第百七十六話 講和会議
「それでだ。ダンジェット卿、帝国側の現在の状況はご理解いただけているな」
「は、はい……」
帝国軍の完全降伏宣言を開戦即日に引き出したルーテミア王国は、一夜明けた翌朝、早速講和会議の席をを設けていた。
「現状の状況を整理しよう。宰相」
「まず、この度の戦争の流れから確認させていただきます。約一ヶ月前、正確な日数で言います二十七日前に帝国より開戦の通知が我が国へ送りつけられました。これは我が国との休戦条約を、王国側の瑕疵条項の無い状態で一方的に破棄したものです。それに関して書状の執筆者である外務卿殿、相違はございますか」
「……いえ、ありません」
帝国軍側の席には、戦場の副官だったダンジェット卿を中心に、横にずらりと貴族達が並んでいる。外交の責任者から軍事の責任者、財務の責任者まで……皮肉なことに半ば脅しのような形で帝国内の貴族の大半が戦場にいた。その内訳には主要な閣僚も含まれており、決定権を持つ人間は全てその場にいた。
「では本戦争の開戦に際しては我が国の瑕疵、我が国の責は一切ないということで異存はありませんね」
「……」
「何か、反論できる根拠をお持ちでしたら、お話しください。この会議はこの度の戦争の全てを清算する会です。我が国に責ある事柄であれば、我が国とて今後の禍根を残さぬよう全て精算する所存です」
「……異存ありません」
帝国の外務卿が力なく頷いた。それを確認してハリーさんが続ける。
「では続けて捕虜の状況を確認させてください。これはお互いに相手方の捕虜を返還するにあたって精算の必要がありますね。軍務卿殿、そちらが確保した王国軍の捕虜の数をお答えいただけますか?」
「……です」
「よく聞こえませんでした。すみませんがハッキリとお願いします」
「0名です……」
「そうでしたね。王国側から捕虜になった者はいませんでした。ではフィルシード軍務相、こちらが現在収監している帝国兵の数は?」
「現在確認しているだけで9万飛んで308名です。戦時の慣習に則って、最低限の待遇は保証しております」
「では捕虜の返還については一方的な処理となりますね……こちらの担当者の方で捕虜の数に対する妥当な引き渡しの保証金を算出していますので、担当者の方で確認をいただいてもよいですかな。その上で、こちらの会議で議決といたしましょう」
まあ言うまでもなく会議は一方的に王国有利なものだ。休戦協定を破棄して一方的に戦端を開いた帝国が戦力の8割近くを捕虜にされたのに対して、王国側の損害は軽微どころかないに等しい。更に帝国の首脳陣は終戦時に拘束され、扱いとしては捕虜となっている。
まさに完全敗北といった様相で、帝国側は余程の不平等条約であっても飲むしか無いと言える。しかも……
「こうした席でお会いすることになるとは大変残念です……私の力不足とは言え、もっと平和的な手段があったのではないかと悔やむばかりです」
「このような時期に、これだけの兵力を組織できるとは羨ましい……我が国は政変直後で資金難でね。当然、資金の有り余っている帝国の財務省だ。我が国の戦費は全額負担してくれるのだろう?」
「今回のことは悲しきことでしたが……ところで帝国側は、我が国の魔道具関連の交易品の通商ルートを自軍で潰したわけですが、今後二度と不要ということでよろしかったかな?」
我が国の百戦錬磨のニーティア外務卿、ローレンス財務卿、フローズ商務卿が同席している。今日の朝、講和会議にあわせて俺が王都に<座標転移>で飛んで、連れてきた。完全に向こうに非がある状態で、大概の要求は通せそうな状況に三人の表情は常に笑顔だ……正直怖い。
「……クライス、ユーフィリア嬢の様子はどうだった?」
「お前、講和会議の途中だぞ」
「ふん。私など最後に決済印だけ押せばいい。向こうの皇帝が存在せず、現最高権力の執政官も更迭された。私の格に合う人間がいない以上、この場で話すことなどない」
左席のハリーさんは、当然正面のダンジェット卿と話をまとめるために忙しなく会話を続けているが、確かに横のレオンは暇なのだろう。勿論、最高戦力として睨みをきかせるだけの俺も暇だ。同様の戦力枠のフィルシード軍務卿は、戦争の後処理であるから向こうの軍務卿と会話を続けているが。
「……はあ。会ってないぞ」
「意外だな。お前なら戦争がこうして片付き次第、すぐにでも会いに行くと思っていたが」
「まだ全部終わってないだろう……短時間なら会えるが、どうせなら全部終わらせて、ゆっくり会いたい」
「そうか……」
「後は、他の兵士やレオンやハリーさんに悪いだろう。俺だけ会ってきたら」
後、詩帆に今会ったら、不安でいっぱいの彼女がしばらく離してくれないだろうという予想もあったりする。
「気遣い感謝する……なら、手早く締結してしまおう」
「ああ。協力できることはしよう」
「頼むぞ、我が右腕」
「今回みたいな仕事の領分は左腕のお仕事だろう」
