第百四十五話 賢者夫妻の共同戦線
8月19日。大幅改稿しました。
「姉……どうする」
「私はあなたに頼るしかできないから……あなたに任せます」
「姉さん、だから……」
「ただ、一体でも多くの魔人と魔王を倒すしかない、とは言えます。まあ、私は口だけですが」
クライスさんの魔術によって荒野と化した草原。ベータの不意打ちで、マーリスやクライス様達と、分断されてしまった私とディアミスは、近づいてくる魔人達を前にして久々に二人きりで話をしていました。
「そんなに卑下しないでくれ。姉さんは俺なんかより凄い。王としての素質も、判断も、魔術の知識だって絶対に及ばない」
「……ありがとう。でも……こんなときに言うのもなんだけど、あなたの方が次期国王にふさわしいわ」
「長子継承がフォレスティアの習わしだろう……素質がある姉さんが降りる理由はない」
「素質はあるのかもしれない。けれど、今の私は下手をすれば、市井の上級魔術師にも負けるわ」
魔神封印の儀は失伝したが、古代の大陸統一国家の源流を汲む森の民の国の王位継承は実力主義だ。それでも、よっぽど素質のないものでなければ長子継承が普通だ。
けれど私は、そこから一度逃げ出した。
「俺は一度も姉さんに勝ってない。そんな状況で俺が王位に就くなんて俺が認めない」
「今やれば負けますよ……何よりあなたは、属性魔術の修練を途中でやめたでしょう。あなたなら第九階位どころか第十階位も使えたはずです」
「それは……」
「私のことは気にしないで、覚悟はしてます」
フォレスティアの王位継承の残酷な決まり。それを知っているからディアミスは私を王位に就けようとするのでしょう。彼はなんだかんだ優しいから、王としては苦労するかもしれない。自暴自棄になってしまうこともあるかもしれない。けれど、彼ならきっとうまくやってくれる。
「それに、私は……いえ、少し口が軽くなりすぎましたね」
「姉さん?」
「気にしないで。それに今は……目の前の魔人達に集中して」
「分かってる……ただ、最後に確認させてくれ」
「何かしら?」
「このままマーリスさん達と一緒に暮らす気はあるのか?」
彼は私に頷いてほしいのだと、痛いほどわかった。でも、私は……
「……フォレスティアに戻ります。今すぐではないけれど、でもそれが私の最後の役目ですから」
「そう、か……そうだよな、姉さんはずっとそうだ」
「ごめんなさい。でも、私はそうする……だから今は切り替えて」
「……分かってる」
目前に迫る魔人達に向かって杖を構える。同時に、複数の強化魔術を同時に行使する……クライスさんやマーリスと別れてしまったのが痛い。いくらあの二人でも魔神の眷属を相手にしながら、私達の援護をするのは難しいだろう。
「私達で、少しでも数を減らしますよ」
「いや、全滅させる気で挑む」
「……そうですね。ディアミス、よろしくね」
「うん、任せて」
瞬間、殺到した魔人達がズタズタに切り裂かれ、消滅した。
「<召喚 風の精霊王 風霊城塞>……姉さんには近づけさせない」
「そこまでしなくてもいいですよ。さっきは、ああ言いましたけど……私、そこまで弱くないのよ?」
そう言いながら、転移でディアミスの作り出した結界から飛び出して、正面にいた魔人を両断する。それで発生した衝撃波で、一瞬周囲の魔人達が怯んだ隙に行使速度向上のために無差別に放った光魔術で、魔人達を吹き飛ばす。
「姉さん、上!」
「見えてます……<光子障壁>……ディアミス、長くは持ちませんよ」
「……<召喚 黒竜 無の吐息>……ちっ、殺し切れないか」
「十分です。<七柱の神撃>」
最後に上空から飛び込んできた魔王を私が結界で防いでる間に、ディアミスが黒竜を召喚し、そのブレスで魔王を焼き払った。かろうじて生き残った魔王を私の光魔術でとどめを刺すと同時に、結界の中に戻る。
「……乱戦の中なら、私の方が圧倒的に得意です。何百年も外の世界をただ旅していたわけじゃないんです。昔と違って今はマーリスの指導のおかげで、魔人相手なら威力に不安もないですしね」
「そうだけど……」
「あなたが後衛で攻撃役。私が前衛で魔人の攪乱役……最適でしょう?」
「……わかった」
「魔王の相手と結界の維持はお願い。後、それでも私は魔王複数との相手はできませんから……」
