第百五十四話 式場の選択権は夫にはない
「着いたわね」
「ああ……着いたな」
王都内を馬車に揺られること十数分。たどり着いたのは非常に見覚えのある観光地だった。
「ここって、大聖堂だよな。下見先ってここか?」
「ええ。ここであってるわよ」
「……みたいだな、いつも賑やかなのに、周囲に人がいないし」
ここはルーテミア王国の国教であるキルト教の大聖堂だ。数百年の歴史を誇る建造物であり、観光地として日夜多くの人々が訪れている。
ちなみに魔神戦の前に倒壊した王都中央協会とは、別の建物だ……あっちの方が教会の実務的な中枢だったから、魔術省……というか俺個人には教皇庁と教会から抗議と苦情が山と来たのだが、まあ今は忘れよう。
「事前に下見のことを伝えて、人払いをするとは言ってたけど……普段の様子と比べると不気味にもほどがあるわね」
「そうか……ところで、この場所って確か……」
「フィールダー伯爵夫妻、お待ちしておりました」
俺がとある疑問を詩帆に尋ねようとしたとき、その背後から声がかかった。その声に振り向くと……この場所にもっともふさわしい人物が立っていた。
「これは教皇様、直々のお出迎えとは……」
「かしこまらなくても結構ですよ。同じ閣僚同士なのですから、一対一の場でくらい、少し肩の力を抜いてください」
「では、ありがたく……お久しぶりですディティス公」
「久しぶりというほど、久しぶりではないですが、ようこそフィールダー伯爵」
聖女の笑みで俺にそう言うセラ教皇の目は笑っていなかった……やはり、あの一件でずいぶん嫌われたいだな。
「本日は大聖堂を特別に見学させていただけるようで、ありがとうございます」
「いえ、救国の英雄の結婚式に使っていただけるのですから、何よりです」
「ありがとうございます。教皇、ところで一つお聞きしたいことが」
「何でしょう」
「この大聖堂、僕の記憶が正しければ、王族以外の婚姻は基本的に行われていなかったと思うのですが」
「それなら問題ありませんよ、陛下が許可されましたから」
詩帆に伝えられた褒賞……なるほど、理解した。
「王都の貴族子女憧れの、大聖堂での結婚式……それが詩帆への褒賞か」
「正解。まあ……その……悪い気はしないでしょう」
「なので特例で、教会としても許可しました。もっとも陛下が許可されるのであれば、慣習的なものですし、特に問題はないのですが」
「なるほど……状況は理解しました」
特例で、と言うときに俺の方を睨んできたセラ教皇の様子を見て、詩帆が俺の方に非難の視線を向けてくるが、知ったことではない。というかリリアの暴走に関しては、どう考えても教会側に非があると思うのだが……
「ですのでユーフィリアさん、心置きなく見学していってください。そして、本番に向けての準備には教会としても全面的に協力しますので」
「ディティス教皇、ありがとうございます」
「半分、プライベートな場ですし、セラでかまいませんよ」
「分かりました、セラさん」
セラ教皇は確か21、だったかな……童顔なのもあって年相応以上に幼い印象に見える。その印象通りの聖女様だった、とレオンからは聞いていたが……この数ヶ月の出来事が彼女に大きな変化を与えたことは想像に難くない。
「私も、幼い頃からこの教会には訪れていましたからね、ユーフィリアさんが羨ましいところはありますよ」
「セラさんなら、きっと良い出会いに恵まれますよ……」
「ふふふ、ありがとうございます。結婚式当日は私が司祭役をさせていただきますね」
「教皇様自らとは、光栄です」
二人の美少女が会話している光景というのは見ていて目の保養だな。セラ教皇の目が時折死んでいなければ、なお良いんだが……
「さて、挨拶も終わりましたしユーフィリアさん、大聖堂の中をご案内しますね」
「ええ、お願いします」
「ああ、フィールダー卿はお控え願えますか?」
「……教皇猊下、理由をお聞きしても?」
