第百四十九話 ただいまとおかえりを
お待たせして大変申し訳ありませんでした。
魔力空間に飛び込んだ俺の前には、淡く発光する文字列が並んでいた。いや、そう見えるだけなのだが。
「三次元空間でない空間に自身が存在しているっていうのは不思議な感覚だな……」
この空間には物質が三次元的に存在できない。つまり魔力の塊である魔神はともかく、本来俺は存在できないはずなのだ。
「……浮いてるわけでもない……浮かんでる。いや、思えばどこでも立てるっていうていうのが正しいのか」
俺の魔力質は、俺を構成する魔力はこの空間の魔力質に限りなく似ている。ほぼ同質と言ってもいい。だから俺はこの空間の中で自身の存在を保っていられている……ようだ。
「師匠には俺なら大丈夫って言ったけど……まあ、あくまで仮定だったしな」
正直危険な賭だ。逆に同質のもとして取り込まれる可能性だってあった。だが、どうやら賭けには成功したようだ。そして……
「追いついたな、また」
目線を前に向けると、そこには魔神が何をするでもなく佇んでいた。それに杖を構える。
「自我もなさそうだから、言っても分からないだろうけど……魔神、決着をつけようか」
そのまま、前へ全力で踏み込んだ瞬間、右手が切り飛ばされた。前方にいたはずの魔神が後方にもいる……?
「魔力空間内で、自身の構成情報を複製して……なら、こっちは……」
切り飛ばされた腕がノータイムで接合される。魔力空間での魔術行使は普通の魔術とは原理が違う。すなわち……
「……こんなこともできるわけだ」
そう呟いた瞬間、魔神の分身体が消え去った。
「物質魔力を介さない、つまり現象の過程や辻褄あわせなんかいらない。その状態を組み合わせ、魔力を流せば実現する……まさに神の所業だな」
この空間は魔力情報の全てが集まる場所。この空間に記載された事項は全て現実に反映される。
「お互いの存在の消し合いってわけか……」
直後、俺の四肢が吹き飛ぶ。自分の四肢を再生しつつ、俺は魔神の負の魔力の分解にかかる。
一見対等な勝負に見えるかもしれないが、そんなことはない。
「……さっきより圧倒的に分解速度は速いが……間に合うか……」
今度は俺の全身が消えかける……物理的損傷だと定義して、治癒魔術で全身を修復する。
お互いに三次元世界での魔術は無駄しかない。現象を起こすことが無意味なのだから。だから魔力で魔力情報に干渉し、相手の存在を消す。それだけを繰り返す。ただ、俺の方はもう一手間ある……
「双方、自身の魔力が尽きる前に相手の存在を消せば勝ちだ……だけど、俺は消すだけじゃなく分解までいる……お互いの魔力量が互角だとしても、不利が過ぎるだろう」
物質を定義する極小物体が魔力だ。つまり相手を分解すれば、それは魔力の粒子となる。この空間でなら肉体が消滅しても精神と魂さえ残っていれば即座に再生することで、物質的生物として生存できる。それは互いに同じだ。
だが、魔神は俺をただ分解すればいいが、俺は魔神を構成する負の魔力を正の魔力に還元する工程を挟む必要がある……そうでなければその大量の負の魔力が魔力情報によって再び魔神に再構成されるだけだからだ。
「何か、手はないか……消費魔力を減らす方法……」
このままではジリ貧だ。魔神は俺と違って自我がない魔力の塊である以上、完全消滅してただの魔力になれば二度と復活しない。
その点は肉体が魔力に還元されても再生できる俺の方が有利だが……圧倒的に魔力が足りない。
「自身の再生と維持に必要な魔力を削るか……いや、これ以上再生にラグをかけると死ぬ」
肉体が死んだと関知する前に再生しているから問題ないのであって、全身を消されて何秒も経ってから再生していたら普通に死ぬ。欠損とは違うのだから。
「魔力を取る手段……三次元空間上なら物質魔力を取り込めるが……この空間じゃ……待てよ」
俺の体を、俺の操る魔力の大元……十五年前……行けるか?
