第百十八話 忘れかけていたとある物
読んでくださる方、いつもありがとうございます。
定時より12時間早い投稿ですね。
「……おはよう」
「あっ……お、おはよう……」
翌朝、目が覚めると隣で寝ていたはずの詩帆がいなかったので、俺はそのまま寝室を出た。そこで通りかかった詩帆と出会った最初の会話がこれだ。そのまま詩帆は俺から顔を逸らして行ってしまった。
「あら、喧嘩かしら?」
「違うと思いますよ。ただ恥ずかしさで俺の顔がまともに見られないだけかと……というか、原因作ったのはセーラさんなんですから、なんとかしてくださいよ」
「そうだったかしら?」
「とぼけないでくださいよ。昨日の詩帆への尋問じみた、惚気話の聞き取りが原因でしょう」
昨日、女性陣の詩帆への聞き取りは段々とヒートアップし、最終的に詩帆的に俺には聞かれたくなかったことを思わず口走ってしまったらしい。その時の俺は聞くのも可哀そうというか、自分が聞くのも恥ずかしかったのでまともに聞いてはいなかったのだが、それを知らない詩帆は俺に聞かれたと思ったらしく、そのまま部屋に閉じこもってしまった。
「昨日の夕食の時とか空気は最悪だったんですよ。寝室でも無駄に距離を取られるし……一体最後に彼女は何を言ったんですか」
「それを聞いたら彼女の機嫌は余計に悪くなると思うけど……」
「そうですね……やめておきます」
原因が分からず、イライラされるのも割合怖いが……今なら照れて逃げられるだけですんでいるので実害はない。これでせっかく聞かずに済んだことを聞いてしまったら……しばらく口も利いてくれないどころか、距離すら置かれそうだ。
「という訳で、それとなく聞いていなかったことを伝えるか、うまく機嫌を取る努力をするしかないわね……」
「そんな……無責任な」
「そうは言っても……私達じゃ、今は近づけないから」
「本当に何を聞いたんですか……」
基本的に詩帆は俺以外への外面は完璧なので、いくら機嫌が悪くても、それを取り繕ってぎこちない笑みで相槌をうっているタイプだ。そこまでになるのは俺でも二、三度しか見たことがないぐらいだし……
「それは聞かないんじゃなかったの」
「分かってますよ。単なる愚痴です……あっ、なんだか玄関が騒がしいな」
「来客かしら?」
「いえ、呼び出しです」
「呼び出し?」
「ええ、少し実家に帰ろうと思っていたのですが、そのついでに済ませておきたかったことが終わったようなので」
「よく分からないけど……とにかくアレクス君達三人と出かけるのね?」
「はい。ただアレクスと俺は少し別行動をしますけど……」
「そう。それなら逆に好都合かしら……」
「クライス。行こうぜ」
何かを考えているような感じでセーラさんが口を開こうとしたとき、玄関からアレクスが俺を呼ぶ声が聞こえた。今日は幼馴染三人と用事ついでに王都巡りをしようと思って呼び出していたのだ。それを聞いてセーラさんに軽く会釈をして玄関に向かおうとしたのだが、その動きをセーラさんが止めた。
「クライス君、少し待って」
「な、何ですか?」
「少し手伝ってあげる、詩帆ちゃんの機嫌を直すのをね」
「はあ……でも、どうやって……」
「リリアちゃん、そこにいるんでしょう」
「はい……やっぱり気づかれてましたか」
「リ、リリア……いつからそこへ?」
セーラさんが自身の後方の柱の陰に呼びかけると、そこからリリアが照れくさそうに現れた。
「……ええっと、お兄様に挨拶をしようとしたら……詩帆さんと気まずそうだったので……声をかけづらくて……」
「つまり最初から聞いてたのかよ……セーラさんも気が付いていたなら言ってくださいよ」
「そっちの方が好都合だったからいいのよ」
「どういう意味ですか?」
「まあ、すぐに分かるわ……リリアちゃん、詩帆ちゃんを呼んできて、そのまま外に連れ出してあげて」
「えっ……いいですけど」
「よろしく。ああ、クライス君の幼馴染の二人も一緒にね」
「マリーとリサといっしょに……?」
「とりあえず、クライス君は普通に用事をこなしてきなさい。私を信じてみて、ね」
「「は、はあ……」」
セーラさんの言っていることは全く分からなかったが、その言葉に宿る重みに押された俺とリリアはその指示に従って行動を始めた……
