現代編 水輝side ~平穏な日常は終わりを告げて~
ええっと……皆さんお久しぶりです。
生存報告に合わせて、ようやく現代編をお届けできました。
と、ともかく……読んでくださる皆さん、いつもありがとうございます。
超久々の定時投稿です。
エレベーターを降りた俺は、駆け足で部屋の入り口に向かった。そのままドアを開くと、リビングから二人分の聞きなれた足音が聞こえてきた。そのことに、まず安堵した。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「お父さん、おかえり」
「ああ……少し帰るのが遅くなったかな?」
「そうでもないですよ。解析に時間がかかった日は、いつもこんなものですから」
「そうか……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか……」
どうやら千夏は何かに感づいたようだが、あえて聞かないでおいてくれるようだ……せめて今夜だけでも、最後の平和な時間を過ごさせてもらおう。
「お父さん、早く来て。お母さんも」
「はいはい、行くよ」
「あなた……何があったのかは知りませんけど……」
「分かっているよ……」
「ですよね。それならいいんです……」
帰りがけにポストに突っ込まれていたパスポート一式をポケットの中で握りしめながら、俺は千夏にそう答えた。言われなくても美衣のいる前で、あんな物騒な話をする気はない。
「もう、二人とも早く来て」
「ああ、ごめんな。今行くよ」
手を引っ張る娘に連れられて、俺はそのままリビングへと足を進めた。
「一体何があるんだ?」
「あら、忘れたんですか?」
「どういう意味だ……ああ、なるほど」
「お父さん、お誕生日おめでとう」
リビングに入った俺はすぐに状況を理解した。壁中に折り紙で作った飾りが貼られ、テーブルにはケーキを中心にして、少し豪華な料理が並んでいる。
「そういえば、今日だったな」
「もう、忘れないでくださいよ。自分の誕生日ですよ」
「君や美衣の誕生日ははっきり記憶しているんだけど……自分のことは、意外とね」
「あなたらしいですね。というか、私の誕と娘の誕生日を忘れてたら怒りますよ」
「分かってるよ」
千夏の誕生日は俺達の結婚記念日だ。何より大切な人の誕生日を忘れるはずがない。でも自分の誕生をよく忘れてしまうのは仕方ないと思う。だって、十二月三十日だぞ。年末の忙しさに忙殺されて、子供時代とかクリスマスと一緒に祝われていたし……
「お父さん。早く、ケーキにろうそく刺して」
「ああ、分かった。分かった」
そのままみんなでテーブルに座る……手を洗うのはろうそくを吹き消してからにしよう。面倒だが、このまま食べたら、美衣の教育に悪いと千夏に怒られるからな。
「じゃあ……何本刺せばいいんだ?」
「お父さんの年の数」
「ええっと、じゃあ三十……足りるか?」
「馬鹿正直に刺さなくてもいいですよ。ちゃんと数字の形のろうそくを用意してますから」
「ああ、なるほどその手があったか」
見るとテーブルの端の方に3と8の形をしたろうそくが用意されていた。確かにこれで三十八歳は表せるな。だが、美衣は不満のようだ。
「ええ……せっかく、ろうそくだらけのケーキが見られると思ったのに」
「美衣、考えてみなよ。ろうそくをそんなに一気に吹き消したら、煙で部屋の中が大変なことになるぞ」
「窓を開けたらいいよ」
「それでも、部屋の煙はそう簡単に流れていきません。それに全てを消しきる前に、ろうがケーキに垂れて食べられなくなっちゃうよ……それでいいの?」
「……それは嫌だ」
「でしょう。じゃあ、あのろうそくでいいよね」
「うん」
七歳の子供を、というか幼い頃から俺も千夏も、美衣を叱るときは論理的に問題点を指摘してしまう……学者夫婦の悲しい性だな。美衣が捻くれなくて本当によかった……いや、大きくなったら捻くれそうで怖いな。まあ、今は考えないでおこう。
「じゃあ、あなた、刺してから火をつけてください」
「ああ……」
そう言いながら、俺がろうそくに火をつけるのに合わせて千夏が部屋の明かりを消した。真っ暗な部屋の中でろうそくだけが灯る。
