第百四十六話 妻を守る片手間に
シータに向かって飛び込んだ俺はそれにあわせていつもとは違う方式で魔術を発動する。
「……<炎弾>」
シータに牽制で放った<炎弾>は、俺が滅多に使わない模造魔術だった。だがその魔術は発動寸前で……
「……まあ、使えないよな」
言葉通り、俺が魔術発動を指定した座標には、煙の一つすら立っていなかった。だが別に俺が、魔術行使を失敗したわけではない。
「雅也、前」
「見えてるよ」
詩帆の言葉に前を向くと、シータが意趣返しのように俺の起動したかった魔術軌道の逆をなぞるように<炎弾>を放ってきた
普段なら結界で防ぎつつ、迷わず突っ込むが……俺は<思考加速>を起動した上で魔術弾の軌道を先読みして回避する。
「私の魔術の対抗策は組んできたと思っていたのだが」
「魔術の仕組みは看破したが、別に対抗術式まで組んでないけどな」
俺が一部の魔術を発動できない一方で、シータは何の問題もなく魔術を放ってくる。まあ、予想していた展開だ。それが奴の魔術だ。
「組んでいない。組むまでもないということか?」
「ご想像におまかせします」
そう言いながら、今度は別の方式で魔術を起動する……だが、こちらも発動の兆候が見えた瞬間、かき消されたように感じた。
「……やっぱり召喚魔方陣クラスの空間干渉はこっちでも発動不可か……」
「あなた、遊んでる余裕あるのかしら?」
「遊んでないし、予想通りだから安心してくれ。それより自身の身の安全を第一にしてくれ、お母さん」
「言われなくても、そうします」
「さて、ここまでは想定通りだけど……一応こっちも確認しておこうか」
魔術の発動までには一定の手順を踏む必要がある。
第一の手順は、魔力階位で表される自身の魔力を使い、魔力情報に干渉すること。これは模造魔術でも超越球魔術でも、無論召喚魔術や物理魔術でも同じだ。
「……<光線>……こういうのも駄目か……本当にチートだな」
第二の手順は魔力情報の取捨選択だ。自身が発動しようとする魔術に必要な魔力情報を選び、それを引き寄せる。
これは魔術の種類によって引き寄せる魔力情報が違うのだが……今は考えなくていいな。
「私には勝てる見込みもないが……遊んでいるのなら、容赦をする気はないが?」
「遊びじゃない。実験と証明だ」
第三の手順は引き寄せた魔力情報を、魔力空間から三次元空間に転写する行程だ。引き寄せた魔力情報を意味ある順に並び替え、その後の現象を意味する形にすると言える。模造魔術なら決まった形式の魔力情報を呼び出すだけなのでこの行程は省略される。
「対魔術師戦なら私が絶対的有利なのだが……賢者を相手にすると大した役にも立たないが」
「空間の物質魔力を封じておいて、それを言うか?」
「それが分かっている時点で対策を取られる。模造魔術しか使えない現代魔術師相手ならともかく、本物の魔術師を相手にしては……時間稼ぎがせいぜいだ」
第四の手順は並び替え、意味を持たせた魔力情報の構文に空間中の物質魔力を与え、現実の空間に干渉させうる現象にする行程。これを行って始めて魔術は目に見える。あるいは三次元空間に干渉しうる。
「お前の魔術封じが魔力空間とを断絶するような都合のいいものなら、最強だったのにな」
「全くだ。魔力情報の呼び出しどころかアクセスすらできないなら完全な魔術封じだ」
「だけど、そんな都合のいい魔術じゃない」
「ああ、これはな」
シータの魔術封じの魔術は、物質的魔力の集積妨害。すなわち呼び出された魔力情報に物質魔力が集まるのを妨害する魔術だ。ゆえに、ほとんどの操作が自動化されている現代魔術では、発動過程での魔力不足というイレギュラーに対応できず、完全封殺される訳なのだが……超越級魔術なら、いくつか対抗策が存在する。
「なら、対抗魔術を用意するまでもない。対抗策は無数にあるだろ」
「そうだろうな。だが、理論と実践は話が違うぞ?」
「言われるまでもない……前世からぶっつけ本番の実戦派だからな」
一つ目の対処法は物質魔力を使わないか、物質魔力の消費が極少量の魔術を使うことだ。
「……<座標転移>」
「空間中の物質魔力を使わない……確かにそういった魔術もありますね」
「こっちの転移ならそういう使い方もできるからな」
