第百六十話 再会と久々の講評
「それで、水輝さん……」
「うん」
「あの、一体ここはどこなんでしょうか」
「少なくとも飛行機の中ではないね」
「いや、そんなことはわかってますよ」
フィールダー伯爵邸で俺と詩帆が使っている部屋は数少ない。夜も更けてきた頃、俺はそのうちの一室、リビングダイニングとして使っている広大な部屋のソファに腰かけて、客人の様子を眺めていた。
「どこから説明したらいいか、って感じだね。その前に、どこまで記憶がある?」
「そんなにややこしい状況なんですか……いや周りの様子を見る限り、そう、みたいですね」
「ああ。記憶に影響がないか確認したいのもあるから、まずそこから聞いていいかな」
「余計に怖くなったんですけど……えっと、急遽日本を出国することになって……最後に雅也さんと詩帆さんのお墓参りに行って……その後の記憶がないです」
「うん……大丈夫そうだね、よかった」
水輝君達三人の転移の際の肉体の再構成は、お世辞抜きに神がかった精度で行われていた。臓器から、骨格、筋肉、血管の一本に至るまで異常な箇所はないと詩帆のお墨付きだ。それでも精神や記憶の面では懸念があったが、ひとまずそのあたりも問題なさそうだな。
「記憶の混濁が起きるような事象が起きたということみたいですね。でも、説明が難しいということは事故を起こしたとかではないですよね?」
「ううん……まあ、事故……うーん」
「えっ、まさか空港までの道すがら、事故を起こしてバツが悪くて言い出しづらいとかですか?」
「いや、そんな単純な話ではないんだけど……」
俺たちが起こすと余計に混乱するだろうと思い、千夏さんは水輝君に起こしてもらったのだが……見慣れない景色に多少は面食らっているようだが、膝枕されて寝ている美衣ちゃんを支えながら、水輝君を詰める様子を見ていると、割といらない心配だったような気がするな。
「ご夫婦のご歓談に割って入るようで申し訳ないのですが、こちらからもご挨拶させていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんです。こちらこそみっともない場面をお見せしました。こちらの須川水輝の妻で、西南大学理工学部助教授の須川千夏と申します」
「これはご丁寧にどうも。フィールダー伯爵家当主、クライス・フォン・ヴェルディド・フィールダーと申します」
「伯爵……ということは、お貴族様、ということですか?」
「ええ。ルーテミア王国国王陛下より、伯爵位を賜っておりますので、確かにこの国では貴族と呼ばれる身分にあたりますね」
「はあ……でも、お貴族様と水輝さんに何の繋がりが……いや、あってもおかしくはないですね。あれ、でもルーテミア王国って聞いたことが……」
千夏さんの前に膝をついて、わざとらしく気障に挨拶をしてみた。上にローブを羽織っているだけで寝間着姿なのだが、意外に格好つくものだ。などと余計なことを考えながら余計に疑問が深まった様子の千夏さんを観察していると、後ろから冷気を感じた。
「クライス様、少々お戯れが過ぎませんか?」
「ユフィ、これくらいは許してくれないかな?」
「ふふっ……お客様、こちらお茶です。熱いのでお気をつけて」
「あっ、すみません。ご丁寧にどうも」
「改めまして、ユーフィリア・フォルト・フォン・グレーフィアと申します。クライス様の許嫁です」
「……綺麗……はっ、す、須川千夏です」
千夏さんのリアクションで遊んでいたことに拗ねた詩帆が、持ってきたお茶を置いて、清楚なネグリジェのワンピース姿で、美しいカーテシーを披露していた。
「はっ、それで水輝さん。この貴族様とはどういったご関係なんですか?」
「はぁ……あの、雅也義兄、詩帆姉、今のが、この世界での身分ってことでいいのかな?」
「ああ。何なら他にも幾つか派手な称号、役職もあるぐらいだな。あっ、言ってみたくなったんだろう詩帆の許嫁発言だけが、嘘かな」
「雅也、それ言わなくてもいいと思うんだけど?」
「ごめんごめん。ああ、でも両親公認の婚約者で、詩帆のお腹には娘もいるよ」
「それも言わなくていい……」
「雅也?……詩帆?……えっ、えっ?」
