第百五十五話 女の子を怒らせると怖い
「……どうか、セラちゃんを救ってあげてほしいんです」
「セラ教皇のことを?……まあ、ひとまず聞きましょう」
彼女の声色が先程と明らかに変わったなと、どこか他人事に感じながら、俺は彼女の言葉の続きを待った。
「ルフェーブル家は、代々教皇家に仕える家です。本来ならば教皇家は代替わりするもので、教皇家と当家は関係が深くなるどころか、険悪になりさえします」
「まあ、つい昨日まで仕えていた家が、対立している他の教皇につけばいい顔はされないでしょうね」
「でもディティス家は三代続けての教皇家です。前々教皇様が多大な影響力を持たれていましたので」
「成金教皇でしたか。抜群の商才と教会内政治手腕で無名の司祭から一代で教皇に成り上がったとか言う……」
「……」
「……失礼しました」
俺の明け透けのない発言に対して柔らかかった空気が固まった。これは言い方が悪かったと、すぐに頭を下げると、マリアさんは言葉を続けた。
「……前教皇様は、先代様のお噂もあって、先代様が亡くなられた後、教会内では冷遇されたそうです」
「まあ……そうなるでしょうね」
「ですが教皇選挙では、予想に反して圧倒的票差で前教皇様が当時30代の若さで教皇になられました」
「前教皇様は常に教義と教会に真摯な方でした。冷遇されてなお、あの方は数多くの信徒の信任を得ていました。以来三十年近くもあの方は、本当に誠実に教皇を勤めてこられました」
「前王の腐敗政治に教会として断固、反対すると唱え続けたとは伺っています」
「ええ。何度も暗殺の手を差し向けらています。ご自身はもちろんセラ様やご家族の方も何度となく命の危機にさらされています」
生憎と幼少期は辺境の領地に、つい最近までは山奥に引きこもっていたため近現代史には疎い俺だが、王都に来てから政争に巻き込まれた過程で、直近の一通りの政治的対立に関しては把握している。
穏健、中立で知られる前教皇だったが、近年の前王の腐敗政治には真っ向対立の姿勢を示していた。前王の被害を被った人々を援助し、それらを厳しく批判したと。さすがの独裁王も国教でもあるキルト教の教皇には表立って手を出さなかったが、裏での非情な工作は想像に難くない。
「前国王が戦死し、今生陛下が即位され、ようやく前教皇様は穏やかに過ごせると笑っておられました。ですが……」
「教会内に残った前国王派が、処分を恐れて教皇宅を襲撃した」
「……はい」
「そして、当時前教皇宅を訪れていたセラ教皇を庇って、前教皇殿は……」
教皇の固い護衛陣を掻い潜り、一瞬のことだったと。そして、目の前で祖父が自身を庇うことで命を落としたセラ教皇の、彼女の心労は相応のものだろう。
その結果が、あの歪な心理的成長を遂げた少女、か……
「……目の前で、あの方が致命傷を負うのを、私は見ていることしかできなかった」
「あなたも、その場にいたんですね」
「セラちゃんを庇えなかった。その結果、私が身代わりにならなければならなかった教皇様を失った」
「……悪いのは、その手段をとった相手であって、あなたではないですよ。月並みな言葉ですが」
「先輩方にも言われました。私に求められていたのはセラ様の心理的フォローと、教皇家の生活のサポートだと。身内からあのような凶行を起こされて、責任は私達にある、と」
「当日の教皇護衛陣の大多数が、国王派の人間だったと伺っています。仮に僕であっても……」
「……仮にあなたであったなら、あなたのような力があったのなら、私にも守れたかもしれない。あの方を、あの幸せな家族を」
彼女が虚ろな目で、虚空を見つめる様子がなぜだか妹に重なった。事情はあれど実の両親を失ったどころか、自身で殺した女の子に。
そう見えたら、俺は少々弱い……
「そうかもしれませんね」
「っっ……それを肯定するんですね」
「僕は自身の力に、積み上げた知識に自信を持っていますから」
「……そういう言い方、されるんですね」
「意外ですか?」
「ええ。事前に予想していた人物像とは少々異なっていますね」
「僕は、自分の守りたい物のために、全てを捧げました。それを信じられないのならば、守ることを諦めたのと同じです。そして、それは僕のアイデンティティの喪失と同義ですから」
「私だって、捧げていたんですがね」
「守れなかった。結果が全てでしょう」
俺の挑発めいた発言に、対面に座っていた彼女が気がつけば動いていた。俺が反応できる頃には、俺の首筋には短剣が突きつけられていた。
「1対1なら、こうして頸動脈に刃をそえられていても僕の方が早いですよ」
「……」
怒りのあまり反射的に短剣を手に取った彼女に放った挑発じみた言葉だが、思考速度より早く動く物体などない。自動身体修復に、転移まで備えた魔術の使い手の俺の言葉としては只の事実だ。
「ありえなかった夢物語を語るのは自由ですが、いい加減前を向かれたらいかがですか?」
「っっ……あなたになにが」
「そんな使い古された言葉は結構です。あなたがやるべきことは後悔の中でセラ教皇を守ることではないでしょう」
「うるさい。黙れガキ」
「あなたに比べれば年下にしか見えないでしょうが、自分が正論を言っているという自負はありますよ」
「正論が全てじゃない」
「ええ、そうですね。人間は感情的な生き物だ。いや、私達が自動人形でない以上、その判断は全て、合理判断だけでなく、自身の感情によって左右される。ですが正論という物は確実に存在しますし、正論という判断基準を基底としているという前提は存在します」
