聖なる一日に少女に雪を
本日二話目の投稿です。
「予想以上に記憶が残っているわね……」
「そりゃあ、そうだろ。かれこれ七年ぐらいはそこで過ごしていたわけだからな」
「そうなんだけど……十五年も経ってるのよ」
「まあ、こっちの世界では二年戻ってるけどな」
夜の面会時間も終わった病院で、俺と詩帆は暗い廊下を歩いていた。この先には詩帆がよくいた外科医局がある。
「なんか、真っ暗闇の病院を歩いていると罪悪感が……」
「何を言ってるのよ。私を毎日これよりもっと遅い時間に迎えに来てたじゃないの」
「いや、関係者としてなら入れたんだけど……今の俺って完全に部外者だし」
「大丈夫よ。この世界の人から見たら、私たちは幽霊みたいなものなんだから。病院内の幽霊なんて関係者みたいなものよ」
「屁理屈な気はするけど……まあ、言う通り実害もないからいいか」
「でしょ……この音は……」
詩帆が会話中に突然立ち止まり、突然振り返ると、少し戻ったところにある部屋のドアを開けて、中に入っていった。
「ちょっ、いきなり何を……」
「生命維持装置のアラートよ。大丈夫、分かる?……やっぱり意識はないか」
「この子は……一般病棟に入れていいような病状か、これ?」
「たぶん、ICUがいっぱいなんだと思うのよ。それで、ここって一応無菌室だから。って、それより……雅也、この子の肝臓の血管の出血止めて」
「何をいきなり……」
「いいから、早く」
「……<快癒>……一応塞いだけど……この子……」
「だから、この子はこの部屋にいるのよ。おそらく交通事故かなんかで間一髪助かったんじゃないかしら……」
素人目にもわかる。この子はもう助からない。だから最低限の管理をされて、この部屋にいるのだろう。
「きっと両親はこの事故で亡くなったんでしょうね……」
「どこからもバレないから、批判されないからって、放置する、か。詩帆のいた病院でこんな腐ったことを……」
「……うん。魔術でも助からないのは分かる。雅也でも無理かしら?」
「ああ。多臓器不全一歩手前で、脳も複数の血管が損傷してる。治すことは可能だけど……たぶん、全身の傷が塞がっても彼女は死ぬだろうな」
「……そう、よね。でも……酷すぎる」
魔術での治癒は。本人の治癒能力を活性化させるという側面も持つ。光魔術によって再生させるというのも本人の治癒能力、生命力を前借しているからできる技だ。俺達の魔力で肩代わりしてやっても……ほんの少し、死期が伸びるだけだろう……
「雅也……せめてこの子のそばにいてあげよう。せめて最後ぐらい優しくしてあげたい」
「本当に詩帆は優しいよな」
「うん。でも……なんだか、この子のことを放っておけないのよ……昔、会ったことがあった気がして……」
「……お母、さん、お父、さん、どこ、痛い、よ……」
「嘘だろ……この状況で意識が……」
「あなた、分かる?」
その時、ベッドの上で眠っていた少女がうっすらと目を開けた。だが、その目の焦点は定まっていない……
「お母、さん……だよ、ね」
「……うん、そうだよ。だから、もう……」
「良かった……お母さんは、お父さんは大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
少女がかすれた声でお母さんと呼ぶのを、さらりと肯定した詩帆は、お父さんを探すその声を聞いて、俺に視線を向けた。
「ああ、大丈夫」
「良かった……私だけで……」
俺と詩帆はその少女のあまりの健気さに泣きそうになった……
「この子。本当にいい子ね」
「あり、がとう……」
「無理しなくてもいいのよ」
「う、ん……」
と、そこまで会話を続けていたところで、詩帆は何かに気が付いたかのように俺に目線を再び向けた。俺は<防音結界>を展開すると詩帆に手招きをした。
