第九十六話 師匠と弟子/時間と空間
遅くなってすみません。
師匠が結界をぶち破って飛び降りてくるのを見ながら、俺はそのまま傷口に意識を集中させる……
「くそっ……さすがに俺の残った魔力じゃ、修復は無理か……」
背部から心臓を貫通した跡はかなり深く損傷しており、初級魔術一発分程度しか残っていない俺の魔力では傷口を塞ぐどころか、出血を押さえておくだけでも厳しい。
「これは、おとなしくしてる方が身のためかなあ……」
「雅也……」
そう呟いたところで横で意識を失っていた詩帆が目を覚ました。
「……お目覚めですか、奥様」
「何よ、いきなり……って、雅也、魔神の眷属は?というか、その傷、何で治してないのよ」
「魔力が足りないんだよ」
「えっ……分かった。なら私が治療する」
「ああ……頼む」
「……心臓は専門外だけど……<肉体再生>」
詩帆が使った光魔術第八階位<肉体再生>で俺の胸からの出血が抑えられ始める。ただ……
「うっ……」
「雅也……どうしたの?」
「大丈夫だよ……少し頭痛がしただけだから」
「……それは大丈夫って言わないわよ。貧血……まさか脳に気泡が……」
「詩帆、いいから集中しろ」
「でも……」
「大丈夫よユーフィリアちゃん。クライス君の頭痛は出血量増加による貧血」
「セーラさん……何でここに?」
「そんなもの、あの人がそこにいるからに決まっているじゃない」
セーラさんが、アルファに向かって広域魔術を撃ち続けている師匠を指さしてそう言ったが、俺が聞きたいのはそういうことではない。
「いや、違います。セーラさんは師匠と一緒に戦わなくてもいいのかってことですよ」
「ああ、そういうことなら心配いらないわ。押さえ込むだけならあの人一人で十分だから」
「えっ……それはどういう……」
「その話は後よ。今は治療に専念して、そしてそれが終わったら……<魔力吸収>で私の魔力を吸って」
「どういうことですか?」
「奴の固有魔術は千年前と変わらず時間操作術でしょう」
「はい……そうですけど」
「その魔術は私達には破れない。魔術原理が不明だから……ただ……あなたの物理魔術でなら干渉の余地があるかもしれない」
それはすなわち俺が奴の時間操作術を現象として解明できなければ……
「俺達の負けってことですか……」
「ええ。私とあの人が組めば、時間は稼げるけど……最後は君と同じ末路をたどるでしょうね」
「分かりました。師匠の頑張り次第ではどうにかしてみせます」
「……そうね。という訳で……ユーフィリアちゃん、私も協力するわ。血液の再生やクライス君の身体の管理は私に任せて」
「はい」
俺は師匠を信じて、奴の時間魔術に干渉する方法を考え続けた……
「あなた程度……正直言って、クライスよりも期待していませんが……精々暇つぶしになっていただけるとありがたいですね」
「言ってろ……<魔導神の神槍>」
「相変わらず派手なだけの魔術ですね」
挨拶代わりに広域魔術を叩き込みながら、クライスの方を確認する。
「致命傷を負って、その状況でたった一人で魔神の眷属相手に時間を稼ぐとは……本当に七賢者とか呼ばれてた俺が恥ずかしいな」
「ええ、本当ですね」
「お前に言われたかねえよ……」
「無詠唱での複数属性魔術の散弾……少しはましになりましたかね」
「そりゃあ、どうも……」
魔神に対する怒りと、弟子に重傷を負わせてしまった自分への怒りで口調が昔に戻っているのに気づいて、余計に腹が立ってくる。
だが、頭の中では割と冷静にクライスの様子を見ながら、自身の残り魔力量を計算していた。
「……もう少しあなたの成長を見ていてもよいのですが……こちらも魔力が厳しいですし、そろそろ終わらせましょうか」
「言ってろ……<大陸崩落>」
「そんなただの広範囲魔術、当たる訳がないでしょう……」
「ああ、そんなことは分かってるよ……」
「後ろに……そういえば、転移無効化結界はあなたが破ってましたね」
「悪いが、これならお前でも防げねえよ……<七柱の神撃>」
「なんてね……」
その瞬間、アルファの周囲の空間魔力が急激に減った……直後に奴の姿が消えて、むなしく魔術の光が霧散する……そして、魔術を放った俺の後方に現れる。
