絶望の始まり
◇
「────人間共を皆殺しにするためだ」
フードを被った人物が発する言葉が虚空に響く。
静謐が場を支配した。皆がその言葉の意味を反芻する。そして意味を理解した時、その場は騒然となった。
あちこちからどよめき声が上がり、その中から若者が一人立ち上がった。
「おい、どういうことだよ! 俺たちは勇者として呼ばれたんじゃねーのかよ!」
彼は先ほど勇者になれると喜んでいた人物のようだった。
不満の声を上げる彼に、フードを被った人物は笑みを浮かべる。その笑顔には温かみなど皆無だった。
「勇者? おお、君は勇者になりたいのかね。だったら精進して勇者となり、魔王様のために人間を一人でもいいから殺してもらいたいね」
「意味がわからねーよ。勇者は人殺しなんてしねーんだよ」
「はぁ……どうするかなぁ。君、こちらに来なさい」
そう言うと、手招きをする。それはまるで悪魔が罪人を誘っているかのようだった。
多少の躊躇を見せながらも、青年は近づいていく。その様子を誰もが見守っていた。
「可愛い坊やねぇ。私の好みだわぁ」
近づいてきた青年に話しかけるのは、フードの人物の隣にいた女王様みたいな女性だ。
アメジストのような紫色の髪を腰まで伸ばしており、妖艶な雰囲気を放っている。青年を舐めるよう眺めると、顔を横に向ける。
「ねぇロウム。私に任せてくれる?」
フードを被っている男はロウムというらしい。
ロウムは困った表情を浮かべた後、ぽりぽりと頬を掻き始めた。
「しょうがないですね。一人だけですよ」
『お待ちください』
ロウムが女王様のような女性へと何かの許可を出したところで、隣にいた姫様のような女性が割って入った。
「どうしたの怜奈ちゃん」
「ネーヴェル様。彼も貴重な魔王軍の戦力となるかもしれない人材です。むやみやたらに食い散らかすのは……」
「じゃまするのぉ? 食べちゃおうかしら」
そう言ってネーヴェル様と呼ばれた女性が怜奈ちゃんという女性の頬に手をつける。
食い散らかす、食べるというのは性的な意味だろうか。どうやらネーヴェルは男でも女でもいけるようである。愁はそういう世界をまだ習得してはいないのだった。
怜奈は顔を青ざめさせると、下を向いてしまった。
おそらくネーヴェルの行ったプレイがそうとう際どいものだったのだろう。
愁は彼女達が絡み合っている姿を想像してしまい、顔が少し赤くなってしまった。
「私はネーヴェル=ドグルマっていうの。あなたは?」
妖艶な女性──ネーヴェルはまごついている青年に話しかけた。青年は彼女のその扇情的な様子に恥ずかしそうな顔をする。まるで好きな女の子を前にした中学生のような反応だった。
「お、俺は坂本鳥馬って言います」
先ほどまでの威勢はどこにいったのか、彼はネーヴェルとまともに目も合わせられないようだった。
だが、彼の反応も仕方がないことだろう。彼女ほど美しい女性を愁自身見たことがなかった。その美貌は一つの芸術品のようで、まるで作り物のように整っていた。
「そう、鳥馬っていうの。美味しそうな名前ねぇ」
「ッ!」
そう言うなり、ネーヴェルは青年に抱きついた。そのまま端正な顔を青年に近づけていき、深く口づけをする。
彼女の突然の行動に、皆は余計に混乱していた。もっとも混乱してるのは彼女に接吻されている青年だろうが。
青年は顔を赤らめ、ジタバタしていた。それを見ていた男性陣からは嫉妬と怒りの入り混じった羨ましそうな視線が向けられる。
そんなピンク色の空気が流れる中で、
──異変が起きた。
青年の動きが先ほどまでの恥ずかしがるようなものから、必死なものへと変わったのだ。
手足が乱暴に動き、ネーヴェルを激しく殴打し始める。しかし、彼女の抱擁は外れない。
しだいに彼の体から煙のようなものが発生し始め、異臭が漂い始めた。
青年がびくびくと痙攣をし始めたかと思うと、次の瞬間には完全に動きを止めていた。
────どさり
ネーヴェルが彼を放した。
青年の体が崩れる。そこには顔面が溶け、体からドロドロとした液体が漏れ出している無残な姿があった。
「きゃぁああああ」
そのあまりにもグロテスクな亡骸を見た女性から甲高い悲鳴の声が上がった。
嘔吐をする者や、顔を真っ青にさせる者も出始める。
ネーヴェルは唇を指で拭う。それは食後に口についてしまったものを拭くのと同じしぐさ。彼女の食べるという言葉は、性的な意味ではないようだった。
そして彼女は女王様なんかではなく、ただの化物だった。
「威勢のいいのは勝手だが、どうなっても知らないよぉ」
ロウムがにこやかに笑う。その笑顔の裏側には凶悪な感情が透いて見えた。
「入ってこい」とロウムが荘厳な観音扉に向かって声をかけた。石が擦られるような音と共に扉が開かれると、ぞろぞろと何者かが部屋に入ってくる。
その姿に愁は心当たりがあった。
────子鬼
ファンタジーなゲームなどでは序盤に出て来る雑魚敵だ。
人と同じく二本足で歩く生物だが、彼らは醜悪な顔に緑色の肌をしており、人と違うのは一目瞭然だった。
パニックに陥っている愁達をその肉食獣のような獰猛な目で観察するように見てくる。ゲームの中では雑魚敵でも、現実では恐ろしい化物だった。
その中で一番大きな者が、ロウムに声をかけた。
「ロウム様。これから選別を行いたいと思います。何か不都合等はございましょうか」
野蛮な口から出てきたのは綺麗な敬語だった。声質はひび割れ、低くくぐもってはいるが、知性を感じさせる話し方だった。
その言葉にロウムは軽く頷くと、再び声を張った。
「今から君たちを選別する。そこのゴブリン達の言うことにはちゃんと従ってね。従わなかったら……わかるよね?」
反論の声は上がらなかった。