第百七十八話 最愛の人と
「リュエル伯め……おそらく私の王太子時代の世話役達も悪乗りしたな」
謁見の間でリュエル伯から待ち人と伝言を告げられた私は、王城の奥へ向かっていた。護衛達は空気を読んだのか誰もついてきていない。昔は毎日のように歩いた通路に足音が響く。
「立太子の儀以来か、ここへ来るのも」
その場所は私が幼少期を過ごした場所。後宮だった。
「ここに案内する意味を分かっているのだろうな。ここに来る意味も……いや、全員分かっていてやったんだろうな。本当に性質が悪い」
後宮。それは国王とその妃のための王城の裏手にある空間。そこに入ることが出来るのは基本的に国王とその家族のみ。使用人以外でそこに訪れる女性は国王の妃として見られるのが至極当然だ。
……私の待ち人はその後宮の中、立太子の儀の前に私、レオン・アドルフ・ルーテミアが過ごしていた私室にいるという。
「……何かあったか」
こんな大胆な行動をする子ではない。むしろ真面目すぎるくらいに真面目で嘘がつけない子。社交の場でも、そんな性格から辛そうでずっと引きつった笑みを浮かべていた。
そんな子にこんな行動を起こすまで追い込んだ何かがあった。そう思ったら自然と足を運ぶ早さは上がった。
「……本当に久々だな」
少し息を切らしながら、部屋の扉の前に辿り着く。そこで一呼吸つく。初めての演説の時よりも緊張しているように感じられた。その感情を押し殺しながら、扉を叩く。
「レオンだ。ソフィア嬢……入っていいかい」
「……お入りください」
扉の奥から普段以上に固い声が聞こえた。それを待って、ゆっくりと扉を開ける。部屋に入ると寝台に腰掛けているソフィの姿が目に入った。彼女が慌てて立ち上がろうとするのを制して、そのまま隣に座る。
「すみません。こんな部屋に訪れてしまって」
「どうせ皆が悪乗りしたのだろう……ただ、それでもこの部屋に入るという言葉の意味は私には変えられない……いや、どうでもいいな。私から言おう」
彼女の感情なんて分かってた。何ならもっと前から誰にも文句を言わせず、彼女を懐に入れてしまいたかった。いや、そうすべきだった。
「ソフィ……いや、ソフィア・フォン・フローズ子爵令嬢殿」
「はい」
「その、苦労をかけると思う。心ない言葉に晒されることになるかとも思う。絶対に庇うと誓うと言ってしまいたい、いやどうなっても庇いたい……だが為政者である以上、それを確約できない」
「……私だって王家には釣り合わない下級貴族の娘です。きっと陛下には……」
「君にそれは言わせない。僕が隣にいて欲しい。そう我が儘を言うんだ。君は私の隣に立つにふさわしい知性と気品溢れる王妃となれる器だ……むしろ私の隣には勿体ないほどの」
「本当に私でいいんですか……」
「君がいいんだ……私の隣にいてくれ」
「……では、私も我が儘を言っていいですか」
「なんだ」
「……あなたも私も苦手なのは知ってます。だけど、私自信がないので……明確な言葉をください」
「ソフィ……その、君の心からの笑顔を私自身の手で守りたいと思った。笑顔の君が好きだから……だから……だから……婚約しよう。どんな批判も全部退ける」
初めて彼女に好きと言った。もう逃げない、その想いをこめて彼女を強く抱きしめる。
「……返事が聞きたいな」
「大好き。好き。大好きです……私でいいなら、凄く嬉しいです」
「君でもいいじゃない。君がいいんだ」
「……絶対、大変ですよ」
「君が手に入るなら、何も痛くないな」
大変なのは数年前にとうに覚悟した。彼女を好きだと自覚したあの日に。
「遅くなってすみません……無事で戻ってきてくれてよかった」
「心配かけて済まない」
「本当ですよ……でも、今日は怒りません。一番欲しい言葉をくれたから」
「逆にはぐらかしてたら怒られてたのか」
「……ええ。そこはユフィと決めてましたから」
「クライスも今頃、ユーフィリア嬢に詰められてるのか」
今更になって震える彼女に気づいた。ずいぶん心配をかけていた。何せ何も伝えず勝手に戦場に向かったからな。
「今度から君には嘘をつかないよ。こんなに心配されてるってわかったからな」
「信じませんよ。だから行動で示してください陛下……いえ……レオン」
二人きりの部屋。私はソフィを強く抱きしめた。
