最終訓練
◇
「瑠璃さん。ちょっといい?」
「……なに」
愁は瑠璃へと声をかけたもののその冷たい目を向けられて物おじしてしまう。愁が年下である瑠璃をさん付けで呼ぶのは、呼び捨てで呼ぶ勇気がなかったからだ。
これは必要なことだと自分に言い聞かせ、勇気を振り絞る。
「実戦形式の相手をしてほしいんだ。君の召喚獣と俺のパンで」
「パン?」
瑠璃が首を一二度傾けた。その様子に愁は内心笑ってしまっていた。表情は変わらなのに彼女のしぐさは小動物のようなかわいらしいものだったからだ。
「パンっていうか……そうだな……パン獣かな?」
愁は己の魔力を通したパンをまるで生き物のように操ることができる。だから、パンの獣でパン獣なんて呼び名がちょうどいい気がした。
なぜ愁があまり面識のない瑠璃に訓練の相手をしてほしいかというと、それはパン獣を本気で使うためだった。竜司や椎乃を相手にした場合だとどうしても手加減してしまうのだ。べつにこれは自分が強いからというわけではない。
食パンの攻撃方法は噛みつき。そしてその食パンの大きさは既に二メートルを超している。もしも攻撃が当たってしまったらシャレにならない。 もはや食パンは食べられる側ではなく、喰らう側。そう、喰パンとなっていた。
相手が召喚獣ならばいくら攻撃しても被害はない。だから彼女に頼んだのだ。
「……私が勝ったら、パンを一つくれる?」
「もちろんいいよ」
斬須からは食べるなと言われているが、訓練のためならしょうがないだろう。
「……始める」
そう言って彼女は三体の魔物を召喚した。それは先日ロウムを襲っていたものと同じだ。今ならその正体がわかっていた。大鬼、子鬼、小翼竜だ。だが、それらは実際のものとは違い、全身が赤いが。
彼女が操れるのがあれだけなわけはない。きっと愁は甘く見られているのだ。パンだから。
「行け! 喰パン」
手に持っていた四枚の食パン。それを宙へと手裏剣のように投げる。空中で三体の白い獣へと生まれ変わった。
「ガウガウ」
喰パン達は駆けだす。それらが向かうのは同じ、ゴブリンだ。
瞬く間に食いつくされるゴブリン。他の二匹は動かない。余裕を見せつけられているようだった。
「次はオーガだ!」
喰パンはゴブリンを食い散らかし終わると、次の標的へと向かっていく。そこで初めてオーガが動き出した。
「ヴアアアア」
オーガは手に持っていた棍棒を振り回す。それが直撃した喰パンは弾け飛んだ。その隙を突いた二匹の喰パンがオーガの左右から食らいつく。オーガはジタバタと暴れるが、二匹の喰パンに徐々に食されていった。
「……」
瑠璃は無表情な顔でその様子を見ていてた。自分の召喚獣が喰パンに食べられても何とも思っていないようだった。
「二匹じゃあ無理かぁ」
残りのワイバーンへと勇猛に飛びかかる喰パンだったが、ワイバーンは一匹を足で踏み潰し、もう一匹は食べてしまった。
さすがに龍種はそう簡単に倒せなかった。
「終わり?」
瑠璃が冷めた目を向けてくる。時々その視線は愁の持っているパン袋へといっており、早くパンを食べたいようだった。
年下の女の子にこうまで軽く見られては愁も男だ、黙ってはいられない。
「いや、まだだ。こいつを倒せたら食っていいぞ」
そう言って、先日椎乃に止められたソイツを袋から取り出す。戦場じゃあ何が起こるか分からない。もしも使うことになった時に使えませんでしたじゃ死んでも死にきれない。
相手は勇者に一番近い奴だ。もし何かあってもなんとかしてくれるだろう。
愁はソイツへと魔力を流した。
*
「はあ……はあ……」
愁は全身に流れる夥しい量の汗を感じながら、瑠璃を眺める。彼女も愁ほどではないが疲れた様子で、白い肌がほんのりと上気していた。
周りに転がるのは瑠璃の召喚獣達。その数は三十を下回らないだろう。どれもが無残な肉片となっており、中には原型をとどめていなものもいた。実際には丸のみをされたものもいるので、死体の数はもっと多かっただろうが。
「訓練付き合ってくれてありがとな」
「……今のも……パンですか」