面倒くさいとばかりに俺と詩帆の演技をぶった切った水輝君の発言で、千夏さんは全てを察したようだ。さて、横から叩いてくる詩帆は無視して話を進めようか。
「ひょっとして、転生した湊崎ご夫妻、ですか?」
「うん、そういうこと。改めてよろしくね、千夏さん」
「は、はあ……ということは私達も転生、いや転移してるということですか……水輝さん、一体何が?」
「それを説明しようとしたのに、千夏に詰められるし、雅也義兄に遊ばれるしで言えなかったんだよ」
「うっ、すみません。少し冷静さを欠きました」
「いや、こんな状況じゃ動転してもおかしくない。そこは配慮の足りない俺も悪かったよ」
俺達の正体がわかって、少し力が抜けた様子の千夏さんを水輝君が支えていた。
俺らが死んだときは、中々にカップル成立は難儀だと思っていたが、無事に仲の良い夫婦になれたようで何よりだ。そう思いながら、静かになった詩帆の方を見ると似たようなことを考えていたようで目が合って微笑まれた……いや、本当にかわいいな、俺の奥さん。
「千夏さん。その辺りは俺もまだ詳しくは聞けてないから、ひとまずお茶でもどうぞ」
「は、はい、いただきます……あっ、美味しい」
「この世界ならではの特殊な茶葉だよ。まあ、雑談は後にしないとね。水輝君、改めて転移時の詳細から聞かせてくれ」
そう言いながら詩帆の手を引いてソファに腰掛ける。同時に水輝君が俺たちの対面、千夏さんの隣に座ったところで口を開いた。
「いつもの定例実験で、米国の現在開発中の戦略兵器の情報を誤って抜きました」
「ん?よくあることだろう」
「湊崎先生レベルで日常的に、無差別に量子データにアクセスしてないんですよ」
「はいはい。だけど、情報管理しっかりしてれば、抜いたとしてもバレないだろ」
「解析結果が研究室のサーバにあがった段階で、気づいてすぐ消しはしたんですが……どこからか漏れたか、抜かれたかしたようで」
「完全にお前のミスだな」
次元層の狭間の量子データはそのままだと人には解読できない。前世の場合は、データをシステム上で人の読める形に変換していた。ただ、量子データ自体は非常に原始的な構造をしており、意味のある情報を得るためには膨大なデータを取得する必要がある。
「完全ローカル環境下で制御すれば防げる話だろう。実験施設内では通信機器は使い物にならないんだから」
「演算装置に回す予算なんてないですよ。准教授参考に資産運用も行ってましたけど、国家プロジェクトレベルのスパコンなんて用意できませんて」
「時間短縮のために大容量情報抜いて、一度大学のスパコンで解析回してから戻すシステムにしてたんだろう。セキュリティと効率はトレードオフだぞ、この実験」
「でも、学内ネットワークの専用回線以外は通してない……」
「クローズドだろうが、ネットワーク介してる以上、どこで抜かれるかわかったもんじゃない。後、俺もあれこれ外部設備使ったが、知ってるとは思うが意図的なものを除いて、漏洩はゼロ件だ」
「うう……」
取得した大容量データを短時間で人が読める形式にするためには、かなりの性能のコンピュータが必要となる。
魔術はデータソースは同じ筈なのに、非常に高効率でこの変換を行っている。おそらく量子データを構成するエネルギーと同種のエネルギーを用いているのが要因だとは思うのだが、それは今世の研究テーマにするとして……
「それで、その漏洩案件で何があったら米国に拉致されるんだ?」
「……大統領の逆鱗に触れたようでして、日本政府に見捨てられました」
「自国の最強の情報源を、いくら米国相手だとしても簡単に譲り渡したってことか?一体何の情報を抜いたんだよ」
「情報自体はさっき申し上げた通り、機密ではありますがただの兵器の開発計画一式です。ただ先日、軍官僚経験者の過激思想の大統領に政権交代しまして」
「……なるほど。大統領の強権使って日本揺すって自国利益に、か。にしたって無茶苦茶な話ではあるが。まあ、開発した俺が言うのもなんだが、それだけの技術、か」
情報量の膨大さ、任意の情報のアクセスの難易度の高さから、実用化には果てしなく高いハードルがあるが、事実上世界の全ての知識を得られる万象の理へのアクセス技術だ。世界大戦の引き金となってすらおかしくはない。
「……戦争になってないといいな」
