ……証拠はないだろう。シルヴィア、貴様」
「口を慎みなさい。王族の面前だと理解しているかしら」
「だから証拠を……」
「証拠を元に騎士団はあなた達を捕縛したのよ」
そう言いながら、シルヴィア姉が数々の写真を見せる。そこにはある罪の動かぬ証拠が数々映っていた。
「あなた達が、下級生を暴行している決定的瞬間よ」
「っっ……」
「あなた達の容疑は、暴行と傷害。この子達からの証言は勿論、宮医の診断で暴行による可能性が高い傷の診断書も出ているわ」
「……」
「私が生徒会長として話している間に、素直に自供していれば、今回だけは学内処分ですませてあげたのに」
先程まで涼しい顔でニヤついていた、学生達が青ざめていた。その様子を前にしながらも、姉さんは淡々と続けた。
「ずっと前から証拠固めはしていたの。あなた達が気に入らない同級生の弟妹に陰湿な嫌がらせをさせていたのはかなり知られていたし」
「その写真だけで、そ、そちらはしょ、証明できないだろう」
「ええ、そうね。下級生への脅迫、物品損壊の教唆容疑については暴行を受けていた生徒達……金に困窮する後輩達に金銭を渡して共犯だと脅して続けさせていたと証言は出ているわ」
「あいつら……」
「大方、親の権力で黙らせそうな相手を選んでいたのでしょうけど……貴族の一員として恥を知りなさい」
「……」
「もう反論はなさそうね。連れて行きなさい」
そう言って連れ出される学生達の後に続いて、シルヴィア姉が廊下に出てきた。ハッとして、物陰に隠れようとしたのだが、慌てたせいで転けてしまった。それを目にとめた姉さんが駆け寄ってくる。
「ディアミス、大丈夫かしら?」
「うん、姉さん。少し躓いただけだから……」
「そう……聞こえていたかしら?」
「……ごめん。全部聞いちゃった。その、迷惑かけてごめん」
「いいのよ。今回の件は身内贔屓……していなかったかと言うと少し曖昧な線だけれど、あの子達の行動による被害を考えたら、生徒会長として……王族として当然の仕事よ」
「でも、僕のせいで心配かけちゃったから……」
「気にしなくていいのよ……あなたは弟なのだから。姉が守るのは当然よ」
そんな姉と久々に並んで帰った。格好良くて美しい、そんな姉が誇らしくて大好きだった。その感情が家族としての親愛だったのか、王族としての敬愛だったのか、それとは全く違う愛情だったのか、その時の自分は何も分からなかったけれど……
ともかく、いつか姉を守れるようになろうと、そう、誓った。けど、その姉の隣にはずっとある人間の魔術師がついていた。
「ディアミス殿下。改めて自己紹介を。マーリス・フェルナーと申します。シルヴィア殿下の魔術の教師をつとめさせていただいています」
シルヴィア姉さんの家庭教師、マーリスは人間の魔術師だ。魔力は勿論のこと魔術の技能水準の高さは人間と森の民で比較すれば、森の民が圧倒的だ。それなのになぜ、この男が人間であるにも関わらず、家庭教師をしているのか。
「ディアミス殿下。あなたの魔術制御は目を見張る物がある。魔力の瞬間的な放出能力も私以上でしょう……後は経験ですね」
一度だけ挑んだ模擬戦。途中からは殺そうとして挑んだのにも関わらず、涼しい顔をして階位の低い魔術だけで躱され、全力で放った上級魔術をいとも簡単に相殺され……魔力を失った僕は完全敗北した。
「森の民固有の物も含めて、召喚魔術には非常に向いていますよ。まあ、私には召喚魔術は教えられないので妻の書いたこちらの指導書をお渡ししておきます」
人でありながら、500年以上の時を生きる、かつて魔神を封じた七人の賢者の一人。それがマーリスだった。森の民の高位の魔術師と並んでも何一つ劣ることのない実力の持ち主だった。
「ディアミス。怪我はない?」
「はい。姉様……すみません、全く刃が立ちませんでした」
「ほら、泣かないの。大丈夫よ。あなたは私よりも強いのだから」
「な、泣いてません……」
「ふふ……そういうことにしておくわ。でも、本当に気にしなくていいのよ。今の私ですら全く勝てる気配がないもの……ところでマーリス、子供相手にやり過ぎではないかしら?」
