第九十話 魔術師夫妻の参戦裏話
読んでくださる方、ありがとうございます。
何とか今日中に出せました。という訳でようやく六章にクライス視点が戻ってきます。
王国軍が王都を出て、どれぐらい経っただろうか……どうやら、少し眠ってしまっていたようだ。さて、今は何時だ……うん、三時間弱か……なら、大丈夫だな。
そのまま視線を下すと、俺に寄り掛かって詩帆が寝息を立てていた。昨日のことを考えると、もう少し寝かせてあげたいところだが、そろそろ起きてもらおうか。
「詩帆……起きて……」
「うう……あれ、私……寝てた?」
「ああ。で、落ち着いたか……」
「うん……それで、もう行くの?」
「詩帆が俺の隣で寝てる間に六時間経ったからね」
「えっ……って、まだ三時間しか経ってないじゃないのよ」
「やっぱり分かったか……まあ、もう行くんだけどな」
「早すぎないかしら」
「早めに行っておかないと、すぐに動けないだろう」
レオンからは半日後でいいなんて言われているが、ぴったりその時間から魔術を撃ち込むのなら少し早めに行って戦況を確認するべきだろう。
「まあ、当然か……そういえばマーリスさん達は?」
「師匠達は何もなければ戦場周辺にいるはずだよ。何も起こらなければ手を出す気はないって」
「そう……ということはもう向こうにいるのかしら」
「たぶん、ね。俺が行く前に何かヤバくなったら止めてくれるだろう」
「そう……じゃあ、行きましょうか」
「やっぱりついてくるのか……」
立ち上がって、ローブを羽織った俺の手に詩帆が掴まってきた。俺は呆れた声でこう言う。
「できれば妊娠している妻は安全な場所に置いておきたいんだがな。ほら、シルヴィア王女やソフィアさんと一緒にのんびり王都で……」
「私はあなたの隣が一番安全だと思っているから。それに、多少の運動も必要よ」
「だからって戦場についてくるか……」
「あなたが目に届くところにいてくれなきゃ嫌なのよ。大丈夫よ、自分の身ぐらいは自分で守れるから」
駄目だな。この状態の詩帆に何を言っても聞き入れてくれることはないだろう。
「……はあ、分かった。ただし、来る以上は俺の右腕として動いてもらうからな」
「あら、妻のお腹が心配な夫の発言とは思えないわね」
「お前がそうしたいんだろう。なら、俺の責任じゃない」
「怒ってる?」
「ああ。だけどな、お前がそう言うんだから仕方ないだろ」
「……ありがとう、雅也」
「行くぞ。支度は急いでくれ。<転移>も魔力消費を抑えたいからあまり使いたくないんだ」
「了解」
詩帆がそう言ってローブと杖を<亜空間倉庫>から取り出すのを待って、俺は詩帆の手を取り王都の上空へと向かった。
「じゃあ、このまま王国軍の戦闘地帯に向かいますけど……どう動く?」
「レオン殿下がクーデターを成功させて、撤退を開始したのを確認してから魔術を撃ち込めばいいんじゃないの」
「いや、俺がその前に王国軍が窮地に陥った場合、どのタイミングで手を出そうかなあと」
「あなた次第じゃないかしら」
「ですよね……」
「そんな無駄話をしていないで、行きましょう」
「了解……<突風>」
「キャアア……いきなり加速が……」
叫ぶ詩帆は放置しておけば、しばらくしたら慣れるだろうという判断で無視することにして、俺は風の速度をさらに上げた。
「雅也……後で覚えておきなさいよ……」
「まあ、落ち着いてって。そのおかげで王国軍が三時間かけて行軍した距離を三十分で踏破したんだから」
「だからって、あんなに加速する必要ないじゃない……ものすごく怖かったんだからね」
「ゴメンって。だから詩帆に負担がかからないように重力魔術や風魔術で負担や抵抗がかからないように調整したんだから……」
「そういうところをさらりと気遣っている辺りが……怒れないのよ。本当に……少しは身重の妻を思いやってよ」
「思いやってるから来るなと言ったんだろう……まあ、これ以上は堂々巡りになるから止めよう」
「そうね……」
三十分、上空を風魔術で飛び続けて、俺と詩帆は無事に戦場にたどりついた。そこから全体を見渡すと……圧倒的に人数有利の王国軍が押されているのがよく分かるな。
「……なんで最前線に配置されているのが一般兵ばかりなの?騎士団は、魔術師団は?というか大量に徴収されていった農民兵は?」
「うーん。あの国王や軍務大臣の性格を考えるに……」
「分かった。農民兵は……最前線で一瞬で焼かれたのね……それで自分たちの守りのために魔術師や騎士は温存と……最悪ね……雅也、国王と軍務大臣の天幕、焼いてもいい?」
「待てって。さすがにそこはレオンに譲るべきだ……今はあいつの戦場なんだからな」
「と言っている間に、魔人達の範囲魔術が直撃したみたいだけど……」
「<神炎空間創造>……あれじゃあ、周りの兵士も被害を受けるぞ……障壁で防御を……」
