第百五十一話 湊崎夫妻の休日
「それで、一体何があったんですか」
着替えて戻ってきた詩帆が全員の前にお茶を淹れたところで、俺はそう切り出した。
「そう警戒しないでくれ」
「警戒もしますよ。今までの経緯を思い返してください」
「クライス君にマーリスさんがやってきたことを考えると……そうね。まあ、仕方ない気はするけど、今回は大丈夫よ」
「……セーラさんがそう言うなら、大丈夫みたいですね」
「師匠に対する態度じゃないよね、クライス君」
不満そうな師匠を横目に、セーラさんに視線を向ける。
「一言で言うと、一度帰宅するわ」
「はあ。一時帰宅前の挨拶、ってことですか?」
「それもあるけど、目的が<魂減少停止>の解除なのよ」
「ああ、なるほど」
「雅也、オーバーライフって?」
「師匠とセーラさんの老化というか身体的劣化を千年前から止めていた魔術だ」
唯一、千年前の細かな事情を知らない詩帆に、俺が<魂減少停止>について少し説明すると、すぐに詩帆は納得してくれた。
「魔神を封じたときの膨大な魔力をもとにして、世界の理を歪めた魔術……メビウスさんって本当に何者?」
「超理論派の魔術師……って言っていたのだけど、私も天才の一言じゃすまない気がしてきたわ……」
「僕はずっとそう言ってたと思いますが……ようやく、ですか」
「ええ。今、シホちゃんを待っている間にクライス君の魔力回路は確認させてもらったけど、ほぼ問題なさそうだったしね」
「……改めて、ご心配をおかけしました」
「まあ僕らが巻き込んで、クライス君に怪我を負わせたわけだし、治療は僕らの義務だろう」
「治療をしたのはほぼ私だけどね」
「分かっているよ。セーラ、お疲れさま」
本当なら、魔神戦から数日後には師匠達は<魂減少停止>を解除する予定だった。だが、俺が想像以上の負傷で死にかけていたため、容態が落ち着くまでは王都に残っていてくれた。
確かに師匠の言うとおり、師匠達の計画に参加して負った傷だが、世界全体を守るためだったし、俺がかなり無茶をした結果の負傷でもあるので……
「そうは言っても、僕の無茶が招いた結果でもあるので……以後、気をつけます」
「まあ、そこは気をつけてあげてね。奥さんにこれ以上心労を与えないように」
「……はい」
「ええ、本当にね。この子のためにも、私に余計な心配、かけさせないようにね?」
「……ああ」
「ふふふ、マーリスさんとの子供かあ……今から楽しみ」
「師匠も、ブーメランにならないようお気をつけて」
「分かっているよ……とにかく、今さらたかが一ヶ月だ。気にしないでくれ」
たかが、でも待ちに待った瞬間だ。長く、人の世から離れてきた二人がようやく人に戻れる日。二人で微笑みあう師匠とセーラさんを見ながら、隣の詩帆に言う。
「なあ、詩帆」
「なに?」
「無茶して良かったって、久々に思った」
「無茶は勘弁して欲しいけど……まあ、良かったという点には同意ね」
そう詩帆に返されたところで、俺はあることを思いだした。
「家に戻るって話でしたけど、シルヴィアさんとディアミスは?」
「ああ。諸々の準備も含めて一ヶ月くらいはかかるし、まあなるべくなら後生には残したくない魔術ではあるから、王都に残ってもらうことにしたよ」
「二人とも、というかシルヴィアちゃんがしばらくはディアミス君をきっちり監督するって言っていたから、その辺は安心してもいいと思うわよ」
「ええ。これ以上やられると国際問題になりかねませんからね」
ディアミスは王城のクーデターに参加したあげくにエリザベート姫を監禁している……結果だけを見ればディアミスが監視役だったから、エリザベート姫は手荒にされることなく、拘束もされていなかった。だから、それを上手く言い換えて、市井の魔術師がクーデター集団に紛れて王女を守っていた、と公式の報告書には書いている。
「まあ、セーラさんに折檻されてからは大人しいですし、大丈夫だとは思いますけど」
「ええ。それに、あの件も何か事情があるようね……その事情はどれだけやっても口を割らなかったけど」
「セーラの折檻で、口を割らないとか……ディアミス君、尊敬するよ」
「マーリスさん?」
「いや、君の折檻、本当に洒落にならないからね」
師匠の言い方はどうかと思うが、実際にディアミスは半死半生の目に遭っていたので否定はしづらい。その点、詩帆は人を傷つけるのとは正反対の職業人だからね……こっちの世界に来てからの諸々はまあ、明らか俺が悪いしな。
「それで、もう立たれるんですか?」
「あっ、ああ。そのつもりだよ」
「良かったら僕が<座標転移>で送っていきますけど」
「クライス君?」
「……物理魔術の使用は禁止でしたね、はい」
「ええ。シホちゃん、クライス君がやらかさないよう、よろしくね」
「はい。まあ、指示を聞かない患者さんよりは楽ですから」
そう言いながら俺を見る詩帆の目は少し怖い。はい、散々あなたの指示を破ってきましたからね。
「もう無茶はしないって言ったろ。今みたいな不注意ならともかく、自分から無茶はしないよ」
「なら、よろしい」
「じゃあ、二人とも仲良くね」
「言われるまでもなく」
「そうみたいね」
「じゃあ、そろそろ行こうかな」
師匠とセーラさんが立ち上がる。それに続いて、俺は詩帆の手を取り立ち上がった。
「あっという間に見えなくなったわね」
「まあ、白龍の飛行速度は龍種の中でもかなり早いほうになるしな」
庭で見送りをする俺たちに、「結婚式までには戻るよ」とだけ言って二人は自宅に帰っていった。
「さてと、言われてしまったけど結婚式の準備もしないとね」