「クライス……って、本当に外でも呼んでいいのか?」
「心配するな。俺本人が良いと言っているんだから、誰にも文句は言わせない。という訳でアレクス、今まで通り話してくれて構わないぞ」
「そう、か……分かった」
詩帆のことは女性人に任せて俺とアレクスは王都の街並みを二人で目的の店まで歩いていた。その道中、アレクスの口調がどうにもぎこちないと思ったら、やはり気を使っていたらしい。
「そもそもプライベートで俺が友人と会話をしている中で、敬語を使えとか言うように見えるか」
「分かったよ……しかし……たったの半年で子爵家の三男だったクライスが伯爵、か……」
「それで国王の相談役兼、魔術省大臣兼、王宮筆頭魔術師な」
「本当に層々たる肩書だな……クライスがその役職についてなかったら絶対に俺と関わることのない高位の官僚だよ」
「確かに、な……まあ、俺もいまだに実感に乏しいんだけどな。なにせレオンとはつい最近まで学校のクラスメイトだった訳だし……」
「そういう話を聞くと……クライスだなあ、って思うんだよな」
「どういう意味だよ?」
「いい意味で気が抜けたってことだよ……おっ、店が見えたぞ」
「誤魔化された気がするが……まあ、いいか」
俺達の視線の先にある店の屋根からは濛々と煙が昇っており、店頭にはいくつかの武具が並んでいる。つまりは鍛冶屋だ。それで俺とアレクスがここにやってきた訳はただ一つだ。
「親父さん、頼んでた剣が完成したんで調整に来てくれって聞いたんだけど……」
「おお、これはフィールダー伯爵様。お呼びたてしてすみませんねえ」
「構わないよ。騎士団のトップからお墨付きをもらってる店主が店に来てやってもらった方が品質が良くなるって言うなら、そっちの方がいいに決まってる」
「そりゃあどうも。それじゃあ、まずは微調整が必要なその坊主用の剣だな」
「お、お願いします」
俺も王都に来てからのあまりの激動の日々に忘れかけていたのだが、この剣と言うのは俺からアレクスとセリア兄さんに渡すプレゼントだ。元は師匠の家から帰ってくるときに思い付きで作ったミスリルの鉱石なのだが、それを加工できる職人が子爵領にはいないということで、俺が王都で加工を依頼することになったのだ。
「おう、坊主の腕のブレを考えると……ああ、十分だ。後は細かい歪みの微調整をしたら渡せる」
「ありがとうございます」
「おう。じゃあ次は伯爵様のお兄さん用のだな……身長と体格を元に一応この大きさで作成したが、まあ使ってみて不具合があるようなら持ってきてくれ」
「分かりました」
「おし、じゃあ仕上げに十分ほどくれるか」
「はい。じゃあ店先で待たせてもらいます」
そのまま巨漢のスキンヘッドの鍛冶屋の店主は店の奥に入っていった。それを見はからかったかのようにアレクスが俺に声をかけた。
「なあ、クライス……本当にあんな高い剣をもらってもいいのか?加工賃も凄腕の鍛冶屋に頼んだせいでバカみたいに高いし」
「そうだな……じゃあ、お前が払うか?」
「無理に決まってるだろ。王国騎士団御用達の鍛冶屋での加工賃なんて」
この鍛冶屋はまだまともに学院に通っていた頃にジャンヌさんに教えてもらった場所だ。騎士団御用達だけあって腕は確かだが、それに応じてお値段もかなりの物だ。その加工賃一本につき総額十万アドル……日本円に換算して百万円である。
「じゃあ、一生働いて返してもらおう」
「そ、そんな……」
「うちの王都屋敷の警備隊長でも任せようかな」
「はあ?それって労働奉仕どころか、褒美だろ……聞いてねえぞ」
「言ってないもん。と言うか今決めた」
実は伯爵位を叡爵されたときからレオンに口うるさく言われていたのだ。いわく、実家からでも学院からでも省庁からでもいいから、軍務と家計と家事を任せられる使用人を最低一人づつは雇えと。家が大きくなってから本職は入れればいいということも。
俺と詩帆の戦闘能力と事務能力は確かなので、よっぽどのことがない限り今の家の体裁が微妙な状態ならわざわざプロを入れる必要はないということらしい。だからこそ形だけでも使用人を雇えばいいということらしい。
「俺で、いいのか?」
「嫌なら他に探して鍛冶の代金は死ぬまで働いて払って……」
「分かった。なる」
「ならいい……よろしく」