自身の命が目の前の女性に握られているという何ともスリリングな状況だが、俺の思考はゼミで学生を論破するような気楽なものだ。
殺し殺されの裏社会を囓っているようだが、セラ教皇とほぼ同年齢というのがよく伝わってくる……まだまだ青いな。
「正論を振りかざすことは、人としてどうかと思いますが、時には正論も必要ですよ。あなたの先輩方は正しいです。あなたがあの時、前教皇を守れなかったこと、セラ教皇の目の前で祖父を失わせたこと、それに責任を感じるなとは言いませんが、あなたには何もできなかった。それは紛れもない事実だ」
「……黙れ」
「その後悔だけでセラ教皇に仕えるのは、ご立派ですが……人にはできることとできないことがある、というのは理解すべきですよ」
「……うるさい」
首筋にそえられた刃に力がこもる。それを意に介さず、俺は言葉を続ける。少しだけ、クライスとしてではなく、湊崎雅也としての言葉を重ねて……
「過去を教訓とすることには意味があるが、過去の自分の行いを懺悔し続けることに何の意味がある。考えろ、その行動に意味があるか。あなたが付いた教皇猊下は、自身の死の責任を部下に問う人間か。その人が、責任を感じる部下に求める物が何か」
「……」
「それで黙るなら、というか言われるまでもなく分かってるだろ」
「……事前調査の数倍、嫌な方ですね」
「自覚はしてるよ……学者なんてそういう生き物だよ。嫌われても、正論を追う生き物だ。だけど、新たな理論のために、最も夢に生きてるから、今言ったことは自身への戒めでもある」
ーー離れすぎると、戻ってこれなくなるーー
「……」
「……最低。大嫌い」
「妻以外にはいくら嫌われても結構ですよ」
「あなた、二重人格?」
「何ですか、いきなり?」
「私を責め立ててるときと、口調が違います」
「口調が違うのではなく、あれが素です。普段はできるだけ丁寧な言葉を心がけていますので」
「あれを聞いた後だと、気持ち悪いですね」
「よく言われます」
俺の首筋から刃が離れる。それに合わせて顔を上げると、生理的な物だろうか、目を潤ませた彼女と目が合った。しばらく目を合わせていると、おもむろに彼女が口を開いた。
「あなたのような何も知らない部外者に言われたのは癪ですが、そのお言葉、参考にはさせていただきます」
「今後の人生の教訓としていただいても結構ですよ?」
「本当にいい性格をしていらっしゃいますね。ユーフィリア嬢に嫌われますよ」
「忠告痛み入ります。生憎と彼女とは前世からの縁で結ばれていますので、今更、この程度の本性を出したところで嫌われ……」
「……フィールダー魔術省大臣閣下。私の秘書官相手に何を言ったんですか?」
「ま……クライス様、私も、そのお話詳しくお聞かせ願いたいのですが?」
後ろから氷のような声が聞こえて、振り向くと、そこには無表情のセラ教皇と、微笑みをたたえた詩帆が立っていた。あっ、これはヤバイ、と思った俺は即座に弁明を始めた。
「……少々話し合いで感情的になり……」
「クライス様が、私に対して酷い言葉攻めをされただけです。耐性がないので、少し驚いて思わず涙が」
「……フィールダー卿?」
「……雅也、詳しく聞かせて」
正面に向き直ると、マリアさんが俯いて、泣きの演技を入れているが、どう見てもあれは笑いをこらえている……やりやがった、あの女。
「いや、誤解があるようです。一度説明を……」
「誤解?私の秘書官を泣くほど追い詰めたことに、正当な理由があるのなら話していただけますか?必要なら懺悔室もお貸ししますよ?」
「私以外の女性と楽しくお話して、いたぶって楽しまれたんですか。へぇ、そうですか」
セラ教皇も、詩帆も完全にキレている。特に口調が幼少期の素になっている詩帆は、本当にヤバイ。この状況の詩帆は過去に両手の指で数えられるくらいしか見たことがない。
「セラ教皇。流石に閣僚同士が私怨を募らせるのは良くない。冷静に話し合いましょう」
「私はいたって冷静ですよ。それで、私の秘書官を泣かせた合理的な理由をあなたお得意の弁論でお話しいただけますか」
「ええ。説明しますから……ユーフィリア嬢、本当に誤解だ。ひとまず話を聞いて……」
「……(直前から、全部聞いてたよ。それで雅也って、私以外にもあんなことするんだって。私くらいしか、あんな風な言い回しで話す相手って、いませんでしたよね。それをよりにもよって結婚式の下見に来た場所で、女性にやるなんて。それに、そんな雅也に色々思っちゃう自分も嫌なんです)」
詩帆の小声かつ高速な愚痴を聞ききって、俺は深く息をついた。そして、椅子から立ち上がって。
「……とりあえず、一度真剣に謝罪するので、話を聞いていただけませんでしょうか」
「話くらいは聞きますよ」
「説明の内容によっては婚約破棄も視野に入れます」
「ええ。では一から説明させていただきます」
拗ねた詩帆の機嫌を取りつつ、完全にキレているセラ教皇の誤解を解き、報復とばかりに横やりを入れてくるマリアさんを抑えつつ……これ、魔神殺しより難易度高いんじゃないか?
「それで、ですね……この話の始まりは……」
「ディティス教皇庁大臣閣下、フィールダー魔術省大臣閣下、緊急通達です」
説明を始めようとした瞬間、部屋に騎士が飛び込んできた。タイミングの悪さに文句を言おうとした俺だったが、続く騎士の言葉で、諦めざるを得なかった。
「国王陛下より、緊急閣僚会議の招集令です」
しばらくは毎週土曜日22時更新で頑張ろうと思います。




