第百五十七話 雨の日の夜に
「それで、レオン。俺を呼び出した理由は?」
「実は……お前、なんか怒ってるか?」
「ああ、怒ってるよ」
式場下見の最中に呼び出された緊急閣僚会議は「ぼくがかんがえるさいきょうのせんじゅつ」トークにすり替わり、まあまあの時間を押しはしたが、その後は今後の方針を何事もなかったかのように決定した。俺は即座に帰って詩帆の機嫌を取りに行こうとしていたのだが、終了後にレオンに声をかけられ、こうして私室に呼び出されていた。
「あんなタイミングで呼び出した挙げ句、緊張感のなさすぎる閣僚会議で時間を食われて……」
「魔術談義については後半はお前も楽しんでたろ。後、修羅場にしてるのはお前の勝手だ」
「お前が大聖堂を詩帆に勧めなければ、そもそも教皇と遭遇してないんだよ!」
「だが、ユーフィリア嬢は喜んでいただろう?」
「うっ……確かに、近年希に見るレベルで女の子女の子して喜んでた、けども」
前世でも盛大な結婚式を挙げたかったが、色んな事情が重なって、前世での式は親族や一部の関係者を呼ぶだけの非常にこじんまりとした式になってしまった。そんな詩帆だから、あんな豪華な教会で挙げる式に、大分隠していたけど、すごく喜んでいたのは見れば分かる。
「それ言われたら、お前に文句つけられないだろう……呼び出し理由も納得せざるを得ないし」
「納得してくれたなら何よりだ。まあ、難しいだろうが公私混同だけは避けて教会庁との関係改善は図ってくれ」
「色々と複合的要因があるから一朝一夕では無理だぞ」
「わかっている……聖女セラ、か」
「大体の過去の背景事情は聞いた。先代教皇との離別で、強くならざるを得なかった聖女、か」
「そうだな。彼女に痛みを負わせてしまったことは私の失策だ」
「その変化に追いつかない心で歪んでしまった。少し遅い反抗期、ってところかな」
「なるほど、反抗期か。確かにお前の精神年齢からすれば彼女も、私も子供のような年齢だものな」
「お前、それ、絶対に詩帆の前で言うなよ?」
「私は紳士だから、お前のようなことはしない。だが、歪んだというのは少し違うかな」
俺の割と本気の懇願を、さらりと受け流したレオンは少し遠い目をしていた。考えてみればセラ教皇は、前教皇の娘だ。ならば昔の彼女に王太子であるレオンは会っていても何らおかしくない。
「聖女は演技だったと?」
「そうとは言っていない。彼女は根っからの聖女だったよ。だけど、同時にあの権謀術数の教会中枢にいたんだ」
「そもそも、聖女と捻くれた面の二面性を持っていたと?」
「ああ。私のタイプだな」
「お前のタイプかどうかはどうでも……いや、ひょっとして、まさか?」
「彼女はただの昔馴染みだよ。私の本命は別にいる……まあ、叶わない夢だが」
「えっ、本当にいるのか? 普通にレオンの恋愛対象って興味本位で気になるんだが……今はそれよりセラ教皇の話か」
レオンの、現国王陛下の王太子時代の恋物語というのも非常に気になるが、政治的にも、後は詩帆のためにも今後の円滑な結婚式のためにも、今はセラ教皇のことについて情報が欲しい。
「……それで、セラ教皇。彼女はどういう人物なんだ」
「セラ嬢。彼女は、そうだな……託された物を自分なりにどうにかしようとしている不器用で、ただ純粋な女の子だよ」
「託された?それは……」
「勿論、先代教皇陛下だよ……情報が入ったのがあまりに遅すぎた。俺がもっと早く情報網を、教会を掌握できていればな。と、悔やむことは死者の意思に反するな」
「……」
「騎士団を緊急で向かわせた。だが駆けつけた時には、もう教皇猊下は、最期の言葉を残されてるところだった……」
閣僚会議を終え、外はゆっくりと暮れ始めていました。私、セラ・フィンクリッド・フォン・ディティスは、馬車の窓から降り始めた雨を眺めていました。
「雨、か……あの日も、そういえば降っていましたね」
