第百六十六話 敵を見据えて
何とか間に合いました……
「ふむ、確かにこの土壌の水分量は豊富ですね。直近では雨が少なかったと聞いていましたが……サンプル持ち帰ろ」
さて戦場、リーディア子爵領軍と合流した俺達は、土を見て気持ちの悪い笑顔を浮かべているレンド男爵を眺めていた。さて、ここで一旦話をリーディア子爵との合流にまで戻そう。
「陛下。このような辺境の戦場にまで来てくださったこと、我ら一同、心より感謝しております。また、非常に心強く」
「リーディア子爵、ありがとう。だが、今は戦時下だ。儀礼は不要だ、状況を報告してくれ」
「はい、現在の状況は先刻のご報告から変化はありません。未だ、レードライン帝国軍の本体は、川向こうに本陣を構えており、遊撃隊などの積極的侵攻も確認できていません。
リーディア子爵領軍と合流した俺達は、まず全身鎧に身を包んだリーディア子爵に挨拶をされていた。リーディア子爵は五十歳くらいだと思うのだが、がっしりとした体つきと濃い髭を蓄えた、さすが帝国との実質的な唯一の国境に居を構える領主という風格に満ちた姿をしていた。
「そうか。それで指示した現地調査は」
「滞りなく……これで何が分かるのかはわかりませんが」
「その成果物は、そちらの方に渡してください。私達でもよくわかりませんので……」
「指示をした宰相閣下もよくわかっていない……まあ、よくわかりませんがそちらは……確かレンド農務相だったか。農務相がなぜ戦場に?」
「それは私が聞きたいです」
「とにかく成果物を渡して頂ければ大丈夫ですので」
「わかりました。おい、例のものを持ってこい」
リーディア子爵が部下にかけた声で思わずビクッとなっているレンド農務相を見ると、計画の要としてここに呼んだ俺自身も不安になってきた……まあ、頑張ってもらうしかないのだが。その様子に余計に怪訝な顔をしている子爵に挨拶をしておこう。
「リーディア子爵、お久しぶりです。このたび軍務相を陛下より拝命いたしました。ご挨拶が遅れて申し訳ない」
「フィルシード卿、いやフィルシード軍務相か。久々だな。戦場を共にしたのは前の帝国戦か……何にせよ、あなたがこの戦場にいるだけで頼もしいよ。そしてそちらが……」
「ご挨拶が遅れまして失礼いたしました。この度レオン陛下より伯爵位を賜りました、魔術省大臣兼王宮筆頭魔術師のクライス・フォン・ヴェルディド・フィールダーと申します」
「あなたが、あの魔王戦争の、そして王都の例の事件の立役者の……お力添え、心より感謝いたします」
リーディア子爵と握手を交わす……その手の力強さに驚く。父親の手といった感じがした。父親という存在と幼少期は縁遠かった俺らしい感想かも知れない。
「それで、概要は着いてからとのことだったが、戦力損耗を可能な限り抑える新戦術とは?」
「ええ。戦術のご説明は私と、フィールダー魔術相の方からいたします」
「立案は僕が、それを軍で運用できる形にはフィルシード卿がしてくださいました」
「なるほど……王国きっての魔術師が立案し、フィルシード卿が立てた戦術、これは期待できますな」
「私はあくまで軍事の素人ですので」
「同じく、大規模戦闘の指揮計画など、私も未経験です。その点については子爵のお知恵を拝借できればと」
「勿論です。少しでも民を傷つけず勝てるというのなら全力で挑ませて頂きましょう」
「ええ。では、まずは……」
「おお。すごくいい土ですね。これが山岳斜面にあるんですか……」
説明を始めようとしたフィルシード卿の言葉に被さるように、背後からレンド農務相の声がした。振り向くと……
「その隣に、このような完全に農業的には役立たない土壌が……ですが、これはこれで……おっ、平地まで降りるとこのようになるのですか、元々川のあった土壌故ですか」
先程までとは打って変わって、レンド農務相が饒舌に一人言を言いながら、土を見ていた。
「あの、これは一体……南端山脈周辺の土を集めろとは言われましたが」
「今回の戦術ではリフィル渓谷南部の土壌が鍵になるんですよ」
「……それと、あのきも……熱心な土の品評が何の関係が?」
「周辺土壌の状況を性格に割り出すことで、今回の仕掛けを施す場所が変わるんですよ」
「は、はあ……」
「あの人は、あんな変人ですが王国内の詳細な土壌分布を全て頭に入れていますから……」
「確かに測量は軍務省と農務省の管轄ですが……」
「仕事というか、趣味だと思いますけどね」
ルーテミア王国では戦術的観点の地図と、穀物生産観点の二種の地図があり、用途に応じて作成の責任省が異なる。前者は軍務省で、後者は農務省だ。
そして農務省の管轄範囲であるだけでなく、レンド農務相は超がつくほどの農業オタクである。それこそ国内全ての土壌分布を空で言えるほどに。同時に……
「あの人、土を食べてませんか……」
「土を食べることで、土質が分かる農業従事者は一定数いますからね……内部の水分量や、肥料の組成まで言い当てる人間は滅多にいませんが……農業オタクとして貴族内では割と嘲笑の対象だったんですが、それを由来でレオン陛下が引き抜きましたからね」
