第百三十七話 守り手の影と芽吹く想い
大変お久しぶりです。やっと更新再開します……
リリアのいる中心部に近づけば近づくほど、その膨大な魔力に自身の魔力が飲み込まれそうになる……それでも、模造魔術を扱わない俺ならこの状況下でもなんとか魔術を行使できるはずだが……
「……<光球>」
呟きながら、確認がてら手のひらの中に魔力を集中させる。そのまま魔術を発動に持ち込もうとした瞬間……手の中の光球が消し飛んだ。
「やっぱり普通の魔術じゃ空間魔力に吹き飛ばされるか……」
この領域に突入したときのように、超越級魔術でならこの異常な魔力密度の中でも魔力空間の魔力質に非常に近い俺の魔力なら発動は出来る。だが普通の模造魔術はこの荒れ狂う魔力の中では発動すらおぼつかない。しかも……
「さっきは師匠やハリーさんの魔術が外周なら発動できてたけど……もう教会跡から少し離れた範囲でもかなり際どいな」
師匠なら自身の体内魔力だけで魔術を組めば発動は可能かもしれないが、高度な魔術はかき消される可能性が高い……それぐらいに異常な魔力は強まっていた。それはリリアの魔術によって世界の壁に開き始めた穴の大きさが異常な速度で拡大していることを指していた。
「……早く、止めないと……<反射障壁>」
大半は魔力空間上の魔力を使っているとは言え、魔術として維持されている以上はリリア自身の魔力も少なからず使われている。こんな威力の術を無制限に使い続けたらリリアの命が危ない。
悩んでいる暇はなかった。覚悟を決めて結界を展開し、リリアの魔術の中心範囲に飛び込んだ……
「……おい、嘘だろ……」
<天罰>の影響範囲に入った瞬間、<反射障壁>が破られ、俺の腕が吹き飛んだ。
「<反射障壁>の魔力吸収と、吸収魔力からの結界維持魔力の供給のプロセスは正常に動いてた……なら、普通に許容範囲を超えたと考えるのが妥当か」
腕を修復しながら先程の状況を考察してみたが、結果的に分かったのはリリアの体に直接的に干渉することは不可能に近いという絶望的な答えだった。
「<反射障壁>でどうにかならないなら、他の結界じゃどう考えても強度不足だ……<魔力喰らい>で魔力を吸い尽くすか……いや、無尽蔵に魔力が供給されている以上、キリがない……」
俺の知りうる限り、この魔術に物理的に干渉することは不可能だ。魔術以外の物理的な方法ならなおさら不可能だろう。なにせ物質を分子レベルで分解する以上のことをこの魔術はやってのけているのだから。
「なら、俺に出来ることは……あれくらいか。可能か不可能かを論じるなら人にはほぼ不可能と言うしかない……だが、やるしかない、か。やらなきゃ世界が終わる」
一度、ゆっくりと目を閉じる。そして方法を再確認する。理論上は俺なら可能で、実際はほぼほぼ不可能なこの魔術に対する唯一の対抗策を。
自分の中ではとても長いような一瞬の後、ゆっくり目を開き……短く必要な術式名だけを告げる。
「……<絶対領域>……<思考加速>……<自動回復>」
<絶対領域>でリリアの発動する<天罰>の術式の魔力情報を読み取り、<思考加速>で思考速度を加速させた脳内でそれを再編纂し、魔術のプロセスを強制的に終了させる。
要はリリアが暴走させた魔術に干渉して書き換えて終わらせる。言葉にすればたったそれだけの作業。しかし……
「……っつ……」
俺の頭の中は術式で満たされていく……その中でただ頭部の鈍痛だけが意識に残る。
術式に介入するだけとは言うが、実際に行使されている魔術の魔力情報に介入するというのは、人が脳を直接コンピュータにつないでプログラムを読み取り、処理するのに等しい。ましてや処理するのは世界の法則を書き換える神のプログラムと呼べる代物。それはある一点において人の領分を超えた物理学者の脳でも処理できると考えるには浅ましき暴挙だった。
現に彼の脳内の細胞は次々崩壊し、それを即座に<自動回復>で回復させているから生きているのであって、普通なら死んでもおかしくない状態だった。
彼の脳の中で、それでも彼の思考を僅かながらに残している部分が無情な現実を知る。自身の脳ではこの術式の三割程度を解析して書き換えるのがやっとだと……