本日の政務はユーフィリアさんを案内するため元々少なく、緊急を要する案件もなかったため、残っていた僅かな仕事も馬車内で済ませてしまい、そのまま帰路へと向かわせていました。
「……セラお嬢様」
「マリア、無神経だったわね。気にしないで」
「……はい」
「それと、例え馬車の中でも、私室以外ではその呼び方はやめてちょうだい」
「失礼いたしました、セラ教皇猊下」
御者は隔てられた場所にいるので、今、この空間にいるのは私とマリアだけ。よくある状況だけど、こうして静かな雨を眺めていると嫌が応でもあの日を思い出してしまう。家族全員での温かい食卓。そこに奴らが押し寄せてきたあの時を。
「あなたのせいじゃない。悪いのは、自分達の保身のために最後の一線すら容易に飛び越えた背信者達よ」
「それでも、私は……あの人を、あなたを救えなかった。私が盾になって……っつ」
「それだけは言わせない。あなたの気持ちだって痛いほどわかる。けど、その言葉はお爺ちゃんのあの行動を馬鹿にしてるようなものよ」
「……すみません。でも、私は、あの幸せな家族を守れなかった自分が、許せないっ……」
自分が死ねば良かった。そう言いかけたマリアの頬を叩いた。許せなかった、その言葉だけは……ああ、こんなことじゃまだ私はあの人には到底追いつけない。でも……
「あなただって、私の家族よ。ずっと姉妹のように生きてきたじゃない。あなたがいなくなっていても私は大切な家族を失っていたわ」
「セラ……お嬢様」
「だから、お爺さまはあなたが守れなくて亡くなったんじゃない。あなたを、いえ自分の家族を守って誇らしく逝ったの。私の自慢の、お爺ちゃんよ。それを、受け止めてあなたがやることは何?」
「私は……」
いつも私には優しくて、家族や信徒の前では微笑みを絶やさない。とても教会の最高権力者だとは思えないくらいおっとりしたお爺ちゃんは、その時だけは誰よりも早く前に出て、凶弾に撃たれた。舞う、血飛沫が、妙にスローに見えた。
「お爺さまが、あなたを恨むわけがない。むしろただ、助けられたことを喜んでいたはずよ。だって襲ってきた相手に、私では君たちを救えなかったのだろう。その想いは、私が引き受けよう……そう、言い切った方よ」
普通に長時間立っているのですら体力を使うと、腰を叩きながら言っていたあの人は、その時はいつも以上に凛とした背中で立って、真っ直ぐな目で相手を見つめていた。それに襲撃者達は一瞬止まった。凶弾を放った物は、今更ながらに自分がどんな人物に害を及ぼしたか気づいたように青ざめ始めた。その青年に教皇様は、こう続けた。
「……今、私を害した者をキルト教皇、ラグウェル・フィンクリッド・フォン・ディティスの名において許す。何人たりとも、彼の者に石を投げることは許さぬ。信徒の過ちは須く教主である私の責任である」
その声は然程大きくはなかった。けれど、その場にいた誰もが、その言葉に動きを止め、何も発せなかった。そこにいたのは間違いなく崩壊した国の中で、ずっと人々を見守り続けた偉大な教主だった。
「……あの時、教皇様に伝えたかった言葉がいくつも思い浮かぶんです。でも、あの時はただ、ごめんなさいって、ただその言葉しか出てこなくて……それを言ったら、それこそ教皇様の思いを踏みにじるって……」
「きっと、何を言っても、言わなくても、教皇様は、あなたに、あの時と同じ言葉を伝えたでしょう」
「なら、言えば良かった……」
言葉を詰まらせる彼女の様子に、私も言葉を詰まらせる。でも、ようやく肩の荷が下りたような顔で、朗らかに笑うお爺さま……ラグウェル・フィンクリッド・フォン・ディティス先代教皇様と、あの日、約束したから。
「……あの日。ラグウェル様は笑っておられたわ。誰を咎めるでもなく、ただ、私達にこう言ったわ……私はもう十分、幸せだ。こうして家族に囲まれて、旅立てるのだから。私の後を継ぐ立派な後継者もいる。骨を折った国の平和もようやく訪れた。何より、最後に孫娘を守れた。だから……だから……」