「さっきみたいな不意打ちじゃなければ、絶対に近づけさせないよ」
「頼もしい弟ですね」
「姉さんこそ……俺の自慢だよ」
「……ありがとう」
そう、言い残して私は結界の外に出る。あの弟に何を残せるかは分からない、それでも、私の何かを彼が継いでくれたらいい。そんなことを思いながら、私は相対する魔人達に集中していく……
咄嗟に介入しようもない速度で展開された結界。結界の専門家のスリフちゃんや、メビウスなら介入できたかもしれないが、私やセーラではベータを相手にするには分が悪い。だから待避を優先した結果、三組に分断されることになってしまったわけだが……
「……うーん、分断の組み合わせとしては良かった方かな?」
「ほぼ最良じゃないかしら。誰も一人きりにならなかったし、お互い一番相性のいい相手とペアになったみたいだし」
「まあ、一番最初に手が伸びた相手だからそうなるだろう」
そう言ってセーラの肩に手を回すと、彼女は微笑ながらゆっくりと杖を構えた。
「それもそうね……で、ベータ。これは計算通り?」
彼女の言葉ともに前を向くと、そこにはその分断を仕掛けたベータが微笑んで立っていた。
「ええ。あなたたちと彼を分断できた時点で満点です。後は、私があなたたちを仕留めれば任務完了ですね」
「そうか、じゃあこちらも同じくお前を殺して結界魔術を解かせれば問題ないな」
「そうですか。それまでに何人死にますかねえ?」
「殺させないし、死なないわ。あなたの魔術原理はグラスリーさんが見抜いてる」
「見抜いたところで、対処できない、対処不能なのが私の空間魔術です、よ……」
その言葉と同時に、私の腕が切り落とされる。セーラが遠隔の治癒魔術で即座に腕を接合するのを待たずに、私はノータイムで相手の至近距離に圧縮した火魔術を展開し、爆発させる。
爆風で視界が遮られる中、私は迷わず正面に杖を突き出す。
「……千年で少しは成長しましたが」
「成長してなけりゃ困るよ……弟子に申し訳が立たない」
「それはそれは……」
俺がやつの心臓に向かって突き刺した杖をベータは胸部に貼った極薄の結界で、ベータが俺の頭部を狙って発動した魔術を俺は同規模の魔術で相殺していた。一瞬の交錯の中で人知を越えた手数の魔術行使……これが空間を掌握する眷属、ベータとの戦闘だ。
「まあ、いつまで持ちますかね」
「お前、2対1なこと忘れてないか?」
「まさか、勿論想定済……」
直後、複数の火線ががベータに殺到した。咄嗟に後方に飛び去った俺にも下手するとあたっていた容赦のない斉射を行ったのは勿論……
「……<召喚 七龍 龍炎斉射>」
いつの間にか背後に移動していたセーラが自身の十八番にして、切り札である七龍を召喚し、その最大火力を惜しみなく叩き込んでいた。あまりの召喚速度に、詠唱すら置き去りにして……
「セーラ、弾幕の展開ありがとう」
「……悔しいけど、実際そうなのよね。マーリスさん、もう少し時間を稼いで」
「了解」
セーラの全力の一撃は、普通の相手なら塵一つ残っていないだろうが、奴相手には全力で防御させるか、回避に移らさせるかの二択しかない……ただ、それで十分だ。
と、爆炎が晴れかけたタイミングでその中心部から魔術行使の予兆を感じた。
「<転移>は封じられてるか……まあ、そっちは罠だろ<氷霊装甲>、<爆炎弾>」
それにあわせて転移で場所替えでもしようかと思ったのだが、既に空間は掌握されているようで、転移魔術は発動しなかった。ほぼ予想通りなので、迷わず自身に防御策を施した上で、周囲を爆散させる。
直後、私の全周囲に無数の結界貫通系の魔術弾が降り注いだ。だが、それは俺の魔術の威力で相殺される。
「さすがに単純な小細工は通用しませんか……」
「こういう小手先の技は弟子の得意分野でね、対人戦闘訓練で何度も煮え湯を飲まされたよ」
「それは優秀なお弟子さんで良かったです、ね……」
「ああ、本当にな……」
ベータが俺に飛びかかりながら放ってきた無数の光弾を、同じく光弾で撃墜しながら奴の展開した<暗黒刃>と杖を重ね合わせる。
一瞬ベータの動きが止まった瞬間、奴の周囲を無数の氷の刃が囲む。その寸前でベータの姿がかき消え、後方からの気配に迷わず最大威力で<七柱の神撃>を叩き込む。それが不発に終わったのを感じ、迷わず右腕を差し出す。