「怖い話しないでくださいよ。とりあえずこっちに来る前に、研究施設も、研究資料も跡形もなく消しては来ましたが」
「そこまでして、拉致される前に転移成功させたんなら……及第点だな。うん、お疲れ」
「辛口評価ですね。はい、疲れました……」
まくし立てるように言葉を投げ合って、なぜか少し水輝君は満足げだ。たぶん俺も似たような顔をしている。師弟同士の再会時の微笑ましい様子だと思うのだが、詩帆には呆れたように溜息をつかれた。
「……はあ、あのねえ、湊崎先生、須川先生」
「「はい」」
「講評じゃないんだから無駄に専門用語の応酬しないで。どうせ全員意味は分かるけど、主題はそこじゃないでしょう」
「すみません、久々に量子データの話になって少々羽目を外しすぎました」
「はあ……千夏さん、こんな流れだったらしいけど、状況は理解できたかしら?」
「はい。直前の記憶も整理できましたので……」
非現実的現象の影響か記憶が混乱していたようだが、彼女も次元層間の量子情報への知見は前世で三本の指に入る識者だ。今の会話で、状況は把握してくれたらしい。
「車を急に止めらた瞬間に記憶が飛んでるので、その時に私、意識を失いましたか?」
「ああ。千夏も美衣も意識がなくって、心臓が止まるかと思ったよ」
「その間に拘束されそうになって、隙を突いて転移してきたってことですかね」
「あってる……本当に間に合って良かったよ」
「さて、水輝君への説教はこんなところか……まだまだ足りない気がするが」
「いや、十分でしょう」
「研究に対するリスクは俺の助手時代に散々叩き込んだ。そこからリスク認識して、俺の研究引き継いだんだよな?」
「はい」
「それで、こんなインシデント起こして、駆け引きミスって拉致されかけた。その危険な状況下で、精密操作のいる実験機器を作動させた……弁明は?」
「うっ……」
「雅也、その辺りは後日にして」
元指導者として、今回の一件に関しては、実験の技術力の高さ以上に、指摘事項と改善事項が山積みなのだが……これ以上、再会の場でこの話を続けると、詩帆に本気で怒られそうなので、後日にキッチリ詰めるとしよう。
「ああ。後日にするよ。まあ転移までの経緯は把握したし、ひとまず俺からの質問はいいかな。詩帆は何かある?」
「あるけど。まずは水輝と千夏ちゃんに質問させてあげて。聞きたいことは山積みだろうから」
「わかった。じゃあ、何でも聞いてくれ」
俺と詩帆の言葉に、水輝君と千夏さんが顔を見合わせる。しばらく無言の時間が続いてから、おもむろに水輝君が口を開いた。
「この世界特有の量子データの別称、魔力と、魔法について聞かせてください。後、僕たちが魔法を使えるのかどうかも」
「まあ、事前に調べていたなら最初に聞きたい話題はそうなるよな。勿論いいよ」
「雅也義兄が調べてないわけないよね。ちなみに二人は使えるの?」
「ん、この国最高峰の二人だぞ」
「本当に?」
「ああ。まあ、その辺の話は後でな」
この国、最高位の王宮筆頭魔術師と、同じく全属性の使える超越級魔術師という、この世界の知識があればあるほど嘘だとしか思えない、文字通りの最高峰どころか、前人未踏の領域だとまでは思っていないだろうが。
「水輝さん。やっぱり13年あったらあなた以上に湊崎先生は上をいかれてましたね」
「……ああ。なんか研究説明するのも億劫だよ。それは俺の時に発見してるって言われそうで」
「しっかりそのセリフ言ってやるから、後日の研究進捗報告は楽しみにしておくよ」
「雅也、なんかすごく楽しそうだけど、水輝の顔、死んでるし、本題から逸れるから後にして」
「分かってるよ……さて、魔術についてか。どこから話そうかな?」
「んん……お母さん、もう着いたの?」
俄に騒がしくなった声のせいか、お母さんの膝を枕にしてグッスリ眠っていた美衣ちゃんが目覚めていた。どう説明をしようか考えていた俺は、半分夢うつつの、美衣ちゃんの方に歩いて行く。そして、彼女の前に膝をついて、こう問いかける。
「美衣ちゃん、魔法に興味はある?」
そう言いながら、俺は全属性の魔力の球を周囲に浮かべた。
次回投稿予定は7月22日(土)22:00です。
16日,17日で投稿の可能性があります。