この空間に流れている魔力。魔力情報でもなく、何の魔力でも純粋な魔力……膨大なエネルギー……十五年前に通った俺を世界最上位の魔術師にした根底……なら、
「……<自動魔力回復>」
本来なら空間の物質魔力を還元して自身の魔力として取り込む。この魔術を僅かに改変して行使した俺は……
「うっ……流量制御……やらかし……あぶねえ、死ぬところだよ」
自身の体に流れ込む膨大な魔力で精神体と魂を破裂させて死ぬ寸前で、制御を取り戻す。
「世界の魔力。全てを構成する魔力……この空間にいる間は……その魔力を俺の魔力として扱える」
元々、俺の魂が浸った魔力だ。直接取り込む形にしたことで死にかけたが、制御を取り戻した以上は……
「魔神、お前の負けだよ……<世界崩壊>」
圧倒的な魔力差の中で、俺はこの空間上の情報改変ではなく魔術で魔神の体を分解しにかかる……一瞬均衡した力は、世界の膨大な魔力によって一気に俺に傾く。
「消えろーーーーーー」
いくら制御しているとは言っても、世界の魔力の大元を取り込んだようなものだ。精神体にも、魂にも、肉体にも負荷が大きすぎる。膨大なエネルギーを制御する脳内の魔術演算領域も限界寸前だ。
こっちも余裕がない……
自身の体が消えて、瞬時に復元する。その負荷で至るところが悲鳴を上げる……正確に復元できてるのかが怪しい……戻ったら詩帆に診てもらわないとな。
「終われ」
そう呟いて、更に出力を上げる。気がつくと自身の体への魔術的干渉が途絶えていた。
そして……
「ーーーーーーーーー」
声にならない声と共に、魔神が完全に消え去った。残渣の負の魔力も還元されて魔術が止まる。
俺は外部からの魔力供給を止め、呆然とその場に漂っていた。
「終わった、のか……」
何度も死にかけた。けど終わってしまえば呆気なく、魔神は消えた。
千年前大陸を半壊させ、七賢者達を葬り去った厄災は、今目の前で消え去った。僅かな負の魔力の残滓すら、ただの魔力に変わって……
「勝った……勝った……やっと、これで……」
実感が急にわいてきた。一人心地たいところだが、この先の台詞は言いたい相手がいるから……
「早く帰ろう」
魔力空間の壁面を読む。そこからもとの世界の壁面を見つける。その周辺の広い範囲がそうだった。入ってきた場所も不自然に歪んでいるのですぐにわかった。
「……<次元切断>」
その場所を切り裂き、最後に背後を振り返る。
「……本当にこれで終わり、なんだよなあ……」
何か違和感があった。まるでタイミングが、状況が全て仕組まれているようで……
「結局、魔神の正体も分からないし……いや、関係者説も今思うと謎なんだよな……千年のタイムラグが説明つかないし……俺の正体を知っていたのも……」
色々不思議なことはある。終わった今となっては、検証不能なこともある。だが、今は……
「帰ろう。もう、疲れた……しばらくは、うん、のんびりしよう」
全身痛いし、魔力を流すと体の奥底が痛む……早く帰って休もう。
「魔神、か……不幸な存在だよな」
そう呟いて壁面に足をかける。そのとき、背後から視線を感じて振り向く。
「気のせい、か」
そのまま俺は魔力空間を後にした……
「雅也!」
「おっ……と……体に悪いからそう走るな」
「うる、さい。全身ボロボロで、死にかけのあなたに、言われたく、ない」
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む間もなく、俺は飛び込んできた詩帆に抱きつかれた。悪態をつきながらも涙の止まらない奥さんにそう言われては何も言えず、されるがままにされることにした。
「これで全部終わりだ。今度こそ、前世でできなかった分、夫婦で生きよう」
「当たり前だよ……遅れた分、もっといっぱい一緒にいてくださいね」
「口調が素に戻ってるぞ」
「もういいんです……色々取り繕う必要もない、でしょ……って言いたいところだけど、この口調はあなたの前でしかしないから」
「そうですか……」
