第百五十話 平穏な朝
本日から新章突入です。
カーテンの隙間から差し込む光で薄らと目を開ける。横から静かな妻の寝息が聞こえた。気持ちよさそうに寝ている彼女を起こさないよう、ゆっくりとベッドから起き上がり、窓の方へ歩いて行く。
「平和だなあ……」
カーテンを開けて、窓も開ける。外からは気持ちのいい風といっしょに鳥のさえずりと、市場の賑やかな声が聞こえてくる。
「雅也……勝手に……ベッドから起きるなって……言ってるでしょ」
「洲川先生、寝ぼけてますね。昨日あなたが解禁しましたよ」
「そうだっけ……そうか。でも、激しい運動と刺激の強い食事、飲酒は厳禁ですよ……」
「それは昨日再三言われた」
「そう、だっけ……」
「そこで二度寝するのか……」
フニャフニャと寝ぼけながら俺と少し会話した詩帆は、そのまま前のめりに倒れて二度寝を始めた……今世では前世以上に低血糖を悪化させているらしく、俺の容態が落ち着いてからは俺の目覚めと一緒に起きて寝言を言って二度寝するのが日課になっている。
「しかも本人に記憶が残ってないのが性質悪いんだよな……」
「……zzz……」
気持ちよさそうに眠る彼女に、子供のためにも心安らかに眠ってもらいたいというのもあるが、単純に可愛いのでしばらくはこのことは言わないようにしようと改めて誓って、俺は前のめりに潰れている詩帆の頭を枕に戻して部屋を出た。
「魔術回路の損傷に、全身の臓器の微細出血、か……それぞれ専門のセーラさんと詩帆がいてくれなかったら、本当に死んでたな」
一ヶ月前の魔神との決戦の後、この邸宅に帰った俺は詩帆にローブや上着を脱がされ、尋問を受けた。
「雅也。あなた、全身の臓器から微細な出血点が複数あるの。大きなものは全て塞いだけど……心当たりは?」
「ありすぎてなんとも言えない」
「全部答えて。どういう状況で起きたかによって出血原因から今後の治療方針を決めるから」
患者に対しても夫に対してもありえないような冷たい目線を向けられ、俺は何かに追い込まれるように戦闘で負った可能性のあるダメージを列挙した。
「ええっと、まずは普通に戦闘で受けた打撲、次が自身の魔術による重力制御や急加速の時に内臓に負荷がかかった可能性、最後に魔神と互いの存在消し合ったときに、自身を再構成したんだが、そのときのミスかな……」
「再構成……今すぐ腹を開くからそこに横になって」
「なんでいきなりスプラッタを?」
突っ込む俺を問答無用でベッドに押し倒して、詩帆が続ける。
「あなた、再構成の時に生命維持に直接関係のない臓器の修復、手を抜いたでしょう」
「手を抜いたというか、戦闘時に自然と比較的余剰なタスクを省いたというか……」
「消化管の接合が、全体的に適当なの。出血の多くが消化管よ。大穴あいたら細菌性ショックの可能性もあるから今すぐ開いて接合し直すわ」
「は、はい」
その後、俺は複数の消化管の歪な結合部を切断され、つなぎ合わされるというテディベアのような大手術を受けた。もっとも傷口を光魔術で塞いだおかげか、術後に痛みがほぼなかったので、あまり大手術をされた実感はなかったが。
術後、詩帆が一通りの説明を終えた後、次にやってきたセーラさんは詩帆のように尋問じみた真似こそしなかったが……淡々と俺の置かれた状況を説明してくれた。
「クライス君、お疲れ様。身体面はシホちゃんに任せることにして、私が診るのは魔術回路の方よ」
「魔術回路ですか……かなり負荷をかけましたし、ダメージの重さは自分自身が一番実感してますが……」
「とりあえず二週間は魔術の使用禁止よ」
「破ったら?」
「死ぬわ」
「はい?」
言ったとおり確かに無理をした自覚はある。本来、人の手を出さないような領域に足を踏み入れたのだから。負荷をかけた脳にも微細出血が見つかり、その件でも詩帆にさっき死ぬほど怒られたしな。
「現に痛みが走ってますから、ヤバいのは分かるんですけど……そんなにですか?」
「ええ。その痛みは、不可をかけすぎたあなたの精神体や霊体が破れかけてるダメージを擬似的に体に感じさせているものよ」
「破れ、かける?そんなことあるんですか?」
「普通はないわよ。本来人が扱える魔力の量は、自身の保持できる魔力量より圧倒的に少ないもの」
「……」
「心当たりは、あるわよね?」
