第百九話 久々の頭脳労働
読んでくださる方、いつもありがとうございます。
さて、対消滅という反応をご存じだろうか。一言で言えば、粒子と反粒子が衝突し、エネルギーが他の粒子に変換される現象のことだ。前世であれば、電子と陽電子の衝突による対消滅が例に挙げられる。
ここで言いたいのは、こちらの世界でも同様の現象が起こるということだ。もちろん通常の物理現象としても起こるが、魔術にも同様の現象が起きるということである。すなわち……
「<思考加速>……」
全周囲から魔力の弾丸が撃ち込まれたとき、俺は咄嗟に<思考加速>を使用した。これは脳内の電気信号の伝達速度を加速することで、思考速度を加速させる光魔術だ。そして魔術は自身の思考速度が生成速度に大きく影響する。もちろん反応速度も劇的に上昇する……
「<七性の魔弾>」
周囲の数百発の弾丸を把握し、それに相反する魔力弾を完璧に同質量で撃ち放つ。全ての弾丸が相手の弾丸と反応したのを確認した瞬間、俺は思わず笑みを浮かべた。
「……<光子障壁>……えっ……お兄様、一体何を……キャアァァ」
「ごめんね、驚かせて」
俺が<思考加速>をかけてからきっかり二秒後。魔術弾に反応したリリアがさすがの展開速度で結界を張り、直後に魔力弾が着弾しないことに気が付いて俺の方を見た。そして今度は結界外からの爆音に驚いて、叫び声をあげた。
「お、お兄様。こうなるのが分かっていたなら言ってください……びっくりするじゃないですか」
「ごめん、ごめん……」
「それよりクライスさん。一体何をしたんですか」
「魔術弾に反属性の魔術弾をぶつけて相殺しただけだよ」
「それで、こんな爆発が起きますか?」
「いろいろと原理に裏はあるけど、魔術自体はいたって普通だよ」
「そうですか……」
さて、対消滅が起きると、当然消滅した二物体は別のエネルギーに代わる。この世界ではそのエネルギーは魔力を揺らす特殊な波長の音波となる。そして揺らされた魔力はそれによって得たエネルギーを安定化のために放出する……全周囲からの極大の衝撃波として。
「とにかく、魔術同士の衝突でこのような巨大な爆発が発生するのも織り込み済みなんですね」
「ああ」
「……私の結界が間に合ってなかったらどうする……いえ、お兄様なら間に合いますか」
「当然だな。まあ、リリアが展開する方が一瞬早そうだったから、俺は開かなかっただけだし」
「……あれだけの魔術を同時展開しながら、なぜそこまで状況が読めるんですかね……」
「お二人とも、先を急ぎましょう……この周囲の敵は全滅したようですし」
「ですね」
魔術を放った直後の級魔術師に全周囲からの衝撃波など対処できるわけもなく、見事に全員が壁にたたきつけられて気絶していた……さらに全周囲から衝撃波が直撃しているため、壁がズタズタになっているが……まあ、十分修復できる範囲だろう。
「お兄様、後で修復が大変そうですね」
「それを言うなよ……後でちゃんと直すし」
「本当にそうしてくださいね……それで、残りの魔術師や騎士の数はどれぐらいなんでしょうか?」
「そういえばリリアは一階を掃討してた時にいなかったな。というか最初の閣僚会議の時にもいないから事前情報もないのか」
「ええ。ですから全体の状況があまり読めてなくて……」
「そうか……じゃあ、まずは相手の総数から話していこうか」
「お願いします」
そのまま俺は三階への階段を上る間にリリアに状況を説明していった。
「まず、現在の再編途中の王国軍は騎士団五千人、警備隊五万人だ。まあ警備隊に関しては王都周辺部の街に常駐していたりもするから王都に実際にいるのは二万人弱ってところだな」
「なるほど。ひとまず前衛戦闘員が二万五千人」
「リリアさん。おそらく相手方にもこちらにも不特定多数の冒険者やハンター、後は市井の戦闘職の人間が混ざっていたりしますから、まだ断定はしないほうがいいかと」
「はい」
ここが今回の事件の厄介なところだ。王国に正式に所属している兵士たちでさえ、数が多く把握しきれていない上に、身元すら判明しそうにない連中が紛れているのだ。そう簡単には相手が全滅したとは言い切れないからな。
「まあ、その件は後にしよう。次に魔術省や軍務省が抱えている魔術師たちの数は初級が千五百人、中級が二百人。上級は五人だな……ああ、ちなみにその内の二名には俺とハリーさんが含まれている」
「それで、相手側にいるのは?」
「騎士団は十数名だな。まあレウスに関係する貴族の子弟が大半だ。次に警備隊が五百。これに関しては無理やり従わされたり、レオンやエリザベート王女を人質に取られて仕方なくって連中も多いから士気も低い」
「つまり人質を救出すれば無害になるどころか味方になると」
「そういうことだな。それで魔術師団は深刻なことに初級魔術師の八割、中級の四割が好意的にこれに協力している。まあ上級魔術師が一人も参加していないのは幸運だったな」
というかこのクーデター自体が、位階の低い魔術師たちが成り上がるために起こしたものなので、いるわけがない。現状維持で待遇は十分だろうからな。
「とりあえず参加した人間は把握しました。それで、現在までに無力化したのは?」
「まず一階で魔術師が五百、ハンター冒険者混合みたいな有象無象が五百。それと警備隊が五十人少々。それで今さっきので第三階位から第四階位の魔術師が三、四十人」
「まだ魔術師が五百人近くに警備隊が四百人以上も、ですか……」