詩帆の敬語口調は幼い頃のものらしい。俺が初めて会ったときは、既に今の感じだったし。あのおしとやかな感じも好きなのだけど、子供っぽいからと気をつけているようで普段は滅多に聞かない……それが出てしまうくらい心配させてしまって申し訳ないな。
「……詩帆」
「何?」
「もう、君を心配させないよう気をつけるよ」
「その言葉の信用度0だけど?」
「じゃあ、一生かけて証明するよ」
「期待しないで一生隣にいることにするわ」
「ああ、それでいい」
「この子を孕ませた以上、責任は取ってもらわなきゃだしね。婚姻前の婚約者に手を出した魔術師さん」
「合意の上でだろ、まったく」
「キャア……ちょ、ちょっと何するんですか?」
テンションがおかしい詩帆を横抱きに抱える。今の口調で大体読めたので、言ってなかった一言を告げる。
「ただいま詩帆」
その一言で、詩帆の表情が変わる。そして、そのままこう返す。
「お帰りなさい雅也。待ってたよ。もう、絶対に離さないから……」
そのまま胸にすがりついてなく詩帆をそっと抱きしめる。もう離れないように、深く、優しく、強く。
「クライス君、帰還して早々に熱いねえ」
「師匠も、もう全部終わったんですからセーラさんとイチャイチャすればいいじゃないですか」
「後で家に戻ってから術式は解除するよ……はあ、これから老化の始まりかあ、嫌になるねえ」
俺と詩帆の再開を邪魔しないでいてくれたのか、ようやく現れた師匠が俺の前に立っていた。
「あなた、終わったわね」
「ああ。最後まで弟子に任せてしまったけど……千年かかってようやくな」
「クライス君、ありがとう。私達が生きてこの場にいられるのはあなたのおかげよ」
「いえ、僕の方こそ、今生きているのは師匠とセーラさんのおかげですから」
さっきの魔神戦でもそうだが、師匠達が魔術を体系化してくれていたから五年前の俺は生き残れたのだし、詩帆といち早く会えたのも魔術があったからだ。そういう意味では、生涯感謝しなきゃだな。
「私も、あんな恋がしたかったなあ……」
「フォレスティア時代にいなかったの?姉さん目当ての人なんていくらでもいたと思うけど」
「王家の権力と私の体目当ての男との関係なんて興味はないから」
シルヴィアさんとディアミスもいつも通り……とにかく無事なようで何よりだ。
「結局、魔神相手に無傷の勝利ですか……」
「ああ……私達の想定以上だ」
誰一人欠けずに世界最悪の厄災を消し去った。とてつもない偉業だ。後生に残るような偉業だが、それを知るのはこの場にいる6人だけ。後で周知する気もさらさらない。
「平和、ですね」
「千年越しの平和だ……ようやくグラスリーさん達やメビウスにいい報告ができるよ」
そう呟く師匠の隣に寄り添うように、セーラさんも余韻に浸っていた。二人には色々と思うこともあるだろう。その気持ちは分かるのだが……
「師匠、すみません」
「どうした、クライス君」
「もう、限界です」
「……そうだろうね」
「とりあえず、帰りましょう」
雰囲気をぶち壊すのは申し訳なかったが、実際立っているだけでも全身がだるいし、痛い。
「雅也、ご、ごめんなさい」
「いいよ。一番の薬だから」
「馬鹿なこと言ってないで早く帰るわよ。帰ったら全身診るから」
「よろしくお願いします、先生」
「クライス君、<座標転移>を使える魔力は残ってるかい」
「残ってますけど、諸々の魔術の弊害で今、魔力を通すと鈍い痛みを擬似的に感じるので勘弁してください」
そんな風に話しながら、六人で王都の方向に歩いて行く。その足取りは行きと違ってとても軽やかなものだった。
ストーリー上では最短期間の章なのに、一番更新に時間をおかけしてしまいました。
一年五ヶ月近くもかかった8章をもちまして「異世界でも貴女と研究だけを愛する」の第二部が完結しました。
ようやく折り返しです。世界の危機を振り払った二人とその周りに訪れる平和な時間。しかし、平和であっても平穏とは行かず……第九章の更新を今しばらくお待ちください。
一区切りではあるので、感想などいただけますと励みになります。
 




