第百五十九話 深夜の侵入者
隣の部屋からの気配に常に注意を向けつつ、部屋に多重に結界を配置する。
「詩帆、俺が隣の部屋に飛んだら……」
「結界を張って、様子見をするわ。言っておくけど逃げないわよ。雅也には劣るけど私だって並の魔術師じゃないんだから」
「了解。ただ……」
「ええ……何、この魔力?魔神とあなたが戦ってる時でも、こんな大量の魔力、感じなかった」
詩帆の言う通り、俺もこの世界に来て以来、これ程の魔力は感じたことがない。そして、不安要素はあと二つあった。
「……この魔力、魔力情報空間、つまり次元の狭間の魔力だ」
「次元の壁が裂けてるってこと?」
「……その可能性も否定できない」
「修復はできるの?」
「リリアの教会での一件の時と違って、常にエネルギーを加えて、裂目が拡大しているわけではないから、恐らく直せる。ただ、何より怖いのは……」
「怖い?何、何があるの」
詩帆を怯えさせる気はなかったが、俺だって怖いものは怖い。いや、学者としては怖がってはいけないものなのだが、最愛を隣においている状態なら、少しだけ容赦していただきたい……
「部屋の中、生体反応が3つある……状況からして、次元層の壁を突き破って来たと考えるのが妥当だ」
「この世界の外から来た、生命体、ってこと?」
「ああ……」
部屋の中には魔力を持った生命体が3体いる。2体は人間の成人ほどの大きさで、1体は幼少の子供ほどの大きさだ。まったくの情報なしで、未知の生命体と戦闘とか……
「……色んな意味で怖すぎるな」
「……未知の身体構造、未知の感染症……おもしろ……怖いわね」
「おい、マッドサイエンティスト……」
「頼もしい旦那様が隣にいるから、私は生憎何も怖くないわね」
「そうか……」
奥様がそう言っているなら、怖いとは言っていられない……さて、覚悟を決めよう。
「詩帆。俺が何らかの形で行動不能、コミュニケーション不能になったらすぐに……」
「援護するわ……逃げろとか言わせない」
「……問答してる時間が無駄だな。後ろは任せた、詩帆!」
「任されました」
後ろでいい笑顔で笑っているであろう詩帆を置いて、俺は隣の部屋に<座標転移>で飛んだ。それと同時に最も部屋側にいた生命体が動いた。
「……何者だ」
「っ……す、すみません。自分たちは怪しいものでは」
「人の家に勝手に侵入しておいてか?」
その生命体は、見た目は人に見えた。身体構造が人に近いなら、急所も似通う。そう、判断した俺は動いた方向がその生命体の正面だと判断し、背後に回り込み、喉元に杖を突きたてた。幸い、かどうかはわからないが、言葉は通じるようだ。会話で解決できるなら、それに越したことはない。
「すみませんとか、どうでもいい。まず名前を名乗れ」
抵抗する素振りがなさそうなこと、また他の2体が動かないことを確認した上で、ひとまずコミュニケーションを試みることした。勿論、すべての生命体に対して常に攻勢魔術の照準は合わせているが……
「ええっと、私は……とある大学で、研究者を勤めている須川水輝と申します」
「須川……水輝?」
「ええと、大学というシステムは、通じますよね。この国にもあり、ましたよね?」
「……」
「あっ、こちらの国ですと、ミズキ・スガワとなって、スガワは家名になるかと思いますので、ミズキと呼んでいただければ」
謎の生命体は前世の義弟、須川水輝を名乗った。確かに、容貌は水輝君に似ている。というか、俺の知っている彼がそのまま歳を取った容貌だと言える。
「……年齢は?」
「えっ、年齢?38歳ですが」
俺たちが、前世で死亡してから13年後……確かに妥当な歳の取り方をしているように見える。だが、それだけで、その証言を信じるわけにはいかない。