その中で二人が俺にハッピーバースデーを歌ってくれた。その声に本気で涙が出かけた。その二人が愛おしくて。その二人を平和な世界から遠い世界に連れ出さなければならなくなってしまった自分が不甲斐なくて……
でも、そのことを今日だけは、今だけは悟られてはいけない。どうせ千夏にはバレるだろうが美衣だけには、もう少しだけ知らないでいて欲しかった。その意地だけで、俺は部屋が明るくなる前に自分の目元を強く拭った。
「二人とも、ありがとう」
「どういたしまして」
「泣くほど喜んでくれたら嬉しいですね」
「あっ、お父さん、泣いてる……何か悲しいことでもあったの?」
「……嬉しくて、泣くこともあるんだよ」
「そうなんだ」
娘に半分嘘をついた。この涙の半分の意味は、間違いなく悲しみだ……でも、こういう嘘は、少しだけ許してくれよ……
「ほら、早く食べましょう」
「うん。あっ、お母さん。私、ケーキから食べたい」
「駄目よ。先にご飯から」
「ええ……はい。じゃあ、そこのお肉取って」
美衣が千夏に睨まれて黙った……どういう教育だよ、とは思いつつも口には出さない。美衣のことを全面的に千夏に任せている以上、下手に口を出したら怒られるだけだ。
そんなことを考えつつ、俺は席を立った。そのまま洗面所に向かい、手を洗う。そして、俺はそのままリビングには戻らず自分の部屋へと向かった……
「あっ、お父さん。どこに行ってたの?」
「ごめん、ごめん。ちょっと部屋に荷物を置いてきてたんだよ」
「お父さんの分、私食べちゃうよ」
「それは困るな……って、そんなに食べられないだろう」
部屋で必要な作業を終わらせてから戻ると、三十分ほど経ってしまっていた。それを美衣に怒られつつも、おれはそのまま席に着く。
「じゃあ、俺もまずは適当に取ろうか」
「ねえ……水輝さん」
「……何?」
「いえ……後で聞きます」
「そうか……」
「お父さん、お母さん。何の話?」
「何でもないよ。それより、そろそろケーキを切ろうか」
これ以上話を続けると美衣に違和感を与えそうだと思った俺は、千夏に目線を合わせて話をわざとらしく話をそらした。
「そうね……包丁取ってくる」
「……その含んだ言い方だと、俺が刺されそうなんだが」
「大丈夫ですよ……殺しはしませんから」
「いや、それだと痛い目にはあってるよね……」
「……真面目に返さないでください。さすがにしませんからね」
「わかってるよ」
「もう、からかわないでくださいよ」
「お母さん、お父さんと話すね楽しいけど、早くしてよ」
「だ、そうですが……」
「水輝さんのバカ……」
娘にリアルに怒られた千夏は顔を真っ赤にして、キッチンに消えていった。その後ろ姿を可愛いなあ、と思うのは惚れた弱みだな……そんなことを考えていると、美衣が珍しく大人びた調子で呟いた。
「お父さんとお母さんは本当に仲良しだね」
「そうか……むしろ仲が悪く見えないか?」
「でも、けんかするほど仲がいいって……お母さん、言ってたよ」
不思議そうな様子でそう言う美衣を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「フッ……ハハハ……」
「お、お父さん、何で笑うの……美衣、間違ってたの?」
「……いや、間違っていないよ」
「じゃあ、何で?」
「さあ、何でだろう?」
「意地悪しないでよ、お父さん」
「してないよ」
「あの、私がいない間に何があったんですか?」
美衣が俺の受け答えに頬を膨らませているのを見て、千夏が怪訝そうに尋ねてきた。そんな様子が何だか幸せで、俺は笑顔でこう言った。
「いや、俺と千夏は仲がいいんだって」
「どういうことですか?」
「けんかするほど仲がいいってさ」
「一体何のことですか?」
「お母さん、お父さん酷いんだよ……私が話したら笑うの」
「そう……」
「まあ、ようは俺の奥さんと娘は世界一可愛いってことだよ」
その言葉に千夏は顔を赤くして、美衣は満面の笑みを浮かべた。そんな様子を見ながら、最後の団らんの時を過ごした……
「それで……何があったんですか」
深夜。美衣が寝かしつけた後、千夏がそう切り出してきた。
「……やっぱり気づいてたか……とりあえず、明日の朝の飛行機でオーストラリアに飛ぶ」
「わかりました……やらかした相手国は?」