「でも、雅也。複数の結界が展開されてるわよ。中級の展開が複数展開されてるから、おそらく魔術が減衰するでしょうから一部は助かるんじゃ……」
「ああ……でもいったい誰が……王宮筆頭魔術師か……ご丁寧に自分たちの天幕は防御してないな……」
国王とその他の官僚たちが集まっているであろう天幕の周囲が結界で守られ、中心部の天幕だけが焼け落ちた……すさまじい魔術の技量だ。範囲が完全に固定の模造魔術でここまでやるのは神技と言って差し支えないだろう。
「雅也……いつの間に……」
「ここまで国に尽くした人物を見殺しにするほど、俺も腐ってないよ。まあ甘いのかもしれないけどな」
「その甘いところが優しくって好きなのよ」
「戦場で甘い言葉を言うな」
天幕が焼け落ちる寸前、俺は咄嗟に<座標転移>を利用して、天幕の中に飛び込み、テルミドール王宮筆頭魔術師を救出していた。全身が焼けただれているが、治癒魔術でどうにかなるだろう。
「自分にも責任があると言って死のうとした人だ。もう公的には死んだことにして、のんびりしてもらえばいいかなって……裏で国王に何をさせられていたかは知らないけどな……今回ので償いにはなっただろう」
「同意。それじゃあ、この人は……」
「俺が治癒して殿下に預ける。詩帆は身軽でいてくれなきゃ困るからね」
「そう……あっ、あれエマ先生じゃない?」
「学院にいないと思ったら……なるほど、レオンが呼び入れたのか……にしても、よくエマ先生のお父さんが許可したなあ」
「どういうこと?」
「先生の父親は現財務大臣のローレンス公爵だぞ」
「……通りであれだけ無茶苦茶なことをしてもクビにならないわけね……」
「そういうことだな……ということは、前線でジャンヌさんが指揮を執っているのと、後方でレオンとハリーさんが一緒にいるのを見ると……現在は前王の指揮官が吹き飛んで、前線兵士指揮がジャンヌさん、魔術師指揮がエマ先生。で、ハリーさんがレオンの参謀役ってところか……」
レオンの政権移行はスムーズに進みそうだな。この戦場で自身の腹心を上位指揮官に土壇場でねじ込めるのだから。
「さてと、これで心配はないかな」
「そうね……魔人達もなぜだか、撤退する兵に追撃を加えたりしないし……」
「たぶん、負の魔力エネルギーの問題だろうな」
「どういうこと?」
「魔力というものが人の精神に関わっているというのは分かっていると思うんだけど、感情にも正負のエネルギーが存在するだろう」
「それはそうね」
「ああ。そして魔力情報とはそう言った精神的な正負の動きが魔力エネルギーの質に変わる。要は何の方向性も持たない無の魔力と、正の魔力、負の魔力の三つに分かれる。俺達が普段利用しているのは無と正の魔力だ」
「つまり魔神を構成しているのが負の魔力?」
「そういうこと」
厳密に言うのなら、俺達も負の魔力を活用していたりもするのだが、話が長くなるので後回しにしよう。
「で、負の魔力というのは人間の負の感情から生まれる……つまり強い絶望を与えた方がより大きなエネルギーが生まれるということだな」
「そのために、後で大きな絶望を与えるために手を抜いているってことかしら」
「そういうことだろうな」
「そう……じゃあ、そろそろまずいんじゃないかしら?」
「えっ……確かにまずいな」
詩帆にそう言われて下を見ると、最前線ではジャンヌさん達の部隊に向かって巨大な火球が直撃する寸前だったし、エマ先生とハリーさんも魔人達に囲まれている。更にレオンも軍勢の中心部で魔人達に囲まれていた。
「そろそろ介入のしどきかな……」
「急いでよ、雅也。間に合わないわよ」
「分かってるよ……ひとまず、早急にヤバいものは全部対処するから、前線周辺のアフターフォローは頼んだ」
「分かったわ」
「……<真空化>」
俺は詩帆の返事も待たずに魔術を発動させる。まずはジャンヌさん達に向かっていた火球の周辺の空気を消滅させて、強引に火を消し去る。
「……<七柱の神撃>……<凍結>」
続けてハリーさんに襲い掛かろうとしていた魔人達を光魔術で消し去り、エマ先生を襲う寸前の魔人達を凍結させて動きを止める。
「……<次空孔>」
最期にレオンの周囲に結界を展開し、万が一に備えた上で、俺は詩帆の方を向いて言い放った。
「絶対に無傷で帰って来い。それができないなら転移で離脱しろ」
「言われなくてもそうするわよ……じゃあ、あなたも……絶対に生きて……」
「当たり前だ」
「頼もしいわね……それじゃあ……<転移>」
詩帆が転移でハリーさんたちの下に向かったのを確認して、俺もそのまま真下のレオンの下へ飛び下りる。
「さてと、まずは撤退まで成功しなかったレオンをいじってやろうかな」
そんなふざけたことを言いながらも、俺はすでに頭の中で殲滅のシュミレーションを始めていた。
「さあ、本物の魔術師の戦闘というものを見せてやりますか」
着地した瞬間、俺の展開した結界に魔人の魔術が直撃した。