「しかも、普通に身体能力強化も行使されているか。なるほど、確かに厄介だ、な……」
「身体能力強化には自身の体内の物質魔力を利用すれば、外の魔力の取り込みは最小限にできる。魔人どころか上級以上の魔術師でも理論が分かってれば魔力量的には実戦可能な小技だろう」
俺はシータの背後に転移し、即座に杖を振り下ろす。が、予想していたかのように結界を展開され、杖を打ちつけた反動で距離を取る。追撃に備えて杖を構えて、シータの動きを注視する。
「空間を真に跳躍する転移か……なるほど、それならゲートを開けるだけの微少魔力で足りるか」
「空間を歪ませるなんて無駄に過ぎるし、効果に対して魔力消費が激しすぎるだろ」
転移等の移動系魔術は別に自身の体を転移先に再構成しているわけではない……それができるのなら光魔術の身体再生魔術は万能になってしまう。
空間に干渉して、距離を縮めるのが光魔術第六階位<転移>だ。これは空間を歪めて距離を0に近づけている。そのため空間に強く干渉し、多量の物質魔力を必要とする。更に転移先を目視で認識する必要がある。
これに対して<座標転移>は指定座標までのゲートを開く魔術だ。空間への干渉範囲が狭い分、物質魔力は節約できる。また、指定した座標の魔力等をマーカーにして転移するので基本的にその場所のマーカーとなるものが分かっていれば転移距離は無限に等しい。その分座標指定のために正確な魔力情報構成がいるため、下手な魔術師が使えば次元の狭間で迷子になるが……
「……まあ、この程度の距離で制御を失敗するような超越球魔術師はいないと思うが」
「二度目は……ちっ」
「二度も背後に行かねえよ」
「でしょうね」
転移で移動した上空から、シータのいる地点を中心に<大陸崩落>を行使する。範囲を平面上ではなく、上下の方向に集中させて極小範囲を崩落させる。更に上空に脱出しようとする奴の上に<風神の大槌>をたたき落とす。
そこまでやったが、さすがにそれだけで殺せるとは思っていない。
「なるほど、物質魔力使用量の節約、ですか……」
俺の正面にシータが転移してくると同時に、荒れに荒れた地面に魔術がたたき落とされ、地上が砂埃に染まる。
「ああ、これが二つ目の対抗策で、俺の最近の研究成果だ」
二つ目の対抗策が俺が行使している魔術だ。今使用した魔術は本来想定されている術の数十倍の威力を出している。物質魔力の使用量を魔術発動時に極限まで減らし、魔力空間上の情報魔力を代わりに充てているために起こる現象だ。魔術威力の向上のために開発した方法だが、シータ相手の特攻になりうるために修練したというのはある。
「なるほど……私の魔術封じは完全に封じられましたか」
「そうでもないぞ、この魔術は制御にそうとう集中がいるし、厄介なことこの上ない」
「むしろ威力も上がっていますし、いいことづくめの気もしますが?」
「そうか?後、この魔術を詩帆が使えるとも言ってないし、ホルスが使えるかどうかも謎だろう。無防備な二人を狙われながらだと、さすがに俺でもキツいぞ?」
「……どうせ修得しているのでしょう」
「まあ、そうなんだけど……」
直後、シータの頭上から無数の白い光が降り注いだ。咄嗟に避けたシータに青い影が飛び込む。
「……<七柱の神撃>……雅也、言い方が胡散臭すぎるでしょう。あれじゃあ子供もだませないわよ」
「隠す気もなかったからな。後、ホルスは狙われたらおとりにする予定だったし」
「主。それは聞いていないし、人としてどうかと思うが?」
「まあ、別にただ逃げるだけのおとりじゃなく……普通に対処できるだろうし」
詩帆の<七柱の神撃>を回避したシータに向かい合っていたのはホルスだった。シータの<暗黒刃>と、<能力値限界突破>で強化した自身の羽根をあわせている。
「なるほど蒼不死鳥ですが……しかも、あなたは……」
「今は転生者の学者魔術師のただの使い魔だよ……」
その中で互いに無数の<神槍>と<暗黒破壊槍>を同時に起動し、一切の漏れなく迎撃し合っていた……
「さっきのあなたより、はるかに戦闘らしいんだけど?」
「……さっきまではシータも俺も様子見だったからな。まあ、俺は詩帆の安全が最優先だし、シータは押さえ込めれば十分だからな」
「押さえ込めればって……同格のアルファ相手に死にかけてたわよね?」
