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憑りついた世話焼き人形

作者: 白灰黒色

 最初に思ったのは、「ああ、死ねなかったのか」という思いだった。

 よくあるあれだ、知らない天井。俺が見たのは、赤茶色に塗装された天井だった。

 でも、違っていた。確かに、俺は死んでいた。誰もいないひっそりとした森の奥で、枝に括り付けた縄で首を吊ったのだ。あれで誰かに救助されたとか、そんなのはあり得ないし、あって欲しくない。


 では、何故、俺が死んでいると確証したのか?それは、今の現状を把握したからに他ならない。


「……」


 今の俺は、なんと、人形になっているのだ。どうやって見えるのか、そもそも目がどこにあるのかは分からないが、俺は人形になっていた。

 いや、これは憑依なのか?人形に?何故。

 ……考えても分からない事は分からない。兎に角それは置いておくとして、今は俺の事である。

 今の俺は、茶色の毛糸の髪と、ボタンのような目、糸で縫われたバッテン印の口が特徴の普通の人形だ。

 なんで服がメイド服なのか、とか、そのメイド服が妙に凝っている、とか、疑問に思う所があるが、普通の人形だ。……多分。


 溜息を吐こうとして、できない事に気付き、憂鬱な気分になった。

 肩を落として、ぼうっと前を見つめた。


「……?あの人形、さっき動いたような~……」

「はぁ、何よそれ。そんな訳無いでしょう?気のせいよ、気のせい。」

「そう、ですよねぇ。」


 俺の目の前にいた、学生服を来た二人の女子が、そう言いながら去っていった。

 やけに胸が大きい方の女子が、もう一度俺の方へ振り向く。すると、赤く髪を染めた不良っぽい方の女子が、「ほら、行くわよ。」と言って、胸が大きい方の女子を連れて何処かへ行ってしまった。

 ……どうやら、俺は動けるらしい。


(にしても、あの不良っぽい方。かわいそうなくらい、絶壁だったなぁ……)

「誰が絶壁ですってぇ!?」


 不良っぽい方の女子が、そう叫びながら戻ってきて、俺は思わず身を強張らせた。

 不良っぽい方の女子は、しばらく怒った表情で、周りを見渡していたが、「……気のせい、かしら。」と言って、今度こそ去っていった。怖え。


 に、しても。

 これは、罰なのだろうか。

 生きる事に疲れたから、なんて理由で自殺したから、自殺する事もできない人形なんかに憑依したのだろうか。


(分からない……)