魔神戦の最中、俺は<机上の空論>と<世界崩壊>とかいう本来一人で行使するのを前提としないような神の一端になりうるような魔術を行使しながら、同時に複数の超越級魔術を行使していた。
「普通に死んでもおかしくなかった状況よ」
「詩帆には、このことを……」
「言ってないわ。終わってから言っても、不安にさせて混乱させるだけでしょう。ただ、今後同じ状況に陥らないよう気をつけてね」
「はい……」
「じゃあ、状況はわかったと思うから、続きを説明するわね」
そう言ったセーラさんは、おもむろに手のひらの上に<水球>を浮かべた。それを操作して中空にして俺に見せる。
「あくまで概念的な話だけど、あなたの魔力回路は強引に膨大な魔力を通した結果、内側がズタズタになって……」
そう言いながらセーラさんは<水球>の内側を荒れさせる。
「で、その結果こういう風に損傷の激しい部分が擬似的な痛みを発生させてるの。この部分に魔術使用時のように集中して魔力が流れると……」
「特に損傷が激しく、薄い部分が裂ける、と」
「簡単に言うとね。そう簡単には裂けないけど、痛みが発生するってことは激しい損傷を伴ってるのはほぼ間違いないから、念には念を入れて、ね」
「分かりました」
「じゃあ、しばらくは自分の体を最優先にね。後、可愛い身重の奥さんに心配をかけないように」
「はい……」
セーラさんが出て行った後、俺はそのまま眠りについた。そして、次の日から……
「……地獄を見る羽目になったんだよなあ」
簡単に言うと色々とやったツケを払わされたといった感じだろうか。
「<身体能力限界突破>の過剰使用による全身痛。アドレナリンが切れたせいか内臓全体から感じる鈍い痛み。全身から感じる気の遠くなりそうな魔力回路由来の痛み……最初の三日は死ぬかと思ったな」
睡眠魔術に睡眠薬まで服用しても激痛でろくに眠れなかった。こんな時期なのに詩帆は最初の三日はほぼ寝ていないはずだ。
「それが終わってからも一週間は起き上がれなかったし……本当に詩帆には心配かけ通しだったな」
洗面所にたどり着き、顔を洗う。こんな当たり前のことができるようになったのもつい一週間前だ。
「さて、タオルは……」
「おはよう主」
「おはよう、ホルス」
タオルを探していると横から出てきたホルスがタオルを差し出してくれた。
「もう、動いても大丈夫みたいだな」
「ああ。お前を再度召喚するような大規模魔術の行使はさすがに無理だけどな」
「それは分かっている。だから、この間のように無意識下で送還するのは勘弁してくれ」
「あんな状態になるほど魔力を使えないから、まず無理だな」
詩帆から全快のお墨付きをもらっていないのと同じく、セーラさんからも全快のお墨付きはもらっていない。模造魔術であるなら第八、第九階位の魔術の同時行使のような真似以外は許可されたが、物理魔術は全面禁止で、階位的な意味での超越級の魔術は全面使用禁止だ。それには勿論、階位の設定上は第十一階位の<召喚>も含まれる。
「まあ、何にせよ、ひとまずの復調おめでとう」
「ありがとう」
「後、これは今朝の新聞だ」
「毎朝、どうも……」
この世界にも新聞という文化はあった。まあ魔術的な手段で写真技術と印刷技術があると聞いた時点であるだろうとは思っていたが……市井に流通している紙も前世ほど上等ではないが、まあ一般市民が普通に買える程度には安価だ。
「さてと、一面トップは……ああ、クーデター後の魔術省のトップ人事の公表か。そういえば、一昨日、アディウス士爵が説明してくれたな。それで確か承認印ついた記憶があるな」
「トップとして、その記憶はどうなんだ?」
「仕方ないだろう。この一ヶ月まともに仕事もできてないんだから」
王都クーデターの後、空席となった副大臣の権限は全て俺が処理することでひとまず仕事を回していた。だが、この一ヶ月間は俺が絶対安静であったためにそれすらできなかった。そこでレオンは魔術省内で副大臣代理を暫定の役職で置いたとは聞いていたが……
「おそらくこの新副大臣が、その代理だった人だと思うんだが」
「だが?どうかしたのか」
「スクウィード子爵……うーん、どこかで聞き覚えがるんだよな」
「副大臣に選ばれるほどのものなら、聞き覚えがあってもおかしくはないのではないか?」
「まあ、それもそうか」
まあアディウス士爵とレオン、それにおそらくハリーさんのチェックもされているだろうし、人格面、能力面ともに問題ない人物なのだろうし、会えば分かるから置いておこう。
