第百三十八話 決戦前夜
ええっと……お久しぶりというにも時間が空きすぎましたね。
休載中の詳細は活動報告にあげているので、そちらもあわせてお読みください。
……頭の中に高速で流れる膨大な数式の羅列……それを端から処理していく。
世界の壁面を通じてリリアの空間座標にアプローチして魔力供給を遮断する……この方法なら術式よりは負担が少ない。処理量は増加しているが、速度は多少遅くてもどうにか……
「くっ……」
全身に力が入らなくなったように唐突にふらついた。朦朧とする意識の中、倒れた衝撃で術式を継続できなくなる可能性に気づいて身体維持に若干の思考を割く。
脳の魔術領域外も強引に処理領域として扱っているせいか、無意識下で維持しているような機能まで影響してるみたいだな。そうは言っても、術式をやめるわけには、いかない……
「リリア……俺の寿命くらいは代償にくれてやるから。頼む、戻ってこい」
命まで取られたら馬鹿だ。そんなことはわかってる。でも寿命を削る程度の覚悟はしておこう……んっ、なんだ?術式処理領域に余力がでてきた?
「うーん、いくら雅也君でもこのアプローチは無理がありすぎるな。後、君の寿命を削るほどの話でもないよ」
「誰……なっ?」
「ただ、僕が介入する余裕と時間を稼いだ手腕はさすがだね」
突然割って入った声に集中が乱れた瞬間、その隙を突かれて術式に介入、され、た?
「はっ?俺の思考領域内で完結していた超越級魔術式ヘの介入……嘘、だろ?」
「普段の君に対してなら強引に制御を奪うのはかなり難しいだろうけど、今の君に対してなら余裕も余裕だよ。本来なら介入できない術式構成の深部へもアクセスできる……魔術処理の脳内領域を無闇矢鱈に拡張するのは悪手だよ」
「言われなくてもわかって……っつ、介入した術式の制御の継続……」
完全に俺の制御から外れたはずの<絶対領域>は術式に若干の修正をされたようで、動作を続けたまま効果半径を拡大させていく……
「雅也君。少しこの術式を借りて介入させて貰うよ」
「超高等術式ヘの介入に、術式改変までやるとか……何者ですか?」
「諸々の説明と指導をしてあげたいところなんだが……今はこの空間にいられる時間がそんなにないんだ。だから後でマーリスたちによろしく、とだけ言っておくよ」
「まさか……」
「ふふっ、後は頼むよ」
師匠に似た……いや師匠の口調の元になったのであろう紺色のローブの青年は俺に背を向けると同時にその姿を消した。
その直後。リリアの周囲の術式に変化が生じた。
世界の壁を溶かしていた術が世界の壁の修復を始め、余剰魔力が上空に向かって放たれる……その状況を呆然と立ち尽くして眺める俺の目の前で、リリアをそっと横たわらせる影が見えた。そしてその影は俺の方に微笑みかけて消えた。
影が消えるとほぼ同時に全ての術式が終了し、後には魔力の残滓が漂うばかりだった。
「終わった、みたいだな……」
「雅也!」
「クライス君、今のは……」
「リリアちゃん、しっかりして……」
安心したように微笑んで眠るリリアの姿を見ながら、俺はひとまず危機的状態が去ったことを知った。一気に脱力して、思わず意識が飛びそうになるが……一応、安全確認はしておかないとな。
「……うん、次元壁の穴は完全に塞がれてるな。それから不自然な魔力の流れもない……どうにかなったみたい、だな」
「雅也」
と、周囲の状況を確認したところで今度こそ完全に気が抜けて、その場に崩れ落ちかけたところを飛び込んできた詩帆に支えられた。
「一体何をしたの?」
「そこは先に大丈夫?って聞きたかったな……」
「馬鹿……次、あんなことしようとしたら絶対止めるから」
どうやら詩帆には俺が命を削って魔術行使をしようとしていた、というか実際していた事に気づかれていたみたいだ……こんな顔をさせてしまうのは不本意だ……けど
「善処する……いや、生きては帰ってくるから許して」
「当たり前よ……もう二度と離さないから。だから、もう二度と私の前から突然消えないでください」
