裏編 遠い空の下 ~the story of tha shade Ⅰ~
お久しぶりです。再開初日から大変申し訳ございません。書ききれなかったのでダイジェストとこれの後半部分は今日中に投稿できるよう善処します。
私達の出会いは偶然だった……いや、必然だったのかもしれない。深い傷を負った二人を繋げるために、そして……
私、桜川 凛子は一人で大学構内を歩いていた。
「何、やってるんだろう。私……」
ぽつりと呟いて、立ち止まる。そしてなんとなく自身の境遇を思い返す。
私が生まれたのは桜川財団という強大な財団の本家。その長女である私は、何一つ不自由のない生活を送らせてもらった。
桜川財団のもとは私の曽祖父が立ち上げた小さな不動産会社だった。曽祖父の経営手腕は、間違いなく天才だったらしく、同業他社を数多く取り込み、会社は一代で巨大な企業複合体へと成長を遂げた。そしてその成長は私の祖父が会社を継いだ後も止まらず、現在では国の私有不動産財産のおよそ半分は桜川財団や関連企業が担っていると言われるほどの力を持っている。
その長女だった私は当然、受けられる恩恵以上に、それに報いるためにやらなければならないことも多かった。桜川の人間として必要な知識を身に着けるため、六歳の頃から家庭教師が付き、一日四時間は勉強させられた。さらに、必要な礼儀作法や言葉遣いはもちろんのこと、華道や茶道など、ありったけの技能を覚えさせられた。
小学校はもちろん中高一貫の私立の女学院。そこでは常に成績最上位を取り続け、部活動でも好成績を取り続ける。中高では生徒会の役員も務めた……時には大変だと感じるときもあった。ただ、それは私にとって当たり前のことだった。
桜川の娘らしくあれ、そう育てられてきた私にとっては、あの日までは……
「えっ……今、なんて言いました、お母さま?」
高校三年の春、志望校の選択を迫られた私は何気なく母に相談した。そこで私はきっと一つの大学名を示されるものだと思っていた。でも、初めて違った……今まで、一度もなかったことをされた。
「だから、大学は好きなところを選びなさい、そう言ったのよ。あなたの実力なら国内外含めて、選べない大学はほぼないとのことだし、推薦枠もどこでも取れるのだから、あなたに任せるわ」
「ええ……それで、お母様の希望は?」
頭の中はパニックだった。それでも、おそらく何らかの希望ぐらいはあるだろうと母に続けて問いかけると、母は伏し目がちになって言った。
「あるにはあるのだけど……言わないわ」
「えっ……」
「あなたには、ほら、今まで私達の言う通りの進路しか歩ませてこなかったでしょう。習い事も何もかも……ずっと強制させてしまった。だから、今更かもしれないけど、大学ぐらいは好きに選ばせてあげなきゃ、と思って……」
「で、でも、希望ぐらいは、言ってもいいんじゃないかしら」
「あなたに私が希望を言ったら、あなたは気を使ってそこを選ぶでしょう。だから、私は言わないわ」
「……お父様や、おじいさまには……」
「旦那様は私の意見に賛成してくれたわ。お義父さんは、あなたの才覚を信頼しているから、最低限のランクより上であるなら、どんな大学でも構わないと……その後に旦那様は色々と子供時代のお小言を言われていたけど……」
……母のその言葉の先は、何も入ってこなかった。そして気が付いたら自室のベッドに横になっていた。
「どこでも、いい……行きたいところに、行けばいい、か」
母の言葉を自分の口で反芻し、かみ砕く。でも、考えれば考えるほど分からなくなった。私がどこに行けばいいのかなんて、分からない。行きたい大学も、夢も、何もない。
順当に行くなら、きっと家から近いというのもあって、周辺の名門私大のどれかに入るのが妥当だろう。でも、それは私がしたいことじゃない。私が家のために選ぶべきだと思っている進路だ。
「今さら、分からないよ。夢なんて、何もない。私は桜川の娘だっていう、ただ一つしか特徴なんてない」
そんなことを人前で言えば、謙遜だと言われるだろう。でも、違う、私の持っている能力は誰だって能力次第で手に入るもの。多少は才能があったのかもしれないが、それでも、わたしはただ言われたとおりのことをしただけ、そこに私の意志はないし、得たくて得た能力じゃない。
「そんな私に、私に、もう、夢なんてない。ただ、桜川の家のための目標しか、持っていない……私ってなんて、つまらない、人間、なんだろう……」
