第百五話 賢者の逆鱗
読んでくださる方、いつもありがとうございます。
当分、二三日ごとの更新が続けられるといいのですが……
「……クライス君」
「師匠。離してください」
硬直が解けた瞬間、俺は即座に部屋を飛び出そうとした。だが、それを師匠が制止した。
「今、焦っても余計にユーフィリア嬢を危険にさらすだけだ」
「でも……詩帆は、昏倒して、連れ去られたんですよ……脳に異常があるかもしれませんし……第一、あんな非道な奴らの中に女性を一人にするのは危険すぎます……一刻も早く助け出さないと」
「そんなことは百も承知だ。ただ、君が無茶をすれば、それだけユーフィリア嬢だけでなく城の中の人間に危害を与えることになる」
「でも、詩帆は俺の妻です。相手の狙いの一人が俺である以上、どんなことをされるか……」
「クライス君。今は耐えてくれ」
「ハリーさんまで……」
「すまない。だが、クーデターの規模が分からない以上、場合によっては王城の外にも何らかの被害が及ぶ可能性もある。そして国王陛下が襲撃されて、拘束されている状況で王宮筆頭魔術師を私用で抜け出させるわけにはいかない」
「……分かりました。すいません、少し短絡的になりすぎました」
師匠とハリーさんの言葉に、俺の心はひとまず平穏を取り戻した。とりあえず、この状況を表面上は冷静に見られるぐらいには。
「とにかく、状況確認が優先です。まずは王城へ向かいましょう」
「分かりました。アディウス副大臣と師匠達も来てください」
「もちろんです……息子の責任はとらねばならないでしょうし」
「私も君を拘束しなければならないからね、当然行くよ」
「……ユーフィリアさんを助ける手助けになると思いますから」
「色々、あるでしょうけど……みなさん、急ぎますよ」
「なら、皆さん離れないでください」
「どういう意味でしょう?」
「いいから、その場から動かないでくださいよ……<座標転移>」
そのまま俺達は魔術省から転移魔術で即座に王城前庭に移動した。
「内部の状況は?」
「ああ、ローレンス宰相。それにフィールダー魔術相も……無事でしたか」
「ええ。ちょうどそろって魔術省の監査に出ていたので……それでフィルシード卿、状況は?」
「ひとまず閣僚陣の安否確認と並行して、この場に対策本部を設置した。それから中に拘束されている人員の数と、相手兵力の内訳を算出中だ」
「それで、陛下は?」
「すまん。姫君の直近の護衛があいつらの手先にすり替えられていてな、それで姫君を人質に取られて一部の兵士は拘束されて、抵抗した兵士は至近距離で魔術を叩き込まれて重傷を負い……戦線が崩壊した結果、陛下がこれ以上の被害を避けるために自分から投降した」
「陛下ならすぐには殺されないとは思いますが……なんと大胆な。はあ、本当にあの人は……」
「完璧に計画的な犯行ですね……完全に奴らがこの間のクーデターの黒幕で確定ですね」
「ああ、俺も同意見だ」
師匠とシルヴィアさんには前庭に集められていた負傷者の治療をお願いして、俺とハリーさんにアディウス副大臣は、貴族たちが集まっているというテントに向かった。そこで指揮の中心となっていたフィルシード軍務大臣の下に通されて、今に至るという訳だ。
「それで、その他の王城内の被害は?」
「ローレンス公爵とフローズ子爵が、金庫と宝物庫だけは完全に閉鎖して逃げてきていたから、その辺りは大丈夫だな。兵器庫の鍵も俺が封鎖しているから、物的な損害は王城の内壁面が戦闘の余波で傷んだ程度だろう」
「それは幸いですね……」
「他の閣僚の方々の所在は?」
「現在は各々省庁に戻って、ここの運用のために部下を連れてきてる最中だな。まあ軽症者はいるが、重傷者はいない。再編成の必要はなさそうだ」
「そうですか……では、私に指揮権を統合して、各省の指揮は大臣に委任すれば問題ないでしょう」