 疲れた。兎に角、もう、疲れた。

 でも、もう眠る事もできない。逃げる事は叶わないのだ。例え、夢の中であろうとも……



 俺がいるこの場所は、どうやらこじんまりとしたお店の、玩具売り場のようだった。

 かわいらしい人形から、男の子が好みそうなロボットのような玩具まで、色々なものが棚に並んでいる。勿論、その中に俺も含まれているのだが。

 この店の店主は、白髪の頭に、たっぷりの白鬚を蓄えた優しそうなお爺さんだ。

 いつもニコニコしていて、人形の事も大切に扱ってくれている。いい人だ。

 そんなお爺さんだが、何を思ったのか。じっと俺を見つめると、俺を手に取り、机の上に俺を座らせた。

 お爺さんは、椅子に「どっこらせ」と言って座ると、穏やかな表情で俺を見つめた。


「偶に、いるのだよ。髪が伸び続けたり、涙を流したりする人形がね。

 何で人形に想いが宿るのかは、わしも知らんがな。」


 お爺さんは、そう言って、俺の頬を撫でた。


「真夜中に、箒と塵取りを持って店内を掃除しているお前さんを見た時、思わず腰を抜かすかと思ったわい。」


 何故ばれたし。いや、見られていたのか。


 何故、人形である俺が、真夜中に掃除なんてしていたか。

 それは、まぁ。暇だった、というのもある。だって、動けると言っても、俺は人形なのだ。人がいる所で動きでもしたら、絶対に面倒な事になる。

 それに、いつも閉店する頃に、お爺さんはお店の掃除をするのだが、それが辛そうなのだ。そんなのを毎日見ていれば、心配にもなってくる。

 だから、真夜中にこっそりと、お爺さんが掃除しにくそうな場所を掃除していたのだが……ばれていたとは思わなかった。

 いやだって、このお爺さん、相当なお歳だよ?無理は良くないと思うんだよ。

 そんな風に、内心で言い訳をしている俺を、お爺さんは、ニコニコしながら、次のお客がくるまで、何も反応しない俺をただ見つめていた。



 とある日の朝だった。

 女の子が、俺の目の前で、俺を指さしながら言った。


「お母さん!私、これ欲しい!」


 そう言って、女の子は俺の頭をわしづかみにして持ち上げた。

 こら、もう少し丁寧に扱え。痛覚なんて存在しないけどさ。


 女の子のお母さんがお爺さんにお金を払い、俺を買ったその時、お爺さんが身を屈め、女の子に目を合わせながら、こう言った。


「その子をずっと大事にしてあげるんだよ。物にだって、心はあるからね。」


 お爺さんは、ニコニコと笑みを浮かべながらそう言った。女の子は、何を言われているのか分かっていないような顔で、「うん!」と頷いた。

 大丈夫かな、これ。


 大丈夫じゃなかった。

 この女の子、元気が有り余っているのか、外に連れ出されては振り回され、部屋の中をかけずり回っては振り回され、おままごとにしてはちょっと激しく振り回され……と、兎に角振り回された。

 いや、気に入ってくれているのは分かる。お前の物なんだし、自由にすればいいと思うよ?

 でも、もう少し大切に扱って欲しい。腕を握りながら振り回すものだから、その内千切れないかハラハラしているのだ。

 いや、千切れても飛び出すのは血肉じゃなくて、綿なんだけど。痛くもかゆくもないけど。


 夜になった。やっと女の子から解放されるかと思いきや、なんと、女の子は俺を抱きしめながら布団に入ったのだ。

 おい、この子のお母さんよ。ニコニコしていないで助けてくれ。無理?無理だな。

 女の子は、俺の首を両腕で絞めながら、あっという間に、スースーと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。早い。布団に入って、十秒も経っていないのではなかろうか……


 お母さんが扉を閉めて出ていくのを見計らって、俺は、ゆっくりと、慎重に、女の子の腕から抜け出した。

 凄い時間が掛かった。あの女の子、寝ているのにしっかりと俺を抱きしめているのだ。

 肩を回し、首を傾げて伸びをする。いや、人形だから意味無いけど。

 兎に角として、夜は俺の時間だ。早速歩き回るとしよう。


「う~ん、むにゃむにゃ……」

「(ビクッ)」


 やべ、起きたか……?

 そう思って振り返るが、女の子は寝返りをうっただけ……って。


(ああ、布団が捲れてる……)


 俺は、女の子に近付き、布団を掛け直した。これでよし。

 さて、夜回りの時間だ。

 とりあえず、扉の前に立つ。見上げれば、結構高い位置にドアノブがあった。

 それも当然、今の俺は手乗りサイズの人形。女の子より小さい俺では、背伸びしたってあのドアノブには届かない。

 が、問題無し。今の俺は、浮く事もできるし、念力も使える。

 俺は、ふよふよと浮いて、ドアノブを掴んで捻り、そっと扉を開けた。開けた扉の隙間に首を突っ込み、左右の確認。

 案の定、廊下も真っ暗だったが、これも特に問題無し。今の俺は、例え明かりがなくとも、ものが見えるのだ。

 人影が無いのを確認し、そっと廊下に躍り出る。

 廊下を適当に歩いていくと、扉の隙間から、明かりが漏れているのが見えた。

 扉の隙間を覗いてみると、あの子のお母さんだろうか。その人が、テーブルに突っ伏して、眠っている。

 そう言えば、あの子のお父さんを見ていない。母子家庭なのだろうか?