そう思ったら、急に今までの自分の生き方の意味が見いだせなくなった。そして、自分の人生と、家族に対する不信感が急激に湧き上がっていくのを感じた。いや、もとからあったものが膨れ上がっただけかもしれない。でも、大して差はないだろう。
「私は、今まで、一体、どうして生きてこられたんだろう……」
でも、死ぬ勇気なんてなかった。でも、もうこれから後四年も家族と暮らしていくには急激に膨れ上がった不信感はあまりに大きすぎた。
「……家族から、離れたい」
そう言って私はベッドから起き上がると、パソコンを開いて、あることを調べ始めた……
「それで、たったそれだけの理由で両親から一番離れられるこの大学を選ぶなんて……なんて馬鹿なんだろう」
祖父が求めるランクに達していて、自宅から最も離れられる大学がこの大学だった。家族にも担任にも当然、理由を尋ねられたが、家族と離れた新天地で一人で過ごしてみたいと言えば、何も言われなかった。
こうして私は首都から離れた地方の国立大学に進学したのだけど……
「これなら、海外の大学を選んでいてもよかったかもしれないわね」
いかに難関国立大とは言っても地方の国立大学。今まで付き合っていた友人達とはレベルが離れすぎていて、一月経った今でも友人など一人もいなかった。その上、こんな地方の大学でも私の素性を知っている学生に度々遭遇し、煩わしさは増すばかりだった。
「はあ……さて、こんなところで考えていても仕方のないことだし、そろそろ帰りましょうか」
本当は試験に向けて、少しは図書館で勉強でもしようかと思っていただけなのだが、考え事をしているうちに遅くなってしまった。もう初夏とも言える時期だが、外は暗くなって少し肌寒かった。そのまま歩き出そうとしたとき、飛び出してきた男に物陰に引きずり込まれた。
「キャッ……」
「おっと、騒ぐなよ。おとなしくしてれば痛いようにはしないから」
男性に襲われているというのに不思議なほどに頭の中は冷静だった。一瞬、性犯罪者の類かと思ったが……どうやら違うようだ。
「どういうつもりですか?」
「だから、おとなしくしていれば痛いようにはしないよ、桜川の令嬢さん」
「やはり、そう言う類の方ですか……」
これでも最低限の護身術は身に着けている。それでもこの男は全く振りほどけそうにない。おそらく裏で使われているプロだろう。
……さて、どうしようかしら。ひとまず、この男の依頼主の目的は知らないが、おそらく私に危害が加えられることはないだろう。ただ、危害が加えられないとしても、私という桜川の家にとって無視できない存在を拘束されるのは非常に面倒だ……
「動くなよ。当然声も出すな」
そんな風に考えていると、近くを歩く足音が聞こえてきて、男が私の口を覆った。そして、その足音が最も近くに来た時、私はその男の手を本気で噛み千切った。
「……っつ」
「誰か、助けてください」
かなりの量の血が飛び散り、たまらず手を離した男をよそに、私は大声で助けを呼んだ。それを見て、男がその場を離れ……
「なっ……ゲホッ」
……られず、物陰に飛び込んだ影が男を投げ飛ばし、そのまま組み伏せた。なおも男の首を締め上げ、やがて男は意識を失ったようで力なく横たわった。それを確認してから男を組み伏せていた影がこちらを振り向いた。
「大丈夫ですか」
「えっ、ええ……ありがとうございま……」
「えっ……桜川?」
「はい、桜川家の長女、凛子です。この度は危ないところをありがとう……って、江藤君。なんでこんな大学に?」
「それは僕の方のセリフだと思うんだけどね」
そこに立っていたのは数少ない幼い頃から親交のある同級生 江藤 聡介だった。
「凛子、どうしたの。急に黙り込んじゃって」
「ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていたのよ」
大学入学から半年が経った。すっかり生活にも慣れ、日々の生活が流れ作業と化した私だったが、半年前とは大きく違っていることがあった。
「ふーん……珍しいね、凛子が人前で考え込むなんて」
「私を何だと思っているのかしら?」
「人に絶対に弱みを見せない人」
「否定はできないわね……そう言うあなたもじゃないかしら」
「私はそれなりに見せているつもりだけど……やっぱり、そう見えるのかな……うーん、強くみられすぎるのもどうだろう……」
友人と言える存在ができた。少なくとも、それは大きな変化と言えるだろう。
「誰のことを思って言っているのかはだいたい分かるのだけど、話している最中に一人の世界に落ち込むのは気を付けてくれないかしら」