「ああ。おそらく上階に行けば行くほど相手の戦力は増え……全員、早く前へ……」
「えっ……」
「ちっ、すいません……<突風>」
「お兄様」
「クライス様」
俺が二人を前方に吹き飛ばした瞬間、俺の真上の天井が崩れ落ちた―――否、巨大な物体が落下してきた。
「リリア、シルヴィアさん。先に行ってください」
「クライス様であっても、この状況で敵地に一人にはできません」
「そうですよ、お兄様。お兄様ならこの程度のがれきの山ならすぐに壊せるはずです」
「そっちじゃない。落ちてきた物体が問題だ」
「どういう意味でしょう……まさか」
シルヴィア嬢の声色的にどうやら落ちてきた物体の正体に見当をつけてくれたようだ。さて、それなら向こうも取るべき行動は分かってくれるだろう。
「言葉がひどいが単刀直入に言う。二人が来ても邪魔なだけだ」
「お兄様……」
「分かりました。クライス様、どうかご無事で」
「安心してくれ。詩帆に会いに戻るまでは死なないよ。死んだら詩帆に呪い殺される」
「死んでるのにどうやって呪い殺されるんですか……っつ、お兄様。すいません」
「どうした?」
「どうやらすぐには上に行けそうもありません」
リリアがそういう通り、確かに上階にそれなりの魔力を感じた。あれは……おそらく、魔術師だな。
「二人とも、気を付けて」
「お兄様も、です」
「分かってるよ」
「それでは、上階で合流しましょう」
「了解」
その言葉を最後に、俺達はそれぞれの相手に意識を集中させた…………
「宰相。この書棚の裏から、王城最上階の隠し部屋に出られます」
「……こんなところにまで隠し通路が」
「ここはまだましな方ですね。もっと安全上際どい通路も複数ありますから」
「聞かなければよかった……それで、ソフィア嬢。周りの様子は?」
「はい。廊下にはそれなりに兵士や魔術師が多かったですけど……室内は大丈夫そうです」
「そうか……」
地下牢の出口でクライス君たちと別れてから十分もかからず、私達は陛下の私室のある王城中央の尖塔の中層階にまで到達していた。その一室の書庫の一角を抜ければ隠し通路を通って、一気にこの塔の最上層に向かえる。
「……これをこうして、こっちを戻して……どうぞ」
「ああ、行こう」
「この通路は本当に機密通路ですので非常用灯もありません。魔術を使ってください」
「分かった……<火球>」
「この明かりなら十分ですね……急ぎましょう」
「ああ、もう二十分ほどしかないからな」
最後に通路に入った私が<火球>で光源を確保したところで、リュエル伯爵が棚を内側からロックした。それを見届けて私はゆっくりと歩を進める。
「この先の道は?」
「防衛用の秘密通路ですから、多少は入り組ませたかったんですが、まあ尖塔の壁との隙間ですからひたすら一本道です。外壁と内壁の間を通る螺旋階段とでも思っていただければ」
「分かった……」
その言葉通り、しばらく進むと大きく弧を描いた階段が続いていた。そのままそこを迷いなく上っていく……もう、あまり時間はないのだ。
そしてそのまま上り続けた先に、ドアが見えた。
「あれは?」
「あれが隠し部屋への入り口です。あそこの中はまだ心配されなくても大丈夫ですよ」
「つまり、その先が……」
「ええ。部屋の中の隠し扉を開ければ、その先は陛下の私室の入り口のすぐそばです」
「内部には出ないんですか?」
「ええ。そういう通路もあるにはあるんですが……」
「陛下がどこにいられるのか分からない状況下では危険すぎますからね」
「そういうことです……扉、開けますね」
そうして明けられた扉の先の空間は少し広めの物置ぐらいのスペースの小部屋だった。リュエル伯爵はそのまま部屋の奥まで歩いて行って何かの操作をしてから振り返って言った。
「ここの鍵は開けました。これは陛下の私室前の歴代陛下の肖像の内の一枚、残虐王の肖像の裏に通じています」
「ちょうど通路の最奥か……場所は把握した」
「これで、私がご案内できる場所は終了です。これ以上は私がついて行くことにメリットがなさそうですし、私がついて行くことでお二人に危害が加わる可能性もありますので、ここで待機させていただきます」
「この真っ暗闇の中でですか」
「あっ、それは大丈夫です……<火球>」
「魔術、使えたんですね」
「ええ。とは言っても火と水の第一階位のみですが」
第一階位を使える人間は割と多いから不思議ではないのだが……この人が魔術使えたなんて話を聞いたこともないぞ。宰相直属の情報取集班も王室庁大臣には意味をなさない、か。と、そんな場合ではないな。
「ソフィア嬢、そろそろ行けるかい」
「はい。大丈夫です」
「そうか……さて、私達の姿が見えていないうちに部屋を出ようか。出る瞬間を見られなければかなり安全なはずだ」
「そうですね。行きましょう」
「ああ」
「ご武運をお祈りしています」
「リュエル伯爵、案内ありがとう。では行こう……なんだ?」
私が扉に手をかけた瞬間、足元が大きく揺れた。
「今、揺れましたよね……まさかクライス君が」
「さすがの彼でも、この状況で王城に被害のかかる魔術は使わないだろう」
「ですね……」
「とにかくお二人とも、今がチャンスです。相手が下に気を取られている隙に陛下の救出を」
「そうだね。それに今のが誰のせいで起こったにしろ、王城の倒壊の危険性がある以上、なおさら急がなければ……」
そう言いながら私はドアに手をかけ、一気に押し開いた――――