 音が鳴らないよう、そっと扉を開け、部屋に侵入。飛び上がってテーブルの上を見れば、あの女の子の服があった。

 所々解れていたり、破けていたりしている。まぁ、あの子、元気いっぱいだからね……

 そして、お母さんの手元には、糸の繋がったままの針が。


(危ないなぁ、もう。)


 お母さんの手から、針と糸を取り上げる。お母さんは、余程疲れていたのだろうか、起きる気配はない。

 取りあえず、部屋を出て、毛布を探す事にした。

 何処かの部屋の箪笥の中にあった毛布を引っ張り出し、お母さんのいる部屋まで戻り、お母さんの肩にそっと毛布を掛けた。

 さて、ここからは俺の出番である。お爺さんにばれたと分かってから、堂々と夜に出歩き、お爺さんの手伝いをしていた時に身に付いたスキルが役立つ時が来たのだ。

 俺は、針を持ち、服の解れをすいすいと縫っていく。念力を駆使しながら、両手を使って服を縫っていくこの手さばき。慣れたものである。

 ささっと縫物を終わらせ、お母さんの肩に毛布がきちんと掛かっているのを確認し、明かりを消して、女の子の部屋に戻った。

 なお、女の子の布団はまた捲れていた。この子、寝相も悪いと見た。



 あれから幾ばくもの歳日が過ぎた。

 色々な事があった。

 案の定、あの女の子は俺の腕を引き千切り、泣きながらお母さんに「死んじゃった!」と言っていた。いや、人形だからね、俺。お母さんが直してくれたけど。

 俺の夜間行動だが、ばれることは無かった……と、思う。お母さんも、起きたら肩に掛けられている毛布や、いつの間にか終わっている家事など、疑問には思っていたようだが、気にしない事にしたらしい。いや、気にしろよ……

 子供が成長するのは早いもので、気が付けば……なんて事がよくある。

 小学生の中頃までは、俺から一時も離れなかった女の子だが、友達から「まだお人形なんて持っているの?」と言われたのをきっかけに、女の子は俺から離れるようになっていった。

 少し、本当に少しだけ寂しいが、仕方がない。むしろ、彼女の成長を喜ぶべきだろう。それに、登下校の際は、ずっと影から見守っているので問題ない。

 物影から、あの子に変な目で近付く大人がいたが、すぐさま後ろに回り込み、うなじに手刀を落として気絶させた事もあった。が、これと言ってあの子に問題は無さそうだったので、ズボンとパンツを脱がして放置しておいた。その後から、女性の悲鳴が聞こえた気がしたが、興味もないので無視。パトカーも通っていったが、まあ、関係ないだろう。

 随分と元気が有り余っていたあの子も、成長するにつれ、御淑やかになっていった。中学生になれば、彼女もモテるようになった。

 その頃に、彼女のロッカーに憎々し気な表情で近付く女がいたので、後ろから肩を叩き、振り向いたらさっと隠れる、というのを何回も繰り返した。一週間もしたら、その女は学校に来なくなってしまったが、何かあったのだろうか?何気に楽しかったのだが、残念である。

 そうそう、ロッカーと言えば、彼女のロッカーには、かなりの頻度でハートマークの付いた手紙が入っていた。遠慮なく手紙を読んだ後、焼いて捨てた。まだ彼女を嫁にやるつもりはない。

 が、中々しつこい奴が一人いた。捨てても捨てても手紙をロッカーに入れ、人前でも堂々と彼女を口説く奴が。

 幾度となく妨害したが、奴は止まらなかった。仕方なく、俺自身が奴の前に現れ、紙とペンを用いた文字での制止に出たが、奴はそれでも止まらなかった。

 動く人形である俺を見ても、奴は、驚き恐怖するのではなく、なんと俺を説得しにかかったのである。筆記と言葉による応酬が夜まで続いたが、奴の熱意と彼女に対する真剣な想いに、俺は遂に膝を屈する事になった。


