第百五十八話 夜長の会話
「はぁ、はぁ……」
少しずつ強まる雨脚の中、気がついたら俺は王都内の道を走っていた。
「クソッ、普通に詩帆の様子おかしかったのに、この状況で、あれをフラッシュバックしかねないとか、気付けよ馬鹿」
レオンから聞いた詩帆の言葉が頭の中で、何度もリフレインする……
"……雅也、嫌、捨てない、で"
「最低だ……俺」
気がつけば雨脚は滝のようになっていた。魔術を使えたんだ、今はとフィールダー伯爵邸の庭に飛び込んだときに気がついた。息を切らせて敷地内に飛び込むと、玄関の扉の外にたたずむ人影を見つけた。
「詩帆!」
「……雅也さん……おかえりなさい」
愁いをたたえた表情で佇む詩帆が、微かに微笑んだ。その少女の元に駆け寄る。
「なんで玄関の外にいるんだよ。寒いから早く中に……」
「びしょ濡れの雅也さんが言っても、説得力ないですよ?」
「すまん。濡れない方法はいくらでもあったのに、気がついたら外に飛び出してた」
「……そう、ですか」
そのままびしょ濡れの俺の身体に詩帆は抱きついた。濡れるぞ、そう言おうかと思ったけど、あまりに必死に掴まれるから、何も言えなかった。
「すまん。色々と不安にさせたな」
「謝らないでください……私、わかってたのに、不安になっちゃうんです。雅也さんは私の元に戻ってくるって、分かってるのに、分かってるのに、こんな面倒な女の子と一緒より、他の子の方が、いいんじゃないかって……」
久々に見た、不安定になった詩帆の姿だった。理由はわかってる。前世でも一度、詩帆は妊娠している。婚約はしていたが式はまだで、結婚式の話もしていた。でも、俺と詩帆の間に子供はいない……
「大丈夫。今度は大丈夫だから」
「……そう言って、ある日突然どこかに行ったりしない?」
「突然いなくなったりしないよ。今の俺は、あの時とは違うから。国に振り回されるくらいなら、詩帆と一緒にどこへだって行ける」
「うん……」
その幸せの最中……俺は、その後色々あって一ヶ月近くも家を空けることになった。その間、詩帆は、詩帆のお腹の中の子は……
「俺の最優先は詩帆だよ。その優先順位だけは、死んでも変わらない」
「……研究優先しませんでしたか、こっちに来てから、まずは」
「うっ……ごめん」
「ふふっ……冗談です。そんな雅也さんが好きですから。でも、何より……自分を大事にしてください……もう、心臓に悪いのは懲り懲りです」
詩帆にかけた心労は数知れない。こんな男と一緒になったせいで、前世でも今世でも、ずっと心配させてばかりだ。
「こんな旦那で悪いな」
「本当ですよ……我ながら、男の趣味、悪すぎね」
「その言葉、そっくりそのまま返していいかな」
「それ、この状況で言うかしら……デリカシーない」
「いつもの調子が戻ってきたかな、って思って。ただ、一度死んでまでも守ったんだ。今更、乗り換えるなんて考えもしない」
「調子いいことしか言わないし、気が付いたら女の子誑かしてるし、いつもこっちの胃が痛いことしかしないから信じられないんだけど?」
「それ言われると痛いな。だから、これだけは約束する」
研究に熱中して、興味が移ると、そこに全力かけてしまって妻を放置する、そんな最悪な旦那だけど、最愛は一つだって、何度も君を好きになる度、何度も君に出会う度、確信してる。
「……地位も名誉も何もかも失っても、何度死んでも、何度出会っても最後には隣にいる」
「……わかって、る……けど、不安で、不安で……重くて、ごめんなさい」
「……重たい。けど、そこが好きだよ」
「馬鹿……雅也……でも、ありがとう……大好き」
詩帆の身体が痛くないように、お腹をいたわるように、そっと抱きしめる。少し落ち着いた様子の詩帆に、声をかける。
「じゃあ、家に帰ろ」
「……ごめん、本当に」
「謝る必要なんかないよ」
「でも……」
「俺は、取り乱して深窓の令嬢になった詩帆も、状況に赤面する詩帆も見れて役得だったからな」
「馬鹿!」
詩帆に強く叩かれて、そんな彼女の肩を抱きながら、俺は玄関の扉を開けた。
「……雅也」
「ん?」
「……もう勝手に遠くに行かないで。ずっと一緒にいて」
「……善処する」
「そこは死ぬまで一緒だよ。じゃないの?」
不満げな詩帆に、今度対帝国戦争に参戦しますと、どう伝えようか悩みながら俺は苦笑いを浮かべた。