「そんなに適当でいいのか……伯爵家の警備責任者だぞ」
「俺の戦闘力はよく知ってるだろう」
「確かに……そう言えばユーフィリア嬢も高位の魔術師だったな」
「そういうことだ。後、もちろんきちんと王立騎士学院を卒業してからだからな」
「分かってるよ」
こうして剣の仕上がりを待つ僅か十分の間で伯爵家の警備責任者はあっさりと決まったのだった。ちなみに剣は卒業まで俺が預かることにした。こんな高価な剣を一学生でしかないアレクスがもっているのはトラブルの種だからな。ものすごく寂しそうな顔をしていたが、そればっかりは我慢してもらうしかないな。
「……」
「……」
「で、アレクスさんがその時に……あの、駄目でしたか、この話は?」
「俺的には問題大ありだけど……問題はそこじゃないんだよね」
「でもマリーが空気を読めていないからというのも一理ある」
「リ、リサちゃんひどいですよ……そ、そんな性格だから恋人できないんですよ」
「ううっ……言い返せない……」
「おい、余計に空気を重くするなよ」
十五分後。俺とアレクスは喫茶店で喋っていた女子陣と合流した……の、だが……
「……みんな、気にしなくていいから……」
「……」
「お兄様、ユーフィリアさん。なんでそんなに目線を外そうしてるんですか」
「ええっ……別に、そんなことはしては……」
「してますよね……何が気まずいのかわかりませんが……痴話喧嘩は二人きりでやってください」
「べ、別に喧嘩をしてるわけじゃないから……ただ、私がま……クライスさんに話しかけづらいだけだから」
「……」
この通り詩帆が俺に対して執拗に目線を外している上に、それで気まずいせいか余計に口数が減って、場の空気がどんどん悪化しているという訳である。
「……お兄様、いい加減にしてください。いつまで黙っているつもりですか」
「えっ、な、どうした」
「何でそんな発言なんですか。お兄様が黙りこくってるので、余計に空気が重くなっているんですよ」
「ああ、ごめん。少し考え事をしていてね」
「こんな時に……」
「今、必要なことだよ」
「どういう意味ですか?」
「詩帆……ユーフィリアが何を俺に聞かれたくなかったのか」
「えっ?」
「はうっ……」
リリアが驚きの声を上げ、同時に詩帆が恥ずかしそうに縮こまった。それに構わず続けた。詩帆が俺に聞かれたくなかった想いでの中の記憶なんて簡単に分かる。
「この場所にいる間、朝以上に様子がおかしかったからすぐ分かった。喫茶店での知られたくない思いでなんて一つしかないだろうからな……あれは……」
「お兄様、ストップです。三人もいるんですよ」
「おおっと、そうだった……つまり正解ということでいいのか?」
「はい……」
「馬鹿、雅也……というか推測ってことは結局聞いてなかったんじゃない。先に言いなさいよ」
「ああ、それを先に言えばよかったな」
「本当にそうよ……あれを聞かれたと思ったら恥ずかしくて何も考えてなかったけど……そういえば、あの時……」
詩帆があそこまで思考を放棄してまで俺に知られたくなかった想い……ものすごく気になるが、まあ何となくは予想はつく。俺に恋心を覚えたのはもっと後、とか恥ずかしいことを昨日言っていたから、ね。
「ふう……な、なんだか誤解は解けたみたいですね」
「うん、空気が急激に軽くなった」
「とにもかくにも、無事まとまって良かった……誰からも聞かずにあっさり正解を言い当てるお兄様って本当に、バカなのか天才なのか……」
「んっ?俺は天才魔術師だよ」
「さらりと言うところがさすがは雅也ね……まあ、事実なんだけど」
無事に話がまとまって弛緩した空気の中、俺はとある報告を忘れていたことを思い出した。
「そうそう、次の休みの時に子爵領に行くから、準備しておいてね」
「いきなりだな、おい……剣が完成したからか?」
「それもある」
「じゃあ魔王戦争や王国新体制構築が一段落したからですか?」
「それとも私達の学院生活が落ち着いたから?」
「どれも正解なんだけど……ただ、一番の目的は……」
その発言に詩帆が顔を真っ赤に染めた。そしてその一秒後、「そんな話をみんなの前でしないでください」という怒号とともに俺はカフェの窓ガラスを突き破ることになるのだった。
実は作者自身も忘れかけていたことは、秘密です。




