賢者編 スリフside ~異国市~
「うう……」
「スリフちゃん、大丈夫よ、可愛いから」
「そういうの、慣れてないですから……」
体感にして三時間くらい……だと、思ったけど、時計を見たら一時間もかかっていなかったみたいだ。
「おっ、終わったか。よし、じゃあ行こう」
「マーリス、帰ってから続きはやるからね。それから奢りの件、忘れるなよ」
「わかってるよ」
「また<思考加速>かけて、チェスやってたの?」
「ああ。僕の連勝記録がそろそろ500に行きそうだよ」
「マーリス君、たぶん一生勝てないから賭けるのやめたら?」
「うるせえ」
私がセーラさんとラニアさんに着せ替え人形にされていた間、マーリスとメビウスはチェスをしていて、ジェニスさんは読書、そしておじいちゃんは自室に戻ったみたいだ。いつもの家なのに落ち着かなくて周りを見渡していると、メビウスがいつの間にか隣に来ていました。
「スリフちゃん、よく似合ってるよ」
「っっ……あ、ありがとうございま……」
「普段、ローブが黒だからか、白系統は珍しいけど……うん髪の色との対比で益々映えるね」
「は、はい……」
「普段は綺麗な髪で顔があまり見えないけど、すごく可愛いんだから、普段からそうした方がいいよ。勿体ない」
「……」
「メビウス、止まれ。スリフちゃんがフリーズしてる」
一時間の長い時間の末、私の服はモスグリーンのロングスカートにワイシャツを合わせて、シャツの上にクリーム色のカーディガンを羽織る形に落ち着きました。
長すぎてたまに鬱陶しいけど、切りたくない髪は軽く梳かれて、後ろで緩くまとめてもらいました。
しかし、なんでセーラさんも、ラニアさんも私の身長に合う洋服をあんなに持っているんでしょうか……
「可愛い人に、それを言うのは当然だろう」
「お前、いつか刺されるぞ?」
「そこら辺は弁えてるよ。セーラとスリフちゃんにしか言わないさ」
「あら、私は?」
「ジェニスさんの嫉妬は買いたくないので」
「そう、それなら仕方ないわね。あなた、褒めて!」
メビウス……本当にああいうのは心臓に悪いのでやめて欲しいです。べ、別に嬉しくないわけではないんですが……彼に言われるのは色々複雑ですから。
「マーリス君……」
「ん?」
「どう、かな?」
「……ああ、セーラは何着ても可愛い」
「っっ……って違う。メビウス君までとは言わないけど、もう少し具体的に」
「セーラの清楚な印象と、快活な印象が両方見えるファッションですごく素敵だよ……マーリス、今度、女性を褒めるコツを教えようか?」
「魔術講義ならともかく、それだけはお前の指導は受けたくない」
セーラさんは気づいていないみたいですが、メビウスさんは今でもセーラさんのことを想っているはずです。そんなことを全く悟らせず、親友のマーリスさんの背中を押す姿を見ていると、とてもじゃないけど自分への可愛いは、素直に喜べません。
「スリフちゃん。言葉に他意はないから、素直に受け取ってもらっていいよ……というか、受け取って欲しい」
「……はい」
「君が可愛いのは事実だから」
「……っつ」
「おい、ロリコン。いつまでも年下を口説いてないで行くぞ」
「誰がロリコンだって……スリフちゃん、行こう」
「は、はい」
メビウスさんに手を引かれ、私は久々の……本当に久々の外出に出かけました。
「人……多い、多すぎます」
「逆にここまで人が多いと、人混みへの恐怖というか、圧死しそうで怖いな」
「本当にすごい……一大イベントなんだね」
「これだけ人がいると、目当ての店を探すだけでも一苦労だね……」
メビウスに手を引かれ、マーリスとセーラに先導されて訪れた異国市の会場は、地面が見えないほど人の姿で溢れていました。
「で、どうするんだ?」
「どうって?」
「市場の配置のルールもよく分からない……まあ、この雑多な感じを見るとたぶんないんだろうけど、だからとりあえずあれこれ見て回るのが正解かな」
「まあ、そうなるか。俺達は目的ないし、依頼者はパニックだし」
「マーリス君とメビウス君って、そういうニュアンス伝わるの……ズルい」
マーリス達は幼馴染特有の会話をしていて、そのいつもの空気感にほんの少しだけ落ち着きました……まだ、足の震えは止まりませんけど。
「スリフちゃん、大丈夫かい?無理はさせたくないから、いつでも言ってね」
「メビウス……」
「うん。焦らないでいいよ」
気がつくと前にいたマーリスとセーラは歩き出していて、私の手を握ったメビウスが私をすごく優しい目で見下ろしていました。これ以上、心配をかけたくなくて、でもやっぱり不安な私はメビウスの手を強く掴んで、顔を上げました。
「メビウス……手、絶対に離さないで下さい」
「……うん、勿論」
「嫌、ですか?」
「むしろ嬉しいよ。じゃあ、行こう」
「は、はい」
私の一瞬の逡巡の後に発した言葉に、珍しくメビウスの反応が遅れました。でも珍しい反応は一瞬で、何事もなかったように私の手を引いて歩き出しました。その手を引く強さが、なんだかいつもより強かった気がするのですが……気のせい、ですかね?