「聞きたいことは分かる」
「あの子、なんで私達の姿が見えてるの、いや見えているかどうかは分からないけど、存在は分かっているわよね」
「小さい子特有の感受性の高さが原因か……はたまた死期が近いことによって脳が覚醒したか、はたまたもともと霊感というか魔術に対する感がいいか」
「とにかく、この世界の人でも私たちが見える可能性はあるのね」
「ああ。普通に起きうることだな」
「じゃあ、良かった……この子に最後に温もりだけでもあげられて……」
「おい、泣いていないでその子と一緒にいてあげなよ」
「う、うん」
俺は結界を解除すると詩帆とともに彼女のベッドに近づいた。
「お母、さん。どこ?」
「ここにいるわよ」
「そう……ねえ、お父さん」
「何?」
「今日、雪、降るかな……」
「なんでだ?」
「だって、クリスマスだから。雪を、見せて、くれる、って。それを言ったら、お父さん、お母、さんに、怒られて、たけど……見れる、よね」
きっとこの子のお父さんは娘にせがまれて、雪は絶対に降ると言ったのだろう。それをお母さんが嘘を言うなとたしなめたと……
「その後、気が付いたら、身体、中、痛くて……」
「もう思い出さなくてもいいわ。それより、雪、ねえ……」
お父さんには雪国に連れて行くぐらいしか方法はなかったと思うが、俺がそのお父さんと違う特殊な力を持っている。それを理解している詩帆が俺に三度視線を向けてくる……そうしなくても分かってるよ。
「ちょっと待っててね……雪江」
「うん。待ってる」
ベッドについていたネームプレートを見て驚いた。同時に彼女のお父さんが雪を見せてあげたかった理由も判明した。
「そうだよな。今日が誕生日、だもんな」
「うん」
松原 雪江 それが彼女の名前で、誕生日がクリスマス。それを見た瞬間、俺の目からは再び涙がこぼれかけた。俺は強引に目元をぬぐうと、立ち上がった。
「じゃあ、任せたよ、お母さん」
「分かってるわ。その代わり、早くしてよね」
「それも分かってるよ」
それだけ言うと、俺はそのまま部屋を出て行った。そのまま屋上まで駆け上がり、空を見上げた。
「うわあ、空は快晴だな……こんな日に雪が降るとは日本の気象庁は大慌てだろうな」
そういえば、転生二年前のクリスマス。気象衛星から突然雪雲が発生したのを捉えて、聖夜の奇跡として話題になっていたな……
「クリスマスの奇跡を起こしたのが……まさか俺だったとはな……」
そんなことを考えつつ、俺は上空に手を上げながら魔術を発動していく。空気中の水蒸気をまとめて、上空に集める、その周囲の温度を下げていく、雨になってしまわないよう、吹雪になるような量が降らないよう、慎重に調整をしながら……降らせる範囲は都内全域……
「そろそろ上空では完成したかな……はあ、無茶苦茶な難易度だな天候操作。というか、気象庁と航空局の連中ざまあみろだな。俺の動向を監視するために、撃ちあげてた衛星の機能を強化して、監視してたんだからな……」
そんな昔の恨みを思い返していると、俺の手元に、白い雪が降ってきた。
「おっ、降りだしたな……止みかけたら調整しに戻ればいいし、これで後二時間は降るだろう」
雪が本格的に振り出したのを確認してから俺は再び階段を降りて、病室に戻った。
「それでね……」
「うん……」
「ただいま」
「あら、おかえり」
「お父さん、雪、降ってる?」
「降らせてきたよ」
戻って来ると、詩帆と雪江ちゃんは楽しそうに会話をしていた。
「どれどれ……うわあ……」
「お母さん、私も」
「はいはい」
そう言いながら詩帆は、雪江ちゃんのベッドを少し上げて、窓の外の景色を見せてあげた。
「わあ、雪だ……綺麗……」
