第2話 家族の応援
少子化が進む日本ですが、性同一性障害を訴える子供達が増えているようです。
また、20歳以上になり戸籍の性別を変更する人も増えているとか。
やはり私の書いている世界は荒唐無稽ではないなあって思ってしまいます。
その日は土曜日だった。
一家団らんの夕方の夕食後、智樹は
家族が全員いる前で、
自分の人生の目標というか
進みたい道についてカミングアウトした。
そして、その生き方を認めてほしいと両親に懇願する。
驚くべき告白だった。
性転換して女性になりたい。女性として生きたいと申し出たのである。
でも、意外にも家族は冷静だった。
「ふうーっ。
やっぱそうか。そうじゃないかと思いはじめてはいたが。」
有名大学病院で外科医をしている父親、誠二がため息をつくように答えた。
「ねっ、あなた、私が思ったとおりでしょ。小さなときから、そういう感じしたもの。」
母親の加奈がわかっていたように言う。
「私たちは何となくわかってたよ。だって、私たちが着る服とか下着とかすごく羨ましそうにしてたもん。」
高校1年の長女の美也もわかってたようだった。
「そう、わかってた。智樹が女の子になりたがってるって、ずっと感じてた。」
中学2年の次女麻耶が直接的な表現でとどめをさす。
そして、父親は意外にもというかあっけなく結論を下した。
「わかった。女の子になりたいんだな。
女性として生きていきたいんだな。
よし、そうしろっ。
家族全員でサポートする。
加奈、美也、麻耶、みんないいなっ。」
「もちろんいいわよっ。智樹は本当に可愛いから、女の子にしたいって思ってたの。
本人が望んでいるんだったら、もう全力で応援するっ。」
加奈は大賛成の様子だった。
「実は私も、智樹に可愛い服着せたかったんだ。だって、すごく可愛いんだもん。この子、絶対美人になるよ。」
「私も大賛成。可愛い女の子になってもらって、洋服の貸し借りしたいなっ。」
二人の姉も全然賛成だった。
そして、その後家族は土曜日、日曜日とじっくり話し合う。
専門的知識をもつ誠二といろいろ自分でも調べていた智樹が意見を出し、
それに家族が自分なりの修正意見を出して相談した結果、以下のことが決まった。
第1に
GID(性同一性障害)の診断を始めるために、ジェンダークリニックに通い始める。
父親が大学病院に勤めている関係で、父親には心あたりがあった。
小学校6年から通い始めるのはタイミングがよいと父親は言ってくれた。
1年間かけて、性同一性障害の診断を得る。
そして、さらに1年間、合計2年間の経過観察のあとホルモン療法を始めるということになった(年齢が15歳以上になってからになるのホルモン剤投与となる。智樹は4月生まれだったので、中学3年生になったらすぐ始められる)。
その間、第2次性徴期が始まるので、スポーツ等で体ががっしりしないように気を使わなければいけなかった。骨格が大きくならないように、食生活や日頃の運動に気を使うということにする。
特に肩幅や胸回り、腰回り、そして腕回りが大きくならないように注意するということで意見が一致した。
ヒゲとか、すね毛、脇毛等が生えてきたら、レーザー脱毛をすることにした。
身長については、両親、姉ともども全員小柄だったので、そんなには大きくならないだろうという予測する。
第2に
中学は、
今年から性同一性障害の生徒を積極的に受け入れると表明した東京の私立の中学に行くことにした。
これは、智樹がネット等で自ら調べた学校である。
父親の誠二も知っていた。画期的な制度の導入ということで医者の間でも評判になっていたのである。
試験はあるが、智樹の学力なら問題なさそうだった。
その学校は性同一性障害の診断が出てなくても、実際にジェンダークリニックに通っていて、
性別に違和感をもっている子供であるということならば、
自分があるべき姿であると思う性別の制服で通うことができる規定をつくっていた。
すでに日本中からGIDの少年と少女を集めることが決まっており、募集は開始されていた。