「わかった」
もうすぐ魔神戦が近いという状況下で、リリアやソフィアさんが危ない目に遭って、その上で俺まで危うく失うところだった……さっきまでは気丈に振る舞っていたのだろうけど限界に近かったのだろう。奥さんの妊娠中になんて心配させてるんだか……ダメな夫だな、本当に。
「絶対ですよ。私を一人にしないでください」
「わかってる。ごめん、心配かけて……」
「本当です、よ……」
「だから、後もう少しだけ待ってくれ」
「……わかってる。その代わり魔神を討伐したら……」
「したら、何……はあ、詩帆、完全に俺が悪いけどそこで寝ないで欲しかったな」
緊張の糸がぷっつりと切れたようで、詩帆は俺に寄りかかって意識を手放していた。
「というか俺も、限界なんだ、が……まあ、後は師匠とレオンがどうにかしてくれる、だろ……」
そう呟いて俺は詩帆を起こさないよう風魔術を使いつつ、そのまま地面に転がって意識を手放した
「ううっ……どうやら、ちゃんと連れ帰ってはくれたか。あれ、詩帆は……」
「おはよう、雅也」
目が覚めると、俺は屋敷のベッドに転がっていた……服も着替えさせて貰ったみたいでなんか申し訳ないな。
「おはよう、詩帆……で、俺はどのくらい寝ていたんでしょうか?」
「あなたが寝てたのがおおよそ十時間。私が起きたのが三時間ぐらい前。だから私もようやく状況を把握したところよ」
ため息をつきながらゆっくりと部屋に入ってきた詩帆が俺のベッドに腰掛ける。そうしてこちらを睨んでくる詩帆に……気絶する前の会話的に申し訳なくは思ったが、最初に確認しておきたいことを聞いておこう。
「そうか……で、リリアは?」
「はあ……心配しなくても無事よ。今は魔術で眠ってるわ……セーラさんが精神的ダメージが大きすぎるから寝かせていた方がいいと思ってそうしたって」
「詩帆の診断は?」
「魔術的な脳のダメージにそんなに知見がないからはっきりしたことは言えないけど……脳に負荷がかかっていたのは間違いないから、意識を戻させないのは有効だと思う。もちろん精神的な面でもね」
「そうか……」
今度の世界では何とか妹を救えた……また自分では何も出来なかったけど、それでも生きてるなら……
「……本当に良かった」
「……妹さんが助かった事に雅也が安堵するのはよくわかるけど……先に言うことがない?」
「……心配かけてごめん……反省はしてる」
「前世でも今世でも何度も聞かされたわ」
「……ああ、信じてもらえるとは思ってないよ。今までの経緯が経緯だし」
「そんな言葉はいいわ。マーリスさんからあの現象の詳細を教えてもらった……あのまま術式を継続してたら、雅也は命を失うところだったって、しかもそれでもリリアさんを助けられない可能性も高かったって。あなたなら分かってたはずよね」
「……すみません」
間違いなく先程の<絶対領域>の多重使用と過剰使用による脳へのダメージのことを言っているのだろう……命を天秤にかけるどころか縮める真似をしているのは申し訳ない……けど
「だけど、やめないよ」
「わかってる……わかってるけど……」
「詩帆を守るためと、自分の知的好奇心のためなら賭けられる物はなんでも賭ける」
「……卑怯。その言い方されると怒れないじゃない。雅也のその賭けがなかったら、私は今……」
「……だけど、必ず生きて帰ってくる。さっきも言ったけど、それだけは約束するから……」
「それを約束してくれないなら、雅也の生涯の主治医としてあなたの命を守るために、縛り付けてでも雅也をどこにも行かせないわよ」
「それってメンヘ……」
「それを言ったら今から縛り上げるけど」
「冗談だよ」
本気でやりそうだし言いきらなくて良かった……いや、やられるならそれはそれで……何を考えているんだ俺は……やっぱり思った以上に疲れてるんだな、きっと。
「どうしたの、傷でも痛んだ」
「それは大丈夫……心は痛いけどな」
