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異世界でも貴女と研究だけを愛する  作者: 香宮 浩幸
第九章 つかの間の平穏と来訪者
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湊崎雅也の回顧録 ~華~

投稿が遅れまして申し訳ありません。


「洲川詩帆君。来てくれてありがとう」

「はい。その、このような格好で申し訳ありません」

「いや、かまわないよ。私が急に呼び出したわけだからね」


大学三年生の夏。休日の夕方、教務部を経由して私はとある人物の部屋に呼び出されていた。


「すみません……それで、あの、先日の脳神経外科学のレポートに何か不備がありましたでしょうか」

「いや。あれの方はよくできていたよ。むしろ近年見る中でも、非常によい出来だった」

「はあ……では、神経精神医学の試験でしょうか。呼び出されるような点でしたか?」

「いや、それでもない。今日呼び出したのは、学業成績とは何ら関係ないよ、安心してくれ」

「でしたら、私は何故急に呼び出されたのでしょうか、藤川先生」


私を呼び出した人物は藤川直久ふじかわ なおゆき先生。世界的に名の通った脳外科医であり、精神医学にも精通した脳神経医学の一大権威だ。温和な雰囲気とは対照的に、今までの執刀症例数は国内有数の、医師の卵の私からしたら雲の上の人物だ。


「ある意味、すごく個人的な話だよ」

「個人的な?藤川教授と個人的な関わりと言われましても、心当たりがないのですが」

「君はまだ幼かったからね。仕方ないかもしれない……君のお母様の名前は洲川澪すがわ みおさん、で間違いないかな?」

「あっていますが、それが何か……まさか?」

「彼女は……私の患者だった」


私の母、洲川澪は生前、脳腫瘍を患っていた。発見したときには既に手遅れであり、父は母が死ぬ前に一緒に添い遂げたいと、私一人を置いて母と無理心中に至った……


「あのような形になってしまって、救えなくて……本当にすまない」

「藤川先生が謝られることではありません。現代医学で、どうにもならないことは数多くあります。それこそ、母は魔法や奇跡が起こらなければ助けることが叶わなかった。不運だっただけです」

「十六年前の私に、もっと技術があれば延命はなったかもしれない……そして、あの結果に繋がってしまったことは、私のケアが足りなかったという完全な私の責任だ」

「……あの決断をしたのは、私の両親です。それを当時の主治医の先生に責任を問うことなんてしません」


藤川先生だって、その当時は20代だろう。まだまだ若手だった先生は、勿論上級医師に判断を仰いだだろうし、絶対に先生一人の責任であるはずがない。そもそも藤川先生が治療不能を告げていたとしても……


「悪いのは、私を置いて死ぬという判断を下した両親だけです。ましてや自動車事故で、他人に迷惑までかけて……許せないのは、ただ、それだけです」

「……」

「だから、藤川先生は謝らないでください。先生ほどのお医者さんなら、当時も全力を尽くしてくれたに違いないと思っていますから」

「……すまない。そして、君が生きていてくれて、それだけで本当に、ありがとう……」

「色々ありましたけどね。でも、とある人がどうにか引き戻してくれました」

「……湊崎雅也君か」

「はい……って、何で藤川先生がご存じなんですか?」


私と雅也の交際が、大学内で話題になっていることは知っていた。でも、いくらなんでも医学部の教授にまで話が広まっているなんて……


「湊崎君が所属しているゼミの担当教員が、昔からの馴染みでね、酒の席でたまたま聞いてね……その時は、あの洲川さんの娘さんだとは思わなかったが」

「……なぜ、気づいたんですか?」

「講義で君を見つけたとき、お母様にそっくりだと思ってね。それで、名字を見て、気づいた」

「そうですか……」


母は美人だった。その遺伝子を色濃く継いだのか、私もそれなりに美人だとは自負している。でも、そのことは一つの恐怖をもって私につきまとっていた。美しかった母は、父の重い愛と添い遂げた……私も、雅也をそうしてしまわないか時に不安になるのだ。