右腕を貫いた漆黒の刃は俺の胸の数ミリ手前で止まった。
「……戦闘判断力が化け物じみてますね。<思考加速>の過剰使用は脳に悪影響ですよ?」
「てめえに言われたくねえよ。第一、そうでもしなきゃ対抗できんだろ、お前の空間で」
「口調が元に戻ってますよ、マーリス君」
「口調ぐらい戻るさ……この戦場に戻ってきたらな」
「……座標指定嫌いの魔術師さんですね、本当に」
「うるせえ」
そう叫びながら俺とベータの中間地点で<炎獄世界>を放つ。その爆風と炎で一気に距離を取る。前進の焼けるような痛みと、右腕の捻りきれるような異音は今は無視だ。
「満身創痍ですね……あなた達はどこまでいっても守られる側なんですよ」
「お前も自身の全力使って、何を今さら……」
「この程度は余技ですよ、余技……無論これもね」
「なっ……」
距離の開いた俺とベータの間に割り込んだ炎龍が、その空間に一切の予備動作なく出現した<狂風雪衝破>によってえぐり取られ、存在を維持できなくなって散った。
直後、召喚獣の消失によって魔術制御を一瞬乱したセーラの元に無数の魔術弾が突き刺さる直前で、全ての魔術弾が何かに直撃し、消え去る。一瞬見えたその影は巨大な亀に見えた。
ふと気がつくと、全身の傷が癒えている……
「マーリスさん、私自身の防御は気にせずやれるだけ削って」
「ああ、わかった……悪いな」
「やはりセーラ・ヒーリア・フェルナー。あなたの方がそこの火力バカよりよほど危険だ」
「火力バカには馬鹿なりの戦い方があるんだよ」
セーラの夫であることに自信なんてない。
彼女の方が俺なんかよりずっと偉大な魔術師だ。先程のような魔術の同時行使や召喚術の多重起動、遠隔魔術とは思えない精度と効力の即時治癒魔術……千年で差は開くばかりだ。
でも、こんな俺でも賢者と呼ばれてしまった。弟子に全てを託すしかないとしても、師匠として少しぐらい役に立ちたい。
馬鹿で結構。憧れたグラスリーさんやメビウスのようにはどれだけ真似てもたどり着けない。どんな馬鹿でも、ほとんど全部喪って、千年も生きればそんなことはとっくに分かってる。
だけど……馬鹿の取り柄、努力と無謀な策くらいは自信がある。
「……<神炎空間創造>……」
ありったけの魔力を込めて、ベータの立ち位置を起点に、極大の火炎を生成する……
「賢者とは思えませんね……私だけが転移できるこの戦場で、そんな大火力の魔術は悪手どころじゃありませんよ」
「ああ、馬鹿だから仕方ない……」
ベータが展開するこの結界内部ではベータが空間を支配している。この空間上ではベータ以外の転移を封じ、当人はその領域内では全体が自身の体であるかのように魔術を無造作に乱発できる。
千年前、奴相手に苦戦したときは神のごとき力だととすら思った……その千年後、本当に神のごとき空間支配魔術を操る弟子を見るとは思わなかったが……
「まずは、あなたからですか……奥さんに何か一言、あります?」
「色々悩んでて、すまない。後は任せろ、かな……」
「任せた、の間違いで……ゴホッ……はっ?」
背後にベータが現れた瞬間、俺は<神炎空間創造>の裏で展開していた魔術を発動した。
「……<星光爆裂撃 極点集中化>」
「本当に、大馬鹿ですね」
「ああ、大馬鹿だよ……でも、当たっただろ」
俺の持ちうる中で一点に対する破壊力最強の魔術。本来なら広範囲に壊滅的な破壊をもたらす<星光爆裂撃>を限りなく最小まで縮小し、城の城壁を全て貫通して逆端までぶち抜ける最小の攻城魔術。
威力は見ての通り、あれだけの爆炎の中で傷すら負わなかったベータの体を貫通するほどだ。だが、普通に打ったのでは容易に回避される。だから……
「自分の体をそんな高火力の魔術で貫通させて打つ……数センチずれたら即死ですよ?」
「即死?頭すっ飛ばすようなことをしなければセーラがどうとでもしてくれるよ」
セーラの回復を当てにして、そのまま一瞬動きの止まったベータに突っ込む。杖に強化系魔術を幾重にもかけて突き出す。それをベータは寸分の狂いなく避け、同時に刃を俺の心臓に向けて放った。俺も僅かに体を反らして回避するが、僅かに避けきれず胸に激痛が走る。それでも俺は迷わず真横のベータの頭に向かって光弾を放った。