「べ、別に誰か一人のことを考えているわけじゃ……というか、話は聞こえてるし」
「あら、本当に湊崎君のことを考えてたとは思っていなかったのだけど……図星だったみたいね」
「うんっ……」
「ちょっと、あからさまな反応で喉に詰まらせないでよ、はい水よ」
こんな風に好きな人の話題を出されただけでむせてしまうようないかにも普通の女の子にしか見えない彼女が私の友人、洲川 詩帆だ。
「ふう、ありがとう……」
「ごめんね、そこまで慌てるとは思わなくて……」
「別に慌ててないわよ」
「あら、冷静になっちゃって……」
「桜川」
面白くないわね……そう言おうとした私の言葉を遮るように後ろから声がかかった。聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはやはり予想した通りの人物が立っていた。
「あら、江藤君……何の用かしら?」
「要件は分かっているだろう」
「ええっと……じゃあ、私は午後の授業があるから……後はごゆっくり……」
「詩帆、いつも言っているけどあなたのと違って本当に彼とは何の関係もないからね」
「なら、私の方も信じて欲しいわね……それじゃあ」
そのまま荷物を抱えて足早に去っていく詩帆の後ろ姿にため息をつきながら、私は表情を切り替えた。
「それで、私の楽しみを止めた理由は何?」
「他人の恋路を自分のストレス発散がてらぶち壊そうとする人間を止めるのは当然だろう」
そう言いながら、彼は先ほどまで詩帆が座っていた席に腰を下ろした。
「別に壊す気なんてないわよ……私は湊崎君を奪おうと画策しているただの乙女よ」
「相手に対する恋愛感情もない癖に、そんなセリフよく言えたもんだな」
「あら、私とあなたとしてはそんなことは普通じゃないかしら」
「それとこれとは話が別だろう」
彼とは私が襲われた後、よく会うようになった。最初の内は私が襲われた件を内密に処理しなければならなかったので呼び出していたのだが……詩帆と出会ってからは少々、会う理由が変わってきた。
「湊崎と洲川、二人の人生をぶち壊す気か?」
「別に壊す気はないわよ。ただ反応が見たいだけよ。こうしたらどうなるのかって」
「壊す気満々じゃないかよ……」
「だって、あの二人の過去……面白いんだもの。ねえ、あなたもそう思うでしょ」
「あいつらの過去は両方とも知っているが……だからって壊すのを容認できると思うか」
おそらく洲川君の言っている過去というのは本人たちから聞いた表面上の物でなく、間違いなく調べた先に会った本物の過去だろう……そして、彼も知った以上、私の考えを真っ向から否定できないはず。だって、私達は……
「容認する、しないじゃないの……私がしたいからするのよ。それにしても、あなた、妙に肩入れするわね……」
「別に洲川に気がある訳でもないし、湊崎をそこまで守りたいわけじゃない……ただ、力を持った奴のせいで人生がぶち壊される人間を見るのが嫌なだけだ」
「そう。でも、面白いというのは否定しないのね。あなただって壊された側の人間なのに」
「……ああ、残念ながら、ね」
彼と私は、まだ彼の父親の企業が好調だった時、婚約者だった。だけど、彼のことは全く好きになれなかった。ただ、政略結婚として受け入れようと……そうとしか思えなかった。
婚約話は私達が十四歳の時に破談になった。彼の父親の企業は捏造された財務報告書が見つかって、株価が大暴落し、取締役全員の辞任が決まったからだ。
結局、最後まで彼を好きにはなれなかった。おそらく彼もだろう。
「あなたも私と同じよ。私を止めたいなら、詩帆と湊崎君に私の裏をすべて話してしまえばいいのに」
「お前はただ一人の友人を失うぞ」
「それは哀れみかしら。今さら、友人がいるいないなんてどうでもいいわ、言いたいならあなたの好きにして」
「憐れんでるわけじゃない。ただ…………」
「もういいわ。あなたごときにそんなことを思われるのが不快よ……二度と顔を見せないで」
「……」
彼は無言で席を立ち、その場を去った。そのまま数秒だったか、数分経ったか、私はポツリと呟いた。
「私は、なんて空虚なんだろう」
……私達は、似た者同士だ。両方とも、それを表に見せていない所まで似ている。だから、きっと、同族嫌悪だったのだと、今ではそう、思う……
今後とも、「異世界でも貴女と研究だけを愛する」をよろしくお願いいたします。なお、作者名でTwitterやっています。
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