「……なら……干渉で……きない原因……の……魔術式……だけ……書き換え……る」
クライス以外がリリアに物理的にしろ魔術的にしろ干渉が可能になればこの状況は解決する。すなわち、この異常な魔力密度を解消して、魔術をすこしでも減衰させることだ。
思考の余裕など残っていなかった……その朦朧とした中で最後の処理を完了させた瞬間……魔力の異常な膨れ上がりに意識が僅かに覚醒する……
「嘘だろ……リリア……」
確かに魔術式に介入して術式を減衰させた。そして同時にこの空間の魔力を優先的に消費するようにして魔力濃度の問題も解決させた。だけど……
「……流れ込む、魔力、量の制御までは……切れなかった」
魔術行使において魔力量の制御は魔術師の根底のようなものだ……だから魔術式の奥の奥、リリアが制御を暴走させた中でも、本能的に握っていたその制御だけは奪えなかった……どれだけ術式の威力を下げても、空間の魔力密度の問題を解消しても魔力が注がれる量が減少しないのなら意味がない。
術式の威力が再び増幅する……それにつれてリリアの顔色が目に見えて悪化し始めた……このままだと数分持たずにリリアが死ぬ。そして……その前にこの世界が崩壊する。
それを確信した俺は……リリアを殺すという手段だけは絶対に避けたい俺は……
「……詩帆、ごめん……<絶対領域>」
最後の手段として全力でもって<絶対領域>を再度行使する……今度は魔術式ではなく世界の壁に直接干渉させる。時間も空間も全てを式に転換して制御しきる……魔術自体に干渉できないならこれしか手はない。
頭部に先程以上の激痛が走る……きっとこの先に進んだら死への階段をもう一歩上ることになるだろう。後、何度かこんなことをすれば廃人になりかねない。でも……
「……これしか、ないんだ……」
更に遠くなる意識の中で、リリアに誰かが近づいたように見えた……直後、視界情報すら魔力式が塗りつぶしていき、俺の意識は完全に……
――――――あれ、私。何してたんだっけ。いや、何してるの?
不思議な感覚だった。自分が魔術を使っているのを後ろから眺めていた。そして周囲は私の魔術でズタズタになっていた……
妙に冷静な自分は、泣き叫びながら魔術を撃ち続ける自分を止められなかった。その、理不尽だけど、理解できてしまう心の声が聞こえてきたから……
――――――もう、何も分からない。何も信じたくない。
大好きだった兄はたった一人しか愛してくれなかった。妹としては可愛がってくれるけどそれだけだ。それに兄様は何か私の中に別の誰かを見ているような気がする。そう、リリアという一個人としてすら見てくれない。
一番大好きな人は私すら見てくれない。ねえ、私って何?
――――――その想いが間違っていることも理不尽なことも分かってる。
でも、彼女の声を聞きながらもう終わらせてしまいたかった。
そんなことを考える自分も、兄に歪んだ恋慕を剥ける自分も気持ち悪くて、嫌いで……自分を終わらせてしまいたかった。
いや、いっそ世界も、何もかも……
――――――そんな風に思ったとき、脳裏に誰かの声が聞こえた気がした。
お兄様?
やっと私を見つけてくれた。
―――――――そう、泣きじゃくる自分が微かに笑った。
次の瞬間、魔術が乱れて僅かに視界が開けた……そこには……
「お兄様?」
一瞬、自身の強い思いが生んだ幻覚だと思った。だけど僅かに戻った正常な思考が記憶を掘り起こし、現在の状況を正確に把握した。
自身が魔術を暴走させたこと。
そして、お兄様はそれを止めるためにここに来たのだと。
――――――よかった。これでこの自己嫌悪な世界から抜け出せる。
はっきり安堵した。もうこんな自分を一秒でも見ていたくなかった。そしてこんな自分が自分の中にいるなんて思いたくなかった。
……でも、世界は私が思う以上に残酷だった。
「お兄様?」
―――――――魔術を行使していた私が呆然とした声で呟いた。
見ると、お兄様の動きが止まっていた。私の方を見て絶望したかのような顔をしていた。
―――――――そんな目で見ないでよ
泣きじゃくる自分をよそに私は不思議なくらいに冷静になれた。
あのお兄様ですら私の魔術を収束させることは不可能だったのだ、と。
――――――――何で私まで笑うの?