直撃する瞬間に紙一重で転移され、俺は思考を切り替え全周囲の索敵に集中する。だが、転移の僅かなラグ、思考加速で引き延ばされた一瞬の中ではあまりに長い時間。それだけ経ってもベータは現れ……
「まずは、サポート役を先に潰しますよ。無能な旦那に前衛を任せたのがあなたの運の尽きだ……」
「セーラ!」
奴が転移したのはセーラの真横。俺たちクラスの魔術師なら、自信の魔力によって転移を許さないような場所。しかも今はセーラの周囲には自身の展開したものや、召喚獣によって複数の結界によって隔絶されているはずだ。だが、そこにすら移動できるのがベータだ。
分かっていた。その中で許してしまったことは誤算だったが……今はもう千年前じゃない。その証拠にセーラはその状況でただ目をつぶっていた。なら……
「なっ……」
「俺の嫁に手を触れたければ、俺を殺してからにしろ」
転移、高速移動。それで間に合わないと千年前に学んだ。もう喪いたくない。その一心で俺がたどり着いた結論は……
「ただ威力の高い魔術を早く撃てばいい。馬鹿な結論だろう」
ベータとセーラの間の紙一枚の隙間に<光線>を起動し、数十発打ち込む。できた間は本当に一瞬。だが一瞬、間があればそれで十分だ。
「希代の大馬鹿ですね」
「ああ、だけど……それで勝てればいいと思ってね」
「一撃を防いだだけでいい気にならないでいただきたい。あなたが私に有効打を与えたのは先程の不意打ちくらいでしょう。二度同じ手は食らいませんし、いずれ押し負けるだけですよ」
「ああ、そうだろうな……時間稼ぎはいつまでも持たない」
「時間稼ぎ?やはり弟子頼りですか。情けない師匠ですね」
「いや、情けない夫だよ……妻にばかり働かせてしまって申し訳ない」
「どういう意味……まさか」
そのとき、異様に口数の少なかったセーラが俺の背後でこう呟いた。
「マーリスさん、終わったわ……後はよろしく」
「ああ……」
そう答えると同時に、私は迷わず空に向かって魔術を無数に放った。その全てが空に無意味に消えた瞬間……
「ゴフッ……」
ベータが吐血し、崩れ落ちた。そこに飛び込んだ私の杖にベータがかろうじて応戦する。
「私の、術式に、介入、した、と」
「ああ。君の転移封じや結界魔術とこの魔術の論理は違う。この自身のみの転移可能な空間や、自身の魔術発動補助は結界魔術ではなく精神魔術だろう」
周囲の空間全てを自身の体と見なす。そうすることで自身の体と認識されている範囲への転移を禁じ、さらには自身の魔力のように空間魔力を運用できる。
強力無比な術ではあるが、仕組みを看過している以上、対抗策はある。
「君の認識を私の魔術の認識にも適用する精神魔術。たったそれだけでこの空間は君の有意から君の絶対的不利に変わる」
セーラがこの戦闘中、大きく動かなかったのはこの魔術の行使のためだった。そして本来の魔術行使者であるベータに介入されないよう、術式を維持するためにそのまま動けない。
「グラスリーとは違うやり方……あの弟子か」
「ああ、グラスリーさんが解明した君の魔術構造を話したら、こんなやり方を考案してくれたよ」
「だが、代わりに彼女が動けない。君との一対一で私が負けるとでも?」
「ああ、これだけ的が広ければ……」
「舐めるな……」
ベータが吠えると同時に私とセーラの周囲に無数の魔術が押し寄せる。だが、この状況は馬鹿な私の独壇場だ。ベータの精密かつ高威力の魔術を全て、相殺して迎撃するクライス君のような芸当は私には一生無理だ。だけど、攻撃は最大の防御と言うだろう?
「……<神炎空間創造>」
私とセーラの体に魔術が到達する前に、自身の魔術で全ての魔術を吹き飛ばす。爆風が晴れた時、そこには崩れ落ちたベータの姿があった。
「……ゲホッ……なるほど、戦略を打ち崩すだけの火力を、何より早く撃てばいい、ですか……千年経っても脳筋は変わりませんか」
「ああ、賢者と呼ばれるのもおこがましいよ」
「賢者となれなくても英雄にはなれるのでは?」
「残念ながらその名前は今度は弟子にあげるよ」
「そうですね。弟子におんぶに抱っこですからね」
「それでお前らが消え去るなら……どうでもいい」
「そうですか……」
その直後、全力で放った<星光爆裂撃>がベータごと空間を灼き、同時にベータの体が塵となって消えた。
次回投稿はなるべく早めに出します。




