現代編 水輝side ~十年後 家族と研究と~
朝、食卓でパソコンを開いていると玄関から声がかかった。目に入れても痛くない愛娘の声だ。
「お父さん、お母さん。行ってきます」
「行ってらっしゃい、美衣」
「うん、行ってきます」
そのままドアが開く音がして、玄関から千夏が戻ってきた。
「行ったかい?」
「ええ、それは元気よく……初日に行きたくないって駄々をこねてたのが嘘みたいですね」
「そうだな」
湊崎夫妻の死から六年後、俺と千夏は結婚した。すぐに子宝に恵まれ、気が付けばその娘も七歳になっていた。
「子供、か……なあ、姉さんたちに子供が生まれてたらどんな子供になってたと思う?」
「湊崎准教授と詩帆さんの子供、ですか……とんでもない才女か、研究バカな男の子が生まれてたんじゃないかと」
「そこまで親の性格を受け継ぐかな?」
「でも、あの二人ならあり得そうですよ」
「確かに……」
気が付いたら、あの二人の年齢も越えていて、子供までできていた……ずっと追いかけてきた雅也義従兄の年を追い越すのはなんだか不思議な気分だったなあ……
「十三年、ですか。湊崎准教授たちの実験から」
「ああ……この騒がしい日常もすっかり当たり前になったなあ」
一月に一度は大規模な事件に巻き込まれそうになっていたあのころとは違い、さすがに俺も裏工作が上手くなったおかげで、准教授が詩帆従姉を守っていたように俺も千夏と美衣を守れるようになったと思う。まあ政治や社会の闇につかりすぎて、これでいいのかと思う日々の連続だけどね。
「そして……十三年かかって、ようやく湊崎准教授に追いついたわね」
「ようやくは余計だけど……まあ、そうだな」
湊崎准教授が遺した研究データとその結論。次元間の情報データとは何なのかという結論がこの間、ようやくはっきりした。それは俺の予想を超える物ではあったが……あの湊崎准教授が世界に隠匿した研究成果だということを考えると納得がいくものだった。
「ついでに、あの人を越えた研究成果も一つあるしな……これで死ぬ直前までにさらに理論を固めて……」
「自身の情報データを湊崎准教授の世界に送って、あの人をぶん殴る。でしたっけ」
「ああ。もちろん若い頃の肉体のデータを向こうで再生できるようにするけどね。幸いなことに向こうとの時間の流れの差はほとんどなさそうだから……俺が事故死しなければ会えるだろう」
「むこうが、という可能性は?」
「絶対にないと思ってるよ……というか死んでも甦れそうでしょう」
「そう……じゃあ、老後は楽しみにしてるわ」
「そうしてくれ……じゃあ、僕もそろそろ行くよ」
「そんな時間ね……行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
そう言うと、俺はバッグにパソコンを入れて家を出た。
「洲川教授、おはようございます」
「ああ、おはよう。朝からよくやるな」
「でも、これを覚えないと研究に参加できないじゃないですか」
「まあ、そうだけど……」
研究室の学生が読んでいたのは、次元間の量子データを構成する文字の置き換え表だ。ただし湊崎准教授が一般公開した置き換え表に、俺が多少加筆したものなので、正確性は大したレベルではない。というか、置き換え表の三割程度はダミーで、実質的に正しい情報は読み取れない。まあ、これを正しく把握しているのは俺と千夏ぐらいなもので、全てを記憶していたのは湊崎准教授ぐらいだから誰も気づくことはないだろう。俺だって湊崎准教授の研究資料がなければ騙されていたところだ。
「……しかしダミーに置き換えても文章ができるように置き換え表を作るとか……本当にあの人の頭の中はどうなっているのやら……」
「教授、何か言いましたか?」
「いや、何も……じゃあ、俺は実験室に籠るから、来客があったら知らせてくれ」
「分かりました」
俺はそのまま大学の研究室の階段を降りた。俺がこの大学で教授職を得た二年前から、俺の研究室は独立した棟になり、その地下には巨大な実験装置がある。
「<次元間量子データアクセス装置>……あの人の作ってたオリジナルに比べたら、比べ物にならないほど低い性能だけどな」