「……では、この戦争の責、そして損害の補償は全て帝国が負う、ということでよろしかったでしょうか」
ハリーさんの通る声が議場を揺らした。その声に全員が各々進めたいた話を止める。
「帝国の現在の最高決定権を持つダンジェット卿、そしてこちらに宣戦布告の文章を送付した外務卿。お二人が今回の開戦の責は王国に一切無いとおっしゃられました。我が国も、同様の認識をしております。ですので講和会議のスタートラインは、まず今回の戦争の損害……領土損害、人的損害、戦争にかかった費用の保障。それら全ての費用負担を飲んでくださることです」
「……そんな全額負担……」
「敗戦国に、ましてや開戦国に、何か言う権利がおありですか?こちらは完全に被害者ですよ」
「ふざけるな。こんな一方的な条約飲めるか。今回の戦争では負けたが、帝国と王国の戦力差で言うなら現状は圧倒的に……」
「静かにしていただけますか?」
「……」
完全不利な条約。その状況に耐えきれなくなった閣僚の一人が立ち上がり剣を抜く……前に、その腕を石の礫が縫い止めた。激痛に声なき呻きをあげる大臣に睨みをきかせながら。再び静まりかえった議場に今度は俺が声を響かせる。
「全員捕虜にしてやったことを、運が良かったと思っていただきたいですね……殺す方が簡単なんですよ」
先程の一瞬、帝国側は勿論、王国側の人間も誰一人動けなかった。思考の加速に、身体能力強化までかけた状態で、俺の魔術発動より早く動くのは、それこそ光で無ければ無理だ。
さて、この戦争で散々恐怖を植え付けた化物の化物じみた行動、それを見た上でその化物に敵視され、そしていつでも殺せることを示されて……そうして反論できる奴がいるなら、むしろ尊敬するよ。
「ダンジェット卿……捕虜の返還、国境線の定義確認、安全保障条約、通商条約。それら全て、この話を通してからです。いかがですかな」
「……条件の詳細を確認させてください」
半ば脅迫だが、今回ばかりは原因が向こうにある。さてせいぜい交渉優位になるよう散々脅させてもらおう。趣味ではないが、どのみち向こうはいずれは飲むしかないのだ。十万近い捕虜を早急に解放できねば、困るのは帝国側なのだから。ならスピード議決に繋げている俺は、むしろ褒められたいくらいだ。
「……最終確認ですが、この場の最高決定権はダンジェット卿がお持ち、と言う理解で相違ないですね」
「は、はい……ヴァローテン公は、その、この場におられる状況ではありませんでしたので」
ヴァローテン公。帝国側の陣地で喚いていた確か帝国の執政官。皇帝不在の国の全権を牛耳っていたようだが……帝国上層部は、今回の戦争の責任を取らせて更迭する気満々のようだ。まあどう見ても一国の長の器ではなかったから妥当か。最後の発言を聞くに早急に消えた方が良さそうだというのには完全同意する。
「では、あなたがこの書状にサインいただいた。これは帝国が今回の戦争責任を全面的に認める、そう結論づけますがよろしいいですかな」
「……それ以外に言いようがないでしょう。どのように取り繕っても、これ以上我が国の行為をよく言うことは出来ません。王国側には全面的に降伏、謝罪するほかありません」
「……侵攻に際して、色々と帝国の中でもあったことは把握しています。国同士の争いですから、それで首脳陣の責任を追及しない、などとは言いませんが」
この場の閣僚の中にも家族を人質に取られ、不本意に戦争に参加した者もいただろう。個人の行為であれば情状酌量もするが、ことが国家間戦争に至った以上、そこに情けはかけない。それはルーテミアという国を揺るがす行為だから。
「内政干渉はする気はありませんので、これ以上、この会話は不要ですね。陛下、ご確認ください」
「ああ……確かに」
「陛下、ありがとうございます。これで今回の戦争の両国間の認識が揃いました。後は担当閣僚と担当官僚で戦費負担交渉並びに、国境維持、通商条約について話を進めましょう……ダンジェット卿、私達は講和条約の策定に移りましょう」
ハリーさんのその言葉に、各閣僚陣が官僚を引き連れ、帝国側の人員も連れて、場所を移動していく。ここから先は本当に面倒な政治の世界だろう。俺は今回はすることはなさそうだ……
「フィールダー卿。捕虜収容はあの人数となると大きな負担です。捕虜解放の保証金の交渉は私と財務卿で進めますが、平行して軍務卿と共同で捕虜解放の算段を進めてください」
「……承知しました」
と、サボらせてはもらえないらしい……当然か。
「フィルシード軍務卿には、この後の国境保全条約の打ち合わせもありますので、基本的にはフィールダー卿に担当をお願いいたします」
「承知いたしました……捕虜返還の帝国側の担当者は、軍務省の閣僚か」
帝国側の人員に目を向けると、かなりの勢いでビクッと固まった……そりゃあ相当な恐怖を与えた自覚はあるけども、そこまで反応しなくてもよくないか?
