第百四十七話 神に抗う者達
シータだったものが魔力となって霧散していく。気がつくと、肩にホルスがとまっていた。
「主、終わったようだな」
「ああ、ご苦労様」
「ずいぶんとこき使われた気がするが?というか、奴相手にまともに戦ったのは俺ぐらいな気がするんだが?」
「失礼な。最初は俺が奴と相対してただろう」
「手を抜いてた上に、ほとんど打ち合ってすらいないだろう」
「お互い様子見だったんだから仕方ないだろ」
「雅也……」
ホルスとくだらない口論をしていると、隣に詩帆が来ていた。そのまま俺の顔を見て、おもむろに俺の手を取る。
「……脈拍上がってるわね」
「……戦場で昂ぶってるからな」
「顔がかなり赤くなってるわね」
「少し動いたから……詩帆に見つめられてるからじゃないかな」
「血圧も高そうね……<音波診断>……やっぱり……<組織再生>」
「……」
「で、私の専門領域でだませると思ってたのだとしたら心外なのだけど?」
詩帆にまっすぐ睨まれ、俺は溜息をついた。空気を読んだのか、ホルスは気がつくと俺の肩から消えていた。
「やっぱりわかるか」
「<絶対領域>……それと他の魔術の同時行使……一体どれだけ脳に負担をかけてるの?」
「同時に治癒魔術も並行して行使してるから、負担は軽減されてる」
「答えになってない。微細な脳出血の所見が複数箇所あったわよ。<自動回復>で回復できる範囲の本当に微細な物だけど……あんなこと繰り返してたら……いつか命に関わる」
<絶対領域>は人知を超えた魔術だ。一定領域の情報を全て取得し、自在に書き換えられる……一種の神の御業、いや悪魔のような術式だ。当然、それを処理する脳が与えられる負荷は本来人間が処理できる物ではない。
「<思考加速>で処理速度を速めて、治癒魔術で負荷で壊れかける脳を癒やし続ける……一種の自殺行為であることは認める」
「なら、使わないで」
「善処はする。というか範囲をあんなに巨大化させて、なおかつ長時間使用しなければ問題ないし。ただ……もし、どうしようもなくなったときは、使うよ」
「……分かってるよ、分かってるけど……」
「魔神戦で使わなかったら、きっと全力では二度と使わないよ。だから、あと一回だけ許してください、洲川先生」
詩帆の目線の高さに合わせて、まっすぐ見つめる。泣きそうな目をした詩帆は、一度目をつむった。そして開くと威厳に満ちた医師の顔で言った。
「一度だけ、後一度だけ許可します。その後は二度と使わないで。いい?」
「生涯の主治医の指示ですからね。もちろん従いますよ」
「馬鹿雅也」
「……詩帆のためにちゃんと帰るから、もう一回だけ無茶してくるよ」
「最後だからね」
「ああ、帰ったら。前世でできなかった結婚後の楽しみ堪能しようか」
「死亡フラグ立てないで」
「それもそうだな」
そのまま詩帆を抱きしめる。もう離さないと、その想いをこめて。
「その行動もだからね……」
「俺にとっては帰ってくるおまじないだよ」
「……じゃあ、いい」
そういってされるがままに抱きしめさせてくれる詩帆を愛でていると、周囲の結界が音を立てて崩れ落ちた。どうやら師匠達は無事にベータを仕留めたようだな。
「クライス君、どうやらそっちも片付いたようだね」
「ええ。師匠達も……うまく計画が運んだようで何よりです」
「雅也。会話する前に離してくれない?」
「えっ、せっかく詩帆が甘えてくれるいい機会なのに……っと」
「まだ全部終わってないんだから、もう終わりよ」
詩帆が抵抗せず抱きしめさせてくれるいい機会は、<転移>で脱出される形で終わった。まあ、俺も改めて落ち着いたし……あんなことを言ってる以上に感謝はしている。
「全部終わったら、続きはしてもいいのかな?」
「どこまでかによるわよ。というか少しはこの状態の奥さんを労りなさい」