「帝国との戦争、か」
「ああ」
「それで、さっきあんなに歯切れが悪かった訳ね」
「はい、そういうことです」
お互いに魔術で水分を飛ばした後、お風呂に入って、温かいお茶を淹れて、俺は先程の閣僚会議の話を詩帆に伝えていた。
「はあ……帰る実家があるなら帰ってた」
「それ、前世でも今世でも旦那に刺さるブラックジョークだからな」
「ブラックでもなんでもないわよ。私にとっての実家は前世では湊崎家で、今はフィールダー子爵家よ」
「旦那の実家に避難されるって……ますます実家に居場所がなくなる」
すっかり詩帆も落ち着いて、いつもの調子を取り戻したようでよかった。頭を抱える俺を見ながら楽しそうに笑って、お茶を啜る彼女を見て、俺も改めてホッとしていた。
「ああ。後、マリアさん相手にしたみたいな垂らしな行動、他の女の子にしないで」
「垂らしって……ほとんど人生相談みたいなもんだぞ」
「あら。妹ちゃん、似たような手で落とした上に、手酷く振ったって聞いたけど?」
「リリア……いや、落としたとは人聞きの悪い……」
「自覚ありそうだけど?」
「うっ……」
「……雅也の女たらし」
「どこが、いつ」
「それ、話始めると朝までかかるけど、それでも聞きたい?」
「遠慮しておく……」
肩身が狭くなる俺の横で、詩帆が楽しそうに笑っている。が、それについてだけは俺もブーメランがある。
「無自覚っていうなら、詩帆も十分に人たらしだからな」
「どこが、いつ」
「俺も話始めると朝までかかるから、手短に言うけど、須川詩帆嬢非公式ファンクラブと、ユーフィリア嬢を愛でる会の存在だけで俺の心労は十分に伝わると思うが?」
「うっ……雅也と違って、個別に口説いてないから。というか、後者は知らないんだけど?」
「普通に接して、ファンになったっていうストーカーもどきを量産してきた過去を忘れたとは言わせないが?」
「……私悪くないもん」
「なら俺も悪くないな。ああ、後ファンクラブは知るわけないよ。この間、物理的、政治的に潰した」
「……雅也が一番狂気じみてるファンだよね、私の」
「そうだな」
「……それ、認める?」
「ああ。だって、詩帆からそう言われるなら本望だからな。俺にとって詩帆は、初恋拗らせた相手で、名誉と命投げうって守った最愛の女の子だからな」
「……」
横から声が聞こえなくなったので、そちらを向くと、詩帆が膝を抱えて俯いていた。耳と頬が真っ赤なので、完全にキャパオーバーしたらしい……可愛すぎるな、うちの奥さん。
「……」
「……詩帆、理解してくれた?」
「……」
「……そうか。じゃあ、俺がどれだけ詩帆と一緒にいたいか、まだ説明しようか」
「っつ、いい。もうわかったから」
「何が?」
「……わかるでしょ」
「口で言ってくれなきゃわからない」
「バカ雅也……。雅也が私のこと……ってこと」
肝心なところが小声になってて微かにしか聞こえなかったが、俺が聞こえてれば十分だ。何より、これ以上からかったら、攻勢魔術が飛んでくる物騒な夫婦喧嘩に繋がりかねない。
「……俺をからかうなら、カウンターを覚悟してくれ」
「ううっ、勝率五分くらいでしょ……というか、こんな話する気じゃなかったのよ」
「戦争の件だろう」
「ええ。閣僚会議が開かれるレベルってことは、小競り合いってわけじゃないでしょう」
さっきまで悶えていた少女の姿はどこへやら、修羅場慣れした妻の姿がそこにあった。さて、俺もまじめに回答するとしよう。
「レードライン帝国がルーテミアに侵略戦争を仕掛けた。相手兵数は現時点の最小予測で12万」
「友好的、とまでは行かないまでも、両国の国力差、外交交渉で、帝国建国時の侵攻以来、小競り合いはあっても大規模侵攻はなかったと思うのだけど……突発的侵攻の原因は魔王戦争と、政権交代?」
「ああ。まあ侵攻理由はそれだな」
「そう……でも、12万って帝国宣言の元小国の兵総動員ってレベルだけど、元々のルーテミアの友好国を始めとして、穏健派も多かったわよね」
「交戦派は、数多くの穏健派諸侯の、家族を人質に取って、恐怖政治による国内統治なんてものをやってのけた」
「……外道」
家族……それを幼くして、あんな形で失った詩帆にとって、そのやり方は他の人間以上に許しがたいものだろう。グレーフィア前軍務卿や、前国王も多用していた施策だが、正直、自分の命を人質に取るより非道な手段だと俺は思う。