「誰も恨むな、誰も悔やむな。これが私の天命だ。だから、後のことだけよろしく頼んだよ……最後まで、自分のことより皆へ言葉を残すことを選ばれました」
なだれ込んで来た騎士団に、なんでもっと早く来てくれなかったのか。襲撃してきた人々に、なんで今まで人々に尽力してきたお爺さまを傷つけたのか。なんで誰もお爺さまを守ってくれなかったのか。なんで私が代わりになれなかったのか。
「……あの日から思ったこと、恨んだこと、願ったことは数え切れないほどあるわ。でも、私はあの人に守られた最愛の孫娘で、あの偉大なラグウェル教皇の後を継ぐ教皇だから、絶対に言わない」
あの人には、全然届かないけれど、今の私の最大限でこの最愛の家族にかける言葉は……ちょっと気に障るけど、漏れ聞こえたあの魔術師の言うとおりだ。
「……お爺さまは、自身の死の責任をマリアに問う人ですか。マリアが、責任を感じることを喜ばれますか。違います。お爺さまは自分が守った命が、生き続けられることをきっと喜ばれます」
「そう、ですね……いえ、そうでし、た」
本当はもっと早く責任を感じていたマリアにこんな話をするべきだった。でも、私だって、あの日に向き合えていなかった。そうしたら、癪に障る相手に先を越されてしまった。悔しいけど、機会をくれたあの魔術師には……
「……貸し、一つね」
「セラ様、どういう意味ですか?」
「なんでもないわ……それより」
頭の中で呟いていたはずが、声に出てしまっていたようだ。この話はまた今度。それより今は、同じ記憶を共有する姉と、少しだけ、本当に少しだけ……
「……悲しむな。悔やむな。恨むな。お爺さまはそう言ったわ。だけど……やっぱり悲しいんだったら、我慢せずに泣けば良かったなあって……きっと、それくらいお爺さまは受け入れてくれたもの」
「……ええ。あの方なら、きっと」
「だから……二人だけの時は、セラとして……泣いてもいいよね、マリア姉」
「はい……セラ」
それから私達は、自邸に着くまでの僅かな間、雨音で紛れるのをいいことに子供みたいにワンワン泣いた。
「ラグウェル教皇陛下、か……一度会ってみたかったな」
「ああ。優しいだけじゃなくて、強い人だった。私が生涯尊敬する人物の一人だよ」
教皇陛下の最期のメッセージ。それをひたむきに繋ごうと努力する聖女様。
「だから彼女の逆鱗は、教会の旧い過去、いや、良くも悪くも先代の遺した全て、なのか。俺、思いっきり地雷踏んでるな」
「ああ。そこに関しては反省してくれ」
「分かってるよ……うん、確かに聖女なんかじゃないな」
「彼女は聖女なんかじゃない。ただ、人よりほんの少しだけ優しい普通の女の子だ。そ……う接しろと言われたし、私も同意見だ」
「はあ……いい話は聞いたが解決策になってないんだが?結局女心を理解しろというフリダシに戻された気しかしないんだが?」
「はっきりした解決策など、人間関係にない。当然だろう」
「それはそうだが……」
レオンの話したラグウェル先代教皇の最期。死した人から遺されたメッセージの重みは、俺も重々承知している。頭の中に、色んな人の顔が浮かんだが、それは俺の胸の中に留めておけばいい話だ。
「それより、今の話で気になったことがあるんだが」
「何だ?」
「お前に、セラ教皇とそう接しろとか言ってきた人物って誰だ?」
「……別に誰でもいいだろう」
「そうか。一人、非常に思い当たる節のある人間がいるんだが」
「……そういえばセラ教皇から伝言だ」
「おい、誤魔化すな」
「教会で見学の最後に、応接室の前でお前と教皇秘書官の話を聞いていたユーフィリア嬢が言っていた言葉なんだが……」
その伝言を聞き終えた瞬間、俺はレオンの執務室を飛び出していた。
次回投稿は6月24日(土)21:27を予定しています。