「ああ、そうしてくれ……ただ、娘もまともな騎士団の面々で既に王城包囲網を形成しているが……魔術師団側の裏切りが多すぎて手に負えんと報告が上がっている。そのことに関して説明はないか。アディウス子爵」
その言葉とともにアディウス副大臣に目線を合わせたフィルシード卿の姿に、場の空気が瞬間的に冷え切った。
しかし、それに怯むことなくアディウス副大臣は、全ての事情を端的に語った。
「……下級魔術師の研究会があったことはご存知でしょうか」
「ああ。確か魔術省内の若手と、王宮魔術師団の下級魔術師たちが魔術の効率性を考えるとか言ってる集団だろう。会場が騎士団の集会場だったから、その程度は把握している……もちろん、あんたの息子がそこの主催だったこともな」
「ええ……父親としても、魔術省の副大臣としても監督が足りなかったと自認しております」
「その話を聞くに、あれの首謀者はあんたじゃないんだな?」
「ええ。しかし……息子の責任は取ります」
そう言い切ったアディウス副大臣の目を見ながら、しばらく黙ったフィルシード卿は俺の目を見ながら笑った。
「さてと……まあ、これはあくまで再確認だったんだけどな」
「再確認……では、私が関与していないという確証があったということですか?」
「ああ。そもそもフィールダー筆頭魔術師とローレンス卿が、あなたの話を聞いたうえでここに連れてきたということは、既に確認済みということだろうからな」
「そうなのですか?」
「すいません。あなたの話を聞きながら、<真実の眼>を使って、真偽のほどは確認していました」
王宮から出る直前に、ハリーさんから指示を受けた俺は、最初に魔術省の前で副大臣に会ったときからずっとそれを使いながら話を聞いていたわけだ。
「それで、一応聞いておくが、結果は?」
「完全なシロです。副大臣は何の関係もありません」
「そうか……なら、副大臣には魔術省の指揮を任せよう」
「えっ、俺じゃないんですか?」
「ああ。筆頭魔術師には奪還作戦の中核を担ってもらわなければならないからな」
「そうですか……むしろ、ありがたいぐらいですよ」
「そうか……んっ、ありがたいって言うのはどういう意味だ?」
「それは……」
「……新国王に群がる傲慢貴族どもよ……」
俺がフィルシード卿に詩帆のことを話そうとしたとき、外から拡声された声が聞こえてきた。
「この声は……」
「レウスの声です」
「とにかく、外に出て話を聞こうか」
「ですね」
そう言いながら全員でテントの外に出ると、そこにはバルコニーから身を乗り出して演説をするレウスの姿があった。
「この距離でもよく聞こえるな」
「おそらく<拡声>の魔術を使っているのでしょうね」
「しかし、新国王に群がる傲慢貴族とは……それを言っている彼は何様のつもりなんでしょうかね……」
「大臣……分かっていますから言わないでください」
「失礼しました……」
などと無駄話をしていると、ようやくレウスは次の言葉を放った。
「貴様らの信じた王は、民衆を言葉巧みに誘導し、慈悲深い、理性的な王の姿を国民に示した。だが、それは誘導だ。考えてみてほしい、前王は世紀の愚王だった。それと比較すればどんな人間であっても良心的な人間に見えるだろう。だから言おう、この国の民は王に騙されていると」
そう熱く言い切ったレウスの言葉とは反対に俺達の周りには冷めきった空気が流れていた。
「何を根拠に……というか、そういうあいつは何なんですか」
「筆頭魔術師、落ち着け」
「落ち着いていられませんよ。あんな偏った思想を持つ奴にユーフィリアが囚われてるんですよ……一秒でも早く、助け出さないと」
「なるほど。いつも冷静沈着な天才魔術師が焦ってる理由はそれか」
「そうですね。という訳で彼を奪還部隊の方に組み込んでいただけて幸いです」