「……医学部に来たのは、お母様のことが理由かい?」

「はい。病気は、母も父も奪っていきましたから……」

「そうか……」

「後、志望は叶うなら卒業後は藤川先生のもとで学ばせていただきたいです」

「……理由は?」

「遺伝性脳腫瘍」


私の告げた病名に、藤川先生の顔色が変わった。そして、机の引き出しを開けると封筒を取り出し、私に差し出してくる。


「あの、これは?」

「……前の病院のカルテ、見に行ったのかい?」

「……大学に入ってから、母が本当に不治の病だったのか知りたくて、入院していた病院に確認に行きました。主治医である藤川先生はもういらっしゃらなかったので、少し面倒にはなりましたが、友人が手助けをしてくれたので」

「……そうか。なら必要はないかもしれないが、これがお母さんのカルテだ」

「ありがとうございます……それで、母の病名は事実なんですか?」

「ああ。見つかったときには既に末期で、その直後に病院を抜け出して……あの心中に繋がったから、詳細な検査は全て行えたわけではないが、その可能性はそれなりにある」


渡されたカルテを受け取りながら、藤川先生の発言に一つ、おかしな点があることに気がついた。


「待ってください。藤川先生、心中っておっしゃいましたか?」

「ああ。あの事件は事故として処理されたね……警察は私達が何を言っても聞く耳を持たないどころか、彼女の治療記録を破棄しろと脅されたよ。口外禁止を条件に破棄は免れたがね」

「なぜ破棄されなかったんですか?」

「……警察が隠蔽した以上、こうしていつの日か、君に真実を告げるためだよ。君の叔母さんとはご葬儀でお会いしてね。その時に、娘さんが成人したら私の元に連絡をしてくれと伝えていた……まあ、結局はもっと早くに君は知ってしまった訳だがね」

「……藤川先生、ありがとうございます。最後まで治療しようとしてくださって」

「自身の治療の不備のせめてもの罪滅ぼしをしたかった……ただの自己満足だよ」


母を、残された私を最後まで何とかしようとしてくれた。その事実を知れて本当によかった。


「それで、母の脳腫瘍が遺伝性である確証はどの程度なんですか?」

「当時の検査技術もそうだが、あまりにも検査数が足りない。だが、可能性は低くはない……君には悪い知らせだね」

「いえ、分かっていれば取りうる対策はありますし……その、藤川先生」

「ああ。近日中に君の検査はしよう。そして、君が僕のもとで学べるよう便宜もはかろう……いつか君の手で、君の病を克服できるようにね」


私は医者になる。母と同じように苦しむ人を救うため、そして……


「雅也とお互い、老けてボケるまで添い遂げるために御力を貸してください」

「勿論だ。全力を尽くそう……もう、同じ轍は踏まない」

「お願いします」

「ああ……」


部屋を沈黙が包む。そうして数秒、藤川先生が孫を見るような優しい目で私の服装に目を向けた。


「そういえば、今日は花火大会があったね」

「はい。なので、こんな服装で来てしまって……」


私の服装はそう、浴衣姿だった。この後、雅也と合流して花火大会に行く予定だったので……こんな格好で行っていいのか迷ったけど、だってもう1回着付けする時間はさすがになかったし……


「お相手は、件の雅也くんかな?」

「はい……」

「そうか。まあ、今すぐどうこうできることもない。学生時代だ、楽しむのも勉強だよ」

「は、はい……」

「ふふ……生きたいと思うこと、そして生きていく意味を知ることは、人として、医者として大切なことだ。楽しんできなさい」


最後に少し恥ずかしい訓辞を貰って、私は藤川先生の部屋を後にした。




「ごめん雅也、遅くなった」

「いや、俺も先生に絡まれてて、今来たところだから大丈夫だよ」


花火大会の会場近くの駅前、そこで本を読みながら待っていた雅也は、私の姿を見つけると本を閉じてこちらに向かってきて、私に手を伸ばす。私は、その手を躊躇いなく掴んだ。