「絶対に、彼女を幸せにする。」


 と、決意に満ちた言葉を聞き、俺は彼と固い握手を交わして別れた。いやぁ、良い奴だったよ。




 そんな、彼女との関係が終わったのは、彼女が彼と付き合いだし、初々しい姿を見せるようになった、高校生の頃だった。

 お母さんの方の仕事が上手くいったようで、アパートからお引越しをするらしい。

 ワクワクした表情で、荷物をまとめる彼女の手が、私に向かった時、彼女は私の身体を持ち上げながら、首を傾げた。


「あれ?こんな人形、家にあったかな?」


 そう言う彼女に、お母さんは私を見て、懐かしそうな笑みを浮かべた。


「ああ、このお人形!懐かしいわね。

 あなたが、まだこんなに小さかった頃、あなたにせがまれて買ったものなのよ。あなたのお気に入りで、何処に行くにしても、そのお人形を連れて行っていたわ。」

「ふぅん……そうなんだ。」


 彼女は、気の無い返事をすると、私を袋の中に入れた。

 そう、もういらないものを入れていた、ごみ袋の中に。

 それを見たお母さんが、悲しそうな顔で言った。


「あら、捨てちゃうの?」

「当たり前でしょう?もういらないわよ。

 それに、こんなものを持っていたら、彼に笑われちゃうわ。」


 笑いながらそう言う彼女。

 ……ああ、そうか。私は、捨てられるのか。

 いつかはそうなるとは思っていた。彼女が私から離れ、もはや目にも留めなくなった頃から、覚悟はしていた。

 けど……やっぱり、悲しいなぁ……

 彼女と共に過ごした思い出が、甦る。小さかったあの頃から、今までの記憶が。

 ごみ袋の口が縛られていくのを見ながら、私は、胸の中で、彼女に別れを告げた。

 どうか、お幸せに。




 ザアァァ……と、雨が振っていた。

 屋根も無いゴミ捨て場で、袋に雨がバタバタと当たる音を聞きながら、私は、ゴミと共に、袋の中から、ぼうっと灰色の雨雲を眺めていた。

 不意に、バシャッ、という音が聞こえて、私は音のする方へ目を向けた。

 目を向けて、驚いた。そこには、彼女の彼氏である、あの彼が、持っていた傘を地面に落とし、私を信じられないようなものを見るような目で見ていた。

 私は、内心で苦笑しながら、スカートの裏に仕込んである待針を取り出し、袋を破いて外に出る。傘を拾い、彼に手渡しながら、やあ、と片手を上げた。

 私から傘を受け取った彼が、顔を歪めた。


「お前……なんで、こんな所にいるんだよ……」


 彼のその言葉に、私は紙とペンを取り出し、そこにこう書いた。


 ―――捨てられたのさ。もう、私は必要ないからね―――


「そんなっ!だって、お前はいつだって、彼女の為に……」


 そこまで言うと、彼は、踵を返して、彼女の家のある方へと駆けだそうとした。

 私は、彼の前に回り込んだ。


 ―――彼女を責めないで―――


「なんでだよ!」


 ―――私は、物だから。いつか、必要の無くなる、物だから―――


 私のその文字に、彼は歯を食いしばった。


 ―――いつか、捨てられる。それが、私。物の運命。だから、彼女を責めないで―――


「だけど、こんなの……!報われないじゃないかっ!」


 彼のその叫びに、私は、首を横に振った。


 ―――いいや。十分、私は報われたよ。ここまで、彼女の成長を見守ってこれた。それで、十分。だから―――


 私は、雨に滲んできた紙を捨て、新しい紙に、こう書いた。


 ―――彼女の事、よろしくね。我が同士―――


 私のその文字に、彼は、肩を震わせながら、私に背を向けた。


「ああっ……!任せろ!」


 そう言って、彼は駆けだした。彼の頬に流れるものは、果たして、雨の雫だったのか。それとも……

 兎に角、これで安心だ。彼ならば、私と共に、彼女に降りかかる困難を払い除けてきた我が同士なら……彼女を任せられる。私の役目は、これで終わり。

 さて、これからどうしよう?

 私は、物思いに耽りながら、何処へともなく歩き出した。



 気付けば、雨は止んでいた。雨は止んだが、相変わらずの雨雲が、空に重苦しく広がっている。

 私は、いつの間にか、うっそうとした森の傍までやってきていた。


(……?)