「それは良かった……まあ、対応力の高い最高戦力の魔術師を前線に組み込まないとか、考えられないが……」
「まあ、今回に関しては魔術省の内部は、私の方が知り尽くしていますから、指揮は私の方が適任でしょう」
「あれ、フィールダー筆頭魔術師は?」
「暴走しないように私の結界で隔離しておきました」
「ああ、マーリス殿。お願いします」
「師匠、恨みますよ……」
俺の周りをいつの間にか来ていた師匠が結界で囲った瞬間、レウスの発言でこの場は凍り付……
「……この国王は、あろうことか前閣僚たちを自身が政権を取るために殺害したのだ」
……くことはなかった。
「どこからその情報を得たのか知りませんが……まあ、別にいいですけどね」
「えっ、ハリーさん。いいんですか?」
「ええ。もう既に正式に国王に即位していますし……むしろ、彼らを殺した私達に対して感謝する国民の方が多い気がしますね」
「ああ、確かに……」
実際、前庭の周囲に集まっている人々からは、俺達に賛成な声ばかりが聞こえる……あいつの目論見はすでに崩壊してるな。
「まあ、結局はあんなことを言いつつも、目的は自分たちが成り上がることですからね」
「あいつらは馬鹿なのか……それとも頭がいいのか判断に困るな」
「馬鹿ですね。短絡的な思考で国王を害するなど言語道断です」
そんな批判がされているとは知らずに、レウスは面倒な演説を終え、ようやく交渉の条件を出してきた。
「さて、しかし現政府の面々にもチャンスを与えよう。今から言う条件に従うというのであれば、国王以外の命は助けよう。一つ目は全閣僚が辞職し、私の指定する人物を閣僚に据えること。二つ目は、国王の処刑を行い、私を国王にすること。そして三つめは王女とユーフィリア嬢と私の結婚を認めることだ。以上、三つの条件をのむという意思を一時間以内に伝えれば、構わん」
そう言ってバルコニーから部屋に戻って行くレウスの後頭部に狙いを定めた俺の魔術は直後に師匠の結界を崩壊させ、消滅した。
「あいつだけは殺す……」
「フィ、フィールダー筆頭魔術師殿、落ち着いて……まずい、大至急、王城周辺の兵を退避」
「クライス君、落ち着いて」
「この状況で、落ち着け……ふざけんな。あの野郎、詩帆に手を出した以上、死んだ程度で済むと思うなよ……」
「クライス君、落ち着け。今、暴走すれば、周りも巻き込むことになる。だから……
「……そう、ですね……」
師匠にそう返答した時、俺の頭の中は非常に冷静に戻っていた
「師匠、分かりました……全員を解放した上で、奴を確実に三回は殺します」
「<魂修復>でも使う気かい」
「それぐらいはね……ただ、それをするには、詩帆や陛下たちの安全の確保が必要なので……ふう、その方法を考えていると、少しは冷静になれますね」
「それは良かったけど……クライス君、本当に冷静かい?」
「ええ。震えるほどの殺意が一周したせいで……」
「そ、そうかい……」
魔力が研ぎ澄まされる不思議な感覚がした。今なら師匠でも瞬殺できそうだ。そんなことを思っているとなんだか思考がクリアになってきた……うん、詩帆が捕まったことで相当焦っていたけど、冷静にならなきゃ意味ないな。
「皆さん、取り乱してすいませんでした。一時間以内に全員を解放して、クーデターを鎮圧できるようにすぐに会議を始めましょう」
「本当に、一周回って、冷静に戻ったみたいですね……まあ、良かったです」
「まあ、の意味が気になりますが……追及は後まわしにしましょう。他の閣僚陣の方々も来たようですし……」
俺が後ろを見ると、そこには俺達の様子を遠巻きに見つめる現役閣僚陣達がいた。
「さてと、即刻作戦会議を始めましょう。議長はハリーさんにお願いします。早く指揮系統を統一して、即座に王城奪還作戦に向かいましょう」
俺はそう宣言すると、テントの中へと戻った。最後に王城の方を睨みつけて……