「死ぬのはあなたの方です……<暗黒破壊槍>」
「……時間を歪めた後で上級魔術を放って……余裕はないよな」
「はっ……なぜ後方へ……まさか……」
「…………<超新星爆撃>」
「くっ……」
俺の放った魔術がアルファに直撃し、そのまま奴は地面に突っ込んだ。
「……悪いな。それは幻影だ」
「……そうですか……まさかあなたに土をつけられるとは思いもしませんでしたよ」
俺の幻影魔術が消え去る中、アルファは何事も無かったかのように立ち上がった。実際何もダメージにはなっていないだろう。着弾までにざっと二秒はあった。それだけあれば超越級の魔術師なら十分対処できる。
「……で、そろそろ撤退するか?」
「撤退……?あなたと第二位程度で私に勝てるとでも?第一私としてはクライスさえ殺害できれば構わないのですよ」
「うちの弟子を殺させるかよ」
「師匠面すると彼が可愛そうですよ」
「それならそれでもいい。あいつを守れるなら、その程度はどうだっていい」
「そうですか……まだ私に勝てると思っているその態度が腹立ちますし……そろそろ本気を出しますよ」
その言葉通り、奴の動きが加速する。それに合わせて自分の体にも<能力値限界突破>をかけて、それに対抗する。
「お弟子さんとは速度が違いすぎますね。余裕があるので……<闇弾> <暗黒流星>」
「ちっ……<七柱の神撃>」
奴からの闇魔術の斉射を全周囲に放った<七柱の神撃>ではじくが、連発されると余裕が削られる。相手の基礎身体能力の桁が違うのでそれに対抗しようと<能力値限界突破>を強化せざるを得ない。
「そろそろきつくなってきたんじゃないんですかねえ?」
「まだ余裕だよ」
「そうですか……では……速度を上げましょうか」
「くそっ……」
「師匠」
全身に痛みが走りだした時、下から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ちっ、ギリギリで生き残りましたか……<暗黒破壊槍>」
「クライス」
「……<光子障壁>……マーリスさん、こっちは私が守り切ります。だから、そいつを抑え込んでてください」
間一髪でユーフィリア嬢の障壁がクライスを守った。それを信じていたようで、クライス君は私に向かってこう叫んだ。
「師匠。一発だけ相手の時間操作魔術を防いでください……それで魔術の詳細は特定します」
おそらく心臓の傷だけを修復して、全身傷だらけであろうクライスはユーフィリア嬢に肩を貸してもらいながら、そう言い切った……だったら、師匠として答えてやらねばなるまい。
「……分かった」
「できるわけがないですね……まあ、あなたの負けは確定していますし……最後に使ってあげましょう」
そう言いながら、奴の周りの空間が歪んだことが分かった。それを予期して私も魔術を放つ……クライス君の作り出した魔術の中で理解できた数少ない魔術の一つ。
「……消えなさい……」
「……<次元切断>」
「はっ……」
奴が私の背後から放った魔術は次元の壁の切断によって隔離された私の周囲には届かなかった。
「クライス君。これでいいんだね」
「はい、十分です……すみませんが、もう少し、時間、稼いでください」
「雅也」
「大丈夫……」
クライス君がふらついて倒れかけたが、さっきの言葉を聞くに、もう対抗策はできているのだろう。なら、やることは一つだ。
「さて、クライス君の限界が来る前に決めなきゃね」
そう呟いて、私は再びアルファに飛び込んだ。
「よし、分かった」
「雅也……」
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ、詩帆」
そうは言ったものの、実際は全身から外傷と身体能力強化魔術の反動で激痛が走っている。ただ、ここで俺が倒れるわけにはいかない。
「……セーラさん。魔力を借りますよ」
「ええ。どうぞ」
「では……<魔力吸収>」
「なんだか奇妙な感覚ね……」
「そうですね。はい、終わりました」
セーラさんからもらえた魔力は俺の全魔力量の半分……俺ってどれだけ異常な魔力量をしているんだろうか?