「ん? まあ、そうじゃね」
「私は認めません」
彼女はてくてくと愁の元へと歩いてくると、無造作にパン袋の中をあさり、メロンパンを手に取りそのままどっかにいってしまった。
「やっぱり操作が難しいなぁ……」
既に周りには死体がなくなっていた。召喚獣だからだろう。だが、愁が作り出したソイツは残っている。それを見ながら愁は悩む。
「パン……だよなぁ」
◇
愁の目にミコが映る。半そで短パンで、へそが見えているほどの露出度だ。彼の白人めいた白い肌が愁の煩悩へと襲いかかる。
ミコは一度深呼吸すると、覚悟を決めたような顔を見せる。
「シュウ! 飛び込んできて!」
「ああ! いまお前を食ってやる!」
まるで全てを受け入れるように広げられたミコの両手、そこに俺の白いものが飛んでいく。
「うッ……ふぅ」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん。これぐらいなら、斬須さんのヤツに比べれば……」
「そうか……なら遠慮はいらねぇな。どんどんいくぞ。オラッ」
「あぅッ……んん、ああッ!」
愁は心を鬼にして、目の前で苦痛に悶えているちょっとミコに歯を突き立てる。
その細い腕が──食いちぎられた。
「あぐぁああ!」
ミコは歯を食い閉めて耐えている。それはとても痛そうで、愁は目をそらしてしまう。
「シュウ……君は悪くない……これはボクが頼んだことなんだから」
そう。これミコに頼まれた訓練だった。
彼の能力は自己回復。今の所、どんな傷を負っても次の瞬間には治っていた。愁の白い喰パンが彼の腕や肩を食いちぎる度に、彼は元の体へとすぐに戻る。
だが、痛みはそれなりにあるらしく、それを克服するための訓練を行っていた。彼が軽装なのはどうせ服を着てても食いちぎられたり血で汚れてしまうからだった。
「……なんか……だんだん気持ち良くなってきたような……」
ミコの表情が恍惚としたものになっていき、息が荒くなる。愁もそれに呼応するかのように息を荒立てる。目は血走っており、正気とは思ない。
彼らは今、新たな境地を開いたのだ。
◇
訓練最終日。
明日には自分たちは殺し合いをしているはずだが、そんなこと想像もできない。
筋力は鍛えた。魔力もある程度操ることができるようになった。能力も掴んだ。戦いに必要なものはあらかた身につけたと愁は思っている。
「お前たちはよく頑張った。初日に一名が死亡したがその後は誰一人欠けることなくここまでこれた。戦う力は十分ついたはずだ。だが、お前たちにはあと一つ足りないものがある。それは、
────覚悟だ。
」
斬須はそう言うと、手で合図を示した。それに応えるように、ゾロゾロと愁達の前に姿を現す者達がいた。
既に見慣れたゴブリンと……人間だ。おそらく、初日に愁達とは別れた者たち。あの時は三十人以上いたはずだが、そこにいるのは愁達の人数とちょうど同じだった。
彼らは腕を縛られ、抵抗できないようにされていた。その顔には絶望が浮かんでおり、それが愁を不安にさせた。
「最終訓練の内容は──」
斬須の表情がなくなった。
「──人を殺すことだ」
愁達は沈黙した。
今まで殺し合いをするために訓練を受けてきた。だが、いざ殺すとなると体の震えが収まらなくなる。おそらく。殺すのは連行された人達だろう。
「こ、殺さないでくれ。俺はまだ中学生なんだ。まだ……死にたくない!」
ゴブリン達に連行されてきた人間の一人が怯えた叫び声をあげた。その恐怖が伝染したように、同じく泣き喚くものが出始める。場の空気は最悪だった。
「黙らせろ」
斬須がゴブリンに一声かけると、ゴブリンは泣き喚くものに拳をぶつける。しばらくすると、すすり泣く声だけが聞こえるようになった。
そのすすり泣き声は、縛られている者たちからだけではなく愁達の中からも聞こえていた。隣では顔を真っ青にした椎乃が泣いていた。
「分かっているだろうが、これができないものは処分される。
これが……ここのルールだ」
………………
…………
……
その日。俺は初めて人を殺した。