「男性としては式当日まで、花嫁の結婚準備を目に入れない方が喜びが増すというものでしょう」
「それは、そうですが……」
「ではフィールダー卿は私が奥様と式場を見て回っている間、私の秘書官と打ち合わせをお願いします」
矢継ぎ早に言葉を告げながら、セラ教皇は詩帆の手を引いて教会の入り口に向かっていく。通り過ぎ様に詩帆が俺に怪訝な目を向けてくる。
「(ねえ雅也、本当に何したの?)」
「(俺も知らん。詩帆が知ってる以上の関りはない)」
「(それで、ああなる?……とりあえず、またあとで)」
「(ああ、またあとで)」
「では、フィールダー卿、またの機会に」
「ええ、またの機会に」
そのまま、セラ教皇の付き人や護衛とともに教会内部に入っていく詩帆を見送りながら、俺は一人溜息をついた。
「はぁ……またの機会にって、今日はもう会わない気か。本当に、あれだけで嫌われるとか勘弁して欲しいんだが」
リリアの魔力暴走事件の時は、教会庁に関する認識も不十分だったので、現教会庁トップであるセラ教皇にはある程度強めの遺憾の意を示した自覚も、焦っていた上にリリアとソフィアさんがあんな状況に陥ったことに関して怒りも覚えていたので、キツい言い方もした自覚もある。
「……それでも若い教皇様相手に最低限、配慮して優しく言ったつもりだったんだけどなあ……<惑星崩壊>」
俺は極小範囲に魔術で地震を発生させた。振動波を制御し、俺は周囲の地面を液状化させる。その地点が沈み込み、微かな声が聞こえた。溜息をつきながら、少し声を大きくする。
「……それで、俺を包囲しているみたいだが、教会は俺に敵対するということでいいのか?」
直後、液状化させた地面付近から様々な攻勢魔術が俺に向か飛んでくる。咄嗟の一撃にしては中級以上の魔術が正確無比に狙ってきていて驚いたが……
「俺を相手にするにはさすがに分が悪いな……<反射障壁>」
俺に向かっていた魔術は全て結界に吸い込まれた。周りから息を飲む声が聞こえたが、それにかまわず俺は、<氷神の氷結槍>を前方の人物を中心に多重展開し、声量を上げる。
「周囲の魔術師全員、位置は補足してる。全員、攻撃を止めて今すぐ姿を見せろ。見せない場合はこの魔術を放つ」
俺の声に周囲の動きが止まった気配がする。だが周囲は静寂に包まれたまま、物音一つない。
「……反応がないな。5秒以内に姿を見せろ……5・4・3……」
「全員、魔術を解いて、姿を見せなさい!……救国の英雄を、少々舐めすぎましたね」
氷の槍の刃先が向く中心から、低い女性の声が聞こえた。それと同時に周囲に人の姿が現れ始める。どの人物も、白いローブを目深に被って、足下を液状化した地面に取られている。
姿を表した魔術師達に警戒を向けながら正面に向きなおると、俺に魔術を向けられながら顔色一つ変えずに微笑む氏祭服姿の女性が立っていた。
「……それで、僕をわざわざ姿を消した状態で囲んでいた目的はなんですか?」
「フィールダー魔術省大臣猊下。失礼ながら、貴方が我らが主にどうある方なのかを見極めるために」
「……それだけで姿を消した魔術師十数人に囲まれていては敵わないんですが」
「大変失礼しました。本来ならば、これに気づかれる前に私が姿を現し真意を問うのですが……よもや気づかれるとは、と言ったところです」
「なるほど、僕が想定外だと……」
「……救国の英雄殿の力を過小に量ったことも併せてお詫び申し上げます」
「そんなことは気にしていないです。それより、その見極めというのは?」
「このような状況で、信用できかねるというのはわかりきっていますが、場所の移動をお願いできますでしょうか?」
「……理由は?」
「この場所の人払いの時間に限界があります。教皇様がフィールダー伯爵夫妻をお迎えする時間の一環で、今この周辺には人払いをしていますので」
「わかった……」
教会に徐々に近づいてくる喧噪を遠くに聞きながら、俺は周囲に展開していた魔術を解き、一礼する彼女の後を追って教会の中に入った。