珍しくキョトンとした顔の詩帆から目をそらすように、俺は窓の外に目を向けた。月明かりとは違う、紫色の奇妙な光に輝く空を……
「雅也。寝起きだろうけど一つマーリスさんから伝言があるの」
「まあ、大体察した。魔神の復活は早ければ……明朝ってところか」
「ええ。それだけ伝えて、後は二人きりで過ごしてってリリアさんを連れて今日は近くの宿に泊まるって……」
「そうか。なんか余計なことされた気もするな」
「余計……私と二人きりがそんなに嫌かしら?」
「余計な気遣いをされたことがちょっと微妙な気分ではあるけど、この状況自体は……なんか久々で……嬉しい」
「久々に雅也の本音を聞いた気がする」
「詩帆の前では嘘は吐かないようにはしてると思うんだけど……っと、な、何?」
言い訳じみた口調でそう返した俺を、唐突に詩帆がベッドに押し倒した。それに驚いて一瞬動きの固まる俺に迷わず彼女は……
~同時刻 ルーテミア王城内 国王執務室~
「明日、か」
「マーリス殿の予想が当たっていればですけどね」
「どちらにせよ喫緊の状況であるのは変わらないし……私が直接的に出来ることもないのだがな」
先日の魔王戦争の記憶はまだ新しい。あの日、最下級の魔人の攻撃にすら対処の出来なかった私の実力では魔神との戦いでは何の力にもならないだろう。
王としての力も、直接的には何の力にもならない……人を集めようとも、国民に呼びかけようとも無意味に人死にを増やすか、混乱を煽るだけだ。
「戦において前線で戦う戦士達の働きが多大であることは疑うまでもありませんが……その働きを保つため、後顧の憂いを断つために、文民の存在も絶対不可欠な物です」
「ましてやレオン陛下は国王です。その力でできること、しなければいけないことは山積していますよ」
「二人に言われなくてもそんなことは重々承知だ……この机の上の惨状を見ればわかることだろう」
机の上には大量の貼られたメモや書き込みでいっぱいになった王都周辺の地図と、騎士団や警備隊の増員や、警備計画や避難誘導、避難場所や備蓄食料の予測……全て、魔神が出現した際の被害予測に基づいた被害軽減策だ。
「ローレンス財務相やフィルシード軍務卿の方も先程のマーリス殿の最悪の予測が的中した場合でも問題ないよう、いつでも動けると先程連絡がありましたし、後は最後の詰めぐらいでは」
「わかっている……だが、その詰めも出来るところまで詰めねば……」
「はあ……陛下、失礼します……<麻痺の雷撃>」
「ぐっ……ハリー、何を……」
「闇魔術が使えるのなら<眠りへの誘い>を使いたいんですが、使いようがないので荒療治をさせていただきました」
体全体がしびれて、ゆっくり力が抜けていく……疲労もたまっていたからな。このままだと意識が……
「まだ、やらねば、ならない、こと、が……」
「今、詰めた方が良い事象はありますが、既に対策は終わっています。後は、寝てください」
「そうです。明日、仮に魔神が出現したとして、王都の統制を取るのはレオン陛下なのですから」
「……それは、そう……ガッ」
「寝てください」
「さすがに、強引すぎ……だろ、う……」
もう一発、とどめとばかりに入れられた魔術の痛みを最後に私の意識は途切れた……できることなら、翌朝、ハリーに嫌みを言える平和な朝が来ることを願いながら……
~同時刻 王都西部 とある宿屋の一室~
「魔力増大が止まらないね。それに色の変化も顕著、か。外れて欲しい気もするけれど……明日みたいだね」
「そうね……」
すっかり夜も暮れた空。いつもなら満天の星空が広がっているはずだが、空の色はここ数日で少し見慣れてしまった紫色の空だ。
「……でも、いつか終わらせなければいけなかったのよ。そうじゃないと私達はいつまで経ってもあの日から先に進めない」
「ああ……千年間止めていた時、そろそろ動かさなきゃね」
セーラの言うあの日、あの魔神を封じたかわりにセーラ以外の全てを喪ったあの日から私達の時は止まったままだ。物理的にも……こころも。
