058 『使えぬ秘薬と想定外の来訪者』
「ようやく、か。これでついに、開放されるんだな……」
待ちに待った、望みに望んだ郵便物を受け取り、俺は感慨にふける。
長かった。本当に、長く苦しい日々だった……。
「大げさね。あたし達が世話して、何不自由なく暮らしてたじゃない」
「私達に出来ることなら全てやっていたつもりだったのですが、なにか足りていませんでしたか? 彰さんの手が使えない間、その代わりを務めたつもりだったのですが」
「だからその過剰な世話を勘弁してくれと……」
依織や空亡の件があってから今日までの一週間、俺は二人に世話を焼かれまくっていた。
食事のときにはあーんで食べさせてもらい、風呂では毎回一緒に入らされたうえ身体を洗われ、そのほか着替えなど細々したこともしてもらう。流石にトイレに関しては断固拒否したが、それ以外のほとんどで何から何まで、俺は二人に世話をされていた。
「正直、そこまでする必要は無かったんじゃないか? ちょっとぐらいなら、手を離しても大丈夫なんだからさ。飯とか風呂ぐらい、自分でやらせてくれてもよかっただろ」
二人がこんな風に世話をしてくれたのは、俺が手を放せなかったからだ。俺の両手は現在、繋いだままの状態で、依織の糸でガチガチに固められているのである。
あの日、空亡を倒す為とはいえ自分の身体を切り落とした俺は、自分の両手を繋ぐことで無理やり下半身を作って生活していた。だがこの能力は繋いでる間だけでなく、手を離しても繋いでいた時間と同じ間はそのまま身体を維持できるのだから少しぐらい放しても問題はない。
「……そう言って、初日の朝食で手を合わせてどうなったか、お忘れですか?」
「あの時は大変だったわね……。あんたの血のせいで、食事どころじゃなくなったもの……」
「そっ、それは……」
冷ややかに聞いてくる依織と、思い出すようにうんざりした声を出すレイア。それを言われると、もはや俺は何も言い返せない。いただきます、と手を合わせてそれを話したときの惨事は忘れたくとも忘れられない、ちょっとしたトラウマである……。
「まっ、まぁいいじゃないか、これで今日からはもうそんなこともないんだしな!」
「そうね、わざわざそのためにママに頼んで送って貰ったんだから。言っておくけど、結構高いんだからね、これ」
そう言って、レイアが先ほど届いた郵便物の中身を取り出す。
そこに入っていたのは、彼女が母に頼んで用意してくれた小さな薬瓶。それは、『人魚の秘薬』とラベルのついた、あの薬だった。
「あとは、その手を放してあんたの身体を一度戻して、それを飲むだけね。これでやっと面倒な世話が終わるわ」
「私としては、お世話が出来ないのは少々寂しくありますが、これでまた彰さんとまた手が繋げると思うと嬉しいです」
レイアの言葉に依織が嬉しそうに答え、俺の手を固める糸を解く。そして俺は、一度繋いだ手を放し、再び繋ぐことでその継続をリセットする。
「……いや、ちょっとまて」
あとはこの手を放して数秒待てば身体は本来の姿に、下半身を切り落とされたものに変わるというところで、あることに気がついた。
「どうしたのよ? 前にもやったんだから、心配なんて要らないでしょ」
「もしや、まだお世話を続けて欲しいということでしょうか? それでしたら、もし身体が元に戻りましても、お望みでしたら喜んで御奉仕させていただきますから心配しないでください」
「そうじゃなくて、これ手を放したら新しく身体が出来る前に、出血多量で死なないか……?」
今の俺の元の身体は単に依織の糸で断ち切っただけ、止血も何もされていない。初日の朝食のように、戻った瞬間に血が溢れ出して死に掛けたことも実際にある。とてもじゃないが、身体が出てくるのを悠長に待てるはずも無い。
「確かに、あの時は効果が出たのは飲んでから結構時間が経ってからでしたよね……」
「そういえば注意書きもあるわね、人間に使用する際は失血や痛みで死亡しないよう注意って」
注意したところで、どうしろというのか。冷静に考えてみれば、身体を半分切り落とすという時点で人間は普通死ぬ。少なくとも、身体が生えるまで耐えるのは不可能である。
「では、どうやってお主は使ったのだ、そんなもの? 以前にも使用したのであろう?」
「いや、あの時は空亡が、俺が死なないように切ってくれたからさ」
前にこの薬を飲んだときは空亡に身体を断たれたわけだが、そのときは断面を空亡がよく分からない黒い靄で覆ってくれていたから、血も流さずに薬の効果を待てたのだ。
「ふむ、ならば同じことをすればよいのだけではないのかの?」
軽く言ってくれるができるはずが無い。俺は当然ならがら、多分依織とレイアにもそんなことは出来ないだろう。それが出来たのは俺の知る中でたった一人、空亡だけだ。
「無理に決まってるだろ。それをやったあいつはもういないんだから。それに、たとえ生きてたとしても、俺の為にそんなことをやってくれるはずも無いだろうしな……」
仕方の無かったこととはいえ、やはり割り切ることは出来ない。
俺がこの脚で、あいつを殺したのだから。それも、二度も。そんな自分を殺した相手のために、わざわざ動くやつがどこにいるというのか……?