テニスコート一面分ほどの広さに広がる巨大機械は、湊崎准教授が転生実験に使ったものと同じ構造の次元間の量子データにアクセスできる装置である。ただし准教授のものと違い、あくまで観測が可能なだけで、手に入った情報の解析まではできない。次元間に干渉するだけのエネルギーを生み出すのに手一杯で、それ以上の設備を投入するには政府の裏予算と大学への研究支援費だけでは足りなかったからだ。
「教授。今日の実験はどうされます」
「見学していくよ。今日の解析領域は」
「一応、座標は指定してありますが……意味はないですね」
「そうだよなあ……」
「まあ、それが意味があるんですけどね」
湊崎准教授は任意の情報を広範囲にわたって、検索し、取り出すことを目的としていたが、俺達の研究は量子データがどのようなものなのかを知ることなのでこのような意味不明な会話が起こる。
「量子データの性質とかは分かってきているんだがなあ……」
「電子の直径の2倍程度の球体で、内部に既知のエネルギーではないエネルギーでデータが記録されている、でしたっけ」
「後は、それぞれが運動エネルギーを持っており、複数の量子データが集まることで一つの情報を形作っているというところまで言えれば完璧だな」
「はい」
量子データの正体も分かった。その読み方も……そして、自身を量子データ化する方法も……後はこのデータの存在理由を知って、そうすれば俺は湊崎准教授をようやく越えられるのかもしれない。
「さて、じゃあ実験開始と行こうか」
「はい。それでは電源を入れますね」
「ああ」
巨大な実験装置を見下ろしつつ、俺はそんなことを考えていた……
「教授、始まりますよ」
「分かってるよ」
装置に繋がれたモニターを研究室の面々が操作し始める。最終まで操作が終わったところで電源が入る。そのまま装置内の電圧を上げていき、最後に空間の壁に干渉する特殊電磁波を形成する……
「動作開始します。全員、装置から離れて耐電磁波防護壁の内部へ……」
「全員、退避しました」
「動作開始」
周囲の空間が歪んだ気がする。事実ではあるのだが……人間が感知できるわけもないので、あくまで気のせいなのだが……
「実験終了です……既定の電圧低下を確認して……」
「観測データ、採取できてます……」
「データの解析に移ります。上階の解析用PCにデータ飛ばして」
「まだ、外部干渉阻害電波切ってません」
「電圧低下、確認するまで切るなよ」
実験装置の周辺で研究員たちがせわしく動き回りだしたところで、俺は観測室の席を立って上の階に向かった。それを見て、慌てて一緒にいた院生が付いてくる。
「教授、もう上に行かれるんですか」
「ああ。すぐにデータが上がってくるだろうから、それを解析しないといけないからね」
「そうですか……ところで、そのPC、さっきの実験の時に壊れませんでしたか?」
「ああ、こいつは大丈夫」
先ほどの地下実験室には普通の電子機器は持ち込めない。実験の際に発生する電磁波が干渉を受ける上に、観測前に発生する電磁波が普通の電子機器の周波数に近いので、高圧電磁波が流れ込むことで普通は壊れるからだ。
「何か特殊加工でもしてあるんですか?」
「まあ、そんなところだな」
俺の持っているPCにはとある特殊な秘密があるから大丈夫だ。実はこれ、元は湊崎准教授が転生した時に使った<次元間量子データ解析装置>のコントロールに使われていたものを復元したものなのだ。中身の基盤が溶けていたが、外部の保護機構は無事だったので参考にさせてもらった。まあ、本当にヤバいのはその中身なのだが……
「あっ、もう来てますね」
「教授、チェックお願いします」
「了解……さてと……」
何度も言っておくが、俺以外にこの世界で正確に量子データの翻訳ができるのは俺だけだ。そして量子データの中には世界の全ての情報が詰まっている。危険な情報を、間違っても学生や外部に見せないために、俺が最初に一通りのデータを解析するようにしている。
「量子データの、電子データ化……コンプリート、で……おっ、出てきた……内容は……げっ……おい、観測データのバックアップ、消せ、今すぐだ。外部からの通信ネットワークも完全遮断しろ」