 何故だろう?私は、ここを見たことがあるような気がする。

 と、そんな事を思っていると、少し離れた所に、疲れ切った表情を浮かべた男が、フラフラと森の中へ歩いていくのが見えた。

 いったい、あの男は、こんな人気の無い森で何をするつもりなのだろうか?しかも、男の手には、縄と椅子があった。

 なんだか不安になり、私はこっそりと男の後を着けていった。


 しかし、本当に何故だろう?この光景に、既視感を感じる。私は、この光景を、何処かで見たとでもいうのだろうか?

 男は、森の奥まで来ると、椅子を木の根元に置き、枝に縄を括り始めた。

 おいおい、まさか、自殺か?

 私が、ハラハラしながら見ている中、男は、溜息を吐いた。


「はぁ……もう、生きる事にも疲れた。碌でもない人生だったなぁ……」


 そう言って、男は首に縄を括り、椅子を蹴った。

 もう、見ていられない!

 私は、袖の中に隠し持っていた折り畳み式のサバイバルナイフを素早く取り出し、手首を振って刃を出した。

 そのまま枝に向かって飛びかかり、ナイフを振って、枝を根元から断ち切った。


「ぐあっ!?」


 男がそのまま落下し、地面に尻餅を付いた。


「げほっ、げほっ……え?人形?しかも浮いている?は?」


 男は、私を見るなり、目を白黒させながら、そう呟いた。

 私は、紙とペンを取り出すと、紙に「ぷんすか!」と書き殴り、男に掲げ持って見せつけた。


「は?いや、今の紙とペン、どこから取り出したんだよ?

 って、うわ、分かった分かった!お前が怒っているのは分かったから、紙を押し付けるな!」


 男のその言葉に、私は男の顔に押し付けていた紙を遠ざけた。

 男は、息を吐くと、ぼそりと呟いた。


「はぁ……結局、死ねなかったなぁ、俺……

 分かった、ごめんって!だから、その振り上げたハリセンをしまえ!」


 ふざけた事を抜かす男に、私はハリセンを取り出して構えたのだが、男がそう言うので、渋々スカートの中に閉まった。


「そのスカート、どんな構造になっているんだよ……明らかに大きさが合ってないだろうに……」


 私は、スカートの中に手を入れた。


「ごめんなさい!すみませんでした!」


 男が、地面に手を付いて綺麗な土下座をしたので、仕方なく手を引っ込める。ちぇっ。

 男が、恐る恐るといった様子で、顔を上げた。ああ、顔に泥が付いている。

 私は、ハンカチを取り出し、男の前まで移動すると、男の顔の泥を拭った。まったく、だらしない男だ。

 男は、そんな私に目を丸くすると、頬を掻いて顔を逸らした。ああ、こら。動くな、まだ泥が残っている。


「その、さ。俺の事なんかより、自分の事を気にしろよ。

 お前の服、結構解れているぞ。」


 その言葉に、私は自分の服を見た。

 ……うん。結構解れているね。だらしないのは、私も同じだったようだ。

 私は、生意気な事を言う男の顔を少し乱暴に拭うと、男の肩に飛び乗った。

 男が、怪訝そうな顔で、私を見た。


「……なぁ、もしかしてだけどさ。俺に憑いてくるつもりなのか?」


 何を、当たり前の事を言っているのだろうか。この男を放っておけば、また自殺を計るかもしれないのだ。放っておけるものか。

 無論、と書かれた紙を掲げる私に、男は疲れたような顔で、空を仰いだ。


「これは、罰なのだろうか……いや、そうなんだろうなぁ……いてっ!」


 スパコーン!と、男の後頭部をハリセンで叩いた。

 私は、恨めしそうな表情で見てくる男に、「出発進行!」と書いた紙を掲げ持って見せつけながら、帰り道を指差した。

 男は、溜息を吐きながらも、椅子を持って歩き始めた。


 こうして、私には、新しい主ができた。

 どこかで見た事があるような、既視感のある人。私は、この男の面倒を見ようと思った。

 いつか、私を必要としなくなり、捨てられる、その時まで。

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