037 『鬼ごっこ』
遊びで戦うと決めて数分、悩み続けていた空亡は唐突に顔を上げ、その内容を宣言する。
「――よし、決めたぞ。我らが戦うのは、鬼ごっこだ!」
「鬼ごっこ?」
悩みぬいて出した割には平凡なそれに拍子抜けする。だが童女めいた空亡の容姿にはあっているようにも思える。もしかしたら彼女も普通の子供の遊びをしたかったのかもしれない。
「追う鬼はお主、逃げる人は我。そして我はここから動かず、逃げもしないと誓おう。ただし、鬼のお主はただ触れて捕まえるのではなく、我を滅ぼすことで勝利とする」
「なんだ、そのルールは? いくらなんでも、俺に有利すぎないか……?」
「お主と我の差を考えれば、これでもまだ足りぬほどだろう。あぁ勿論、我からおぬしに危害は加えぬし、何か獣を呼び出すということもせぬから安心するがいい」
まるで訳が分からない。鬼ごっこといっておきながら、空亡は逃げない上に反撃すらしない。それどころか俺が彼女を攻撃して滅ぼすのが勝利条件なんて、ばかげている。
「さぁどうだ、この勝負を受けて立ち、我と遊んでくれるかの?」
何処をどう考えても俺に有利すぎる内容。受けない手は無い、そう頭で分かってはいても、何か裏があるのではと逆に不安に思えてしまう。
「もし、嫌だというのなら面白みは無いが仕方ない、先ほどと同じで悪いがまた十二支の相手をしてもらうつもりだが、どうするかの? 当然、次は仕切り直しなどするつもりは無いぞ」
「分かった、その勝負受けてやるさ。どんな内容だろうと、さっきよりはマシだからな」
結局、最初から俺に選択権など無かったのだ。覚悟を決めて、空亡の誘いに乗る。
「では、始めるとしよう。どうか今度は、我を楽しませてくれ?」
――そう言って空亡が手を広げた瞬間、彼女の前に浮かぶ半球からいきなり闇が溢れた。
「なんだ、これは……?」
ただ、暗い。目を開いているはずなのに、黒色以外は何一つとして見えない。
辺りを埋め尽くす濃密な闇は重く、この場には何も無いはずなのに何故か酷く苦しい。
『どうだ、我の中は?』
前後左右、方向の感覚する分からない中で何処からか空亡の声が響く。
「おい、これは一体どういうことだ! なんなんだここは……!?」
『言っただろう、そこは我の中と。始めに囲った籠の中を、我を形作る闇で埋めたのだ。我で満たしたその中から、手探りで我を探しあててみせるがいい』
「ここが、お前の中だと? まぁいい、とにかく、ここからお前を見つければいいってことだな。あんな内容じゃちょっと簡単すぎると思ってところだ、このぐらいの難易度がないと張り合いが無いぜ……!」
まさかこんなことをしてくるとは思いもよらなかったが、一筋縄でいくなんて思っても無い。寧ろ、見えなくなる程度ですんでマシだと思うぐらいだ。
『くくくっ、頼もしい限りだ。だが、ただ暗いだけと思わない方がよいぞ、そこは『我の中』なのだからのう』
「どういうことだ……?」
『なぁに、すぐに分かるさ。あぁ言い忘れておったが、お主の負けは我を探すのを止めたとき、ゆえに時間など気にせず好きなだけ探すがよい。お主がお主でいられる限り、の』
「俺が俺でいられる限り……?」
『くくくっ』
虚空に声をかけるが帰ってきたのは愉快そうな笑い声だけ。疑問に答える気は無いが、空亡は俺の様子を見て楽しんでいるということだろう。
「とりあえず、まずは前に進んでみるか」
一面が真っ暗で何も見えない状況だが、このようになる前に俺は空亡と正面から向き合っていた。そのまままっすぐ進んでいくことが出来れば、言葉通り動いてないならば空亡の下にたどり着くことが出来るだろう。
――しい。
闇の中を歩いていくと、ふいに何かが聞こえた。
「ん……?」
辺りを見回すが、闇が広がっているだけで当然誰の姿も無い。
気のせいか? と結論づけて進んでいくと、また聞こえた。
――苦しい。
今度は、ハッキリと声が聞こえた。男の声で一言、『苦しい』とだけ。
一体何のことだ? そう思った瞬間、頭の中に何かが流れ込んでくる。