「はぁ……間違いなくソフィア嬢と陛下は明日には少しだけ近づいた距離感でいつも通りの会話をしているんだろうな」
私、ハリー・ハイドリー・フォン・ローレンスは待ち人に指定された屋敷へと向かう馬車の中で頭を抱えていた。私の仕える国王、レオン陛下とフローズ子爵令嬢が今正に行っているであろう逢瀬と……きっとしているであろう告白が原因だ。
「応援はしていたし、勿論もう既定路線でしたけども……はあ、雑務がなあ」
長い間主達が憎からず想いを交わし合ってきたことは知っている。同僚の魔術卿夫妻程ではないと信じたいが、捻くれていても二人の仲は応援するに足る者だった。
身分差の問題は、ソフィア嬢の父のフローズ子爵が今回の戦争の調停功績での昇爵が決定的であるし、彼女自身が優秀な魔術師であり、商務卿の娘として十分すぎる教養も持っている。
「ソフィア嬢は自身のことを卑下しているけど……実際、彼女の王妃としての適性は十分すぎるくらいだと思うけどね。むしろ彼女以上の王妃候補を選定する方が面倒だ」
そんな傍から見れば決まり切っていた主の恋路。長く見守ってきた臣下として、二人を兄のように見てきた立場としては応援しているが、王国宰相としてはこれから増える数々の雑事を思うと、溜息をつきたくなる。
「新政権樹立に、魔王戦争、クーデター、帝国戦争……間違いなく後世の歴史書に、激動の時代とでも書かれるんでしょうね」
そう呟いたところで馬車が止まる。外から御者が扉を開ける。御者に、明日朝はこちらの正門に車を着けるよう伝えて、門をくぐる。屋敷の扉の前には私の待ち人が立っていた。仕事のことは忘れて、今にも駆け出しそうな彼女の元に急ぐ。
「ハリー・ハイドリー・フォン・ローレンス、ただいま戦場より帰還いたしました。エマ・フォン・ローレンス嬢、お身体におかわりなかったでしょうか」
「ええ。ローレンス卿、お待ちしておりました」
駆け出しそうに見えたのは私の目だけだろう。傍から見れば公爵令嬢としての所作を完璧にこなしたエマが、扉の前で見事なカーテシーを披露した。私が彼女の隣につくと、ゆっくりと扉が開いた。
屋敷に入ると、扉を開けた使用人が、深々と頭を下げていた。
「ハリー様、エマ様。お帰りなさいませ……エマ様準備は全て整っております」
「ええ。先に言ったように下がって構わないわ」
「承知いたしました。ハリー様、ご無事のお戻り、心よりお喜び申し上げます、それでは失礼いたします」
「ああ、ありがとう……エマ、どういうことだい?」
使用人が扉を閉めて退出した。その瞬間に私とエマは宰相と公爵令嬢から、ただの魔術師ハリーとエマに、あの懐かしき学生時代に戻った。
「フフフッ……今日はハリー君とのんびり過ごしたかったから、使用人さんに全て用意していただいた後、下がっていただいたの。分かると思うけど、今日この屋敷の中は私とハリー君だけよ」
「そうかい……はあ、まあ大体分かったよ」
「でしょう。それじゃあハリー君。まずは夕食にしましょう。今日は私の手もかなり入ってるのよ」
「……料理長の心労が目に浮かぶよ」
「何よ。私、料理得意なのよ」
「それは知っているが、君の料理センスは独特なんだよ。僕にとってはすっかり慣れ親しんだ光景と味だけどね」
外では絶対に出来ない、昔と同じ態度、言葉遣い。きっと一生変わらない。
「食後はいなかった間のことを話すわ」
「ああ、聞くよ」
「あなたも戦場でのこと聞かせてね」
「話すのは構わないが、戦場のことなんて聞いても憂鬱にならないかい?」
「レオン君と、クライス君がいたんでしょう。絶対、面白いことあったんだろうなと思って」
「……ああ、家でしか話せないような話ならいくつか」
学生時代、彼女が公爵令嬢だと知らなかった頃。僕がまさか王太子護衛になり、こうして宰相にまでなるとは思っていなかった頃から、僕らの間は何も変わらない。あの頃はもっとこじんまりとした家庭でこうなりたいと思っていたけれど。
「でしょう。あっ、私もあるわよ」
「後でゆっくり聞かせてもらうよ」
「ええ。もう、ソフィアちゃんが可愛くて可愛くて。ユーフィリアちゃんも可愛かったけど……もう告白してるかしら」
「……ソフィア嬢をけしかけたのは君か」
「あら、あの子。ひょっとしてかなり大胆なことをしたの?」