「えっ、一体何が……」
「つべこべ言ってるな、早くしろ」
「バックアップ……デリート完了しました」
「ジャミング起動しました……」
「教授、それで一体何が……」
「出てきたデータが現在進行形の国家機密だった」
「えっ……」
最初の数行分のデータを見ただけでヤバさが分かった。過去のデータなら俺もここまで焦らないが、よりにもよって米国の現在進行形の新型兵器の開発データは……さすがに漏らすと死者が出るな。
「全員、今日の実験は失敗。データは読み込めなかったということで情報統制を徹底。今日の件は緘口令を敷く」
「「「はい」」」
「すぐに外部からの通信傍受がなかったかチェックしないとなあ……」
「教授、手伝いましょうか?」
「いや、ここら辺は俺がやる。全員触るな。地下の実験装置のデータも完全に消せよ。その上で通常通り、終了作業を終わらせたら、今日は帰って良し」
学生達や研究員達にそう声をかけると、俺は自身のPCを持って解析モニターに向かった。
「ああ、もう疲れた……」
午前十時過ぎから始めた解析作業とデータの消去作業は午後九時過ぎまで続いた。大学から家の近くまで帰ってくると十時前だった。いつも定時帰りの俺からするとものすごく遅くなってしまった。
「まあ、入ってるデータがデータだったしな」
中身に関しては口外する気はない、というか途中で嫌になって解析をやめたのだが最新の大量破壊兵器の研究データのようだった。全てのデータは俺のPCの機密フォルダに入っていて、俺以外には開けられないよう特殊な生体認証キーを使っているので、解析は不可能だろう。
「しかも結局、遅くなりすぎて、外部からの侵入検知はできていないからな……本当に、まずいものを見つけてくれたよな……」
そう溜息をつきながらPCを見て、ふっと思う。
「准教授が始めた研究、結局のところどこにたどり着いたんだろうな……」
准教授はそもそも何を思ってこの研究を進めたんだろうか。始まりが偶然の発見だったというのは知っているが……准教授は命の危険にさらされてまで、何で研究を続けたんだろうか
「いや、詩帆従姉を助ける為か……じゃあ、俺はどうして研究を続けるんだろうか……」
自分のため、なのか。いや興味というのも違う気がするし……
「……准教授に対する、意地、なのかな?」
それが一番合っている気がした。後は……
「千夏が准教授の研究の果てを知りたがってるから、かなあ……んっ、電話か?千夏かな……」
自分の研究理由を整理していると、胸元でスマホが揺れた。ポケットから抜き取ったそれを耳にあてると、聞こえてきたのは聞きたくはないが聞き覚えのある声だった。だが、その声は妙に沈んでいた。
「もしもし、洲川教授。桜庭だ」
「あんたか……何の用だ」
「日本政府はお前の保護を打ち切ることになった」
「どういう意味だ?」
突然の連絡は耳を疑うものだった。
「そのままの意味だな」
「定期的な情報開示もしてるし、他の国との外交問題に発展するような真似もしてないのにか」
「発展したんだよ……」
「今日の件か……」
「分かったなら、それでいい……本当は電話連絡すらできなかったんだけどな。まあ、とにかく逃げろ。お前の家のポストに家族分の明日の朝の航空券を用意しておいた。同封してあるパスポートを使えば税関をすり抜けて出国できる」
「……どうしてそこまで」
いつもの桜庭にしてはおかしかった。だから思わず尋ねた。しばらくの沈黙の後、桜庭が再び口を開いた。
「……自分の手をどれだけ血に染めようが、闇に染めようが……家族に罪はないからな。まあ、俺にだって家族ぐらいいるってことだ」
「……そうか、分かった」
「ああ。とりあえず今夜はまだ安全だ……日本が裏で交渉中だからな……じゃあな……」
そう言ったきり通話は途切れた。おそらくかけなおしてももう桜庭は出ないだろう。
「逃げなきゃな……とりあえず家の防犯装置と、護身用の拳銃のチェックは急がないと……」
俺は駆け足で家に戻った。家族の身を守るため、そして家族の最後の団らんを過ごすために。




