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静かな休日

作者: otoutoane

 

 

 ある日の日曜日、僕は久し振りに家でゆっくり本を読んでいた。

こんなに静かで落ち着いた休日は久し振りだった。

 

 

 ふと気付くと部屋の中にいつの間にかクマがいた。熊。哺乳類。

そのクマはとても汚く、そしてとても巨大だった。クマの存在を僕が感じた瞬間、この部屋の落ち着いた空気、空間が消滅した。

 

 クマは僕のことをじっと見つめていた。クマも僕の存在を理解しようと必死なように感じた。きっとこのクマも何故自分がこんなところにいるのか理解できなかったんだと思う。そして僕はもちろん急に僕の部屋にクマが現れたことに驚いた。そして現実の事として受け入れられなかった。当り前のことだと思う。どこの誰が自分の部屋に急に薄汚れて巨大なクマが足音もたてずに現われて、その現実を素直に受け止められるだろう?

 

 クマは必至に僕の、そして自分の今ある立場について理解しようと努めているように感じた。クマも僕も驚いていたのだ。まるで二人の別々の泥棒が偶然同時にある家に侵入し、偶然遭遇してしまったような、そんな間の悪さまでこの部屋には存在した。

 

 僕はそのクマの姿を見て何故だか親近感を感じた。同じだな、そんなことまで思って思わず微笑まで浮かべてしまった。そして僕の心が通じたのか、クマも少し笑ったように思った。とりあえずクマも落ち着きを取り戻したようだ。

 

 おかしな話だった。その瞬間この部屋には前と同じ落ち着いた空気が流れた。ただ、その落ち着いた空間に存在する生き物が二匹に増えただけだった。もしクマが人間だったら、僕はコーヒーかなんかを出して「とりあえず落ち着いて話しましょうか」なんて言っていたかもしれない。

 

 するとクマの存在が目に見えて薄くなってきた。すーっと少しずつ、まるで何か強い光が力を失い少しずつ消えていくように、クマの後ろにあった僕の部屋の洋服箪笥などがクマの胴体から透けて見えてきた。クマはまた少し笑ったように思った。僕はクマが笑っている映像など見たことがない。もちろん笑っている顔を実物で見たこともない。しかし僕にはクマが笑っているように感じた。しかも苦笑いだ。「せっかくの休日に急にお邪魔しちゃって悪いわね」と言っていた。僕にはそう聞こえたような気がした。

 

「気にすることはないよ。ちょっと驚いたけど、それだけだ。」僕は言った。するとその言葉は完全な独り言になった。この部屋はまた僕一人になっていた。いや、僕一人に戻っていた。クマがいた、存在していたと思われる場所には何も、匂いや汚れ、もちろん影も形も残っていなかった。

 

 どのくらいクマがこの部屋に存在したか僕にはわからなかった。いや、本当に存在していたのかも僕にはわからなかった。今のは夢だったんだろうか。

 夢だとしたら僕はいつ目覚めたのだろう、まだ目覚めていないのだろうか。しかしクマがこの部屋に本当に存在したとしても、それは一瞬のことだった。そして僕はもうクマがこの部屋に存在していたときの事をあまり思い出せなくなっていた。

 

 僕はクマと一緒に過ごした一瞬のことをすぐ忘れるだろうな、と何となく思った。僕の部屋にクマが現われたのに僕はもうすでに忘れかけているのだ。あと一時間もたてば綺麗に忘れてしまうだろう。

 僕は急にもったいないと思った。僕がこの事実だと思われることを忘れてしまった瞬間、多分それは無かったことになるのだ。ただでさえあり得ない事なのに、僕が忘れてしまった瞬間それは完全に無かったことになってしまう。その事実だと思える出来事は完全に消滅してしまうのだ。無。

 

 僕は何かに書き残しておこうと思った。しかしそんなことをしても無駄だと思った。僕の頭の中に残ったさっきの出来事は一秒ごとの大幅に削除され続けているのだ。もう何がいたのかさえはっきりと思い出せなくなってしまった。

 

 僕は仕方なくコーヒーをいれた。二杯。

 きっとこのコーヒーを飲み終わる頃には自分が何故二杯もコーヒーを作ったのか混乱するだろう。

 それでもいい。何とか今あった出来事を少しでも長くこの部屋の中に残しておきたい。印でもなんでも。

 

 僕は本の続きを読み始めた。静かで落ち着いた休日だった。

 

 


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