「王城でレオン陛下をお待ちになっていたよ」
「後宮とかかしら?」
「君も一枚、噛んでないか?」
「さあ、どうかしら? でも、時間の問題だったでしょう。ソフィアちゃんならお父様も何も言わないと思うけれど」
「当の本人たちが一番そうは思っていないようだけどね……本当に、どうしてこういうところだけはお互い自信がないのか」
「いいじゃない。若い日の恋らしくて」
「それもそうか……」
彼女が公爵令嬢だと本名を明かしたあの日。一夜の夢だったと、そう思うしかなかった。そんな矢先、僕は紆余曲折を経てレオン陛下に出会った。
陛下に誘われた時、陛下自信を、そしてその夢を支えたいと思った。それは確かに本心だけど、他に下心があったことは否定できない。
「あっ、料理が冷めてしまうわね。話は食べながらしましょう」
「それもそうだね……エマ」
「ハリーさん、どうかした……んっ……何よ」
「君が愛おしくなって、ね」
「……夜にして」
「わかってるよ……エマ、ただいま」
「おかえりなさい、ハリー君。無事でよかった」
あの人の元にいれば、いずれ彼女に釣り合う立場が得られるかもしれない。そんな淡い下心があったことも同時に否定できない。そしてその淡い望みはこうして叶った。
今の私は伯爵位を持つ王国宰相だ。公爵家の長女である彼女を娶るのに不足はないし、今ある障害などあのころに比べればないに等しい。
だから改めてこの幸せを与えてくれた陛下に、恩を返す。その一環としては、彼の恋路の手伝いなどむしろ喜んで手伝わせてもらおう。ようやく掴んだ手の愛おしさは誰よりも分かっているから。
「それで雅也……なんで一度、王都に帰ってきたのに、顔を見せに来なかったのかしら?」
「お前……みんな会いたい人がいるのに、俺だけ会ってくるのは不公平だろう」
「ふーん……それだけ?」
「逆に他にどんな理由がある」
王宮でリュエル伯から受け取った伝言と待ち人の話。まあ聞くまでもなく相手はユーフィリア、すなわち詩帆で、閣僚陣に一礼して<座標転移>で一瞬でフィールダー伯爵邸に戻ってきた。そして玄関を入ってすぐ、待ち構えていた詩帆の尋問を受けていた。
「……私に会ったら、戻るのが辛くなるから、とかだったらいいな、と思って」
「……それもあったよ」
「あれ、珍しく雅也が認めた」
「帰ってきて不安そうにしてるところに、無茶苦茶可愛いこと言うお前が悪い」
「……本当に、雅也が無事に帰ってきてくれてよかった」
「ああ、ただいま。詩帆」
そのまま震える彼女を強く抱きしめる。そこでようやく帰ってこれたことを実感できた。
「おかえりなさい、雅也」
「……身内は全員無事に帰せた。今になって、安心して膝から力が抜けそう」
「お疲れ様。今日はゆっくり休もう」
「そうさせてもらうよ」
「ごはんできてるけど……どうする?」
「帰宅した夫への定番の声かけはしてくれないの?」
「絶対やらない……」
そうしてお互い満足するまで体温を分け合ってから、ようやく離れる。お互い薄く染まった頬を冷ましながら、食堂に向かって歩き出す。
「雅也、もうフィールダー子爵家に結婚式の招待状は出したわ。勿論、関連する貴族家や、学院関係者にも」
「……一週間離れただけなのに着々と準備が進んでるな」
「前世では盛大に出来なかった分、せっかく世界有数の派手な結婚式が出来るんだから、思う存分やろうと思って」
「まあ、詩帆が楽しそうなら俺はいいけど」
「あなたも楽しまなきゃ、駄目だからね」
「わかってる」
「そう……あっ、一応後でリストを共有するから、あなたの知人で出せてない人がいたら教えて」
「わかった。他にすることは?」
「いっぱいあるけど……また明日。今日は、その……二人でゆっくりしたいし」
真っ赤になって押し黙る彼女の肩を抱いて、ゆっくりと歩みを進める。俺に体重を預ける彼女の体温を感じながら、思ったことが口から零れる。
「……幸せだ」
「……ええ、私も」
この子を今度こそ一生守ろう。そう誓いながら、俺はようやく平和な我が家に戻れた幸せを心から噛み締めた。
これにて第十章完結です。
一時間後、2023年12月31日13:00に本年最終投稿として閑話を投稿いたします。
ご挨拶は年の瀬の挨拶とあわせて活動報告にて行います。