「あの農業狂いのレンド卿ありきで、今回の計画を立てましたからな」
「……とにかく、あれは必要なことだというのが分かれば問題ありません」
「はい。ひとまずあの方はあのままでかまいません。続きを説明します」
「はい、お願いします」
こうして土を噛み締めて、奇妙な笑顔を浮かべるレンド男爵を放置して、リーディア子爵と、子爵軍の指揮官達を交えて戦術の説明を進めていく俺達だった。
「<遠隔視>……うん、動きは相変わらずないな」
「クライス。お前が監視しなくても、きっちりと偵察や監視は出しているぞ。おまえはそれより作戦の監視をしていろ」
「してるよ……でも、あっちは指示を出してしまって、レンド男爵が見てる以上やることはないからな。戦術は独特だけど、やることは多少魔術を使うっていってもただの土木工事だし」
リーディア子爵、そして実際に作業を行う子爵領軍や、王国軍の兵士達、そして部下の魔術師達に指示を出した俺は暇になってしまい、陣地から少し離れた丘の上で帝国軍が陣取る川向こうを眺めていた。そこに同じく暇になったのだろうレオンが後ろから声をかけてきた。
「指揮官……いや王や貴族などそんなものだぞ。お前は少々特殊かもしれないが」
「まあ、今回に関しては俺が出ずに済むのが一番だとは思ってるよ」
「それはそうだな。だがウズウズしているように見えるぞ」
「……対人戦で試してみたい魔術はいくつもあるからな。実際に戦場という環境下で通じるのか、効果はどれほどかデータは欲しいし」
「やっぱりお前は研究者なんだな……」
「どういう意味だよ」
「そういう時折見せる狂気が、な」
「……」
生まれついての学者だからな……とはこの世界では言いたくない。前世でさんざん、変な色眼鏡で見られたから。次元層の狭間の量子データの研究で、独立するまであの家の名前が出されるのが苦痛だった。あのことの繋がりは名前だけで十分だし。
「お前、研究馬鹿って言うのは許すのに、狂気という言葉を使うと嫌がるな」
「……嫌われるぞ」
「お前以外にはしないよ。戦争前で全く関係ない話をしたくてな。ユーフィリア嬢や、ソフィアの前では絶対聞けないと思ったから聞いてみた」
「……前世の、俺の生家は狂ったレベルの学者家系だったんだよ。色々あって家を離れたが、いつまで経っても、転生してすらその血を感じる、その狂気を……決別したはずなのに、そうあるのが複雑なだけだよ」
「血の呪いか……」
だがこの場所でレオンには喋ってもいいかと思った。
「ああ。死んでも逃れられないみたいだぞ」
「ふん、今更逃げる気もない」
同じように血の呪いを味わう王族のレオンになら。
「まあ、そういう話だよ……よし、この話は終わりだ。次は俺から質問させてもらう」
「……まあマナー違反な質問をしたし、余程のことでなければ答えるさ。なんだ?」
「ずばりソフィア嬢との馴れ初め、いや好きになったキッカケは?」
男二人なら、こういうときは猥談か、想い人に対する聞き取りに限る。顔でも真っ赤にしてくれないかなと思っていたら、レオンは非常に怪訝な顔をしていた。
「お前、戦場で異性の話をすると死に近づくって話、知らないのか?」
「……あっ、やっぱこっちの世界でもそういう話あるんだ」
「お前の世界にもあるんだな」
「ああ。俺、この戦争が終わったら結婚するんだ……って有名なフレーズがある」
「お前、ドンピシャじゃないか」
「ああ。だが、その程度へし折るさ。魔術師だからな」
「それもそうか」
「それに……むしろ言った方が、死んでも生き残ってやろうと思えるだろ」
俺は、このフラグの話を知っててもこのタイプだ。詩帆のためなら死ねない、それが生きる理由になる……まあ、ここ最近の極限状況下で何度、詩帆に謝ったかという状況だが、何だかんだ生き残ってるからセーフと言うことで。
「……俺に媚びへつらうやつしかいなかったんだ」
「ん?」
「あの会場で、作った笑顔を浮かべてる子がいて、その子が初めての社交の場だと知った」
「……」
「ハリーに無茶を言って、二人きりになった。その子にも無茶を言って、友達になった」
「……」
「そうなっても、ずっと硬い笑顔で覆ってるけど、嘘はつかないでいてくれた。だんだん私のことが分かってきたら、発言に容赦がなくなってきた。初めて私を名前で呼んでくれた同世代だった。何より……」
レオンが誰について、何について話しているのか直ぐにわかった。でも、冷やかす気にもなれない。それは政争の狭間で笑っているレオン陛下ではなく、十六歳の少年レオンの純朴な恋心だと感じたから。
「……何より、時折見せる心からの笑顔を守りたいと思ったから。自分の手で……これで満足か」
「……ああ、ちゃんと戻らないとな」
「当たり前だ!」
「じゃあ、俺は先に戻ってるよ。その顔の赤さはなおしてこいよ」
「誰のせいだ」
レオンの声を無視して、周囲に結界を展開し、召喚魔術を起動する。そしてレオンの傍に姿を消したホルスを付ける。
尚更、元気に帰らないとと思いながら俺は作業の確認に、レンド男爵が指揮する現場に転移した。
次回投稿は10月9日21:00です。
この投稿で、遅れに遅れた投稿予定の修正完了の予定です。