「研究者、と言ったな。研究内容は?」
「言って通じるかは分かりませんが……研究テーマは<次元層の狭間における世界間の情報伝達物質の存在の解明>です」
「中々に独特なテーマだな。君が発案者なのか?」
「いえ、尊敬する義兄から引き継いだ内容です。というか、意味分かるんですか?」
「……ああ、まあ少しは」
話の内容を聞く限り、水輝君だな。だが、俺が何らかの魔術的影響下にいる可能性も否定できない。逆に知りすぎているからな。
「どうして、ここにいる」
「……とある人物を探していまして、情報を頼りに長距離転移……魔術を使った結果、どうも失敗したみたいで」
「長距離転移魔術……」
少なくとも、この世界の人間でないことはハッキリした。この世界では、長距離転移はともかく、転移先を視認できない場所への転移魔術は、一般には知られていない。というか俺も魔人達の様に次元の壁を利用するか、俺の<座標転移>以外のものを知らない。
「お前、嘘をついていないか……<真実の眼>。もう一度聞く、どうやってこの部屋に入った」
「……目視外領域への転移を可能とする魔術の……」
「魔術、嘘だろ。一つ言っておく。気づいているみたいだが、確かにこの世界に目視不可領域への転移魔術は現在、実用化されていない」
「……そういう技術の研究で、転移先の設定に失敗しました」
さて、話を長引かせつつ、<真実の眼>で話の真偽だけは確認しておく。
合わせて、<絶対領域>を行使し、空間内の掌握を済ませた。
「(先程まで魔力空間に繋がっていたと思わしき、魔力の残滓は感じるが、どうも何らかの手段を用いて、壁を飛び越えたみたいだな。空間自体に裂け目は見られない)。この国の人間ではないな?」
「ええ。どうも想定以上の距離を飛んでしまいまして」
「……へえ、世界線を跨いだか、それとも異世界からの客人かな?」
「……っつ……思考盗聴魔術、でもあるんですか?」
「いや、ないが。その反応は正解みたいだな。(異世界転移は本当みたいだな。空間内で魔力の揺らぎは勿論、不審な電磁波、音波、もない。魔術的、物理的に俺が干渉されている可能性は、排除して良さそうだ)」
3体……いや、3人とも武装もしていなさそうだ。後ろの2人は、意識もなさそうだ。そして俺が物理的、魔術的に周辺を掌握している。とりあえず、俺が危害を加えられる可能性は低い。
「世界線を跨ぐ行為。軽々しく行う行為でもないと思うが、学術的興味か?」
「……家族を守るためです。あの状況では、こうするしかなかった」
「ふむ。世界を跨ぐ技術など、こちらの世界では原理も分からないが……そちらの世界では、普及しているのか」
「軍事的侵攻の可能性ですか?」
「……興味本位だよ」
「この技術は私達の世界でもオーバーテクノロジーです。私の研究データは文字通り、塵一つ残らず消してきました。あの世界で、こんなことをしたのは後にも先にも私達と、義兄夫妻だけです。少なくとも近い未来の内では」
「では、この世界には、お前達以外に義兄と、その妻が来ているということか」
「いえ。あの2人は転生したはずですので、私が知る姿では来ていないはずです」
嘘はない。
「そうか……ちなみに、最初に世界を渡った人物の名は?」
「質問意図がわかりませんが……」
「確認だよ。本当に、その人物は転移していないのか、というね」
「……湊崎雅也先生と、その奥様の湊崎詩帆さんです」
久々にフルネームを呼ばれた気がする。そうか……うん、こいつ……
「肉体のまま世界の狭間を渡るのは、絶対に不可能だと思うが、どうやった?」
「さっきの質問の回答はスルーなんですか?」
「……いいから答えろ」