倒れて動けない僕のもとに姉さんが駆け寄ってくる。それが嬉しい反面、このような情けない姿を見せてしまい恥ずかしかったりで、複雑な心境は、姉の声色の変化で全て吹き飛んだ。それを向けられた僕を負かした相手は飄々とした態度で返す。
「君との初戦よりは加減したよ。ほら、尊厳は守って……じょ、冗談だよシルヴィア嬢。その殺気を抑えてくれ」
「何のことですか、マーリス。ただ……お話があるので後で私の私室に来てください」
「と、年頃の子女の私室にお邪魔するのは、まずいのではないかな」
「今更、何を言っているのですか。幼いときから、数え切れないほど来ているでしょうに」
その姿が素なのだろうと感じた。普段見せている王女としての表情や言葉とは違った姿。それを唯一見せているのがマーリス・フェルナーというのが納得いかないが。
なぜ、家族である僕にすらその表情を見せてくれないのだろうと、マーリスに対して嫉妬したし、姉に若干不満な想いも持った……なぜ、そうなったのか、そんなことを考えもしないで。
「シルヴィア姉が本当の姉ではない……何の冗談ですか、陛下」
立太子の儀の朝。僕が成人し、正式に国王候補の資格を得る前に、話があると陛下の部屋に呼ばれた。そして告げられた言葉に耳を疑った。
「冗談ではない。シルヴィアは私の子ではない。私の姉と、前宰相の間に生まれた娘だ。いずれ王位を継ぐときに伝えるが、当時色々とあってな、私の娘として発表した」
「……父上の、姉……既に亡くなった方、ですよね……」
「……これも成年王族なら皆が知る話だ、シルヴィアは別の理由で幼い頃から知っているが」
「何の話ですか。陛下?」
「……私の姉、スイレンはまだ……生きている」
「あなたが、スイレン様。シルヴィア姉の母上……」
父からの話を整理できぬまま、父の側近セネターの案内で王城の地下へ向かった。案内を終えたセネターを下がらせ、一人強聞いた話を整理しようとその姿を見つめる。飲み込むのに時間がかかるだろうと、父から時間をもらっているが……とても儀式までには飲み下せそうになかった。
「森の民の王族の掟……王位を継承しなかったものは……こうなる」
目の前で物言わぬ姿で眠っている彼女は、まだ生きている……けれど、これを果たして生きている、そう言っていいのだろうか……
「僕が王位を継げば姉が……」
姉はあくまで父の娘でないだけで、王族の血を引いている。であれば掟は絶対だ。目の前の実の母同様に、姉も同じ姿となるのだろう……
「……どうすればいいんだよ」
姉の姿を追って、ここまで生きてきた。けれど姉の姿を追い、自身が成長することは、姉をこの姿にするのを近づけることに他ならない……
「どんな気持ちで、姉さんは、僕と接してたんだよ……」
マーリスに対する醜い嫉妬心を持っていた自分が許せない。当たり前だ、こんな掟を知っていて、その掟によって両親を失い、やがて自分もそうなると知っていたなら……フォレスティアの人間など、全て敵だろう。
「でも、姉さんは……そんなことしなかった」
僕には姉として親愛を向けてくれた。民のために王女としての姿を見せていた。学園では弱者救済を掲げて生徒会活動を行っていた……
「そんな姉を差し置いて、そんな姉を半分……してまで僕は、僕は……」
一人の世界に入り込みかけたとき、階段を駆け下りてくる音が聞こえた。こんな秘された部屋に誰が来るのかと、警戒を強める。だが、駆け下りてきた姿は侵入者以上に今、最も会いたくない人物だった。
「シルヴィア姉様、それにマーリス先生……何かあったのですか」
「ディアミス……なぜ、ここに」
駆け下りてきた姉さんは、一瞬怪訝な顔をした。けれど僕の様子を見て、何かを理解したように少し悲しそうな顔をした。
永遠にも思える一瞬の沈黙の後、姉さんは僕に言い放った。
「私、今からこの国を出て行くの」
「……それは、どういう意味ですか」
何もかも意味が分からなかった。上階から轟音が響いている。けれど今はただ、姉の言葉の続きを待った。
1年以上ぶりです。お久しぶりです
何を言っても休載するので、精神状態がまともなときに少しずつ連載する形にします。
当面は目指せ隔週投稿です。