「……米国だ」
「それ、出国できるんですか?」
「明日の朝なら、まだ向こうを日本政府が抑えてくれているから、な……出国だけならどうにかなる」
「そうですか……」
もちろん嘘だ。悔しいことに桜庭が手を回してくれていなかったら、おそらく出国はおろか今日の団らんの時間すら取れなかっただろう。
だけど、こんな裏の話は俺だけが知っていればいい……
「とりあえず、最低限の現金と貴金属は持っていきますよね」
「ああ、口座をつかえば、バレかねないからな……」
そう言いながら、俺はネット上から隠し口座の金を偽名で契約したスマホに引き出した。数年前から溜め込んだ裏金の温床のこの口座ならおそらく特定はされまいが……まあ、一々引き出すよりは安全か。
「後は最低限の着替えぐらいは用意しておきましょうか」
「そうだな……後……」
「もちろん美衣には何も伝えません……変に固くなったら怪しいですからね」
「ああ……さすがに分かるか」
「伊達にずっとあなたと暮らしていませんから」
「そう、か……」
そう言って微笑む彼女は、とても頼もしく思えた……って、今は俺がしっかりしなくてどうするんだよ。
「じゃあ、よろしく頼む」
「はい」
「あ、後……明日、最後に行く場所があるから、美衣にはそれを伝えておこうか」
「……こんな緊急時に一体何の用事……ああ、分かりました。確かに大事な用事ですね」
「ああ、だろ」
「では、早めに用意をして寝ましょうか」
「ああ、明日は早起きしなきゃいけないからな」
そう二人で頷きあって、俺達は各々明日以降の準備を始めた……
翌早朝 とある都市近郊
「お父さん、何で、こんなに、朝早くから、出かけるの?」
「ごめんな。まだ眠いよな」
「うん……それに、何で……こんな山奥に?」
「よく見て。たぶん何度か来たことがありますよ」
「そう、かな……あっ、分かった。ここ、伯父さん達がいるところだ」
「正解」
俺達が日本を出る前に立ち寄ったのは湊崎夫妻の遺骨が収められた墓地だった。
「伯父さんと、お父さんのお姉ちゃんが、いるんだっけ?」
「ああ、そうだよ」
「でも、お父さんよりずっと若いときに……死んじゃったん、だよね」
「……ああ」
「病気?」
「……うーん、どうだろう千夏?」
「そうですねえ……まあ、正しいと言えば正しいんじゃないでしょうか?」
詩帆従姉の病気がなければ、あんなことにならなかったということを考えれば、確かに一理あるかもしれない……ただ
「うーん、ただ死んでないしな、あの二人」
「えっ……じゃあ、何でお墓の中にいるの?」
「確かに詩帆従姉が診るような定義で言えば死亡なんだろうけど……湊崎准教授は、死んだとは思っていないだろうし……」
「……よく分からない」
「だろうね」
「ねえ、分かりやすく教えてよ」
そうやって見上げてくる美衣から視線を外すと、千夏と目があった。そのまま二人で少しだけ微笑みあった。
あの二人の死は、死じゃなくてただの実験。世界の全てを欺いてでも愛妻を救ったとある天才物理学者の命を材料にした一度きりの実験。
その事実は世界で俺達たった二人しか知らない話で、俺達が他人から世界を欺いたあの人の共犯になった秘密の思い出……だから
「うーん、これから先は……秘密かな?」
「だな」
「えー、教えてよ」
「そうだな……いつか、な」
「……約束、ね……」
「ああ……」
美衣が大きくなっても話すことはないだろう、話すとしたら異世界転移を確立させた時だな……しかし、研究室が使えない以上、時間はかかるだろうが。
「じゃあ、二人に挨拶をしておこうか」
「そうですね。美衣」
「はーい」
話している内に俺達は二人の墓前にたどり着いていた。そのまま、思い思いに目をつむり、手を合わせる……
「(……どうか二人といっしょにあなたの下に行かせてください……これだけ迷惑被ったんですから、少しぐらい力を貸してください)」
そんな身勝手な思いをぶつけるだけぶつけて、俺は目を開いた。そして、待っていた二人に声をかけた。
「それじゃあ……行こうか」
……その後、俺達がその墓地を訪れることは二度となかった。
この一月、死ぬほど忙しかったんです。病気とかではないのでご安心ください。
勝負の夏休みに入る前にけりをつけます。