「労ったから来るなって言った気が……はい、言ってません。騙して監禁しましたね」
「わかったなら、よろしい」
「皆さん、イチャつく暇があったらこっちを手伝ってください」
シルヴィアさんの方を向くと、残り僅かな魔人や魔王達が押し寄せてきていた。
「さてと、牽制だけはしておきますかね……僕の相手は行儀良く待っていてくれたようですし」
「クライス君、牽制もいいよ。こっちはさっさと片付けて行くから魔神に集中してくれ」
「分かりました……まあ、どういう意図かは知りませんが、下手に動かれる前に僕に集中させたいですからね」
「……意図などないかもしれないわね」
七龍を魔王に一体ずつけしかけながら、セーラさんが呟いた言葉に俺と師匠が振り向く。
「確かに、その可能性もあるか……」
「セーラさん、どういう意味ですか?」
「負の魔力というのは通常の魔力とは真逆の性質を持ったものよ。その中に何千年も漬かっていればただの人の精神はもたないわ。もとからそういう存在として生み出された魔人や魔王はともかく、もとが人間の魔神の精神は崩壊していてもおかしくない」
「つまり、ただ、何も考えずそこにあるものだと」
「本能や薄らとした自我くらいは残っていると思うわ。精神が消えたわけじゃないから」
「なるほど……」
それを踏まえて、魔神の方を見る。球形にゆらめく物体は、目に見える膨大なエネルギーとは裏腹にとても空虚なものに見えた。
「どちらにせよ、殺しにかかれば全力で抵抗してくるわ。魔神になる前もそこそこの魔術師よ。能力が平凡だったとしてもあれだけの魔力を制御できる時点で人の理は超えてるわ」
「気を抜く気も、不憫に思う気もありませんよ。むしろ自我をなくしているのなら、殺してやるのが正しい道理でしょう」
「そう。それなら行ってらっしゃい。シホちゃんは私が傷一つ、つけさせないから安心して」
「それに関しては信頼してます」
「ありがとう。じゃあ、私はこのままシルヴィアちゃんとディアミス君のフォローに入るから……マーリスさん、後はお願いね」
「ああ。また後で」
「ええ、また後で」
セーラさんはそう言い切ると姿を消した。そのままシルヴィアさんの真横に現れたのを見て、俺は振り向き、魔神の方を向いた。
「師匠、行きましょうか」
「ああ、露払いは任せてくれ」
多くの魔人や魔王がシルヴィアさん達の方に殺到しているが、魔神の回りにも少なくない数の魔王が残っていた。無論、強行突破するが、その後戦闘に介入されないようそちらの相手をしてくれるのが師匠だ。
色々とレギュラーはあったが、そこは計画通りに行きそうだ……いや、一番のイレギュラーを忘れていた。
「雅也……」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい。待ってる」
「ああ」
詩帆の方すら見ずに、そう言って歩き出す。師匠がうしろで絶対に笑っている気がするが、追求は後だ。
「師匠、全力で行きますから、後はお願いします」
「ああ。君の動きに追従する気はないから。ただ、君に周りの有象無象を行かせないようにするだけだよ」
「だけじゃないんですけどね……」
「君の仕事に比べたら、ただ働きでもいいところだよ」
魔神の方に一歩ずつ近づいていく、魔王達が魔力を高めているのがよく分かる。
「そうですか……じゃあ、戻ったら何か奢りますよ」
「期待していよう」
「ええ、そうしてください」
何気なく踏み出した一歩が何かのセンサーだったかのように、無数の魔術槍、魔術弾、範囲魔術が降り注いだ。
だが、その場所には既に俺はいない。
「はっ?」
「起動から発動までが遅すぎる。止まって見えたよ」