戦場だった。槍や刀を手にした男達が、怒声をあげて殺しあっている。そんな光景を、何故か下から眺めている。起き上がろうにも胸が痛く身体に力が入らず動けない。何とか首動かしてみると、胸元に大きな穴が開いていた。そこはさっき槍で突かれたところだ。安物の防具ごと見事に貫かれたそこは、真っ赤な鮮血を吹き上げている。思うように息が出来ない。言葉を出そうにも、ひゅうと空気が漏れるだけ。誰も俺を気にかけていない。
息が出来なくて苦しい。誰にも知られないのが苦しい。このまま死にゆくのが苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい、苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦し苦苦苦苦――、
――そこで意識が戻った。
全く関係のない光景。けれど、現実でしかありえないような臨場感に、身体中から汗が吹き出ている。さっきまで俺は確かに、胸を突かれて死に掛けていた武士だった。
「なん、だ、いまのは……?」
けれど返事は無い。ただ、面白そうに何処かから見つめている視線を感じるだけだ。
なんだかわからないが、このままゆっくりしているとマズイ気がする。これはさっさと空亡を見つけて、どうにかしないといけない。
「ゆっくりしてる場合じゃないな」
危機感を覚えた俺は、疲れや痛みを押し殺して走り出す。
俺と空亡の距離は離れてはいたが、所詮は神社の敷地の中。走れば一分も経たず空亡の元につける。万一方向を間違えたとしても、半球状の囲には突き当たるはずだ。
その筈なのに、どれだけ走っても、どれだけ進んでも何も無い。空亡の姿はおろか、囲いすら見えてこない。もう、本来なら敷地の中を一周する以上は進んでいるはずなのに。
――嫉ましい。
また、声が聞こえた。今度は最初からハッキリと。
そしてその声が聞こえたと認識した瞬間、先ほどと同じく頭の中に何かが入ってくる。
双子の兄がいた。幼い頃から兄は優遇し賞賛され、俺は疎まれ蔑まれてきた。長男の兄は家業の商家を継ぐと決められ、本来不要な弟の俺は体のいい小間使い。兄が大金を手に放蕩する中、俺は最低限の衣食住で働かされる。あるとき金庫から金が消えたことが問題となった。それは兄が遊ぶ金を盗った為だったが、兄は俺が盗んだと言い放った。必死で弁明しても、俺の言うことなど誰も信じない。結局俺は町を追われ、行く当てもなくさまよった末に寒さと飢えで路傍に倒れた。
皆から大切にされ嫉ましい。家を継ぐのが嫉ましい。母の胎から先に出たのが嫉ましい。嫉ましい。嫉ましい。嫉ましい、嫉ましい、嫉ましい嫉ましい嫉まし嫉嫉嫉嫉妬――、
――意識が戻る。
先ほどの武士に続き今度は、双子の兄を嫉んだ末に罪を被せられ野たれ死んでいく少年に俺はなっていた。意識も、記憶も、感情さえも、俺は少年となってそれを体感していた。
勿論、俺に兄弟なんていないし、こんな胸糞悪い話は聞いたことも無い。けれど、今見たのは幻なんかじゃない、確かな現実感を伴った体験だった。
まるで誰かが本当に経験した記憶を味わっているような――、
「……そういうことか。これは、確かにあいつの中だ」
自らは人の邪念から生まれた存在だと空亡は言っていた。ならば俺が今体験したものが、空亡を形作るその一部ということだろう。
そしてここが擬似的とはいえ空亡の中ということは、それを構成するのは一つや二つでは無いたくさんの人の邪念の筈。この中にいる限り、それを俺は体験させられ続けるということだ。
「このままこんなものを何度も見せられ続けたら、頭がどうにかなっちまうぞ……」
二度目といえど、慣れるなんてことは全く無い。寧ろ、始めの一回からどんどんと俺の中に溜まっていく感じだ。記憶を見せられ終わっても、身体には先ほど体感させられた苦みや嫉妬は燻るように残っている。
つまりは、それが俺の敗北条件ということだろう。時間は気にせずとか言っておきながら、これは時間をかけすぎれば人の念に飲まれて狂うという制限時間つきの勝負なのだ。
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