「そう、ね……」
二人で並んで雪を見ている様子はまるで本当の母娘のようだった。俺はそれを見ながら涙が流れ出るのを隠すために、そっと魔術を唱えた。
「じゃあ、サービスしておこうかな……<光波変換>」
「うわあ……雪がキラキラして、素敵……」
周りの光を乱反射させて、空気中の水蒸気に乱反射させる。要はダイヤモンドダストだな。階下からも色々と歓声が上がっている。
「みんな、楽しそう……」
「そうね……」
「ファア……でも、お母、さん。雪、もう、眠くて……」
「いいのよ……ゆっくり、お休み」
「うん……」
俺達は理解していた。この眠りが長いものになると。二度と覚めないものになると……彼女の体はもう限界だった。意識があるのが不思議な状態だったのだから。
「お母さん、お父さん……」
「何だい」
「寝る前に、ギュッとしてほしいの」
「……いいよ」
俺と詩帆は、彼女が痛くないようにものすごく加減をして、彼女をギュッと抱きしめた。
「二人とも、力、強いよ……」
「ごめんね」
「いいよ。ただ……落ち着、く……あり、が、とう……」
そう力なく言って、雪江はゆっくりと目を瞑った。
「うわあああああああああああああぁあぁぁぁぁぁ」
「………」
彼女の生命維持装置が甲高い警報を上げていた。そして、詩帆は俺の胸に顔をうずめて泣いていた。
「詩帆……」
「ヒクッ……何、よ……」
「雪江ちゃんは、最期は幸せに天国に行けたと思うよ」
「そんなの、意味ない。こんな雑なことをして、なければ、助かったかも、しれない、命、なのに」
「それでも、俺達にできるのはこれが精一杯……誰か来るぞ」
そう言うと同時に俺はベッドを元の位置に戻して、リクライニングを下げた。ベッドが元の位置に戻った瞬間、部屋の扉を開けて、白衣の女性が飛び込んできた。
「あのクソ野郎。精密検査をしたうえで、この部屋に入れたの?」
「は、はい」
「許せない。複数臓器からの出血なんて、即刻オペに入れないのならICUで厳重管理に決まってるじゃない……心肺蘇生。即刻オペよ。循環器と小児科、後は消化器も、事故関連のオペはあらかた片付いたから手は空いてるでしょ」
「でも、先生。もう、その子は……」
「「……約束したの」」
「えっ」
白衣の女性の言葉と詩帆の言葉がかぶった。というか、あの女医さんって……
「詩帆、どういうことだ?」
「約束したの。あの子のお父さんとお母さんに。絶対に助けるって……」
「まさか……雪江ちゃんって……」
「あのクリスマスの日の、あなたが巻き込まれた多重衝突事故の……犠牲者よ」
間違いなく目の前で檄を飛ばしていた女医は詩帆本人だった。そして、俺はその様子と、詩帆のその言葉でようやく彼女の正体を思い出したのだった……
俺の時間感覚で十七年前のクリスマス。世間が騒ぎ立てる中、そのせいで激務を味わっている詩帆のもとに、俺は差し入れのケーキを持っていこうとしていた。その道中……
「さて、詩帆はケーキ喜んでくれるかな。まあ、同僚に冷やかされたと後で怒るから、こっそり詩帆の机に置いて行こうかな……でも、それも来てくれなかったとか言って怒りそうだし……」
大学から詩帆の勤める病院までは約二キロ。普段だったら、バスを使うのだが、バス停がケーキ屋から中途半端なところにあるので今日は歩くことにした。
「本当は車を使いたいけど……病院の一般駐車場を占拠するのもな……遅くなったら、閉じ込められるし。いっそ、職員用に停めようかな……」
そんなことを考えていた俺の思考は、前方から突っ込んでくる乗用車で中断された。咄嗟に右に飛んだ俺に乗用車が迫って来て……すさまじい衝撃の中で俺の意識は……
白いデコレーションケーキが血に染まった。
次回投稿は一時間後です。