「おっ、あっちの方からいい匂いがする」
「本当だ……よさげな店があったら、そこでお昼かな、今日は」
「俺としてはセーラとメビウスがいる時点で、その選択肢しかないな」
「レパートリーに加えろってこと……あんまり凝ったのは一朝一夕じゃ無理だよ?」
「別に凝った料理の店じゃなくてもいいんだが……」
「えっ。せっかく普段食べられない料理のお店に行くなら、凝った料理がいいな」
「セーラがそう言うなら、そうするか」
メビウスと共に、前の二人の声が近づく距離まで追いつくと、二人が手を繋いで仲睦まじい会話をしていました。それを見るメビウスの顔色には、変化はありませんでしたが、少し歩く速度が落ちました。
「メビウス。あちらに興味のありそうな露店があるのですが……」
「ああ、行ってみる?」
「できれば見ていきたいです」
「わかった。マーリス、セーラ……」
「全員を私の買い物に巻き込もうとも思いませんし、メビウスだけ付き合っていただければいいですよ」
「メビウス、呼んだか?」
「……スリフちゃんと、そこの露店見てくるから」
「わかった……って、これこの後合流でき……」
私の意図が分かったのか、マーリスの返答を聞き終わる前にメビウスは私の手を引いて雑踏に紛れました。
「ごめんね。スリフちゃん」
「いえ。私はメビウスを独占させてもらいますので」
「そうか。うん、今日は付き合うよ。無理に連れ出したのも僕たちだしね」
「ありがとうございます……あっ」
「ん、どうかした」
「えっと、その……今だけ、お兄ちゃん呼びでもいいですか?」
「今だけじゃなく、ずっと呼んでいいよ」
「マーリス達がいるときは……恥ずかしいです」
「わかったよ。行こうか……スー」
「何で、メビウスさんまで愛称呼びになるんですか?」
「嫌かい?」
「……好きにしてください……お兄ちゃん」
メビウスの方が見れなくて、私はメビウスの手を引っ張って、人混みの少ない方に向かって歩を進めました。路地に入ると、まだ店は続いていましたが、人の気配は格段に減りました。そして、打っている者も食品や、工芸品ではなく……
「うーん、一歩入っただけなのに、一気に怪しい並びになったね?」
「でも、私の探していた物はこちらの方が見つかりそうです」
「スー、気づいてこっちに来たの?」
「空間魔力の感じは見てました」
「空間魔力の感じ?」
「はい。人間に限らず、生物は一定量の魔力を保有しています。人には感じることができないほどですが、多くの人がいる場所は空間魔力にノイズが走るというか、微少の異なる魔力同士が干渉を引き起こすんです」
「なるほど……流石は空間魔術の権威」
普段は、私に何でも教えてくれるメビウスに、この分野だけは立場が変わったようで、少し誇らしいです。
「後、もう一つ見ていたものがあるんです……その、お兄ちゃん」
「何?」
「あの店の店員さんに声をかけてください」
「一番右から二番目の店かな?」
「……メビウスなら流石に気づきますか」
「ああ。あの店の店員、魔術師だね。そして売ってるものも……」
「ええ。あれは本物です」
私がもう一つ見ていたもの、それは強い魔力を発する魔道具や、魔術師の存在。だからこの場所は少しグレーな魔術関連の品がありそうだと睨んだんです。
「店員さん、ちょっと見せてもらうね」
「……ご自由に」
「まず、店員さんの後ろに置いてある袋の中身をもらいたいかな」
「……お兄さん、何者ですか……ああ、なるほど。こんな店にも来るんですね、どうぞ」
「どうも。スー、どう?」
「はい、純度も高いですね……袋一杯買っていきたいです」
「店員さん、袋全部もらっていきたいんだけど、いくら?」
「……金貨五十枚ってとこですが、まけますよ。金貨四十五枚でどうでしょう」