「……敵対行為。明確な障害行為をしない限りは、こちらも何もしないさ。俺だって血を見るのは本意じゃない」
「は、はあ……」
「じゃあ取り急ぎ打ち合わせを始めよう」
怯える閣僚達と捕虜開放手順の交渉を進めながら、俺は何となく前世で幾度となく呼び出された研究倫理審査会の議場の様子を思い出していた……
―――三日後
「では、この内容でルーテミア王国としては異存ない」
「帝国側も異存ございません」
「では主締結条項のみ読み上げさせていただきます」
大規模な戦争の講和会議。ほぼ一瞬で片のついた戦争とは裏腹に、会議には三日を要した。それでも帝国側が譲歩を引き出す余地が皆無のため、この規模にしてみれば非常に短く済んだ方だとハリーさんが昨日の夜に死んだ目で言っていた。
「戦費、捕虜の補償費、戦争賠償金。それら全てを合算し王国に帝国が支払う総額は20兆アドルとする。なお一括賠償が困難であることは明白であるため、今回の戦争によって生じた直接的な費用、損害金のみ速やかな支払いとし、残りの額に関しては年額最低5000億アドル以上を支払うものとする」
帝国側に請求する総額は、現代的に言うなら200兆円……日本の国債額レベルだ。その規模感の通り、帝国のような大国でも一括返済は困難であり、分割支払を求めることになる。
「なお最低支払額を元に算出する返済期間40年の間は、この賠償金に一切の利子を発生させないものとする。またこの賠償については現金、貴金属等での直接的返済に加えて、国家間取引の際の優遇措置等により王国側の金銭的負担を軽減させることによる間接的な支払も可能とする」
一件、帝国に配慮したかのような一文だが、これは言い換えれば完済するまでは帝国優位な交易が出来ると思うなよというローレンス財務卿、フローズ商務卿が帝国にかけた更なる枷だ。
「賠償項目についての詳細は省略いたします。続けて捕虜の返還については、双方の合意事項の元に解放を行う。この際、抵抗をした者の処遇については王国に処遇を一任するものとする。またこれによって損害が発生した場合は、先の損害賠償項目に追加する」
その後も国境の再定義、休戦条約、外交正常化について、通商条約についてと、ハリーさんの読み上げが続く。
「以上。本講和会議における制定事項です。両国、異存のある方はいらっしゃいますか」
「……」
「……」
帝国に利など一分もなく、王国の利しか存在しない条約。しかし誰も口を挟む者はいない。その反論はこの数日の激論で吐き尽くされ、帝国側は出来るだけの譲歩を引き出した。むしろ俺に注がれる視線を含めて、早く帝国に戻りたいというのが彼らの本音だろう。
「ないようですね。では、陛下、ダンジェット卿、署名を」
双方に作成された停戦条約に代表者が署名する。それを確認して宰相の声が響く。
「本講和条約は無事、締結されました。これにて本戦争に関わる全ての抗争の終結を宣言いたします」
こうして短い中で色々とあった、この戦争はようやく終結した。
次回投稿は12月24日21:00を予定しています。
初年度ぶりのクリスマス特別編です。余談ですが主人公の話ではありません。