「まあ、相性が良すぎるし……あのときと違って相手の手の内が完璧に割れてる以上、結果は確定してるからな」
「そう……あと、私の方はそんなに気にしなくてもいいんじゃないの?」
と、詩帆が言った瞬間詩帆のいる場所に<影の弾丸>が殺到した。しかし、その弾丸は詩帆の数メートル手前で突如としてかき消えた。
「やはり、結界を貼ってますか」
「当たり前だろ。詩帆の安全が最優先だ」
詩帆の周囲にはシータと相対した瞬間から二重に<反射結界>を展開してある。師匠の十八番<収束流星雨>が直撃でもしない限りは破れない守りだ。
「そこまでして、自身の身体能力強化を継続させて、しかもベータの貼ってある外部の結界にまで干渉していますね」
「ああ、お前を秒殺するのは規定事項だったから、師匠がベータを倒す前に終わらせたら早く出て魔神の方に行きたいからな」
「舐められたものですね……」
「ああ、魔術原理が分かっている以上、お前と戦うのは師匠やセーラさんと戦うよりよっぽど気楽だ」
ホルスを振り切って、俺のもとに転移したシータの振り下ろした腕を杖で受け止める。
シータの蹴りが頭部に飛んでくるのを目視で確認して、打点に結界を割り込ませる。同時に奴の残った軸足に全力の<暴風切断術>を叩き込む。
シータはそれを回避するために転移を選択した。そのタイミングで俺は<空間座標固定>を起動させてシータの転移を防ごうとした、が……
「魔術が、起動しない……」
「この手を切るまでに想定していたより早すぎるが……これなら少しは時間稼ぎになるだろう」
「主!」
「お前相手でも魔術が使えなければ、少しは持つだろう。お前一人ではなく奥方を守りながらならなおさら……」
追いすがるホルスを振り切って、シータが俺の方に向かってくる。それを見て、俺は起動させていた術式に魔力を流した。
シータの奥の手。それは魔術起動の妨害でなく、魔術行使の完全封殺。一見最強の手に見えるが、これは諸刃の剣だ。
「だが、お前も魔術は一切使えないだろう……今起動している魔術を除いて」
「ああ。だが、元々の身体能力差がある……この空間は私の独壇場だ」
この空間はシータの魔術によって一時的に魔力空間から完全に隔離されている。つまり現在起動している魔術を除いて、一切新たな魔術を起動できないと言うことだ。
「まずは奥方から」
「外道が……」
俺に向かってきていたシータはその直前で軌道を変え、俺の横をすり抜ける。向かった先は詩帆のいる方だ。だが、その程度は予想の範疇だ。
「自分の無力さを恨め……なっ?」
「……こんな戦場で、詩帆を俺が危険にさらすわけがないだろう」
「お前、なぜ、魔術が起動できている?」
詩帆の結界に向かったシータは無数の<神槍>によって串刺しになっていた。それをやったのはもちろん俺だ。
「お前の術式に介入したからだよ。魔力空間と隔絶させたこの空間上で、俺だけ魔力空間への干渉が可能になるようにした」
「その干渉自体が新たな魔術行使だ。魔力情報の関与なくそんな事ができるはずが……」
「できるよ。ここは俺の研究室の机の上と同じだからな」
「まさか……」
「最初からこの空間全体には既に<絶対領域>が起動済みだったんだよ」
結界内に隔離されたときに、すぐに俺はこの魔術を起動していた。この時点でシータの魔術の大半はいつでも干渉してやれたのだが……
「魔術を起動できないと思っているこの瞬間が一番大きな隙だろう。それまでのんびり待たせてもらったよ」
「お前、まさかそれでまともに戦闘を……」
「さすがにこれだけ広範囲を制御するだけの<絶対領域>を維持するのは詩帆を守る片手間だとキツかったからな」
「勝てる見込みどころか……もとから時間稼ぎの見込みもなかったのか」
「ああ。お前の敗因は、師匠達ではなく俺たちを相手にしたことだよ」
「そのようだな」
そうして串刺しにされ完全に封じられたシータに歩み寄る。
「中々、色々といい検証と魔神戦前の準備運動になったよ」
「最悪の勝利宣言だな」
「ああ、俺もそう思うよ」
そう呟いて、俺は躊躇なくシータを<星光爆裂撃>で焼き払った。
筆が進まなかったんですよね、すみません……今月中に第八章を終わらせられるよう投稿間隔を詰めます。
しばらく毎日投稿かなあ……