「全てを背負って魔神討伐のために生きてきた千年だった。明日で全て終わらせて……次は、全部を背負って、二人のために生きよう」
「当たり前でしょ、どれだけ我慢してきたと思ってるの?」
「……千年も付き合わせてすまない」
「それは言わないで。私はマーリス君の隣に生きていられた。その事実だけで十分。だから……終わったらその分、無理してきた分を全部返してね」
「ああ……」
やれるだけの手を打った。使える手札は磨き上げた。あの日出来なかったこと、あの日足りなかったこと、あの日知らなかったこと……補える物は全て補った。そして……
「人生最初で最後の最高の弟子がついてる。俺が憧れた賢者達を超えるような、天才がね」
「あら、弟子に頼り切るつもり?」
「そんなことはしないさ……彼に魔神を任せる以上、残りは私でどうにかするさ」
「私も忘れないでね?」
「頼りにしてる」
そうお互いに言って、再び寄り添って窓の外を眺める……と、ドアをノックする音が聞こえた。セーラが声をかけると、入ってきたのは予想通りシルヴィア嬢だった。
「どうぞ」
「失礼します。セーラさん、先程リリアさんが目を覚まされたので容態を診ていただけますか?」
「シルヴィアちゃん。わかった、行くわ」
「無理して動きそうだったので、軽い雷属性魔術で麻痺させちゃいましたけど良かったですか?」
「少々過激だけど、容態診るまでは本当に動いて欲しくないくらい体にダメージ負ってたから、それでいいわ……」
急いで隣の部屋に向かう二人の姿が消えて、より強く思った……
「今度は、みんなで生きて帰ってこないとね……」
そう呟いた私は明日のプランをもう一度念入りに頭の中で確認し始めた……
「ぷはっ……突然だなあ」
「なんか、雅也が不安そうにしているのをみると、全部包みたくなるのよ……やっぱり今日の件で?」
「……不安が増えなかったとは言えないな」
珍しく詩帆の方から俺に口づけを交わしてきて、その上にストレートに聞かれて、自分でも珍しいくらいに俺は自身の感情を吐露していた。
「……あのとき、あの人の助けが入らなかったらリリアだけじゃなく、自分も救えてなかった。そんな状態で明日も世界滅亡の厄災と戦うって言うんだ……怖くないって言ったら嘘になる」
「それって、世界を救えないことと私を一人にするのが?」
「自分の命を失うのが怖いって言う意味だとはとってくれないの?」
「あなたは自分の命は秤に乗せられる物でしょう……前世で何度も怖い目に遭ったからもう聞かない」
「……自分の行いが悪い、な」
確かに前世でもいくつかどころでないくらい心当たりはあるが……
「ただ……俺だってさすがに自分の命は惜しいからね?」
「わかってる。でも、優先順位としては最上位じゃないのも事実でしょ」
「……否定はしない」
「はあぁ……まあ、いつものことよね」
「申し訳ないけども一生治らないと思うよ。こればっかりは俺の主治医にもどうにもならないと思う」
「ええ、とうに匙を投げたわよ……だから、あなたの生きる理由としてありつづける。それがあなたの不治の病の唯一の処方でしょ」
「ああ……」
そのまま俺の上に転がる詩帆が愛おしくて、俺はそのまま彼女を抱きしめた。
「……おなか苦しいから、ほどほどにしてよ?」
「わかってるよ……この子も、俺の帰る理由だから」
「うん……だから、一緒に行って、ちゃんと帰ってこようね」
「当たり前だ。詩帆にもその子にも指一本触れさせないから」
「頼もしい旦那様で良かった……」
詩帆が隣にいて、そのおなかに新しい命があって……そのなんとも言い表せない幸せを噛み締めながら……気がつけば……
―――――夜が、明けていた
なんだか色々詰め込んだので長くなってしまいました……本当に久々に書いたので中々に四苦八苦しました。
この世界の創作者として、勘を取り戻して行ければと思います。
改めまして今後とも「異世界でも貴女と研究だけを愛する」をよろしくお願いします