まず、1年生にGIDだけのクラスを1クラス設置するようだった。
更衣室・トイレはGID専用の更衣室が用意される。
FTM(女性→男性)用と、MTF(女性→男性)用の更衣室・トイレが設置されるとのことだった。
でも、このクラスはほかの男女共学のクラス(一般クラス)と隔離はしないという方針で設置されている。
科目によっては、一緒に授業を受ける機会は与えられ、交流を促進するホームルームや行事もあった。
本人が望めば、一般クラスへの編入もできる。
そういう生徒は着替えやトイレのときだけGID用を使えばよい。
中学高校の一貫校であり、高校卒業までこの特別クラスは続くとのことだった。
なお、生徒は、やはり生まれた時の性の状態で過ごしたいと
考えを変えた場合、一般クラスに編入することができた。
第3に
ホルモン投与を始めたあと、玉抜き(睾丸摘出)を行い、
そして、18歳になったらすぐ性転換手術を行うことを決めた。ホルモン投与同様、日本の学会で定められている年令制限に沿うのである。本来は20歳なのだが、親の了解があれば18歳でオッケーである。
智樹は4月生まれなので、高校3年になってすぐ手術を受けることにした。
性転換手術の後、家庭裁判所に申請し、名前を変える。
そして、大学まで進学したあと20歳で戸籍を女性に変更することにした。
これは法に沿ったものである。
なお進路についてであるが、本人は医大進学を希望している。
GID専門の精神科医を目指すということであった。
第4に
髪の毛を伸ばすことを決めた。
いまでも、女性のショートヘアくらいの長さであったが、ロングヘアに伸ばそうということに方針を決めた。
ただし、中学入学のタイミングではそれほど長くはならないということで、中学入学時はエクステ(エクステンションつまり付け毛)をつけることにする。
伸びていく中で、美容室で髪型を整えていくことにした。
第5に
女性としての仕草や身振り、声の出し方を身につけるために、家の中では女装することにする。
下着から靴下にいたるまで、すべて女子用のものを着用することにした。
小学校卒業までは、外では男装、家の中では女装ということにする。
ただし、外でも自然に振る舞うために、ときどきは女装外出をすることにした。
女装したあと、親の車で遠くまで外出し、繁華街や観光地でずっと女の子の姿で過ごす訓練をすることにした。
名前も女性名をつけることにした。
本人の希望で「ほのか」というひらがなの名前に決定する。
もちろん、中学に進学したら、男性用のものはすべて廃棄し、
家の中も外も完全女装で過ごすことになる。
第6に
現在かよっている小学校への報告である。
学校の担任の先生には性同一性障害のことを説明し、
中学は東京の学校にいくことを報告することにした。
クラスメイトには一切話さないことにした。
中学になって、学校が変われば、接触する機会がなくなると判断したのだ。
ただし、親友の高山和也には卒業前にカミングアウトするということにした。
家族ぐるみのつきあいがあるため、事前に親が相手の親には説明をすることにした。
第7に
近所関係である。
幸いにして、今住んでいる場所は新興住宅街であり、そんなに近所付き合いが濃密ではなかった。
長女、次女、長男という構成が3姉妹という構成になって、
「あれっ?」というご近所さんがいるかもしれないが、そこはうまくごまかすことにした。
方針が決まった後、智樹は、両親と二人の姉に頭を下げる。
「ありがとう。僕、いや一人称変えるね、私、最高の女の子になりますっ。」
ついに智樹の女性化が始まった。
(ふふふっ。和也は一生友達でいてくれるって言ってくれた。
私の女性化知ったらどう思うかな。
今さら、仲良くしないなんて言っても許さないんだから。)
智樹は和也のことが好きだった。
性同一性障害の子供を受け入れる中学とか高校とか、実際にあるみたいですね。
でも、そういう子供達をまとめて受け入れるという学校は聴いたことがありません。
そこで、自分で創造してしまいました。
やはり更衣室とトイレがポイントとなると思います。