「……でも、それにしたってこんな急激な侵攻の原因は?」
「……」
「言いたくないんでしょうけど、言って」
「……外務省や軍務省のルートや諜報局は勿論、その他の省庁、各貴族家の私的な情報筋でも原因がわからない」
「そんなことあるの?バラバラに行政権を行使していたような名ばかりの帝国が、外道なやり方をしたとはいえ、急な大規模侵攻を行ったのに?」
「だからこその緊急閣僚会議だったんだよ」
「でも、結局会議でもわからずじまいってこと?」
「……ああ」
「そっか」
呟いて、詩帆はソファに体を預けた。俺としては拍子抜けした気分だ。
「……何か罠でもありそう、なんて思うわよ。いくら何でも不自然すぎる」
「だよな」
「それに、どう考えても兵力差は圧倒的でしょう」
「ああ。よく見積もって3倍だな」
「普通なら不安だと思うんだけど、残念なことに私は普通じゃないのよ」
再び体を起こした詩帆は、俺のほうに向きなおって、笑った。
「前世では、唐突に街中で撃たれるなんて日常茶飯事だった。新婚旅行に出かけたら飛行機でハイジャックにあった。旦那様は世界一有名な物理学者で、なぜか研究内容使って政府を揺すってる」
「……えっ、俺責められてる?」
「その上、私が不治の病にかかったら、転生しようとか言い出した。正直、私でなかったら、相手があなたじゃなかったら正気を疑ってるわ」
「……」
「で、転生して、ちゃんと迎えに来てくれた。それどころか、あっという間に国のトップ層に上り詰めて、救国の英雄になって、とうとう私どころか世界も救っちゃった」
「……冷静に考えると、いや、普通に考えておかしな人生歩んでるな、俺」
「だから、もう、ちょっとしたことで不安になるのはやめたの、今さっき」
「いや、国家間戦争は全然ちょっとしたことじゃ……」
「異世界転生と、正体不明の化け物から世界を救うのに比べたら、ただの人の戦争なんてちょっとしたことよ」
微笑む詩帆は、すごく奇麗だった。だから、その言葉通りの夫であろうと、思う。
「勝てるんでしょ、世界最強の魔術師さん」
「ああ。勝つだけなら余裕だよ」
「勝ち方考えてるんでしょう」
「それは勿論。全部燃やし尽くして、隣国の政治機能を麻痺させたら、研究者失格だよ。そんなのはただのバーサーカーだ」
「うん。だから、戻ってきたら……」
何でもない普通の夜。だけど、俺はこの一夜の詩帆の笑顔をいつも以上に頭に刻み込む。勿論ほかの詩帆も全部忘れないけど……
「……今度こそ、盛大に結婚式をしよう」
「……それ、盛大な死亡フラグだぞ」
「このタイミングで、最悪のセリフよ、それ」
「悪い、悪い……詩帆、何もなかったような顔して帰ってくるよ。だから、待ってて」
「……うん」
そのまま、詩帆を力強く抱きしめる……詩帆が恥ずかしくなってジタバタするまで。
「今度こそ、信じるよ」
「ああ。信じてもらって構わない。だから、結婚式の用意だけしておいてくれ」
「勿論。むしろいない方が好き勝手できて好都合」
「えっ、待って、それだけは怖いんだが?」
「大丈夫よ。予算はほぼ無限みたいなものでしょう」
「いや、それはそうなんだけど、いや、それ以外の身の危険を感じたというか」
「ふふっ、もう言質取ったもん」
「……いや、本当に恥ずかしい演出は程々にしてくれよ、後で恥ずかしいの俺だけじゃなくて詩帆もだからな」
「結婚式は女の子の夢だもん。好き勝手、やらせてもらうわ」
「はあ……まあ、体だけに気を付けてれば、好きにしろ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわね。あと、私、医者よ?」
俺の大好きな笑みをした詩帆が楽しそうにしていて、それだけで俺は……
「幸せだなあ……」
「ええ、本当に」
そのまま、もう一度詩帆を抱きしめようとした、その時だった……
「詩帆!」
「っつ……何、これ」
突然、隣室から尋常でない魔力の高まりを感じた俺は、反射的に詩帆の手を引き、自身の後ろに庇った。同時に<亜空間倉庫>から杖を引き抜き、即座に隣室側に向かって構えた……
次回投稿は7月1日(土)21:27を予定しています。