「スー、どう?」
「ルーテミアで正規価格で買えば倍はします」
金貨四十五枚で四十五万アドル、王都の宿が素泊まりで銀貨一枚千アドル程なので、とんでもない大金だけど……
「……金貨四十五枚です」
「こんな歳の子に、即金で出されると感覚が麻痺してしまいそうですね……まいどです」
七賢者ぐらいの魔術師なら、ちょっと竜を狩ってくれば、その十倍は簡単に稼げてしまう。私の金銭感覚はたぶんおかしいけど、お爺ちゃんやラニアさんが、この国での相場や、平民の生活費を教えてくれているので、おかしいということは理解してる。
「あと、そこに積んである魔術書の上から三番目、五番目、八番目……後、後ろの荷物の影に簡易結界で隠してる二冊は売り物ですか?」
「……敵わないですね……全部お売りします。後ろの二冊は古代魔術文明時代の魔術書の原本です。確認されますか」
「……はい」
この店、大当たりです。欲しかった本とは違いますが、まさか古代魔術文明時代の魔術書が見つかるとは……怖かったけど、来てよかったです。
「……全部買わせていただきます。おいくらですか?」
「……特に原本とか時価ですが……全部まとめて魔法銀貨五枚でどうでしょう?」
「買います」
ちなみに貴族邸の相場が魔法銀貨三十枚かららしい。即金で懐から出したけど……私からすると誕生日のおもちゃを買うくらいの感覚です。
自分で価格を提示したにも関わらず、引き攣った顔でお代を受け取った店員にお礼を言って、店を離れました。
「……スー。無駄遣いには気をつけてね?」
「……お兄ちゃん達が甘やかしてるのも悪い気がします。全員、金銭感覚ぶっ壊れてるのに私に今更言っても遅いと思います」
「確かに、魔術に関することとなると、際限なくお金出すからなぁ……」
「私だって、相場は分かってます。後、おかしいことも自覚してます……今日のは流石に、滅多にしません」
「ははは、確かに掘り出し物だったもんね」
「……お腹空きました。甘いものが食べたいです」
「静かそうなお店を探そうか」
「はい……」
メビウスが私の手を引いて、少しずつ賑やかな通りに戻っていきます。でも、先程のような圧死しそうな感じがないような……
「あの、お兄ちゃん……ひょっとして?」
「スーに先程聞いた話をもとにして、人の数が程々そうな場所を探してみてる。中々難しいね」
「聞いてすぐできてる時点で器用すぎます」
マーリスはメビウスに対抗心を燃やしていますが、こういう器用な魔術師としての特性はもう才能だと思うので、絶対に勝てないと思います。お爺ちゃんも、メビウスのこの魔術師としての器用さには敵わないとよく溢しているくらいなのですから。
「メビウスに空間魔術をこれ以上、教えたくないです……」
「なんで?」
「教えたら、全部修得されそうですもん」
「いや、修得できるなら、戦力増強に繋がるし、良いと思うんだけど……」
「……メビウスはメビウスで、マーリスとは違う形で女の子のことを分かってないです」
「えっ、ちょっと詳しく聞かせて。あいつと同列にされるのは納得いかない」
「甘い物ください。美味しかったら、教えてあげます」
「こういうのの勘はいいんだよ。任せて」
メビウスに手を引かれて、久々の街中を歩きます。人が多くなってくるとやっぱり怖いです。あの日、鎧を着た兵士達の、人の集団に焼かれて、一瞬で私の故郷は、家族は消えたから……でも
「今日は、無理して出てきて良かったです」
次回投稿予定は9月9日(土)21:00です。
異国市編が伸びすぎて、もう一話になってしまったので、それより前に投稿して、来週はもう一方の番外編に移りたいです。
本編に秋分の日には戻りたい所存です。