「ああ。前世以上に豪華な式にするさ」
「楽しみにしてるわ」
魔神を片付けたら詩帆が動ける間に結婚式を行い、そのまま新婚旅行に向かう予定だった。両方ともある程度の方針は決まっているのだが、俺がこの一ヶ月は全く動けなくなっていたので最終決定はできていなかった。
「まあ、のんびりもできないけど焦らず決めようか」
「そうね。まあ、今日は一日のんびりしましょう。さすがに今日はお休みでしょう」
「ああ。復職は明日からって既に連絡済みだ」
「そう……って、明日?」
「ああ。もう少しのんびりしたい、というか詩帆が休ませたいのは分かるんだけど、さすがに一ヶ月も出てないと仕事もたまってるだろうし」
「……止めたいけど、まあ、確かにそうよね。無理はしないようにね」
「それはもちろん」
俺だって初日から、バリバリ仕事をする気はない。というか一月も休んでいた以上、しばらくは状況確認が優先だろう。通常業務に戻るのに結構かかりそうだ……
「とりあえず今日は仕事の話は頭から飛ばすよ。今日までは休日だ」
「ええ、そうして」
「さて、じゃあどうする?」
「どうするって?」
「いや、丸一日のんびり休みなんてたぶん今後もしばらくないだろうから、どこか行きたいところとかないかなって」
「そうね……」
俺の質問に考えるそぶりを見せた詩帆は、しばらく経ってから俺の手を取って屋敷の方に歩き出した。
「で、どうするか決めたの」
「ええ。何もしないことにしたわ」
「うんうん……えっ?」
「もう、この数ヶ月散々色んな事に巻き込まれて考えたらのんびりできてなかったなって、思ったの」
「まあ、確かに……」
王立魔術学院で詩帆とお互いを認識した日。あの日からレオンの政権奪取の手伝いをして、その間に魔王戦争があって、その時に前国王が死亡してレオンが政権を引き継いだ。で、そこから政権移行のゴタゴタに、王城でのクーデター騒ぎ、さらには間を置かず魔神が復活して……
「……休む間もなかったな。いや、休んでた時期もあったけど、だいたい俺がベッドに拘束されてた時間くらいか」
「ええ。その間も私は看病で忙しかったしね」
「……色々とご迷惑をおかけしました」
「まあ、看病は好きだし、その相手が雅也だから辛くもなんともないんだけどね……ボロボロになって帰ってくるその瞬間が一番怖いけど」
「もう、そんなことにならないようにするから」
「それは信じないって言ったでしょう」
「わかってるよ。結果で証明する」
「そうして」
そんな言い合いをしながら部屋に戻ってきた俺たちは、ひとまずソファの上に腰を下ろす。
「ふう……実際、本当に何もない日っていつぶりだろうな?」
「この屋敷に来てからはないんじゃない?」
「ないことはないと思うけど……何も抱えてない日はないな」
「何かしらその先のことや、現状の問題抱えてたものね。いつもお疲れ様」
「詩帆の方こそ、そんな体で色々動き回らせて悪かったな」
「それは、半分私の勝手でやったことよ」
「それでも……俺が無茶した結果、付き合わせてしまったわけだからな」
隣に座る詩帆のお腹の上に手を置く。
「……この子のためにも、本当に詩帆に心配をかけないようにしないとな」
「……本当よ……」
「二人っきりの時くらい素直に甘えてくれ」
「素直になりきれないのは性分だもの……わかってるでしょ」
「まあ、俺が本音を読めばいいだけか」
「うん……」
そうやってわかってと言ってくるのが詩帆の昔からの甘え方だ。自分の本心を出すのを得意としてないなんて、ずっと知ってたはずなのに、ある意味ずっと一人にさせてしまったようなものだ。
「もう、一人にしないから……ちゃんと二人で生きていこう」
「うん」
「平和だな……」
「あなたがくれた平和よ」
「一緒に戦ってくれた師匠達や、この国を立て直してくれたレオンのおかげだよ。俺一人じゃ……」
「ううん、私の平和をもう一度くれたのは雅也だよ」
そう言って微笑む詩帆の顔を見ていると色んな映像が頭を流れていく。そう、だな。
「まあ、普通じゃありえないような現実に巻き込んだのも俺だし、転生して、死線に連れ込んだのも俺だけどな」
「でも、雅也がいなかったら、私はここにすらいないもの。雅也がいなかったら、私はきっとどこかで……だから、ずっと一緒にいよう」
「当たり前だろう……」
「あれ、雅也照れてる?」
「……照れ隠しで謙遜や冗談言ってるのにストレートに愛情ぶつけてくる奥さんがいたら、照れもする」
「ふふふ……嬉しかったんだ、そっか」
その、子供みたいな笑顔に、きっと指摘したら見れなくなりそうな愛しい笑顔にますます自分の頬が赤くなっていくのを感じる。
「……詩帆、好きだよ」
「私も……」
そうやってじゃれ合いながら、過去に未来に色んな話に花を咲かせて……気がつくと、俺の意識はまどろみの中で……
「主、今戻った。まったくあの新副大臣、やれるだけ俺を使い倒し……ん?」
その日の夕暮れ、若干やつれた様子のホルスがフィールダー邸の庭から屋内に入る。そこで、とある光景を見て、足を止める。
「とても、幸せそうだな。まあ、今日ぐらいは二人きりにしておこうか。リリア嬢か、ソフィア嬢……うーん、女性よりはレイス殿の店に行く、か」
そう呟きながらホルスが飛び立った後の部屋。
そこでは、クライスとユーフィリアが夕暮れの陽だまりの中で肩を寄せ合って眠っていた。
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連続投稿5日目です。