最前線にいた魔王の正面に転移し、<重力刃>をまとわせた杖を振り下ろす。身体能力強化も相まって杖先は音速を超え、斥力をまとわせた杖はいとも簡単に魔王の体を両断した。
「調子に乗るな」
「その程度で魔神様に届くと」
「少なくともお前らは有象無象だ……散れ……<神撃の旋風>」
俺の手の延長線上に無数の文字列が浮かぶ、魔力情報魔力を極限まで物質魔力の代替として流し込む威力増強を行い、発動範囲を垂直方向から平面方向に改変し、狭める。そして範囲を極小にした代わりに範囲内の風速を極限まで向上させる……
「後は頼みましたよ、師匠」
返事は返ってこなかったが、俺に飛びかかってきた魔王達が全て打ち落とされたのを返答と判断し、正面に飛び込む。魔術が発動し、塵となって消え去った魔王しか存在しない空間を跳躍し、最後の一歩を踏み込むと同時に、周囲に<神槍>を浮かべ、放つ前に……
「……<次元切断>」
魔神が周囲に展開していた結界を切り開き、結界内部に飛び込む。直後、魔神の姿がかき消えた……背後に魔力を感じ、<反射結界>を展開しようとして、即座に<座標転移>で上空に跳ぶ。直後、かつてアルファに放たれた結界透過型<光線>が、そのときの比でない威力で放たれた。
「結界展開して、その場に居座ってたら、死んでたな」
と、呟いた俺の真横に魔神が出現し、一瞬で俺の頭上に無数の<流星雨>を展開し、加速させて振り下ろされる。それらを先制用に展開しておいた<神槍>で迎撃しながら、魔神の体当たりを受け止める。
同時に、魔神から無数の触手が生えて……きたのを知覚した瞬間、それら全てに<暗黒刃>がまとわされ、音速を超える速度で振り下ろされる。初撃を<反射障壁>で反射させ、次撃までの僅かな時間に転移で、魔神の背後に移動したと同時に、魔神の触手が俺の方向に伸びる。
「埒があかねえ……ホルス」
俺の正面に割り込んだホルスが結界を展開する。その隙で<神槍>を再度展開し、斉射する。だが、それも無数の触手にはじかれ、返礼とばかりに威力をこれでもかと高められた<暗黒弾>が降り注ぐ。
ホルスが転移で回避し、代わって俺は結界を展開したまま、魔神の頭上を取り、全力で杖を振り下ろす。直撃の瞬間、魔神が展開した結界に阻まれ、杖がはじかれる。尋常でない加重に悲鳴を上げる腕を労る間もなく、濃密な魔力の広がりを察し、再び転移で今度は地上に飛び退き、全力で結界を展開した。
直後、魔神の<炎獄世界>が周囲一帯を焦土に変えた。
「次元が違う化け物だな……」
周囲の気体はプラズマ化し、地面はことごとくガラス化していた……その頭上で魔術の効果範囲にいたはずの魔神は何事もなかったかのようにたたずんでいる。範囲内にいたはずの魔王達は影も形もないというのに……
「使いたくないけど、使うしかないよな……」
そう一人呟いたところに魔神の魔術が無数に叩き込まれる。結界が崩壊する前に転移で脱出し、再び結界を展開しながら魔神に無数の魔術を叩き込み、こちらに近づくまでの時間を僅かでも稼ぐ。
「ホルス……5秒稼いでくれ」
何も言わず、魔神の正面に現れたホルスが魔神に無数の魔力弾を叩き込む。それに反応した魔神が音速を軽く超える速度で、無数の触手をホルスに叩き込み、それと同時に無数の<暗黒破壊槍>を放った。さらに、その空間に<座標固定結界>まで展開されていた。
直後、ホルスの反応が切れた。その間僅かに6秒……だが、準備時間には十分だ。あとで労ってやりたいが……まずは、奴を仕留めよう。
魔神が再び俺を標的にする。だが、先程までのように一方的に押せると思うなよ?
「魔神。ここからは俺の領域だよ」
再び、魔神の触手と杖を交える……さあ、千年の戦いを終わりにしよう。
ギリギリ間に合わせました。誤字が多かったらすみません。
次回投稿は明日の予定です。