「そんなに急いでこなくてよかったのに」

「いや、浴衣慣れてないだろうし、俺を待たせてると思ったら詩帆、知らず知らずに急いじゃうだろうから」

「そんな子供みたいな気遣いしなくていいわよ」

「大切な彼女への対応だよ」

「……じゃあ、その大切な彼女に何か言うことは?」

「浴衣、綺麗だね、すごく似合ってるよ」

「合格」


最初に余計なことを言うのは相変わらずだけれど、欲しい言葉をちゃんとくれたので、許してあげよう。


「それで、何か教授に急に呼び出されたとか言ってたけど、何かあったのか?」

「成績的な話じゃなかったわ。ただ、その、色々と複雑な話になったから……」

「わかった。また後日聞かせてくれ。今日は気にせず楽しもう」

「……うん」


藤川先生との話は、きちんと雅也に話しておきたい。あの頃の私に手を差し伸べようとしてくれていた人がいたこと、そして私の母のこと、そして私自身のリスクのこと。


「ただ……雅也」

「なんだ?」

「……もし、私が死にそうになったら、あなたはどうする?」

「告白の前にも聞かれたな。答えは変わらないよ、死のうとするなら手を引っ張って助ける。病気だとかなら、どんな手を使っても三途の川から連れ戻す」

「うん、でも、どうやっても私が助からないとしたら……」


母は病気が発覚したときには手遅れだった。私は、これから定期的に検査するだろうし、藤川先生という権威もついている。仮に遺伝があったとしても、早期発見で助かる見込は高い。でも、でも、今日の話でまた万が一、ということが脳裏に浮かんでしまった。


「詩帆の後を追う心配か? 詩帆には悪いけど、そうなったら俺は大往生して、散々土産話を作って、天国に行くよ」

「うん。そうだよね、雅也ならそう言うよね」

「何があって不安になったのか知らないけど……俺は詩帆が本当に嫌うことは絶対にしない」


私の両肩を掴んで、真っ直ぐに目を見て、そう言い切ってくれた。ああ、雅也だ。


「……私、雅也を選んでよかった」

「当たり前だ。もう詩帆が嫌だと言っても、手放す気はないよ」

「うん……そうして」


気がついたら雅也の胸の中に飛び込んでいた。そして、雅也も私を抱きしめてくれた……ああ、きっと私はこの先何があっても大丈夫だ。


「……あの、詩帆」

「何?」

「色々とあったんだろうけど、とりあえず場所を思い出してくれ」

「場所……あっ」


色々不安になって忘れていたけど、ここは駅前の広場だった。しかも花火大会前の人のすごく多い……


「っっ……」

「照れるのはわかるが、俺の胸に顔を埋めて動かなくなるな。ほら、行くぞ」


一瞬顔を上げたら周りから生暖かい視線を向けられていた。そのせいで一気に熱くなった顔を私を上げることができない。そのまま私は雅也に手を引かれて、頭が真っ白のまま歩き出す……




「……雅也、ごめん」

「別にいい。落ち着いたか?」

「うん」


私の顔のほてりが冷めて、顔を上げられるようになる頃には屋台の並ぶ通りに辿り着いていた。


「まだ花火の打ち上げまでは時間があるし、屋台見ていこうか」

「うん……ちょっとやけ食いしたい気分だから、屋台飯の定番、総なめするわ」

「後で後悔するなよ」

「うるさい」


祭りの喧噪の中を、雅也とともに歩く。ああ、私は幸せだ。願わくは、この幸せがずっと続きますように……


「ねえ、雅也」

「なんだ?」

「ところで担当教員に、私の話、どこまでしてるの?」

「……どうしてそれを?」

「ねえ、何か変なこと言ってない?」

「いや、独身貴族を謳歌している童貞教授に、マウント取ってるだけで」

「詳しく話した内容喋りなさい」

次話投稿は9月30日(土)21:00を予定しております。

本日更新分の続きとなります。また次話をもちまして第九章最終更新となります。

登場人物紹介を挟んで、10月からは第十章の更新に移る予定です。

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