「いや、だから別に我は構わぬと言っておるのだが……」
「お前が構わなくても、そんなの、――ん? というか、誰だ?」
自然に会話に入ってきたので気づかなかったが、よく考えれば俺が話しているのは誰だ?
この場には俺以外には依織とレイアしかいないのに、その声と口調はどちらとも違う。
「む、また我のことを忘れたというのか? 一週間前もそうであったが、お主は物忘れが激しすぎぬかの? うむそうだ、丁度よい。仕置きがてら、お主の望み叶えてやろう!」
少し心外という風な声がすると、いきなり俺の身体がぐらりと倒れこむ。普通ならありえないことに、腰から下を置き去りにして上半身だけが。
「はっ?」
「おっと、流石に頭から床に落とすわけにはいかぬな」
床にぶつかる寸前、俺の身体を受け止めたのは小さな身体。けれど、そこにはあるものが決定的に欠けている。――その、腰から下が完全に。
「空、亡……!?」
二週間前に一度殺したと思った、そして一週間前に今度こそ完全に殺したはずの存在。
その姿は、長い黒髪に黒い着物、そしてそれとは対照的に純白の肌。ただし、その腰から下には何も無い。――空亡の化身たる少女に俺は抱かれていた。
「なんだ、ちゃんと覚えておったのか。まったく、またも忘れられたかと焦ったぞ」
「どうして、お前が……! くっ、依織、レイア……!」
俺と同じように、空亡の存在に気づいていなかったらしい二人に警告をする。彼女達だけでも、逃がさないと!
「なっ、なんであの方が……!?」
「ちょっと彰、あんたその身体……!?」
俺の言葉で、彼女達にも状況が伝わる。二人とも悩み顔を一転させ、驚愕と戸惑いを浮かべている。
何故死んだはずの空亡がどうしてここにいるのか、その理由は分からない。けれど、彼女が現れたということは、またなにか良からぬことがおきるということだ……!
そう俺達全員が警戒していたところにかけられたのは、思いもよらない言葉。
「あぁ、まてまて、我はお主らに何も危害を加えるつもりは無いぞ。ただ、彰、お主との約束を果たしてもらいにきただけであるからの」
「……約束?」
そんなもの、俺はした覚えは無いはずだ。けれど、空亡も嘘を言っているようではない。
「油断しないでください、彰さん。そう油断させて、また何かやってくるはずです」
「確かに、あんた達から聞いた話だと、相当のものらしいわね、あいつ。それに、彰の身体をそんなにしといて、危害を加えるつもりが無いとか、どの口で言ってるのよ……!」
「うぅむ、我ながらここまで信用がないと、少し悲しくなるのう。彰よ、少しあやつらに大人しくなるよう言ってくれぬか? 話をしようにも、これではどうにもならぬ」
そう眉根を寄せて困ったように言う空亡には、確かに敵意というものは感じられない。
考えてみれば、その成り立ちからか嘆きを味わうため最悪な行為を散々してきた空亡だが、一方で猶予を与えてそれを守ったり、素直に負けを認めたりというところもある。
ならばそんな彼女が危害を加えるつもりがないというのなら、その言葉を信じてみてもいいかもしれない。せめて、その話を聞く程度には。
「依織、レイア、気持ちは分かるが少し落ち着いてくれ。この身体も俺の為みたいだし、とりあえず話があるっていうんだから、聞いてみようぜ。何をするとしても、まずはそれを聞いてから決めよう」
「……分かりました、彰さんがそうおっしゃるなら」
「まぁ正直、あたしはそこまでそいつのこと知ってるわけじゃないし、話ぐらいならいいわよ」
依織は不承不承、レイアはよく分からないといった感じだが、一応は二人共話を聞いてくれるようだ。前回起きたことがことだけに、説得できるか不安だったが良かった。
もはや恒例の不定期という名の定期更新です。
というわけで、エピローグです。
ただ、色々とエピローグなのでシリアスなことは無く、台無し感満載です。
しつこい幼女も色々アレになってますので。アレな意味は、次回を読んでもらえれば分かってもらえるはずです。
それでは、今回も読んでいただきありがとうございました。
残り数話で第一部も終わりですが、どうか最後までお付き合いお願いいたします。
次回は月曜零時の更新予定です。
もしかしたら、ブクマ十件単位の御礼更新が早くくるかもですが。
それでは、次回もどうかお願いいたします。