「……それで、あなた達は何なんです?」
「フィールダー魔術省大臣猊下、大変申し遅れまして失礼いたしました。キルト教教皇親衛隊隊長を務めさせていただいておりますマリア・フォン・ルフェーブルと申します」
「マリアさん……僕のことは、この場ではクライスでいいです」
「かしこまりましたクライス様」
協会内の一室で机を挟んで相対したマリアさんは、くすんだ紫色の髪を伸ばした壮年の女性だった。
「ルフェーブル家……寡聞ながら聞き覚えがないのですが、教皇に仕える家なのでしょうか?」
「正確にはキルト教教会という存在そのものを見守ってきた家です。時代と共に移り変わられていく教皇家を支える家、というのが近いでしょうか」
「なるほど。そして支えるというのは生活や執務の面だけではなく守護も、ということですか」
「はい。代々、教皇親衛隊隊長を務める家であり、教会の表に出ない旧い家の一つです」
周囲には先程まで姿を隠していたローブ姿の魔術師達が二人いるが、さすがに俺に魔術は向けていない。まあ、常に敵意に満ちた視線で見られてはいるが。
「それで、見極めというのは?」
「先日の中央教会崩壊の一件です」
「……明らかに非はそちらにあると思いますが?」
「勿論です。あの様な事態が発生した原因は、全てヴェルフェン率いる邪霊掃討部門の暴走にあります」
「一個人、部門の暴走であるから教会そのものは関係がないとでも言うつもりで?」
「いえ、教会内部の権力闘争や教皇交代の混乱の中で統制が取れていなかった教皇様や、私達に一切の非がないと言える状況ではなかったと認識しています」
淡々と言葉を告げるマリアさんからは真意が全く読めない。やはり敵意はなさそうだが……考えていても仕方ないと、目の前の紅茶を1口啜って、俺は言葉を続ける。
「では、なぜ、このようなことを……」
「あなたが教会に敵対しないことを確認したかったからです」
「だったら悪手でしかないでしょう……俺が敵対しても何らおかしくない状況ですよ?」
「ですが、そうはならなかった」
「それは結果論でしょう」
「邪教掃討部門を失い、教皇様が代わられたばかりの今の教会にあなたを敵に回す力は無いと示すには手っ取り早いでしょう」
「……そこに関してはあえて何も言いません」
確かに今のルーテミア王国で俺に敵対されたい勢力などないだろう。自分で言うのもどうかと思うが、魔術師としての力量はもちろんのこと、英雄としての影響力、何より国王を始めとした影響力の強い現閣僚陣との関係も深い魔術省大臣。そんな相手、この大国を敵に回すのと大きくは変わらない。
「……さて、クライス様」
「改まってなんでしょう」
「私から言うのもなんですが、この会談はあってないものになるでしょう」
「まあ、僕がここにいる事実はどこにも残らないですからね」
「ええ。ですから、ここからは改めて記録に残さないでいただきたいんです」
「別にかまいませんよ」
「寛容な対応に感謝します……」
少し柔らかい表情になったマリアさんの表情は、顔を上げると無表情になっていた。そのままマリアさんが部屋の中に立っていた二人に目線を向ける。立っていた二人は少し渋る様子を見せたが、マリアさんに目線を合わせ続けられ、やはり渋い顔のままで部屋を出て行った。
「……クライス様、このような形になったこと、心から申し訳なかったと思っています」
「……とりあえあず謝罪を受け入れます」
「ありがとうございます……」
一呼吸を開けて、マリアさんが発した声色は、今までのどんな声色とも違っていた。
「……どうか、セラちゃんを救ってあげてほしいんです」
ええっと、お久しぶりです。この作品自体の全面改稿を何らかの形でしたいなとは思っているのですが、方法を決めかねて、ひとまずストックを放出することにしました。
しばらくストック放出で、ちまちま更新します。