少し嬉しかったから。あのお兄様にすら対処できない魔術を行使できたのだから……たとえ命と引き換えで、自分でろくに制御も出来ていなかったとしても。
なんて思ったそのとき……お兄様の顔色が冷静なものに戻って再び何かの魔術を使った。
なぜか、お兄様の口の動きで何を言ったか分かった。
……シホ、ごめん……
その顔とその言葉だけで分かりすぎるほどに分かった。お兄様はとてつもない代償を払ってでも私を救う気だと……
――――――なんで、私のために、そこまでするんですか?あなたにはシホさんがいるじゃないですか。
分かってる。お兄様は妹のためにそれをするのだと、それが出来る人なのだと……でもこんな捻くれた妹のせいで、シホさんを泣かせたら駄目だ……
「……止めなきゃ……あれ……止まらない」
完全に冷静になって、泣きじゃくるもう一人の自分から制御を取り返そうとするけど、できなかった。
―――――――もう、何もかも吹き飛んで、消えて、こんな世界―――――――
そうしようと術式に干渉するたびに魔力が注ぎ込まれる量が増えていく。状況は悪化していくばかりだ……
「なんで……なんで……どうして……駄目、ダメなの……」
止まらない。必死で術式に介入してもむしろ悪化していくばかりで、お兄様の顔色を見る限り、どう見ても命を削っていた。
でも……何もできない……
―――――――なくな……
助けて……誰か、助けてください。どうか、お願い……
「助けて……私はどうなってもいいからお兄様を……」
「ああ。まだ君も雅也くんも失うわけにはいかないからね」
世界に、私の外に、声が届いたと思ったら、不思議と暖かい返答が返ってきた。
「えっと……あなたは?」
「すまないけど、少し時間がなくてね。細かい説明は後で戻ったら聞いてくれ……それより、一度落ち着いて」
「は、はい」
「じゃあ後は僕が制御を引き取るね……」
その言葉と共に体が軽くなるように感じた。気づいたら誰かに支えられていた。初めて会う相手のはずなのに、なぜかとても落ち着いて、思わず口から言葉がこぼれた。
「暖かい……」
「そう……しかし君もまた不遇な恋に捕まったね」
「んっ……はい」
「僕なんか親友にサラッと取られたからね……前世からの恋とか言う理不尽なものじゃないから余計に辛かったね」
「私の場合は理不尽なのが許せないんですよ……努力しても無駄だって突きつけられたみたいで」
そう言って、支えてくれていた相手を見上げようとしたけど、体は少しも動かなかった。
「そっか……ああ、君の精神体は今の魔術行使で限界が来ていたから、かなり活動を抑えさせてもらった」
「そう、なんですか……」
「ああ。ほら、もう一人の君を見てごらん」
その言葉に前を向くと、先程まで叫びながら魔術を行使していた私の姿が薄れていた。
「……半分、夢のようなこの世界でも精神対を実体化、ましてや複数でいるのは負担が大きすぎるからね。もう一人の君はしばらく眠らせたほうがいい」
「……私は、あの歪な自分と向き合わなくてもいいんでしょうか」
「いつかは向き合わなくちゃいけないかもしれないけど、それは今じゃなくてもいい。今は休むべきだよ」
まだ、怖い。あの歪な自分が。でも、顔も名前も知らない彼の言葉に、少しだけ救われた気がした。
「そう……ですね。まだ、もう少し楽に考えていようと思います」
……お兄様への恋慕が、いつか兄への情愛に変わる日までは。
「月並みな言葉をもう一言添えるけど……君にはまだ恋の機会があるよ。努力は次の恋に生かせる。叶わなかった恋でも無駄じゃない」
「分かってますけど……」
「まあ、素直に納得は出来ないよね……それが恋愛だし……」
「……はい」
「何か親近感感じるね。じゃあ……」
「ひゃあ……っつ、い、いきなりなんですか?」
支えていた手にギュッと抱きしめられて、思わず声が出た。
「そういう反応は箱入りのお嬢さんだね……いや、なんか見てたら抱きしめてあげたくなったというか。さすがに嫌だったよね……すまない」
「いえ、嫌じゃなくて……嫌じゃないからびっくりしたというか……い、今のは……」
「聞かなかったことにしておくよ……と、そろそろ時間だ」
「何の……」
「しばらくお別れだ。また会おうね、リリアちゃん」
「えっ……」
「ふふっ……おやすみ」
唐突に消えた彼の温もりを薄らと感じていた。それと同時に私の意識がゆっくりと現実に浮かび上がるのを感じた―――――――
これから何とかちまちま書いていけるといいのですが……