「それで足りそう?」
「ええ、何とかなります……じゃあ、発動しますね」
「えっ、このタイミングで?」
「ああ。それで問題ない。この方法ならあいつのやろうとする動作は全て封印できるからな」
「そう……分かった。今、聞いても時間がかかりそうだから後にするわ」
「そうしてくれ……<絶対領域>」
俺が設定する物理魔術最高階位<絶対領域>は一定範囲の魔力情報を読み取り、自分の好きに組み替えられるという魔術。つまり、重力操作や物質合成、空間固定、温度・圧力操作といった物理魔術で可能にしてきたすべてのことが同時に行える空間を作るというもの。
自身の完全優位に空間を作り変えられる強力無比な術だが……魔力消費と脳にかかる負担が大きく、連発できるような代物ではない。
「一発で決める……師匠」
「……」
「行きます」
「雅也。マーリスさん気づいてないんじゃ?」
「気づいてるよ。視線が一瞬こっちを向いた」
「ええ、たぶん大丈夫よ……そろそろあの人の魔力も際どいわね。クライス君、急げる」
「可能な限りは……<座標固定結界>」
続けて空間の座標を固定し、転移での脱出を禁じた上で設定するのはアルファを中心とした空間一帯。その周辺を超高重力、高圧にして、さらにそれによって生じた気圧の壁と、切断した次元の壁で奴を追い込む。
「なるほど……これは確かに……動きが……くっ」
「アルファ。お前の負けだ」
奴の体にかかる圧力は地上の数千倍のはずだ。それでも動ける奴はどうなっているのか訳が分からない……が、まだ終わりじゃない。
今度は奴の足を魔力に徐々に分解し、地面と結合させてその地面をオリハルコンに変質させる。普段なら簡単に破られるだろうが、この高重力下なら押さえ込める。
「なるほど。私の足を分解して地面と結合させて再合成ですか……惚れ惚れしいまでの魔術の腕ですね」
「褒める余裕があるのかよ」
「ええ、ありますよ。だって、まだ私には時間制御術がありますからね。足を切り落としてからいくらでもあなた達をいたぶって……」
奴がそこまで言ったところで俺は勝利を確信した。
「さようなら、みなさん……はっ……」
「ああ、そうだな……<神槍>」
「な、ぜ……」
アルファは地面と結合された両足を切り落とし、魔術を使おうとしてそのまま地面に倒れた。その一瞬を師匠が見逃すわけもなく、即座に奴の胸に光属性第九階位<神槍>を叩き込んだ。
それを見届けた俺は、ゆっくり奴の下に歩み寄った。
「な、なぜ私の時間操作が……」
「お前が時間を止めているのではなく、進みを遅くしている、という時点で気づけばよかったよ。お前は時の流れを遅くしているのではなく、自身の体を光に変換していただけだ。確かに光の速度で動ければ音速程度の俺達なんて止まって見えるだろうな。後は、お前の身体が変化できないように、魔術で処理すればいい……」
「ハハハ、なるほど。これが魔神様が恐れた訳か……記憶が戻っていなくて、これとは……」
「なあ、記憶って一体何のことだ」
「残念。時間切れです」
そう言った瞬間、アルファの体が魔力の粒子となって消えた。結局、その謎は謎のままか……って、そんなことより、身体が、もう……
「ふう、終わったみたいだね」
「師匠……すみません……」
「んっ、クライス君……どうかしたか……クライス君」
「雅也」
「ユーフィリアちゃん落ち着いて」
「でも、雅也が……」
「戦闘は終わったわ。もう……」
「でも……」
「とにかく……休ませ……」
詩帆に支えられたまま、段々意識が遠のいて、そのまま俺は気を失った。
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