「後は東方の山村での魔物被害の拡大……王国の対応の遅さを遠回しに揶揄してるな……前王時代は批判やったら処刑だったろうから、書き方が遠回しで上手いな。レオンも苦労しそうだなあ」
「主は他人事ではないだろうに……」
「まあ、そのときはそのときだよ」
そう話しながら食堂にたどり着く。しかし二人暮らしにはこの家、何もかも無駄に広いな。
「何か中に小規模な離れのスペース作って、普段はそこに住もうかな」
「そこまでするなら、なぜこの家を買ったんだ……」
「まあ、金はあったからな」
「嫌な発言だな」
「半分冗談だよ。まあ、色々これくらいは我が儘言わせてあげたくてな」
ここには勿論、奥のキッチンで朝食を作るために来たのだが、その前に優先事項を済ませておこう。
「主、キッチンに行かないのか」
「先にやっておきたいことがあってな」
そう言いながら<亜空間倉庫>を開く。これも物理魔術だが、これだけは大量の魔力を消費しないのと、中に入れてあるものを出せないと困るという理由でセーラさんに許可は取っている。
中から紙とペンを取り出した俺は、必要事項を書き切り、反射的に物理魔術でインクの水分を飛ばして乾燥させようとしたところで手を止めた。
「普通に物理魔術使いかけてたな……<温風>」
普通の合成魔術でインクを乾かして、もう一つ取り出した封筒に入れて封をする。
「ホルス、これをレオンの私室と魔術省内部機関調整担当室に置いてきてくれ」
「いいが、内容は?」
「明日から職場復帰するっていうのがメインかな」
「了解」
「じゃあ、頼んだ」
そのまま消えるホルスを見送ってから俺はキッチンに入り、朝食の準備を始めた。
「雅也……おはよう」
「おはよう詩帆」
俺が起きてから一時間後、寝ぼけ眼で髪もボサボサの詩帆が起きてきた。前世と全然容姿が違う、特に髪色とか黒からブロンドに変わっているのに……
「前世の休みの日の詩帆にしか見えないな」
「……どういう……意味よ」
「そのまんまの意味だが」
何だかんだと魔神との戦いまでは詩帆も、かなり気を張っていたのだと思った。その気の抜けた様子がすごく愛おしくて、俺は気がついたら詩帆を抱きしめていた。
「雅也、苦しいんだけど」
「ごめん……詩帆、これからまた、幸せになろうな」
「……もう十分幸せだけど……うん」
「前世でできなかった分、この十五年我慢させて、この一ヶ月心配かけた分、思う存分今後を楽しもう」
「当たり前でしょ」
そう言って笑う詩帆はすっかり眠気も覚めたようだ。同時に恥ずかしくなったようで少し顔を赤くしながら俺を振りほどくと、そのまま席に着いた。
「うーん、朝ご飯、やっぱり私が作るよう頑張ろうかな」
「貴族らしくないけど、別に良くないか?」
「いや、貴族らしさとかどうでもいいけど、あなたに任せるとトーストと目玉焼きとサラダのセットかご飯とお味噌汁と焼き魚のセットの二択じゃない」
「いや、バランスも取れてるしいいじゃないか」
「もう少しレパートリーが欲しいのよね。後、私、朝はパン派だし」
「その文句、前世でつけてくれないか?」
「お互い生活時間あわないから、それに気づくまで時間がかかったのよ。思ったときには私、入院してたし……」
食事をしながらそんな会話をしていると、玄関の扉が開く音がした。ここの鍵を持ってる人間で、こんな時間に来そうな人間に当たりをつけていると、目の前の詩帆が消えていた。たぶんボサボサ髪の寝間着姿で会うのが嫌だったんだろう。
「クライス君、食事中に失礼」
「早い時間にごめんなさいね」
「別にいいですが……こんな早朝にどうされたんですか?」
「まあ、色々と用件はあるんだが、とりあえずユーフィリア嬢が戻ってくるのを待つよ」
「はあ」
早朝に来るとか嫌な予感がするが、まあ魔神出現以上の凶事もないだろう。
「はあ、俺と詩帆の二人きりの休日はいつになったら訪れるんだろうなあ」
そんなことを呟いて、俺は考えるのをやめて、朝食を再開した。
読んでくださる皆さん、ありがとうございます。PVの伸びにはいつもテンションが上がってます。
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毎日投稿、どこまで続けられるか分かりませんが、できる限りは頑張ります。