「っ……記憶や精神構造のデータを量子データ……世界間を渡せる形の情報にする技術は、湊崎先生が確立していました。その情報に加えて、直近に取得していた身体データを元にして、世界間に満ちているエネルギーを構成元として、この世界を超えた後に再構成を行いました」
「……事前に検証はできていたのか?」
「物体実験も、動物実験も行いましたが、世界を渡った後の、情報追跡が難しく、確証はなかったです。あの、一体何の尋問なんですか?」
……あの時の俺には不要な技術だった。いや、優先度の低いものだった。詩帆の肉体が健康であった状態を定義して、等と言うことも考えたが、転生実験装置の構成で手一杯で、そこまでできなかった。
「それで、家族を守るためといったが、後ろの2人は奥さんと娘さんか?」
「ええ……妻の千夏と、娘の美衣です……っ、どうかこの2人だけは」
「世界を渡ってきた貴重なサンプルだ。身の安全は保障するよ」
「実験体なら、俺を好きに切り刻んでかまわない。あの2人には手を出すな!」
あの頼りなかった彼を、俺の後任に指名した俺の判断は間違っていなかったらしい。俺を超える研究成果を生み出し、立派に家族を守る父親になっている。
「前の世界で、最後に何があった」
「答える前に、あの2人の安全を保障しろ!」
「……これが最後の質問だ。いいから答えろ」
「っ……研究過程で、大国の軍事技術に誤って触れて、拉致されかけた。身柄を拘束される寸前に、義兄さんの向かっただろう世界に飛んだ」
「どうして飛んだ世界がわかった?」
「日用品に残っていたDNAを元に、量子データを漁って、飛んだ先を推定した……最後の質問じゃなかったのかよ」
さて、ここまで嘘はない。本当に、俺の人生は面白いな……さて、そろそろ扉の外で息を殺している詩帆を呼ぶとしよう。
「……<麻痺の雷撃>」
「っつ……何を」
「安心しろ。身体を軽く麻痺させただけだ」
「……絶対に、千夏と、美衣には、手を、出す、な……」
「水輝君。俺は、少なくとも他人に対して研究倫理に背く真似はしないよ。ましてや家族や可愛い助手なら尚更だ」
「……っ、あんた、まさか……」
既に簡易な身体構造の把握も済ませている。うん、俺のテディベア手術などと比べるまでもないほど身体構造を完璧に複写して、異世界転移を成功させている。実際に電撃による筋繊維の麻痺も効いたしな。
「雅也。心配性というか、後半は少し遊んでなかった?」
「ん。研究者として、最低限度の確証が取れるまでは質問をしたかっただけだよ。詩帆、後ろの2人の診察を頼む」
「言われなくても」
水輝君の麻痺の効きを再確認していると、詩帆が既に部屋に入ってきていた。さて、2人のことは詩帆に任せて、俺は最高の弟子を労うとしよう。
「あの、まさか……」
「量子データに肉体情報を変換して、次元層の狭間の高エネルギーを構成素材として、変換、か……データも座標も相当、ダミーを仕込んだはずなのに、よくもまあ完璧な異世界転移を、しかも完璧な座標にできたものだ」
「本当に……雅也義兄さん?じゃあ、向こうの女性は……」
「……水輝君、いや須川教授とか呼ばれていそうだな、今は。無茶な研究引継ご苦労様。そして、ようこそ異世界へ」
「……ははっ……流石に趣味が悪すぎませんか?」
「次元層の狭間を超えて、正体不明の生命体が入ってきたんだ。警戒して当然だろう」
完全に力が抜けて、へたり込む水輝君の手を取る。後ろで2人を見ている詩帆もホッとした顔をしている。どうやら肉体の再構成などという超高等技術は、3人とも無事に成功したようだ。
「さて、積もる話がお互いにあるだろう。どう考えても長くなるから部屋を変えよう」
15年ぶり、しかも異世界に飛んだ研究者同士……さて、一夜で終わるだろうか?
次回投稿予定は7月8日(土)21:27です。




